先取の気迫を持つ、誇り高き民であったユダヤ民族は、最後までローマ帝国に服従せず亡国の民となった。それ以前にも周りの強国、エジプト王国、バビロニア王国の下に奴隷として拉致された体験を持つ民族である。逆境は人を作るは名言で、そのDNAに優れた資質を引き継いだようだ。ユダヤ教における”選民意識”は逆境にあっての民族の消滅を免れたし、他郷にあってしぶとく生き続ける術も獲得した。かっての生息地(約束の地)に自らの国を作りたいとの血によって引き継がれてきた彼らの願いはシオニズム運動として、当時の世界帝国イギリスの支援を受けた。ユダヤ教から生まれたキリスト教は、ローマ帝国時代に国教となり、その後、人間キリストの愛の哲学から大きく変貌し、支配の手段として莫大な権力を行使した。土地の所有者が権力を保持する封建社会の代弁者となり、商業は賤業、詐欺と同じ、キリスト教徒には厳禁された。そんな社会の中で、商業活動に生きる道を求めたユダヤ人はやがて金の力で世の中を動かす力を持つようになり、イギリスやアメリカに、シオニズムを認めさせることとなった。
パレスチナ問題から派生した国際紛争は解決の糸口もつかめていない現状だが、この地の石油資源が強国(イギリス、アメリカ)の利害が絡みさらに解決を遅らせている。中学校の地理学習で、西アジアから北アフリカにかけての地域を一括して取り扱うのだが、この地は水さえあれば豊かな生活が保障される。乾燥地帯の大オアシスであった、ナイル川流域、チグリス、ユーフラテス川流域が古代文明の発祥地でもあるように、、、。”アラブに油、イスラムにカラカラ”として一まとめにできる。つまり民族的には大部分はアラブ民族、石油資源が豊かで、宗教的にはイスラム教徒が多く、北回帰線の近く大部分は乾燥地帯に属する。温暖湿潤気候の日本とは相対する価値観がまかり通る地だし、自分を真に理解するためには全く違った価値観を持つ人と接することが大切であることも地理学習では大切なことである。今は欧米文化も浸透し、この地の素朴な風習も失われてきたと思うが、永くこの地では、見知らぬ旅人が通りかかったら、その人に最高のもてなしをする、翌日そのもてなしを受けた家を去る時は礼を口にするのは旅人ではなく、もてなしをした側であるとのこと。そうしなければ民族の消滅につながったのだろうが、その精神はイスラム教に引き継がれ、豊かなものは貧しい人に与えるのは義務となっているし、施しを受けた方は卑屈になることもなく、金持ちがだめな人間にならない手伝いをしてやったのだと考える。
そういう牧歌的な生活をしてきた人々に、分断統治を持ち込んだ、欧米列強の独善は批判されねばならないだろう。広大な乾燥地帯に、部族国家が点在しており、部族同士のいさかいは日常のことだったであろうが、民族主義に目覚め統一国家を作る動きに、石油資源の発見された地域の部族長との間に条約を結び、切り離して分離国家を生み出した責めはだれが負えばいいのであろうか、、、。イラクからクエートを、サウジアラビヤからは数多くの首長国、東南アジアでも、マレーシアからブルネイを、、、。
ローマ帝国、オスマントルコ帝国、そして再び欧米列強の支配に対して、アラブ民族主義を唱え、アラブ人に誇りを取り戻そうとしたのが、エジプトのナセルであった。王政を倒し、スエズ運河を国営化し、”為せば成る、ナセルはアラブの大統領”という言葉が流行したが、道半ばにして、アメリカが支援するイスラエルとの中東戦争で敗北し、失意の内に世を去った。そのナセルの後継を自認したのが、リビアのカダフィ大佐である。王政打倒のク-デターを成功させ、石油資源の利を国民に分配し、国民から圧倒的な支持を受けた。アラブ民族主義を他の地域に広めるべく、反欧米路線をとるが、親米路線に傾く他のアラブ諸国との間に亀裂を生じ、自らの権力を維持するために独裁体制を強めることとなる。権力は腐敗する、絶対的に腐敗する、との原理は普遍的で、カダフィ大佐にも当てはまる。秘密裏の暗殺計画に恐れをなしたのか、反米路線を破棄し、新たな油田の開発に欧米資本の導入を図り、その被植民地的な政策に不満を持つ民衆を弾圧すべく傭兵の採用、身内への優遇、等、独裁者が辿る道をひた走りしている。