総選挙で惨敗した麻生氏にかわり、新たに自民党総裁に谷垣氏が選出された。保守合同なって以来、永久政権を目指した自民党だったし、その通りに推移したこの国の政治だった。永年に渡ってたまりにたまった権力の腐敗は、社会のあらゆる面に蔓延し、新たに政権を任された民主党にとっても、「貧乏くじ」にならないとの保障はない。
総裁=総理だった時代(善戦した河野氏の父が総裁でありながら総理ではなかった一時期があったが)、権力を巡る党内抗争がこの政党のエネルギーだったようで
派閥間における疑似政権交代で権力を維持し続けた。その中でも長期政権を維持した、佐藤、中曽根、小泉内閣では、歴代保守政権の親米路線を維持することにより、親米から崇米へ、そして従米路線へと傾いていった。
佐藤政権(沖縄密約はこの政権でのこと)の後継者として、「三角大福」といわれた4人は、いずれも順番の誤差はあったが、何れも総理・総裁を務めた。独自外交を意図した田中氏が、ロッキード事件で失脚、それでも病に倒れるまでは、闇将軍として、中曽根長期政権の立役者となった。田中派を引き継ぐ「金竹小」は金丸氏がキングメイカーとして一時陰の権力を行使したが、佐川事件で失脚、竹下氏も総理・総裁になったが、これまたリクルート事件で退陣、小沢氏は、今は政権党の大幹事長である。
小泉氏は、「自民党をぶっ壊す」と豪語し、郵政選挙によるバブル議席を自民党にプレゼントし勇退したのだが、彼の後継といわれた「麻垣康三」、やはりメディアの主導する“国民的人気”に影響されたのだろう。一番若い安倍氏を後継に選んだのが、自民党崩壊の序章だったのかも知れない。郵政民営化に反対だったという麻生氏を後継に選び早めに、新自由主義路線を改めていれば、つまり融通無碍の保守党の度量があれば良かったのだが、、、。郵政バブルの議席が、自民党結党以来の憲法改定へのゴーサインとでも考えたのだろう、教育基本法の改定、防衛省への昇格を実現し、次の参議院選挙が憲法改定への要石となる予定が惨敗、政権投げだし(本人は病と弁解するが)、安定感があると見なされた福田氏は、衆参ねじれで苦労しこれまた政権投げだし、アキバ人気の麻生氏が「最後の自民党政権」となりかねないのは歴史の皮肉とでも言えるかも知れない。
「麻垣康三」の最後に自民党総裁に選ばれた谷垣氏だが、メディアからも野党党首の選挙として軽視されたのだが、政権奪還をめざしのスタートも前途多難と言えるだろう。この選挙戦でもそれを象徴する様がTVで放映された。これまで自民党内の最大派閥を誇り、4人も続けて総理総裁を送り出した町村派の長である町村氏(今回は比例で復活当選した)が、北海道における党首選挙の演説会終了後、他の2人とは握手を交わしたのに、批判的な言動を繰り返した河野氏の差し出す手を拒否したことである。度量のない人物が実力者となっていれば、自民党の再生は難しいであろう。その先の二大政党制も、、、。
総裁=総理だった時代(善戦した河野氏の父が総裁でありながら総理ではなかった一時期があったが)、権力を巡る党内抗争がこの政党のエネルギーだったようで
派閥間における疑似政権交代で権力を維持し続けた。その中でも長期政権を維持した、佐藤、中曽根、小泉内閣では、歴代保守政権の親米路線を維持することにより、親米から崇米へ、そして従米路線へと傾いていった。
佐藤政権(沖縄密約はこの政権でのこと)の後継者として、「三角大福」といわれた4人は、いずれも順番の誤差はあったが、何れも総理・総裁を務めた。独自外交を意図した田中氏が、ロッキード事件で失脚、それでも病に倒れるまでは、闇将軍として、中曽根長期政権の立役者となった。田中派を引き継ぐ「金竹小」は金丸氏がキングメイカーとして一時陰の権力を行使したが、佐川事件で失脚、竹下氏も総理・総裁になったが、これまたリクルート事件で退陣、小沢氏は、今は政権党の大幹事長である。
小泉氏は、「自民党をぶっ壊す」と豪語し、郵政選挙によるバブル議席を自民党にプレゼントし勇退したのだが、彼の後継といわれた「麻垣康三」、やはりメディアの主導する“国民的人気”に影響されたのだろう。一番若い安倍氏を後継に選んだのが、自民党崩壊の序章だったのかも知れない。郵政民営化に反対だったという麻生氏を後継に選び早めに、新自由主義路線を改めていれば、つまり融通無碍の保守党の度量があれば良かったのだが、、、。郵政バブルの議席が、自民党結党以来の憲法改定へのゴーサインとでも考えたのだろう、教育基本法の改定、防衛省への昇格を実現し、次の参議院選挙が憲法改定への要石となる予定が惨敗、政権投げだし(本人は病と弁解するが)、安定感があると見なされた福田氏は、衆参ねじれで苦労しこれまた政権投げだし、アキバ人気の麻生氏が「最後の自民党政権」となりかねないのは歴史の皮肉とでも言えるかも知れない。
「麻垣康三」の最後に自民党総裁に選ばれた谷垣氏だが、メディアからも野党党首の選挙として軽視されたのだが、政権奪還をめざしのスタートも前途多難と言えるだろう。この選挙戦でもそれを象徴する様がTVで放映された。これまで自民党内の最大派閥を誇り、4人も続けて総理総裁を送り出した町村派の長である町村氏(今回は比例で復活当選した)が、北海道における党首選挙の演説会終了後、他の2人とは握手を交わしたのに、批判的な言動を繰り返した河野氏の差し出す手を拒否したことである。度量のない人物が実力者となっていれば、自民党の再生は難しいであろう。その先の二大政党制も、、、。