自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

学校教育、か*き*く*け*こ、、、。

2013年11月26日 18時57分52秒 | 学校・教育

 幼稚園より上の教育機関を学校というのだが,同じ年代の人間が切磋琢磨し,それぞれの個性を見つけ出し育てていく機関である。園児、学童、生徒、学生が互いに学び合う場であり,それぞれの場での先生と言われる存在は,あくまでも脇役であって主役は彼らである。なぜ学び合うのことが必要なのは、“力が正義”の世を“正義が力”である世にするための人類的使命を果たすのは教育以外にないと言うことであるからだ。今までも様々な力を用いた世直し、革命がが起きたが,未だに”正義が力t”となっているとは言えない。互いに学び合う場でこそ,互いに違いも分かるしその違いを理解し合っての平等意識が生まれる。

 か* 感動のない学校生活は,不毛である。行事にとって生徒は活きるものだし,学校行事は感動の場であるべきだ。卒園式、卒業式はフィナーレであり,新たなステップに当たる入園式、入学式は感動のスタートとなるべきだ。主人公を取り違えて,主催者側の思惑を満足させるべきものではない。行事はややもすると前年踏襲が無難であるが,主人公が主役でない行事には感動などあるはずはない。

 き* 共同、共感こそ互いの人格を高め合う機会となる。

 く* 苦心、苦労 仲間のために汗を流し,労をいとわないことが,互いの信頼関係を醸成することとなる。

 け* 継続こそ力、習慣は第二に天性、やんちゃな生徒の校則破りが、あれる生徒、あれる学校の出発点になるのだが、本来校則とは基本的生活習慣を身につけるだけでよいはずだ。そのための様々な決まりがあるのは当然だが、たとえば、中学校では学年プラス1時間の家庭学習が必要だという決まりがあるとき,それを素直に受け止めて,何とか学年プラス1時間を確保しようと努力しているうちに、いやだった”勉強”がいやでもなくなる”学習”となり、さらに続けているうちに,学ぶ楽しさが出てきて”学問”となってくるものだ。

 こ* 好奇心、向上心を持ち合わせた人同士でないと,互いの切磋琢磨は不可能である。

 板東の大学と言われた,足利学校では,木の枝に自分の知りたいこと学びたいことを書き留め、それについて学んだ人と話し合って知識を広めあったと言われている。こんな姿勢こそ,学校の原点である。中国の文革時代、同じ働く仲間から,この人間だったら,大学に進んで学問しても,その学んだ成果を自分のものにするだけでなく多くの人に役立つ学びをしてくれるとの推挙がないと,大学に進学できなかったとのことだが、この国で”東大解体”を叫んで安田講堂攻防戦で敗北した学生の提訴した問題の解決に繋がる一大実験だったのだと思う。


家庭教育、さ*し*す*せ*そ、、、。

2013年11月25日 08時17分53秒 | 学校・教育

 久しぶりに,元教え子の結婚式に招待されたので,新しく家庭を作ったのを機に,新たな生命の誕生とその健やかな成長のための家庭教育について考えてみたいと思う。

 さ* 差別をしないこと。つまり兄弟(姉妹)でもそれぞれ個性があるし,親の気分で差別しないことが大切である。ひとりっ子の場合でも他の子との比較はしないで,ありのままの我が子を愛しむこと。

 し* 辛抱強い子に育てること。我が子が愛しいのは当然だが,様々なバリアーを乗り越えてこそ辛抱強い子が育っていくのに,親が配慮しすぎて手をかけすぎてはいけない。雨が降ったら車で学校まで送ってやるなどしてはいけない。

 す* 素直な子に育てる。ドングリの独楽では心棒がまっすぐだとよく回る。第二の天性と言われる習慣はよく回る独楽と同じ原理で身につくものだから、、、。

 せ* せかさない,せかない待ちの姿勢が大切。”早く芽を出せ柿の種、出さぬとはさみでちょん切るぞ”ではなく、”ゆっくり芽を出せ柿の種、深く根を張れ柿の種”の姿勢で我が子の成長を見守ること。自然栽培に挑戦している篤農家に見習うこと。無肥料だと作物は養分を求めて根を深く地中に伸ばす,そうなると丈夫な病原菌にも強い作物となり,農薬は必要なくなるとか、、、。

 そ* 夫婦仲良く添い遂げること。つまり子どもにとっては両親が仲良く、以前のコラムで示したのだが、○;□から○;◇となって、円満な家庭を作ることが,最高の子育て教育である。11月22日は語呂合わせで良い夫婦の日とか,どこかのアンケート調査では,今のパートナーと生まれ変わっても一緒になりたいと答えたのが男性では,40数%,女性では30%を切る状況とか、、、。男性からは至極の珠,女性からは何カラットのダイアとして一夫一婦制で添い遂げたいものだ。


口は一つ、耳は二つ、、、。

2013年11月22日 12時44分51秒 | コラム

 言うべきことはきちんと主張することが大切だが,人の意見を聞くことが二倍も大切だと言うことを諭した言葉が,タイトルの言なのだろうが,両議院で絶対多数を維持する与党には届かないのだろうか、、、。久しぶりに日比谷公園での集会で人がはみ出るほどの市民が集まり、”秘密保護法案”反対の声がこだました。

 50数年前、”日米安保条約”反対の声で埋め尽くされた国会周辺の民衆に対して,当事者の岸元総理大臣は,テレビで放映されるさまをみて、部屋の中で、”アンポ、ハンタイ”とはしゃいでいた孫息子に対して、”ハンタイハンタイと騒いでいるやつは,泥棒より悪い奴らだ。”との薫陶を与えたそうだが,幼い頃の刷り込みは,現総理のバックボーンになっているのだろう。

 今国会で早期に成立させる重要法案に指定しながら、もっとも,もっと緊急に決めなくてはならないことは山ほどあるのに、法案の問題点を取り上げ慎重に審議して,他人の意見を聞く機会を,答弁もままならぬ女性大臣におしつけて、本人はもっぱら海外訪問で,何やら中国包囲網構築に熱意を示している。

 一旦法が決まると、その運用に関わる人間の恣意によって多くの人間が被害を被ることは歴史が証明している。治安維持法が戦前いかに国民の生殺与奪に利用されたかは周知の事実であるが、国旗国歌法が成立したとき,当時の小渕総理大臣は,強制することはないと,国会で答弁したのだが、学習指導要領(法律ではなく省令)で日の丸、君が代を教育現場から国民に周知徹底をはかろうとした勢力の代表、文科省の役人は,公教育に携わる教育公務員は指導要領の方針に従うべきであると公言していた。たった二条の国旗国歌法案が成立したとたん、教育現場では”踏み絵”が実施されているし,プロ野球のパリーグでは,試合前に国旗の掲揚と国歌を吹奏して、観衆にも賛意を強制ている。石原元都知事に教育長の抜擢された某氏は,将棋をやってればいいのに,何を勘違いしたか,園遊会に呼ばれて,天皇に、”私の仕事は全国の学校で君が代を歌い、日の丸を掲揚することです。”と答え、やんわりと強制にならないようになどと諭されたのだが、、、、。小役人を喜ばせ,拡大解釈の余地を残す悪法は作ってはならない。


雑感

2013年11月10日 14時22分52秒 | コラム

 ある雑誌で,秋山さんに関する記事を読むことが出来た。日本人初の宇宙飛行士、ジャーナリストとして唯一の宇宙飛行士と言われた人だ。スペースシャトルの事故がなければ,毛利さんが初の日本人宇宙飛行士になるはずだったのだが、,,。

 八日間の宇宙滞在で,秋山さんは人生上の大転換を迎えることとなる。TBSの職員で,当時のソビエトの宇宙飛行士募集に応じ,厳しい訓練を経て合格された方だが、TBSを退社した理由として、初の宇宙飛行して脚光を浴び、TBS社内で居場所をなくしたこともあるが、宇宙滞在で、”お金や権力や名声などというものが,あまりにもちっぽけで,そういったものに興味がわかなくなった。”とのこと。退職後、’95年福島県に移住、無農薬栽培に取り組まれたが,今回の原発事故で福島を追われ,原発難民として群馬県に移住、同じく無農薬農業を継続中、現在は,京都造形芸術大学に職を得、京都に在住とか、、、

 秋山さんがTBSに入社したのは,1966年、当時のニュースの価値判断の基準は、憲法と世界人権宣言にあり,それを軸にニュースの重さが量られた由、先輩から教わった記者の共通理解は”マスメディアというのは権力の監視である”だったそうだ、、、。

 戦前のこの国の基準は”大日本帝国憲法”であった。”万世一系の天皇が統治し,天皇は神聖にして犯すべからず,そして陸海軍を統帥する”ことになっていた。元々この体制は,江戸幕府を倒した主力、薩長が権力を獲得、その正当性を維持すべく藩閥政治を確立、その思惑を反映していた。遠く、天皇を中心とする律令政治(中国の政治形態の模倣であったのだが、、、)を確立した、天智、天武天皇の治世であればいざ知らず,世界的には人権意識が高まり,君主国が共和国の代わり始めている時期に、時代錯誤のまやかしであり、それに疑問を呈する輩は,治安維持法で絡め取り、大政翼賛のかけ声の下、臣民(天皇の家来という意味)をこの国初めての敗戦へと導いた。8;15で目を覚まされ、新たな基準として、世界基準の先端を行く日本国憲法を定めたことを忘れてはいけない。

 


独楽遊びからの教育への提言

2013年11月01日 20時44分45秒 | 学校・教育

 散歩の途中で櫟の林があり今盛んとドングリの実が散乱している,子どもの頃,そのドングリで独楽遊びをしたことを思い出し,拾い集め,テーブルの上で回してみたのだが,形は同じようでもよく回る独楽もあれば,暴れ回ってテーブルからはね飛んでしまうものもある。瓢箪でも本成りと末成りでは,まっすぐ芯が通っていないと立つことが出来ないという話を聞いたことがあるが,心棒がまっすぐでないとよく回らないのだろう。

 教育現場から離れて久しいが,漏れ聞く話では,今の先生達は雑務に追われて,子どもと遊ぶ時間どころか,話をする機会も減っているとか、、。マスメディアが喜ぶ,モンスターピアレンツと学校現場との軋轢ゆえ、問題が生じないようにとの引いた姿勢と,何か起きたときは、普段このように対処していたことを示せる書類作りに追われているとか、、、。

 信頼のないところには,教育は成り立たない。学校教育を担当する教師と家庭教育を担当してきた親との間にずれがあっては,将来を担う子ども達にはこの上ない不幸と言えるだろう。学校の大切な役割は,生徒達に良い生活習慣をつけることにある。つまり第二の天性と言われる良い習慣を身につけさせる努力をしている場である。家庭と学校間にすれ違いがあっては,最終的にこの上ない不幸を子ども達にもたらすこととなる。

 元同僚で,今は近所の小学校の校長をしている人と話す機会があったが、校長を飛び越して教育委員会に抗議するような親がいたら、引くことなく,真正面から忠告することを勧めたのだが、、、。”あなたは自分のお子さんをよい子に育てたいと思っているでしょう,私もお預かりしたお子さんをよい子にしたいと思っています。同じ目標でタッグを組んでいるわけですから,お互いその役割を自覚して協力していかないとよい子にはなりません。家庭では素直で心棒がまっつぐなお子様を育ててください,学校ではお預かりしたお子様に良い習慣をつけることを日々行っていきます。ここにあるドングリ,よく回るか回らないかは,素直か,ねじ曲がっているかの違いです。”