自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

3,30、今日は何の日、、、

2019年03月30日 07時32分01秒 | コラム

 60年前の今日、憲法の番人の役割を果たした裁判官がいた。その名は伊達秋雄、東京地裁の判事であった。1945年敗戦、戦勝国、アメリカに占領され、’53年、サンフランシスコ講和会議で独立を回復(当時のソビエト、中国、インドは調印せず)したのだが、東西冷戦の発動により、アメリカは引き続き、占領軍から駐留軍と名前を変え日本国内に軍事基地を保持し続けることとなる。飛行機の大型化に伴い、基地の拡張の必要性が起き、”砂川基地”の拡張工事が行われ、土地を奪われることとなる地元住民、それを支援する労働組合や学生が激しい反対行動をとり、その一部が基地内に立ち入り、逮捕訴追されたのがいわゆる砂川事件である。

 アメリカ駐留軍は憲法違反、その基地拡張に抗議して基地内に立ち入ったのは微罪として起訴された学生らに無罪の判決を出したのが、’砂川事件の伊達判決’であった。日本国憲法前文と高らかに平和主義を唱えた第9条、第二次世界大戦中の多くの犠牲者に報いるために、、カントの永遠の平和のために、第一次世界大戦後の不戦条約、その延長沿いに完全平和主義の立場に立った憲法を制定したのが”日本国憲法”であった。現在捨て子にされそうな日本国憲法だが、前文と、第9条は葬り去られてはいけない。

 第9条、「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の不保持」日本国民は。正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国研の発動たる戦争と、武力により威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 かっては嘉手納基地より出撃し朝鮮戦争でたびたびの勲章を受け、戦後は環境にやさしい設計工学を学び中部国際大学の客員教授として来日。ヒロシマを訪れ、爆撃下の一般民衆に悲惨さに触れ、合わせて日本国憲法第9条の存在を知り、湾岸戦争での勝利に沸いていたアメリカで、日本国憲法9条の精神を世界に広める”9条の会”を発足された、チャールス、オーバービー氏、その運動に用いたイラストが、”集団自殺をするレミングの大群、その中に一匹だけ浮き輪をつけてるのがいて、その浮き輪に日本国憲法第9条を記されている”                                            


反、嫌、抗、好、親、従

2019年03月20日 08時12分51秒 | コラム

 タイトルの漢字に国名ないし個人名を繋げて、人間関係について考えたいと思う。向こう三軒の隣国、朝鮮、中国、ロシア、鎖国の夢を打ち破られたアメリカ、この国にとって大切にしなければならない国であるが、まずアメリカとの関係で、反米、嫌米、抗米、好米、親米、従米となる訳だが、両極端の、反米と従米だけは避けたいと思う。近隣諸国との関係でも同じことが言えると思う。近代史は受験に出ないからとて、ろくに近代史を学ばないで若い世代が多くなっているが、この国のアジアへの侵略を知らない、アメリカと戦って大敗し最後には原爆まで落とされて敗れたことを知らない若い世代が育ってしまった。特にアメリカが始めた東西冷戦で、アメリカの占領下にあったこの国は、独立の代償としてアメリカの従属国としての立場を強要された。

 第一次世界大戦後のワイマール憲法、第二次大戦後の日本国憲法は、人類にとって大きな過ちを経てより賢くなる、人類の英知が込められていたのだが、ワイマール憲法はヒトラーによって葬り去られ、日本国憲法の理念は、歴代アメリカとの関係を重んじる歴代保守政権によって、骨抜きにされ、捨て子にされるのも目前に迫ってしまった。

 今もって膨大な基地を所有し、駐留軍保持しているアメリカ、さらに横田エイリアと言われるいまだに占領されている空間、反米になる要素はいっぱいあるが、嫌米、抗米の域にとどめるべきであろう。反米のべネゼェラの動向が気になるところだが、ジャパンハンドラーズの要求に盲目的に従っているこの国の現政権には抗議しなければならないだろう。歴代従米政権は長持ちするけれど(現安倍政権は好例)、抗米(少しでも物申したり、独自の外交をした)政権は早めにつぶされた歴史がありますね、、、。

 


ベネゼェラの将来は、、、

2019年03月07日 16時22分20秒 | コラム

 大統領選挙で選出された反米のマドゥロ大統領、最近の国政選挙で多数を獲得した野党のファン、グアイド氏、大統領制をとっている国では、今のアメリカもそうであるように行政権を保持すする大統領と、立法権を保持する議会の多数派が違った政党が担う場合がが生じてくる。何としても反米のべネゼェラが気に入らないかと言って、経済制裁をしたり、野党党首を大統領にするなどしては越権行為であると思う。何故にマドゥロ大統領、その前のチャベス大統領が反米政策をとったのかの理解がないとアメリカは民主主義の先進国ではなく、パックス、アメリカーナの実現を意図する新帝国主義に他ならないことになる。

 南北アメリカ大陸は、15世時以降、ヨーロッパ人が来航するまでは、アジア系の先住民が居住する地域であった。黄金と石の文化と言われたインカ帝国、アステカ帝国、今もって謎の多いナスカの地上図を残した進んだ文化を保持していた地域であった。鉄器の未使用が渡来したヨーロッパ人の征服を許し、初期にラテン民族のスペイン、ポルトガルによって支配された地域がラテンアメリカと呼ばれるようになり,のち北米に移住したアングロ。サクソンに征服された域をアングロアメリカと呼ばれるようになった。

 パックス、ブリタニカを引き継ぎ、パックス、アメリカーナを目指しているアメリカは、もとは13のイギリスの植民州であった。本国政府からの課税に対して、”代表権無くば、課税なし”を主張し、パトリック、ヘンリーの言、”自由か、然らずんば死を!”に奮い立ち、イギリスとの間の独立戦争に勝利し、1776年7月4日独立に成功した。最初の国旗、13の星、現在の51の星になるまでのアメリカの発展は驚異であるが、アジア系先住民の淘汰、スペイン、メキシコとの戦争での領土拡大は褒められたものではない。

 フランス革命、ナポレオン帝国の出現、宗主国だったスペイン、ポルトガルの勢力減退もあってラテンアメリカをアメリカの裏庭化することとなった。中学校の社会科学習で、ラテンアメリカの国々の共通点として、モノカルチャー(その国の資源が一つに限られている)、人種差別意識が希薄(混血がすすみ、同じ兄弟でも身体的特徴が異なる故)、北の巨人(アメリカ)の影響から抜け出せない、等と学んでいる。

  帝国とは巨大化し、多民族や他国を支配するようになった勢力のことだが、古くはペルシャ帝国、ローマ帝国、イスラム帝国、オスマントルコ帝国、モンゴル帝国、等多く存在するが、いずれも歴史の中に埋もれてしまっている。近代となっての、イギリスの3C政策、ドイツの3B政策、ロシアの南下政策は代表的な帝国主義政策だが、いずれ。も経済的支配だけでなく領土的にも支配を意図する政策であった。アメリカが採用した裏庭化は、経済的支配を推し進めるものであり、領土的支配は意図しなかった。実際19世紀初頭に独立を達成したラテンアメリカの国々に対して、経済支援を通して利を得る政策をとり、自国の資源を開発する技術も資金もない国々にとってアメリカは頼りになる兄貴分だった。実際アメリカは裏庭化の過程で、1ドルと投資して2ドルの利を得続けたといわれている。つまりアメリカの資本、現地の労働力、資源(サトウキビ、コーヒー等の農産物、銅、錫、原油、硝石等の鉱産物)を結び付け、利をえる新帝国主義政策を採用した。自国の利を考える政治家が出現すると、軍部のクデターで失脚するのが常態化し、兄貴の意に沿うような生き方がこの地の意思となってしまっていた。

 そんなあきらめムードを最初に落ち破ったのが、サトウキビの島キューバである。キューバ革命の指導者カストロにしても彼に協力したアルゼンチン人のチェ、ゲバラにしても、それぞれの国での上流階級に属する知識人だし、資本の横暴に苦しむ一般庶民の状況に、世直しの必要性を感じて立ち上がったのだ。武器庫を襲って失敗して、裁判にかけられたとき、カストロを弁護する人がいなかったので、弁護士の資格を持っていたカストロが自分を弁護することになる。その時の弁論で、”この法廷は私に有罪を宣告するであろうが、歴史は私に無罪を宣告するであろう!”と述べたと言われている。脱獄しほんの少数の蜂起から、大多数の一般民衆に支援され、アメリカの傀儡であったバチスタ政権を打倒することに成功した。

 たびたび暗殺の危険性もあったのだが、ソビエトの支援のあり、社会主義キューバが現在も存続する。チェ、ゲバラはキューバの状況を見て、キューバでの大臣の地位を投げ捨て、新たな解放の地を求めて活動したが、ボリビアの地で処刑されたが、今もって革命が必要な国にとって英雄であり続けている。キューバに続こうとして立ち上がったのが、べネゼェラのチャベスである。原油資源が世界一も埋蔵量と言われながら、その開発の技術も資本もアメリカ頼り、アメリカの傀儡政権が続いていたのだが、一般民衆に押されて大統領に選出された。たびたび暗殺、軍部のク、デターに危険性に遭遇しながら、現在のマドゥロ政権に引き継がれている。北アフリカのリビアのカダフィーは自国の豊かな石油を背景にアフリカで通用する通貨を創成しようとして、世界金融資本(ドル体制)につぶされてしまったのだが、その二の舞にならないことを願うものである。

 


3月1日を日韓友好の日に!

2019年03月01日 20時05分16秒 | コラム

 1910年は日本が米英の了解のもと帝国主義の仲間入りをした年である。それまでは世は帝国主義時代、幕末以降、幕府が結んだ欧米諸国との条約は、治外法権を認め、関税自主権のない、不平等条約であった。この国もアジアの各国が欧米諸国の植民地になるか、半植民地になる危険性があったのだが、討幕に成功し中央集権国家を成立させ、独立国家として存続した。最初に手を伸ばしてきたアメリカ、討幕派を支援したイギリス、最もアメリカはモンロー主義がその国策で、領土的野心は持っていなかったし、イギリスは太陽の沈まぬ帝国と言われたように小さな島国に領土的な関心はなかったし、ロシアの南下政策に利用しようとしていた(日英同盟締結)。国際的には、イギリスは中国の抵抗で苦心していたし(太平天国の乱)、アメリカでの国内対立(南北戦争)があって、日本を植民地化する機会をなくした。対外戦争(日清戦争、日露戦争)を経て産業革命に成功したこの国は、治外法権の撤廃、関税自主権回復をし(1911年)帝国主義の資格として、植民地を獲得した。韓国併合がそれである。もっとも米英帝国主義の日本への許容範囲は朝鮮までで、両帝国主義国にとって最大の魅力である中国への手出しは許さないとの意思を、この国の為政者は見誤り、のちに対米英戦争を発動する。、、

 ヨーロッパの火薬庫と言われたバルカン半島の複雑な民族主義をめぐる対立が、第一次世界大戦を引き起こすが、その講和会議(1919年、ベルサイユ会議)でリーダーしっうを発揮したのが、リベラルなウイルソン大統領だった。無賠償、無併合、民族自決主義等の講和原則14か条を提起した。民族自決のもと多くの独立国が生まれ、その成果に触発され、1919年3月1日、日本の植民地とされていた朝鮮民族は、独立を宣言して、大行進を挙行した。日本小国主義を主張していた石橋湛山の考えを即実行して、朝鮮の独立を承認すれば良かったのだけど、その時の政府は大弾圧で朝鮮の独立を認めなかった。

 独立運動を誇りに思う朝鮮民衆の運動をを反日だと思っているこの国の為政者も少なくないようだが、この国にも石橋氏がいたことを誇りに、一緒に祝う日になればいいと思うのだが、、、