アメリカの対イラン経済制裁の強化に呼応してEU諸国もイランからの原油禁輸に踏み切ることとなった。国連の度重なる核開発を止めるようにとの勧告を無視して、核開発(イランは核兵器の開発ではなくあくまでも平和利用との公式見解を発表している)を進めるイランへの制裁措置と強弁しての決定なのだが、、、、。もっとも核の平和利用とは人類への欺瞞であり、原子力発電所の作動は、必然的に核兵器の原料を生産することになる事実から考えても核開発は人類滅亡への一里塚ともいえるものだ。
最初に核兵器を使用したアメリカは、今もって、核兵器使用が人類への犯罪であるとの自覚もないし、過ちから学びより賢くなるすべを自ら放棄している。他国への核開発の放棄を要求するならば、まず持って自らが核兵器不使用を宣言しなければならない。国と国との交渉ごとは互いの信頼がなければ成り立たないし、まして超大国が力尽くで己の意志を貫こうとしても、一寸の虫にも五分の魂、とあるように、易々と聞き入れることはできないだろう。かってはアラブの民族主義イニシアチブをエジプトのナセルから引き継ぎ、反米を旗印にアラブの盟主を気取り、石油源を背景に一時はリビア民衆から圧倒的支持を受けていたカダフィ大佐、アメリカの暗殺計画に恐れをなしたのか、2,003年、核開発の断念を表明し、アメリカにすり寄ったのだが、近々の彼の悲劇的結末はどう考えればいいのであろうか、、、。
イランの多数を占めるペルシャ人は、彼らの過去の栄光を歴史から学んでいると同時に彼らの悲しい歴史からも多くのことを学んでいる。ペルシャ帝国(オリエントを統一支配)の栄光、アレキサンダー東征による滅亡の悲劇、ローマ帝国と五分に競い合ったササン朝ペルシャの栄光、モンゴル、チムールによる被征服、第一次世界大戦後、イギリス了解の下の独立の回復、第二次世界大戦後はソビエトに対抗するバクダット条約機構の中心国として米英と協調、1,951年には国民の圧倒的支持を受けた民族主義者のモサッデク政権が誕生、当時は社会主義が輝きを見せており、国民生活の安定のためには、より無駄のない社会主義が効果的と考えられていたし、モサッデク政権はソビエトとの関係を深め、石油国有化を試みた。当然米英の強い反発を受け、クデターで失脚、親米一辺倒のシャーの独裁政権が、ホメイニのイスラム革命まで続く、イランとアメリカが敵対関係に至ったのは、シャーが莫大な財産を持って、アメリカに亡命、その財産をイラク国民に返還するよう求めたのをアメリカが拒否、それに怒ったイランの学生がアメリカ大使館を占拠したことから決定的となる。相互の不信が憎悪にまで昂じてしまったのが、今のイランvsアメリカといえるだろう。
戦争への道を食い止められるのはアメリカ、イラン両国と信頼関係にある日本と言ってよいであろう。イラン、トルコの民衆は歴史を通して日本に親近感を持っている。両国ともかって、帝政ロシアから様々な圧迫を受け続けた。それ故に日本が日露戦争で、そのロシアに一泡吹かせたことが、彼らには何よりの励ましとなり、今もって日本への信頼を保ち続けている。米英は一度も他国の支配を受けたことがないだけに、イラン民衆の反欧米意識は理解できないのだろう。一度アメリカに叩き潰されただけで、アメリカにはかなわないとの従米主義では、イランvsアメリカの仲立ちはできないと思う。焼け跡で、平和国家を目指した当時の精神を取り戻し、ポツダム宣言の完全履行をアメリカに要求し、真の独立国となった日本なら、世界平和のための仲裁国になれると思う。