自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

混乱の収まらぬリビア その②

2011年03月28日 12時55分37秒 | コラム

 先取の気迫を持つ、誇り高き民であったユダヤ民族は、最後までローマ帝国に服従せず亡国の民となった。それ以前にも周りの強国、エジプト王国、バビロニア王国の下に奴隷として拉致された体験を持つ民族である。逆境は人を作るは名言で、そのDNAに優れた資質を引き継いだようだ。ユダヤ教における”選民意識”は逆境にあっての民族の消滅を免れたし、他郷にあってしぶとく生き続ける術も獲得した。かっての生息地(約束の地)に自らの国を作りたいとの血によって引き継がれてきた彼らの願いはシオニズム運動として、当時の世界帝国イギリスの支援を受けた。ユダヤ教から生まれたキリスト教は、ローマ帝国時代に国教となり、その後、人間キリストの愛の哲学から大きく変貌し、支配の手段として莫大な権力を行使した。土地の所有者が権力を保持する封建社会の代弁者となり、商業は賤業、詐欺と同じ、キリスト教徒には厳禁された。そんな社会の中で、商業活動に生きる道を求めたユダヤ人はやがて金の力で世の中を動かす力を持つようになり、イギリスやアメリカに、シオニズムを認めさせることとなった。

 パレスチナ問題から派生した国際紛争は解決の糸口もつかめていない現状だが、この地の石油資源が強国(イギリス、アメリカ)の利害が絡みさらに解決を遅らせている。中学校の地理学習で、西アジアから北アフリカにかけての地域を一括して取り扱うのだが、この地は水さえあれば豊かな生活が保障される。乾燥地帯の大オアシスであった、ナイル川流域、チグリス、ユーフラテス川流域が古代文明の発祥地でもあるように、、、。”アラブに油、イスラムにカラカラ”として一まとめにできる。つまり民族的には大部分はアラブ民族、石油資源が豊かで、宗教的にはイスラム教徒が多く、北回帰線の近く大部分は乾燥地帯に属する。温暖湿潤気候の日本とは相対する価値観がまかり通る地だし、自分を真に理解するためには全く違った価値観を持つ人と接することが大切であることも地理学習では大切なことである。今は欧米文化も浸透し、この地の素朴な風習も失われてきたと思うが、永くこの地では、見知らぬ旅人が通りかかったら、その人に最高のもてなしをする、翌日そのもてなしを受けた家を去る時は礼を口にするのは旅人ではなく、もてなしをした側であるとのこと。そうしなければ民族の消滅につながったのだろうが、その精神はイスラム教に引き継がれ、豊かなものは貧しい人に与えるのは義務となっているし、施しを受けた方は卑屈になることもなく、金持ちがだめな人間にならない手伝いをしてやったのだと考える。

 そういう牧歌的な生活をしてきた人々に、分断統治を持ち込んだ、欧米列強の独善は批判されねばならないだろう。広大な乾燥地帯に、部族国家が点在しており、部族同士のいさかいは日常のことだったであろうが、民族主義に目覚め統一国家を作る動きに、石油資源の発見された地域の部族長との間に条約を結び、切り離して分離国家を生み出した責めはだれが負えばいいのであろうか、、、。イラクからクエートを、サウジアラビヤからは数多くの首長国、東南アジアでも、マレーシアからブルネイを、、、。

 ローマ帝国、オスマントルコ帝国、そして再び欧米列強の支配に対して、アラブ民族主義を唱え、アラブ人に誇りを取り戻そうとしたのが、エジプトのナセルであった。王政を倒し、スエズ運河を国営化し、”為せば成る、ナセルはアラブの大統領”という言葉が流行したが、道半ばにして、アメリカが支援するイスラエルとの中東戦争で敗北し、失意の内に世を去った。そのナセルの後継を自認したのが、リビアのカダフィ大佐である。王政打倒のク-デターを成功させ、石油資源の利を国民に分配し、国民から圧倒的な支持を受けた。アラブ民族主義を他の地域に広めるべく、反欧米路線をとるが、親米路線に傾く他のアラブ諸国との間に亀裂を生じ、自らの権力を維持するために独裁体制を強めることとなる。権力は腐敗する、絶対的に腐敗する、との原理は普遍的で、カダフィ大佐にも当てはまる。秘密裏の暗殺計画に恐れをなしたのか、反米路線を破棄し、新たな油田の開発に欧米資本の導入を図り、その被植民地的な政策に不満を持つ民衆を弾圧すべく傭兵の採用、身内への優遇、等、独裁者が辿る道をひた走りしている。


混乱の収まらぬリビア その①

2011年03月27日 14時00分32秒 | ニュ-ス

 燃える土、燃える水の存在は古代から知られていたが、灯油の明かりとして利用されたのは、17世紀ルーマニアが初めてだそうだ。そういえば第二次大戦後、ソビエトの支援を受けてナチスドイツから独立を果たした東欧諸国が、ソビエトの衛星国化する中で、自国の石油資源を背景に独自路線をとり、国民から圧倒的な支持を受けルーマニアを統治したチャウチェスク大統領、やがてその独裁を強め、悲劇的な結末を迎えた二の舞を、カダフィ大佐も迎えるのであろうか、、、。

 その燃える土、水が地表にあって、灯火に利用できたのは、アメリカ、ルーマニア、コーカサス地方に限られていたが、アメリカにおいて、1859年油井の発明、1870年、ロックフェラーによるスタンダード石油の設立、さらに19世紀末からの自動車産業、20世紀からの飛行機、等、内燃機関での利用が可能となって、20世紀半ばには、戦車、軍用機、戦艦、には必須の資源となり、帝国主義全盛の時代、{石油の一滴は血の一滴}とまで言われるようになった。

 ゴールドラッシュ並みの油田開発、中東に油田が発見されたのが、第二次大戦末期、それまでは人口はまばらだし、先進国の市場にはならぬし、乾燥地帯で資源もなく、帝国主義国にとって見放されていた地が脚光を浴びることとなった。この地は古くは、エジプト文明、メソポタミア文明を生み、フェニキア人の植民都市、カルタゴ(現在のチェニジア)が栄えたが、、ローマ帝国(欧米文化のルーツ)に滅ぼされた後、ローマ帝国に貢物を出すことによって生存を保証され、ローマ衰退後は、アラビア半島から起きたイスラム教により大統一国家(イスラム帝国)が成立するが、その後は、紆余曲折はあるものの、第一次大戦、まではオスマントルコ帝国の支配を受けていた。衰退を見せるオスマントルコに対して、食指を動かしたのが、ロシアとイギリスである。南下政策と3C政策の激突である。イギリスは、露土戦争、クリミア戦争ではトルコを支援するが、第一次世界大戦後のアラブの民族主義を利用してトルコを弱体化させ(アラビアのロレンス)、3C政策を貫徹した。高まるアラブ民族主義の高まりと中東の油田確保を意図して、この地に打ち込んだ楔が、”イスラエル建国”である。


まさかの時に真価が問われる、、。

2011年03月22日 14時09分18秒 | コラム

 そう度々訪れてほしくないのだけど、そのまさかが3月11日に関東東北を襲った。東海地震は予想されており、それに対する予知力向上、対策も進められていたが、今回はそれこそ不意にやってきた。しかも千年に一度といわれる大地震、この国の地震学の予知能力はそれほど頼りがないものなのか、、、。それ故に{陰謀論者?}がインターネット上で主張する人工地震説が全面否定できないこととなる。

 そのまさかに対して、災害地の人々が示す態度は、欧米の報道陣に感銘を与えているが、被災地以外に住む人々が示している買占め、売り惜しみなどは、なんとはしたない行為なのだろう。この国には他人の不幸を自らの悲しみと捉える人と、他人の不幸を儲けの機会と捉える人が残念ながら存在するのであろう、、、。そのルーツをあえて非難を恐れず口にするならば、アジア的価値観と欧米の価値観の違いといえるだろう。

 歴史的に見て、江戸時代までのこの国は、アジア文明のエキスがこの国で花開いたといえるだろう。すなわち根や幹は印度、中国、枝が朝鮮、日本海流、そしてその先の果実が、この国の人の心にいきわたっている。より良いもの進んだものを取り入れようとする気持ちは古代からの伝統のようで、奴国王、卑弥呼、遣隋使、遣唐使、等々でもわかるし、中国の歴史書に示されている倭とは、本来おとなしい人という意味がある。その反対が中国を悩ませた凶暴な人々を表したのが匈奴であった。真似【真に似せる】が学ぶの語源であることを実践してきたのがこの国の人々であった。孔子、孟子の教え(儒教)は本場中国や朝鮮では、科挙による立身出世の手段となったが、この国では、名君といわれる政治家は、儒教の実践家だったし、江戸時代の石田梅岩は、一般庶民に儒教の教えに、仏教、神道の教えを加味し分かりやすく説いた心学を大成した。彼の言{実の商人は、先も立ち、我も立つことと思うなり}を新自由主義者(欧米価値観の最先端)にプレゼントできるといいのだが、、、。

 この国が欧米と接する最初の出来事が、欧米の大航海時代(富を求めての海外進出)に我が国を訪れた南蛮人の来日からである。俗に鉄砲、キリスト教伝来と歴史では記述される。当時ヨーロッパの最高知識人の一人であった、F、ザビエルは、被災地で驚嘆した欧米報道者と同じような感動を、ローマ教会に送っている。つまり、私が今まで出会った人々の中で最も素晴らしい人々である、つつましく、勤勉で、礼儀正しい、と。そしてこの国の人々がキリスト教に改宗してくれたら、ヨーロッパで失われた(宗教改革によりローマ教会の権威が落ちた)キリスト教の再生が可能である、と書き送っていた。幕末にやってきた欧米人が驚いたのは、人々が戸締りもしないで蚊帳をつって安心して夜を過ごしている様子だそうだ。

 明治以降、進んだ良いものは欧米にあり、として欧化政策を採用、欧米の後追いをしたが、その結末が、1945年8月。戦後のまさかは、国民の勤勉さで乗り切り、戦前の富国強兵、殖産興業を看板替えした高度経済成長路線をひた走り、一時はGNP世界第二位、no1のアメリカのビルを買い占めたりして、ジャパン イズ ナンバーワン、などとおだてられ、いい気になりすぎて、こけてしまったのが今の日本といえるだろう。外来種がはびこっている今日の日本だけど、長年にわたってこの国の風土に合わせたアジア的価値観を取戻し、経済成長路線に決別し経済循環路線にかじを切る時が来たと思う。つまり農業立国(戦いに敗れたデンマークが選んだ道)で人間らしい生活を取り戻すことがこの国のルネッサンス(再生)になるだろう。


火はもろ刃の刃

2011年03月16日 14時05分03秒 | コラム

 人類が他の動物との違いとして、二足歩行、火の使用、道具の使用、言葉を使う、文字の使用、等が指摘されていたが、石を用いて貝殻や木の実を砕く猿の存在、何らかの意思疎通を示す鳥の鳴き声、さらに賢いカラスが二足歩行で口に銜えた固い木の実を車の通るところに置くさまを見ると、人だけに見られるのは、文字を使い、火を使うことだけかもしれない。

 火の獲得は、人類にとって最高の天からの贈り物であろう。火を焚いていれば他の動物から襲われることもなくなったし、暗闇の恐怖から逃れることもできたし、何に増しても食の内容を大幅に拡大した。古代ギリシアの神話でのプロメテウスの存在、西アジアでの拝火教は、火に対する人類の感謝の表現だろう。

 人類は火をおこし保つ素材を、木から、石(石炭)へ、さらに水(石油)へと歩を進めたが、それにつれて様々な害を人類に与えることとなった。産業革命期に、より火力の強い石炭の使用は多くの製品の生産に貢献したが、スモッグ公害を生み出したし、石油は、牧歌的な生活を営んでいた(月の砂漠)西アジアから北アフリカにかけてのアラブの世界に、現在に続く多くの悲劇をもたらした。

 科学はさらに進んで、見えない火(ウラン、プルトニウム)まで手にしたが、果たして人類に幸運をもたらしたのかには疑問が残る。ヒロシマ、ナガサキはもちろん、人類に何ら貢献しない核兵器の製造のため、太平洋上、その他不毛地帯での核実験で、どれだけこの青い惑星、奇跡の惑星を痛め続けたことか、、、。原子力の平和利用の美名の下、原子力発電により、先進国では不夜城を実現したが、その副作用は計り知れないことも自覚すべきだ。人類のみならず自然環境に何万年にわたり被害をもたらす核廃棄物の存在、この問題の根本的解決方が生み出されない限り、新たな原子力発電所の建設は直ちに中止すべきであろう。

 三度目の正直という言葉があるが、チェリノブイリ、スリーマイル、フクシマ、とくれば、いかに貪欲な人間とて、少しは賢くなって、原子力に頼る愚を悟るようになるのだろうか、、、。


難破船からの早期離脱

2011年03月07日 11時10分57秒 | ニュ-ス

 政治資金規正法によると、外国人からの献金は禁止されているのは、献金を受けた外国により政治が左右されないためとある。その趣旨は当然であろうが、今回の前原氏の辞任は彼の中学時代からの苦労を知る(父を中学時代に亡くす)在日のおばちゃんが、苦学生に何かしらの資金援助をしたその継続で、政治家になった彼にも引き続き出来るだけの(年間5万円)支援を行っていたに過ぎない。自分の息子のように思えた人物に、その成長を我がことの喜びとしただけである。その事実をどこでつかんだのか、国会で取り上げた自民党の代議士も、人情知らずといえるだろう。国政を左右するかもしれない外国からの献金というのなら、例えば朝鮮総連からの資金とか、CIAからの資金の流れとかを想定してるのであって、政治資金規正法の罰則にあたるのは当然である。前にも述べたように在日としての困難な生活の中から、多少の資金を前原氏の成長に役立てようとしたことは法にも触れないし、そういう善意を受け続けたことは何ら恥じることではないし、その責任を取って辞任する必要もない。日本で生活し、税金も払い、犯罪を犯していない人には、参政権も、献金を通して支持を表明するのも、当然の権利として保障されるべきである。

 前原氏の早期辞任の表明は、別の意図ありありである。中国脅威論を唱え、日米同盟深化を主張する前原氏には、アメリカの期待が大きいのが事実である。依ってポスト菅の有力候補に挙げられているし、沈みゆく菅内閣との心中はご免との彼自身のリアリズムの表れであろう。責任を取って辞めるのなら、国交相だった時の、八ツ場ダム問題、尖閣問題でそれまでの日中間の暗黙の了解を無視し、船長を逮捕に踏み切り、日中問題をこじらせた責任を取るのが政治家としての責任の取り方だ。国交相を辞任することなく、若い時代からの念願の外務大臣に抜擢され、アメリカを訪問、クリントン国務長官から、尖閣は安保条約の適応範囲との言質を取り、英雄気取りの前原氏には危うさを感じる。

 


{村や町を強くしろ!}の実現に向けて、、その②

2011年03月01日 10時58分08秒 | コラム

 地方自治は民主義の学校、と言われながら、その実は財源不足から3割自治と言われ続けた。特に税収が限られる農村部は3割どころか1割自治ともいわれ、中央から交付金という形で多くの補助金を獲得できる政治家を選出することで、その地での生活が可能と思わされてきた、つまり長年政権党だった自民党を支持することによって、、、。権力は腐敗する、絶対的に腐敗する、は名言で、一昨年夏の総選挙で、鉄砲に依らない、投票による政権交代が成ったのであるが、寄せ集めの新政権党も試行錯誤、混迷を深めるだけである。管政権が完政権になるのもそんなに遠いことではないだろう、、、。

 村や町を強くするために、参考となる自治体がある。岩手県の旧沢内村、福島県の矢祭町である。豪雪地帯であり、貧しい山村で、わが国初の老人医療無料と乳児死亡率ゼロを実現したのである。深沢村長と村民の感動的な物語は映画にもなったが、これこそが地域の住民が一体となったとき発揮する強さであろう。矢祭町はさらに一歩踏み出している。昭和の町村合併、平成の大合併が進む中で、小さくともきらりと光る町をめざし、中央政府の飴と鞭の合併促進に断固拒否した根本町長、さらにそれを支持した町会議員の英断である。定数を18名から10名に減じ、さらに歳費を廃止し、町議会開催の際の日当制を採用した。メディアでも取り上げられ、多くの視察団も訪問しながら、続く自治体がないのはどうしたことなのだろう。

 岩国哲人氏の出雲市長4年間も参考になる。幼少時に父を亡くし、母の郷里でともに苦労しやがて政治家の第一歩を出雲市長で踏み出したのだが、民間会社のサービス精神を、市役所職員に求め、それまでのお役所気質の変革に取り組み成果を上げたことである。鄙の論理の中で、出雲市の職員は市民のために働き、市民から感謝される喜びを知った、と述べているのだが、そういう公務員を育てた業績は評価される。一期だけでなぜ辞めたのかはわからないが、直ぐに中央を目指したとしたら問題で、二期ぐらい務めた後、島根県知事という地方自治体の長を務めながら、民主主義の学校を実現してほしかった、、、。メディアクラシー初期の犠牲と言えないこともないが、宮崎県知事を一期でやめ、中央を目指しているらしい東国原氏と共通するものがあったのかもしれない。東国原氏の4年間は、商工観光課長としては立派な業績を残した。もっとも課長の仕事では、出張旅費も出ないし、メディアも取り上げることはないのだが、、、。どぎゃんかせんばならん、のは、メディアクラシーに踊らされることのない自己の確立である。メディアの公表する支持率(?)で驚異的な高さを示す、橋本氏、東国原氏、河村氏、共通点はカリスマ性なのだが、ファシズムとは紙一重であることに気付かなければならない。旧沢内村、矢祭町、4年間の出雲市、その他、民主主義の学校を実現している自治体が存在しているはずだし、それらの緩やかな連合が、この国をきらりと光る国にしていく決め手であろう。