自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

日米同盟、、、?

2009年02月22日 11時12分25秒 | コラム
 いつの頃からだろうか、メディアも政治家も当たり前のごとく“日米同盟”を口にしているが、あるのは“日米安保条約”であって、それとても、ペリー以来の恫喝外交によって、やむなく承認させられた条約であることを認識しなくてはならない。つまり、サンフランシスコ条約で、日本が独立を回復した時、日本が降伏した時の条件(ポツダム宣言)によれば、占領軍(アメリカ軍)は直ちに撤退しなければならなかった。ところが、アメリカの正義(社会主義の拡大を防ぎ、自由主義を守る)による冷戦の発動のために、東西の代理戦争(朝鮮戦争)が勃発、アメリカ占領軍の主力が朝鮮へ出動、休戦後も引き続き“世界の憲兵”役を演じ続けるために、終戦直後の対日政策が一変し、日本が社会主義の拡大を防ぐ“反共防波堤”を演じるには、マッカーサーの指令により創設された“警察予備隊”では不十分で、占領軍が、独立した日本の求めに応じて、引き続き駐留し、日本の社会主義化を防ぎ、合わせて中ソに対する武力を極東に維持するために、当時の吉田首相(麻生総理の祖父)に押しつけたのが、旧日米安保条約である。

 日米外交史を検証すると、“赤子の手をひねられ放し”である。治外法権や関税自主権の意味が理解できなかった(鎖国をしていたので当然)井伊直弼を手玉に取った,T.ハリス、その不平等を正すのに50年以上もかかった。日清戦争後、アメリカではすでに日本を仮想敵と見なした政策が立てられてたというのに、神風頼りの真珠湾に踏み切ったし、戦後処理に至っては、アメリカの日本研究の成果がものの見事に生かされ、“天皇免責”によって、それまでの鬼畜米英を崇米に切り替えることに成功した。日本の保守勢力そして国民の大多数が持つ、天皇への忠誠心はアメリカへの忠誠心に切り替えることが出来るとの確信があったからだと思う。

 今回のヒラリー国務長官の訪日にしても、敵(?)ながら天晴れな対日配慮である。政権が変わっても引き続き、「やはりアメリカが頼りになる、そのためには応分の負担はしなければ、、、。」との歴代保守政権、大手メディアが醸成してきた国民的合意を維持してもらう必要のあるからだ。訪問先や面談相手、皇室、拉致家族代表、朝日新聞、東大大学院、民主党代表、を見ても、アメリカの新政権のねらいがはっきりしている。第一番目の訪問国、ホワイトハウスに招く最初の外国首脳、それだけで喜々としている、この国の政治家、大手メディア、まさに親米昂じての従米に成り下がっているのに気がついていないようだ。

 条約は尊重しなければならないとは憲法でも定められているのだが、憲法の平和主義に基づき、現在の日米安全保障条約の軍事的要素を排除する、条約改正交渉はアメリカの政権交代を機に、何年かかるか分からないけどスタートすべきであろう。そして真の日米友好条約(通商・文化交流)を結ばなければならない。 

好漢絶えて寡しか、、、

2009年02月20日 10時50分13秒 | コラム
 初一念を貫く信念の士を好漢というのだろうが、100年来というより、人類誕生以来の危機といっていいのに、世に警鐘を告げる梁山泊の好漢たちは、物語の中だけなのだろうか。その逆に、悪漢、無頼漢ばかりが目につきます。

 池波正太郎が『真田太平記』で「今の天下に初一念を貫く漢たちがどれだけいるか、漢が、武士が思い惑い、迷い抜いて、ふらふらと何度でも、おのれの初一念を、われから覆す世となった。」と独白しているのだが、なんだか今の政界を先取りしているのではないだろうか、、、。

 5ヶ月前、迷い抜いて、アメリカへの義理立てを、郵政バブル議席の威力を用いて果たし、国民的人気(メディアが喧伝していた)のあると見なされてた現首相に後事を託し、突然辞任した前総理だったのだが、直ちに解散していれば、メディアも大いにバックアップしたろうし、しかも、太郎VS一郎、の対決に持ち込めれば十分に勝算もあったのだが、、、。そうすれば衆参のねじれはあっても、妥協による合意という、『最大多数の幸せを実現する政治』の一歩が、代議士(国民が選出した)たちによってすすめられたろう。メディアのドンや政界のボスたちだけでの闇の妥協でない形で、、、。

 雑誌にまで投稿したおのれの初一念を、何やらの理由を付けて覆して後の惨状は目も当てられぬ状況となった。極めつけが盟友のチョンボだが、メディアの手のひらを返したような“麻生降ろし”には『水に落ちた犬たたき』の卑劣さを感じる。