儲ける自由が保障されたのは、市民革命によってである。それまでは、儲けることは詐欺と同等と見なされ、キリスト教世界では禁止されていた。キリスト教徒ではないユダヤ人はローマ帝国に滅ぼされヨーロッパ各地に流浪し、商業活動にその生きる道を見いだした。200年にわたる十字軍の遠征は交通の発展を促し、遠征の起点となった北イタリアに自治都市を生み出し、封建諸侯に貢納の代わりに自治権を認めさせた。ユダヤ人以外のキリスト教徒も商業活動に携わるようになり、商業活動も神の意に適っていると主張したカルビンはルターとともに新教徒として勢力を拡大した。血なまぐさい宗教戦争を経て、信教の自由は認められるようになり、経済活動の自由が認められたのは、それまでの絶対王政により許可を得ていた大商人の重商主義を克服してからである。やがて産業革命を経て成立したのがそれまでの封建制に代わる資本主義社会である。その資本主義も、商業資本からスタートし産業資本、そして金融資本へと大化けしてしまった。
誰も儲ける自由はあるとしても、実際に儲けるためには、元手がないとならないし、元手がある人は資本家として企業を立ち上げ、元手がない人は労働者として働き、資本家に儲けをもたらすと同時に己の生活費を受け取る賃労働が一般的となる社会体制が出来上がった。企業を立ち上げる資金がない人は銀行に預金し、利子を受け取る。銀行は競争に勝ち残るためには拡大再生産が命の企業に金を融資し利子を受け取る。その両利子の差が金融資本の利益となる。以前の産業資本は会社形式でも、自己資金の会社が多かった(合名会社。合資会社)、現在ではほとんどが株式会社である。株式会社のスタートは、一般の預金者に目を付け、銀行利子より高い配当金をもたらすことの出来る商品を生産できるとの自信を持ったある青年が始めたことである。
優良企業、つまり多くの人が必要で、安くて良い商品を作っている会社を支援するために、その会社の株を購入するのが本来の投資家である。世界の経済状況を読み取り、株を売ったり、買ったりして利をあげようとしている人は投資家でなく、投機屋である。
資本主義の長所はなんと言っても生産性が向上し続けることである。それ故にある商品を作るに必要な労働量は減り続ける。それだけ安い品物が作られるようになるから、今までその品を購入できなかった人も購入できるようになる。購買力が増すから、生産量も増大し、いわゆる好景気の循環が起きる。好景気の循環はやがて生産過剰となり、売れ残ることから生産縮小、倒産、失業者、さらなる購買力の減退、、、いわゆる不景気、深刻になったのが恐慌である。資本主義の欠点を根本的に無くすには社会主義が主張されたが、資本主義の長所を活かし、金融政策と財政政策で危機を乗り越えられると主張したのがケインズである。
国家による経済関与を否定するのが、新自由主義と言われるネオコンである。法人税は出来るだけ低く、累進課税などはとんでもないことだと考えている。有り余るほどの財を有しながら、さらなる儲けを企んでいる。日々の経済ニュースで株式市場の株価、外国為替相場での円高、円安等が報道されているが、株式相場も外国為替相場も投機鳩なってしまっていることに気づかなければならない。