自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

負の遺産を引き継ぐ新政権

2009年10月28日 09時53分45秒 | コラム
 政権交代なってほぼ1ヶ月、補選でも新政権党への期待が持続している。臨時国会が開かれ、所信表明演説も新鮮みがあり、メディアもおおむね肯定的な評価をしている。理念としては、それまでの政治があまりにもいい加減だったので、輝きを見せているが、積年の負の遺産がなければ良いのだが、現実離れした夢物語といわれても仕方がないであろう。

 私財をなげうって政治を志した新首相の人間性は信頼できると思う。その延長沿いに、献金処理の不手際があるのだが、どうせだったら“井戸塀総理”になる覚悟で、自らの政治信念“友愛”の実現に向けて最高権力者としての権力を行使して欲しいものだ。その覚悟があれば、闇の権力者の影響や既得権益を持つ魑魅魍魎の足の引っ張りに左右されない、名総理になれるであろう。

 所信表明にスタンディング・オベーションで応えた民主党の新議員達には、政治のプロからの冷たい視線が寄せられているが、素人にも理解できる政治手法こそ、主権者のレベルを引き上げ真の民主政治実現に向けての一里塚である。引き続き主権者に直接届く言葉で政治を語り、主権者の支持の下、第4の権力マスコミも支援せざるを得ない状況を作り出すことだ。

 負の遺産は、1人あたり900万円に当たる国の借金と戦後続いた従米路線である。最も日本の国債の債権者は、アメリカと違って、ほぼ全額他国に購入されてはいないし、身の丈過ぎる贅沢を控えれば(大幅増税を覚悟・・・課税の対象には吟味が必要)、将来の世代に借金を先送りしなくとも済む問題である。
 新政権のとって最大の負の遺産は“従米路線”であり、それからの脱却は容易ではないだろう。何しろ民主党の中にも、“日米同盟”至上主義者が多く存在するし、鳩山総理自身、日米同盟が基軸と述べているし、、、。日本国憲法の平和主義の下では、軍事同盟など結べないのは当然である。冷戦発動下で、“浮沈空母”の役割を果たす役割を認めた(旧安保条約)のが従米路線のスタートであり、独立後も引き続き占領軍の駐留を認め、その最大の役割を沖縄に押しつけ続けた。沖縄住民の本土復帰運動が、平和憲法の下の日本に復帰すれば、基地を撤去できるとの強い願いがあったからこそ大きなうねりとなったことを忘れてはいけない。従米路線と決別するには、ポツダム宣言の厳密な履行と、日本国憲法第九条の存在が決めてである。

 

恫喝外交にはNO、、

2009年10月25日 21時07分58秒 | コラム
 外交の基本は、互恵平等、主権尊重、領土不可侵であるが、この原則は対人関係でも当てはまる。しかし現実は、“力が正義”が横行し、弱者、弱国は強者、強国の正義によって泣き寝入りするか、迎合して生き延びるか、場合によっては、窮鼠猫を噛む(テロリズム)にいたることもある。

 この国の外交の歩みを見ても、大国(開国までは中国)に対して常に朝貢の形をとっていた。例外は隋に対して対等の外交を求めたと言われる聖徳太子とモンゴル帝国の恫喝に断固とした拒否を示した若き執権北条時宗であった。隋の煬帝は激怒したと言われているが、高句麗に対抗する上で日本との交易を承認せざるを得なかった。フビライを怒らせ、大遠征軍を向かえる国難に当たって、命をかけた鎌倉武士、モンゴルの支配下にあった漢民族、朝鮮民族の手抜き工事(造船での)さらに抵抗運動もあって、モンゴルの支配を受けないで済んだ。皮肉なことに21世紀の今日、大相撲は半ばモンゴルに支配されてしまっているが、、、。

 開国以後、欧米諸国と外交関係に入るが、鎖国を止めたのも、ペリーの砲艦外交であった。不平等条約を押しつけられ、それを引き継いだ明治政府は欧化政策を採用、約半世紀かけて欧米諸国との間には不平等条約を改定できたのだが、アジア諸国に対しては、『己の欲せざるところ他に施す事なかれ』の原則に反する不平等を押しつけ、植民地、半植民地獲得した歴史は残念ながら事実であるし、その処理も未だ未解決のままである。

 第一次大戦後の最大の火種は“中国問題”であり、アメリカの主張が通り、門戸開放、領土保全、機会均等が中国に関する9カ国条約で承認され、我が国も調印したのであるから、アメリカの満州からの撤退要求は間違っていない。それに対して国際世論を無視し、さらに戦線拡大した日本に対して、アメリカは経済制裁を課した。それに対する日本の解答が“真珠湾”だったのだが、中国を市場的に支配するアメリカと領土的にも支配しようとする日本との中国を巡る対立が、日米開戦であり、どちらが正しかったかは問題外である。

 アメリカでは日清戦争の後、既に日本を仮想敵とする外交政策が練られてたというし、その仮想敵国を破り、中国の市場を独占できる予定だったのだが、アメリカと関係を密にとする国民政府が台湾に追放された(中華人民共和国成立)のはアメリカにとって大きな痛手となった。それ故にアメリカの政策がリベラルから反共主義に向かう(マッカーシズム)、冷戦が発動され、日本の占領政策も変更され、それまでの日本研究の成果が効果的に生かされ、公職追放(戦争協力者として)を解除すれば、解除してくれた恩義に感じ、その忠誠心を西側の中心たるアメリカに向けてくれるとの思惑通り、戦後の政治の中心にあったものは、抗米の意志は皆無であった。親米、崇米までは許されるけど、従米となっては困るのだが、“強者には従う”と考えるアメリカの保守派は度々この手を採用する。

 朝鮮戦争時に、警察予備隊創設を命じられたし、独立回復時(サンフランシスコ会議)では、千島列島の放棄を強制され、独立後も米軍の駐留を認めさせられた。 独立後も戦勝国の軍隊が駐留するのはポツダム宣言違反だし、千島列島の放棄は戦争による領土の変更は認めないとする国際慣行に反するとして拒否すべきだったが、その抗米すら出来なかった。沖縄にしても、その占領にアメリカ兵士5万の命を要したし、その領有意志はありながらも、ウイルソン大統領が主張し、慣行となった無併合に反するし、“密約”を飲ませた。近々では湾岸戦争の在庫一掃の代金は日本に出させたし、イラク戦争では、“ブーツ オン ザ グランド”で自衛隊を派遣させた。イラクでは無料タクシー、インド洋では無料ガススタンドを運行し続けさせられている。

 政権交代は、従米路線を止める最大のチャンスである。前のコラムでも述べたのだが、親米、好米は良し、崇米までは許容範囲、従米はいけない。対人関係でも同じように、嫌米、抗米までは許容範囲、反米となってはいけない。
 国防長官が来日し、強気に出て、新政権との間でも従来の関係の維持を求めてきているが、最初が肝心、弱気になって言いなりになってはいけない。

 

友愛精神は経済活動で、、

2009年10月22日 11時40分55秒 | コラム
 近代市民革命の先駆となったフランス大革命のスローガンが『自由・平等・友愛』であって、今のフランス国旗もそれを象徴する三色旗となっている。この自由、平等、友愛は、かっては“神の国”でしか実現できないものであった。啓蒙思想家が“神の国”を死後ではなく、この地上に実現すべきだ、実現できると主張し、その思想を現実にしようとする社会変革が市民革命に繋がった。

 市民革命により自由・平等が実現し、その経済活動の自由が産業革命を促し、資本主義社会を生み出したのだが、この資本主義社会は“神の国”とはほど遠いものとなってしまった。新たな社会問題、貧困、長時間労働、児童の酷使、失業、恐慌等をもたらした。それを解決すべく、社会主義思想が生まれ、空想的社会主義、科学的社会主義(マルクス主義)が確立する。

 最初の社会主義の実践の場、ソビエト(兵士・労働者・農民)の権力が生まれたのだが、諸条件が整わず、“地上の楽園”を求めながらも崩壊してしまった。
 だからといって資本主義が優れている、最良のものであると考えるのは間違っている。何ごと“過ぎれば欠ける世の習い”である。生産性の伸びに欠かせない自由競争の行き着く先が、独占の成立となり、自由競争が停止の状況になる。
 奇蹟の惑星、地球崩壊にまで導かねない経済の暴走は、グローバリズムの名のもと成立した国際金融独占資本の生き残りから来るものである。

 今こそ、ミハエル・エンデの遺言に耳を傾け流必要があると思う。彼は、人間の活動には、政治的、経済的、文化的(精神的)の三要素があり、政治的活動には平等を、文化的・精神的活動には自由を、経済的活動には友愛を、と説いている。
 確かに真実をついていると思う。文化的精神的活動には何ら制限を加える必要はなく最大限自由であるべきだ。経済活動の自由は認めても、何らかの制限を加えないと、格差社会の促進剤となってしまう。独占禁止法の厳密な運用、累進課税、社会保障制度の確立は、資本主義社会の最低の義務であろう。経済は助け合いであることを実現させるためにも、、、。人の経済活動の原点が『実のなる木の下枝の実は旅人のために、上の枝の実は鳥たちのために、、、』であろう。
 

「カキクケコ」と「一十百千万」

2009年10月19日 14時30分06秒 | コラム
 一度聞いて妙に納得させられる言葉がある。カキクケコ人生とか、1日、一十百千万というのがこれに当たる。感動・興味関心・工夫・継続、計画性・恋がある人生が、、、というのがカキクケコであり、後者が1日一度は感動する、十回笑う、百回の深呼吸、千文字書く、一万歩歩く、、、というものである。確かラジオか何かで耳に入ったのだが、出来るだけ多くの人に伝えたいため、受け売りを許して頂きたい。

 原作者がどこかにおられるのだが、両者とも最初に『感動』を上げてられるのには考えさせられるものがある。両者とも、人らしく生きる原点が、『感動ある人生』にあると言いたいのだろうか、、、。人の精神活動の最高度にあるのが感動であり、満足を超越した心理状況である。これからの人の生き方として、満足を追求するのを止めて、日々感動ある方に切り替えるべきである。満足を追求しての経済活動が奇蹟の惑星、地球を危機に陥れてることに早く気がつかねばならない。

 恋ある人生、旧漢字では覚え方として、愛(糸)し愛(糸)しと言う心とあったように、愛しいという思いを、異性や肉親だけでなく全ての人に、それだけでなく身近な生きものや草花へも注げる心を持てれば、感動ある人生へと向かえるだろう。

 「一十百千万」の継続で、万と百は意識していさえすれば継続は可能だろう。千文字と十回笑えるためには、一工夫も二工夫も必要だろう、そして様々なことに興味関心を持ち続ける必要がある。何れにしても、カキクケコと一十百千万はチャレンジし続ける値打ちがある。

核廃絶への遠い道

2009年10月16日 19時40分33秒 | コラム
 オバマ大統領のプラハでの演説が過大評価されているが、人類に対して多大の責任を負う立場としては、当たり前、当然のことを述べたに過ぎない。人間は素晴らしさと愚かさを兼ね備えた存在であり、その素晴らしさの証明が火の獲得であり、その延長として、燃える石、燃える水、見えない火を開発し、高度の文明を築いている。その逆に愚かさの証明が核兵器の開発である。その開発に携わった科学者は使用すべきではないと進言したのだが、政治家は政治目的のためにヒロシマ・ナガサキに使用し、一般市民を虐殺し、その60数年後も原爆症で苦しむ多くの人を生み出している。

 それだけでなく、1000回以上の核実験を行ったアメリカは、太平洋のビキニ環礁の住民にも未だ帰還を許せない放射能災害を残しているし、国内の実験場でも参加した兵士に原爆症で苦しむ人を生んでいる。そのアメリカが、先ず第一にその責任を感じ、核廃絶の先頭に立つのは当たり前であり、その第一歩として、先制使用をしない約束をすることだ。その上で、使用禁止条約を核保有国で結ばなくてはならない。そうゆう行程表を国連で決定した上で、核兵器を持とうとしている、北朝鮮・イランに核破棄を求めるべきだと思う。

 イランと北朝鮮の核が世界平和への最大の障害とアメリカが見なし、“唯一の被爆国”日本のメディアもそれに同調しているが、イランは核兵器用のウラン作製の疑いがあるが、核実験も行っていないし、北朝鮮が行ったといわれる核実験も、地下核実験で、このかけがえのない惑星地球に放射能をまき散らしたわけではない。

 人間の愚かさの“芸術品”核兵器を破棄・解体し、平和利用に役立てる意志が本物なら、核兵器の数の削減より前に、“使用しない宣言”をする方が先であろう。その上で、作製、保有を目指している国に、核破棄を求める資格が出てくるものだ。

ノーベル賞、、、

2009年10月11日 14時28分52秒 | コラム
 湯川秀樹氏が、1949年日本人初のノーベル賞を受賞したのは、フジヤマの飛び魚が世界新記録を続発したのと合わせて、当時の青少年に大きな夢を持たせることとなった。当時の少年にとって、『ノーベル賞』は人間に対する最高の賞と思えたものだ。その賞を残した人、アルフレッド・ノーベルの人生、大きな業績を残しながら、その意に反した社会の動きに対する反省から、「人類に貢献した人に」として設けられたものであったのだから、、、。

 ダイナマイトの発明者であるノーベルは、珪藻にニトログリセリンをしみこませ、安定した爆薬とし、信管と導火線で、様々な建設現場での作業に貢献した。莫大な財をなしたのだが、同時にその爆薬が軍備に応用され、多くの人の命を奪うことにもなった。その慚愧に堪えない反省から、その財産の全てを、「人類に貢献した」人に分与することとし、ノーベル委員会(スウェーデン)に後事を託した。当初は、物理・科学、生理学・医学の自然科学と、文学賞の分野だったが、後に、ノルウェイーのノーベル委員会に平和賞、スウェーデン銀行賞として経済学賞が加わった。

 湯川氏以後もこの賞を授賞する日本人も増えてきたが、「人類に貢献した」という点で素直に賞賛したいのだが、そのノーベル委員会の選定に疑問を感じたのは、佐藤栄作氏が『平和賞』を授賞した時である。指揮権発動で疑惑を逃れ、その反共主義から、中国の国連加盟に強く異を唱え、中国の核実験に異常反応を示し、アメリカの核の傘に入ることをアメリカに懇願、今話題となっている“核密約”で沖縄の人々を裏切り、国会では非核三原則を公言し、“作らず・持たず・持ち込みを許さない”を国是とし、それが評価されたのだろうが、結果的にはノーベル委員会を欺いたことになったのではないだろうか。

 今回のオバマ大統領の平和賞受賞は、ノールウェイ・ノーベル委員会の、オバマ大統領を選出したアメリカ市民への支援というものがあるのかも知れないが、本人が腑に落ちない受賞では、『ノーベル賞』の値打ちが失われるのではないだろうか。

オリンピック誘致は何のため?

2009年10月02日 07時57分06秒 | コラム
 激しい誘致合戦を繰り返した、2016年のオリンピック開催地が間もなく決まる。クーベルタン男爵らの努力によって近代オリンピックが開催されるようになって120年目に当たるのだが、その間に商業主義がはびこり、莫大な放映権料、勝利主上主義故のドーピング問題等、様々な問題を抱えている。この辺でオリンピック憲章の原点に立ち戻り見直す必要があると思う。オリンピック憲章では『スポーツを通じて友情、連帯、フェアープレイの精神を培い、相互に理解し合うことにより、世界の人々が手を繋ぎ世界平和を目指す』となっているのだから、、、。

 『参加することに意義がある』の真の意味が伝わっているのだろうか。矛を交えていても、一端中止し、人間的交流を通じて相互不信を取り除き、矛を収める必要性を説いたものだ。“負け惜しみだ”、“やはり勝たなくては”などというレベルのものではない。クーベルタンは、敗戦国フランス(普仏戦争での)の若者に、スポーツを通して自信を持たせたいと考え、『自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそアスリートの義務であり、最も大切なことである。』とも述べている。

 肥大化し、商業化したオリンピックを憲章の精神に合わせるには、様々な改革が必要となっている。団体種目は、それぞれ世界選手権大会が開催されているのだからオリンピックから除外しても良いのではないだろうか。個人種目に限れば(第1回アテネ・オリンピックの時)、巨大に施設は必要ないし、開催可能な都市は世界の隅々に至るまで広まるだろう。そしてオリンピック旗に象徴される、5大陸を順番にし、抽選によって開催都市を選出すれば、投票権を持つIOC委員への不正接触も必要なくなるだろう。場合によっては、開催地をアテネと定めても良いと思う。施設維持、改修等必要な費用は国際的に負担することにして、、、。

 何れにしても、10月3日未明には開催地が決まるが、東京が立候補した理由が分からない。中国のことを「支那」を言い続けるナショナリスト、都知事の強い願望があったのだろうが、’08年北京大会直後の東京には地域性を考えても無理というものだ。プレゼンテーションで、アメリカはオバマ、日本も新首相がスピーチするようだが、思い切って、ブラジル移民100年を記念して、リオに譲るのも賢い選択だと思う。

還暦を迎えた新中国

2009年10月01日 08時42分41秒 | コラム
 10月1日は、天安門城楼から、毛沢東が高らかに中華人民共和国の成立を宣言してから60年となる。王朝の交替はあったものの、自らを“中華”と名乗ったようにその存在はアジアにおける中心であり続けたのは歴史的事実である。西の大国ローマとは“絹の道”を通しての交流があったし、イスラム帝国と対峙した唐は、紙の製法をヨーロッパに伝えたし、日本の文明化にはこの国なしに考えられない恩恵を受け続けたし、中国の果たした文化的貢献は歴史的に偉大であったと言えるであろう。

 欧米に資本主義が成立し、その先頭に立ったイギリスの世界帝国(3C政策の実現)のさらなる拡大としての『アヘン戦争』以来、100年にわたる欧米列強(日本も加わる)の侵略を受け、半植民地と化した中国の民衆を力づけ、解放に導いたのが人民解放軍であり、新帝国主義路線(領土は不要、製品の販売地を確保する)のアメリカが支援する国民政府を台湾に逃亡させ、新中国を誕生させた。帝国主義の侵略を跳ね返したという点で、20世紀最大の世界史的出来事であったと言えるだろう。

 理想に燃えて建国を宣言して以来60年、紆余曲折は避けられないのであろう。建国間もないのに、隣国(朝鮮民主主義人民共和国)を支援する義勇軍を派遣し、アメリカ軍主導の国連軍と戦ったし、社会主義建設の路線の違いから、先輩格のソビエトとの中ソ論争で、ソビエトの技術支援を断たれたし、『自力更生』を目指すも8億の民(当時の)の腹を満たすのは容易なことではなかった。対決したソビエト型官僚主義を克服すべく発動した『文化大革命』、つまり人の魂を社会主義的なもの(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのためにを実践する個と集団)に変えない限り、社会主義建設は成功しないとして、若い世代に“造反有理”を説いたのだが、即効薬(自らの生きてるうちにそのめどを付けたいとの焦りがあったのか?“ゆっくりやれ、そうすればうまく行く”が彼の信条だったのに)が劇薬となって混乱と多くの悲劇をもたらした。

 『乏しきを憂えず、等しからざるを憂う』のために、急速な工業化を否定した毛沢東は、農業の発展に繋がらない工業化は否定し続けたが、「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのは良い猫だ」との路線に席を譲ることとなった。その路線で、文化大革命の混乱を収拾し、「先に豊かになった者は、他の人に分け与える」と考えた革命第1世代の最後の指導者、小平も鬼籍に入り、彼の後継者がその路線を引き継いで現在に至っているのであるが、豊かになった者が、もっと豊かになろうとする、そういう人間性を変えないと社会主義建設は永遠の夢となる、との毛沢東の危惧が現実のものとなっているのが、今の中国の問題点なのだろう。