自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

雑感、、、その⑤

2011年06月30日 14時18分06秒 | コラム

 戦争と革命の世紀といわれた20世紀、さすがに大戦を二度も体験した人類は、少しは賢くなって、第三次大戦の危機を乗り越えてはきたのだが、東西冷戦という不毛の対立を続け、20世紀後半は軍拡が進み、核戦争による人類滅亡の危機に直面してきた。軍拡で経済破たんしたソビエトが崩壊し、東西冷戦の終結を迎えた20世紀末、新たに迎えた21世紀こそ戦争のない世紀になるかもとの期待もあったのだが、、、。

 核戦争による瞬時の死からは遠のいた冷戦の終結だが、悪魔の科学の申し子、核兵器の副産物、核の平和利用という名の原発の拡散、チェリノブイリ、スリーマイル、フクシマと続いた原発事故、そこから生じる放射能によるスローデスの危機に直面する21世紀になるのかもしれない。

 2億年後の哺乳類の滅亡は科学の予測するところだが、アリやゴキブリのような節足動物はその後も生き延びるといわれている。確かにその種の生命力の強さには驚嘆させられるものがある。茶の間にアリが這い回っていて、スナック菓子のくずにでも群がるのかもしれないが、捕まえようとするとそのすばしっこさには驚かされる。つぶさないで捕まえ、外に放り出してやるのだが、人間だったらそれこそ30階建てのビルから放り出されるほどなのに、すぐさま動き出すものだ。見つけ次第捕えて外へ逃すのを繰り返していたがきりがなく、一定の数がたまるまでガラス瓶の中に蓄え、10数匹まとめて、外へ逃がしてきたのだが、ガラス瓶の中で縦横無尽に動き回るアリの運動神経には感服した。子どもの頃、庭先でアリの動きを観察したことがあるが、すれ違ったアリは、戦うことなく何か合図をして別れる様に、アリなりのコミュニケィションでえさのありかでも伝えているのかなと考えたりしたものだ。夜のうちに10数匹捉え観察したのだが、自分の体重の何倍もの重さを引っ張る強さも、腰の引き締まったスタイルがあってのことなのだろう。

 夜のうちに逃がすのを忘れ、翌朝瓶の中を見ると、元気に這い回っているのが、3匹ほど、他のアリはバラバラに解体されていた。狭い封鎖された瓶の中では、ストレスも溜まり、闘争心が向上するのかもしれないが、今の永田町でのドラマを先取りしているのではと悲しくもあったが、その生き残った三匹を大地に戻してやった。


雑感、、、その④

2011年06月08日 17時31分33秒 | コラム

 経済は一流でも、政治は三流といわれてきたこの国だが,2009年8月、選挙による政権交代が実現し、1,5流の政治になるかも、との期待が大きかったのだが、一年足らずの鳩山内閣、それを引き継いだ菅内閣、の体たらくは如何したものであろう、、、。鳩山内閣成立当初は、緊密で対等な日米関係の構築を主張し、沖縄問題を前自公政権での日米合意を白紙に戻し、普天間移転は国外、最低でも県外と公言し、大いに期待を持たせたのであるが、、、。 鳩山氏の意思は、祖父一郎氏のDNAを引き継ぎ、真の独立国を目指そうとするものであった のだが、ひたすら現状維持を図る、外務官僚、防衛官僚のサボタージュ(最高指揮官、総理の意思の実現を断念させる)によって、お坊ちゃま総理は退陣、少年時代から総理大臣になる目標を持っていた菅氏が棚ぼた式に、念願の総理に就任した。  

 嫉妬とはいずれも女偏がいてるが、男篇がついた文字の方がよりねたみを表現するにはふさわしいかもしれない。特に権力をめぐる男同士の争いは、歴史を見てもすざましいものがある。民主党も野党時代は、それまでの自民党政権、公明党がサポートしての自公政権の行き詰まりにより、”国民生活が第一”のスローガンで、無血革命(?)を実現したのであるが、いざ権力を握った途端、男の嫉妬が表面化する。田中角栄氏を信奉する小沢氏は、”数が力の源”、民主的に言い換えれば、多数決の原理の体現者といえるだろう、、、。それに恐れをなしてか、”脱小沢”を目指す勢力が民主党内で権力を持ち、無血革命時の公約をことごとく否定し(財源がないが言い訳)、昨年の参議院選挙で大敗北、衆参のねじれを生じ、さらに今年の地方選挙でも大敗北したのに、だれも責任を取ることなく、ひたすら大連立を目指して、権力の維持を図っている。

 イタリアの高校では、指導者の資質として、①知性、②説得力、③肉体上の耐久力、④自己制御の能力、⑤持続する意思。を上げ、カエサルはそのすべてを備えていた、と習っているそうだ。そしてその第一に挙げている知性とは、多くの人は、見たいと欲する現実しか見ようとしないが、見たくない現実を予知して、事前に最善の策を講じる資質をいうそうだが、その観点から合格点を与えることのできるこの国の政治家は果たして、、、、。指導者としての異質;能力のあるなし、なりたい意欲のあるなし、現実にその立場に立てた、立てない、で、いろんなタイプの指導者が生まれる。最も望ましいのは、能力資質があり、本人はその意思がないのに、周りから望まれて指導的立場に立った人の示す姿勢だし、もっとも弊害をもたらすタイプは、能力資質がないのに、意欲だけは十分で、実際にその立場についた人の場合で、能力のあるなしは別にして、意欲十分で、実際にはなれない立場の人の取る道は、足を引っ張ったり、揚げ足取りが落ちであろう、、、。まだしもましなタイプは、能力がないと自覚し、なりたい意欲もないのに、その立場に立たされた人の場合だろう。周りの意見をよく聞き、ブレーンを活用できれば善政は可能だ、、、。