自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

歴史は繰り返すのか、継続するのか、、、

2016年01月11日 11時42分27秒 | コラム

 人類史の歩みはおよそ500万年と推測されているが、その99%は考古学の時代だし、文字化された歴史でも、神話の領域にとどまるのもあれば、権力を獲得したものに都合の良い記載がされているものが多いのが現実だろう。干支は古代の中国人が考えた悠久の時間を切り取った時間の単位だが、一個人の歴史としては60年が一つの目安になったのであろう、、。

 その60年ほど前に、当時の権力の三つの嘘として、①平和を唱えながら、戦争に加担している。②独立を唱えながら、植民地化している。③自由を謳いながら、抑圧している。を挙げて当時の政権を激しく追及した政治家がいたけど、何か今の安倍政権に対しても同じ言葉で追及してもよさそうだ。しかもその度合いが一層加速されている。

 ①に関しては、昨年強行採決した”安保法制”がそうだし、武器三原則を撤廃、武器輸出の歯止めをなくし、辺野古米軍基地の民意を考慮しない強行、日米ガイドラインの見直し。②に関しては、ジャパンーハンドラーズの言いなりになり、その中心人物に勲一等を捧げたり、TPPを推進。③では秘密保護法、さらに監視社会実現のためのマイナンバー制、、、。

 歴史は繰り返すというとき、無事平穏な時代は気づかずに通り過ぎていくものだが、異様な時代が到来すると、以前にもこんなことがあったということが思い出されるからなのだろう。人生50年の時から、60年、70年、そんな中でも、一休さんの言う、めでたいこととしての”親死に、子死に、孫死に、、”は自然に沿った人生の繰り返しだが、それと逆な生活を余儀なくされている人々が多く存在するのが現実の世界であるし、本来、人に貴賤の別があるわけではないし、一人一人はかけがえのない命を持っている。しかし、その命の全うの仕方、人生には、幸不幸、運不運、貴賤、正邪等の別が存在する。己の責めではない、不運、不幸な人生には人の悲しみを誘うが、己の業による賤しい、邪な人生を送るものには、人の嘲笑を受けるだけ、、、。人と人との諍い、それが高じたものが戦争なのだが、戦争は、多くの人の人生を不運、不幸なものに導いたし、これからもそんな人生を拡大再生産しかねない、、、。大いなる不幸の拡大再生産に加担することは止めさせなくてはならない。それをストップさせる人類の英知が、日本国憲法第9条なのだが、お気に召さない人たちが今政権を維持している。

 60年前に警鐘を鳴らした、松本冶一郎氏は、戦前厳しい天皇制下の時代、貴族あれば賤眠あり、として運動に心血を注ぎ、”人の世に熱あれ、人間に光あれ!”の世を夢見た人である。政治家として清廉潔白であれたのは、政治家の手当てをあてにしないで済む生業を持っておられ、その生業からの利益をすべてを運動につぎ込んだ。それ故に、”大衆を裏切ることは一度もなかった”を豪語できる人生だった。今のこの国の混迷ぶりは、政治で食っている人、運動で食っている人がいるから、政治腐敗や運動の分裂も起きるのだろう、、、。