自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

ファシズム前夜、、、?

2020年04月28日 19時53分42秒 | コラム

 原因不明の病原菌の拡大が、世界中の国々をパニック状態に陥らせているのだが、やたら危機感をあおるのでなく、冷静な対応が必要だと思う。感染の拡大を防ぐべく学校での休校がトップダウンで実施され、’’悔いのない別れと希望あふれる出会いの場である学校における卒業式、入学式’は遠ざけられてしまった。さらに中高生のアスリートにとっての最後の夏の全国大会も早々と中止が決まり、その胸中を察するにこちらまで胸に痛みを感じる。

 久しぶりに国会の審議の様子をテレビで拝見したのだが、発言者も答弁者もさらに議員全員が、マスクを着用している、いよいよ国会の委員会の部屋の中にもコロナ菌が侵入してるのかと思ったのだが、、、。そんなはずはないだろう。一人ぐらいマスクを着用していない議員がいてもいいはずだと思って画面で探してみたにだが、だれ一人見つからなかった。金権病ビールスは蔓延しているし、それにかからないため全員がマスクをしているものと考えたい、、、。

 民主主義もファシズムも全体の幸せを願うことには変わりはない。’’一人一人を大切にすることが、全体の幸せになる‘’との理念が民主主義であり、’’全体の幸せのためには個々の人が犠牲になってもやむを得ない‘’と考えるのファシズムである。社会不安が増大する中で、多くの民衆がファシズムを歓迎する例は歴史が証明している。今の最大の危機は、資本主義の終焉期、つまり投機資本主義の全盛である。全盛の後は、衰退、滅亡が待っているだけだ。 

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現在の禍、、、コロナ騒動

2020年04月17日 09時18分07秒 | コラム

 17世紀、フランスのモラリスト、ラ:ロシュフコの言に、”哲学は、過去の禍と将来の禍とにはたやすく打ち勝つが、しかし、現在の禍は、哲学に打ち勝つ。”というのがある。特にこの国のコロナ騒動における状況は、4世紀も前の言葉を代弁しているようだ。人類はこれまでもいろんな病原菌に遭遇し、大きな犠牲を受けながら種の滅亡とならず、種の繁栄を誇っているのが今の地上での人類であるのだが、今回もそれを克服できるのであろうか、、、、。    

 新型ビールスが、中国の武漢で感染が始まったといわれているが、いかに国際的な人事交流が盛んな現在であっても、感染の速度が速すぎるのではとの疑問が湧いてくる、疑問こそ哲学の源泉である。コレラ菌、ペスト菌では人類は大きな打撃を受けた、り患したものの致死率は高かったし、克服できなければ人類の生存の危機ともなったであろう。ところで新コレラ菌というのは、ビールスの一種だし、マスクなどつけても防備できないのに、この国のマスクの氾濫はどういうことなのだろうか、、、。正に”現在の禍”で思考停止の状況に追い込まれてるからであろう。冬季に流行するインフルエンザの伝染力や致死量と比べて、どの程度なのかの公表もないようだが、やたら人々の不安をあおる報道は、どこかでニンマリする勢力の存在があるのではとの疑いが生じる。疑いこそ、哲学の源なのだし、現在の禍を克服するためには、あらゆることに疑いを持ち続けることだろう。

 現在、未来、過去における人類にとっての最高の禍は、言わずと知れた”戦争”である。なぜ戦争が起きるのか、戦争を無くすにはどうしたらいいのかを考えるのが哲学の領域であろう。未来の戦争、人類の滅亡にもつながりかねない(第3次世界大戦)をなくすためには、過去の大戦(第一次、第二次世界大戦)から学ばなければならない。第一次世界大戦から学んだ人類は、ウイルソンの講和原則14か条(二度と戦争を起こさないための人類の英知)は、半ば実現したのだが、つまり国際連盟の成立、不戦条約の締結。しかし勝利したとはいえ同じく戦争の被害を受けたイギリス、フランスの敗戦国ドイツに対する懲罰的な措置は、次の大戦のヨーロッパにおける引き金となった。先進資本主義国(英、仏、米)vs後進資本主義(独、伊、日本)の経済対立が戦争につながってしまった。国際連盟、軍縮会議、不戦条約がありながら、第二次次世界大戦、、、、。哲学した後の人類の英知として、軍備の撤廃、陸海空軍の不保持、交戦権の否認、等が考えだされ、敗戦国となった日本の憲法に明記され、いずれは各国ともその趣旨に合った憲法に改め、戦争をこの世からなくすとの夢の実現に向かおうとしたのだが、、、、。

 その人類の遠い願いを明文化した憲法を持つこの国で、その憲法を改めようとしている政党、そしてその代表としての現首相を、高い支持率で支えているこの国の主権者は、人類への最大の謀反人と言えるのかもしれない、、、。

 


日々の食生活と毎日の運動、、、

2020年04月08日 12時28分57秒 | コラム

 タイトルの言葉は、免疫学に関しては世界的な権威なのだが、自然栽培(無農薬、無肥料)をやりながら地域医療に貢献したいとの考えで、田舎の診療所に赴任された医者の言葉である。かって医者に三通り、”下の医者は患者を治す、中の医者は自分を治す、上の医者は世の中を治す。”という言葉を聞いたことがあるが、こういう人こそ正に上の医者と言えるだろう。この上の医者も赴任当時は特にお年寄りには人気がなコかった。なぜかというと薬を出さなかったからだ。不健全な食生活と運動不足から生じる様々な体調不良を、薬が直してくれるとの”信仰”に陥ってたからだ。

 私も後期高齢者なので、市役所から年一度の健康診断を受けるようほぼ義務付けられている。その診療所で受疹しているのだが、”あなたの地域医療への貢献は素晴らしいので、その証明のために、私はあなたの教えを守り続け、一年に一度のあなたの患者になるつもりです。”なんて、年一度の会話をしているのだが、そのために誰かの言、毎日、1,10、百、千、万を実践しようと思っている。つまり一日一度は感動する、10回笑う、百回深呼吸、千文字書く、一万歩歩く、である。

 いまは”コロナ騒ぎ”、不要不急の外出自粛が要請され家に閉じこもりの人が増えれば、別な病が拡大されかねないのではと案じている。幸い非常事態宣言外の地域に住んでいるので、通常の生活を維持しているのだが、地質学時代から那珂川がその両岸に作った河岸段丘に人が住み着き、集落を作り、営々とした生活の営みがあったのだが、、、。そんなのどかなところが私の散歩道なのだが、めったに人と会うことがなくとも、春が来て野の花、名も知らぬ可憐な花に心を慰められる散歩時である。昨日の散歩でも、桜が集団で満開を迎えてるところを訪れたのだが、人影はなく廃校になった元小学校の跡地である。