自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

きな臭さますペルシャ湾

2012年01月26日 16時15分23秒 | ニュ-ス

 アメリカの対イラン経済制裁の強化に呼応してEU諸国もイランからの原油禁輸に踏み切ることとなった。国連の度重なる核開発を止めるようにとの勧告を無視して、核開発(イランは核兵器の開発ではなくあくまでも平和利用との公式見解を発表している)を進めるイランへの制裁措置と強弁しての決定なのだが、、、、。もっとも核の平和利用とは人類への欺瞞であり、原子力発電所の作動は、必然的に核兵器の原料を生産することになる事実から考えても核開発は人類滅亡への一里塚ともいえるものだ。

 最初に核兵器を使用したアメリカは、今もって、核兵器使用が人類への犯罪であるとの自覚もないし、過ちから学びより賢くなるすべを自ら放棄している。他国への核開発の放棄を要求するならば、まず持って自らが核兵器不使用を宣言しなければならない。国と国との交渉ごとは互いの信頼がなければ成り立たないし、まして超大国が力尽くで己の意志を貫こうとしても、一寸の虫にも五分の魂、とあるように、易々と聞き入れることはできないだろう。かってはアラブの民族主義イニシアチブをエジプトのナセルから引き継ぎ、反米を旗印にアラブの盟主を気取り、石油源を背景に一時はリビア民衆から圧倒的支持を受けていたカダフィ大佐、アメリカの暗殺計画に恐れをなしたのか、2,003年、核開発の断念を表明し、アメリカにすり寄ったのだが、近々の彼の悲劇的結末はどう考えればいいのであろうか、、、。

 イランの多数を占めるペルシャ人は、彼らの過去の栄光を歴史から学んでいると同時に彼らの悲しい歴史からも多くのことを学んでいる。ペルシャ帝国(オリエントを統一支配)の栄光、アレキサンダー東征による滅亡の悲劇、ローマ帝国と五分に競い合ったササン朝ペルシャの栄光、モンゴル、チムールによる被征服、第一次世界大戦後、イギリス了解の下の独立の回復、第二次世界大戦後はソビエトに対抗するバクダット条約機構の中心国として米英と協調、1,951年には国民の圧倒的支持を受けた民族主義者のモサッデク政権が誕生、当時は社会主義が輝きを見せており、国民生活の安定のためには、より無駄のない社会主義が効果的と考えられていたし、モサッデク政権はソビエトとの関係を深め、石油国有化を試みた。当然米英の強い反発を受け、クデターで失脚、親米一辺倒のシャーの独裁政権が、ホメイニのイスラム革命まで続く、イランとアメリカが敵対関係に至ったのは、シャーが莫大な財産を持って、アメリカに亡命、その財産をイラク国民に返還するよう求めたのをアメリカが拒否、それに怒ったイランの学生がアメリカ大使館を占拠したことから決定的となる。相互の不信が憎悪にまで昂じてしまったのが、今のイランvsアメリカといえるだろう。

 戦争への道を食い止められるのはアメリカ、イラン両国と信頼関係にある日本と言ってよいであろう。イラン、トルコの民衆は歴史を通して日本に親近感を持っている。両国ともかって、帝政ロシアから様々な圧迫を受け続けた。それ故に日本が日露戦争で、そのロシアに一泡吹かせたことが、彼らには何よりの励ましとなり、今もって日本への信頼を保ち続けている。米英は一度も他国の支配を受けたことがないだけに、イラン民衆の反欧米意識は理解できないのだろう。一度アメリカに叩き潰されただけで、アメリカにはかなわないとの従米主義では、イランvsアメリカの仲立ちはできないと思う。焼け跡で、平和国家を目指した当時の精神を取り戻し、ポツダム宣言の完全履行をアメリカに要求し、真の独立国となった日本なら、世界平和のための仲裁国になれると思う。


民のための政治とは、、、

2012年01月13日 15時37分04秒 | ニュ-ス

 古代中国の思想家、孟子は”民を貴きとし”と述べ、覇道でなく王道でこそそれが実現可能と主張したし、この国の民主制を求める最初の自由民権運動の理論的指導者中江兆民は人民主権を主張した。大正デモクラシー運動の原点は、吉野作造が主張した、君主権(1,889年成立の大日本帝国憲法は天皇主権)の下でも、普通選挙(一定の年齢に達したものはすべて選挙権を持つ)と政党政治を実現すれば、民の権利は守られるとの民本主義であった。  その運動に参加した、尾崎行雄、犬養毅、らの努力で、1,925年男子の普通選挙方が成立する。セットで成立したのが悪名高い治安維持法なのだが、、、。

 日本国憲法下の現在、女子の参政権を加え、世界の人類が長年にわたって獲得してきた19世紀の権利といわれる自由権、20世紀の権利といわれる社会権、さらに、平和のうちに生きる権利まで保障されているのだから、キリスト教でいう神の国、仏教での極楽浄土が実現していいはずなのだが、、、。その国の政治は、その国の国民のレベル以上にはならないのが真実なのであろうか、、、。

 確かに政党政治は戦後ずっと形式的には行われてきた。つまり政党とは、同じ政治的考えを持つ集団であり、その考えを、公約として主権者の国民に提示する。そして選挙で多くの支持を受けた政党(与党)が政府を作り、公約の実現を目指す政治を行う。野党は現政権を批判し、次期選挙で多数の支持を得て、自らら政治信条の実現を目指す。政権交代があってこそ民の政治が実現するとの考えが政党政治の目指す理念である。しかし、戦後短い社会党中心の連立内閣があったが、ほぼ政治の中心は自民党で、その長期独裁政権が続いた。権力は腐敗するは真実で、自民党から離脱したグループに、細川氏が立ち上げた日本新党を中心に非自民の細川内閣が、1,993年、国民の圧倒的支持を経て成立した。然し、政権交代可能な選挙制度として”小選挙区制”が導入され、現在に至っている。

 現在の政党政治に対する国民の不信は、政党が公約に違反する政治行動を権力維持のためにとるために生じてくる。戦後一貫として、約三分の一の議席を維持し、保守政権が目指した、憲法9条改訂の意図を防いでいた旧社会党が、村山内閣でその公約を変更したこと、3年前の民主党政権成立時の国民との約束をことごとく裏切ったことなどで、拡大再生産されているといってもよいであろう。

 民主主義とは、手段であって目的ではない。一人一人を大切にし、結果的にみんなが幸せになる世(神の国や、極楽浄土)を実現するための遠い道のりである。独裁者が民衆の蜂起で失脚するのが民主化ではない、一党独裁が是正されるのが同じく民主化ではない。民主主義のセールスマン、アメリカが世界の民主化の実現を目指し世界各地に軍隊を派遣しているが、当のアメリカで、我々は99パーセント、1パーセントの強欲を許さない、との占拠が行われ、警察力によって押さえ込まれたけど、真の民主主義が実現している国とはいえないだろう。

 家庭、学校、地域社会を考えたとき、家庭は民主主義のゆりかご、学校は幼稚園、そして地方自治は民主主義の学校となる。然し大きな自治体まして国政では、直接民主制は物理的に採用できないし、間接民主制、つまり代議制をとらざるを得ない。それ故に民主的な選挙制が必要となる。その選挙制で大切なことは代議制の議席と国民の意思が正比例することが原則である。それを実現する選挙法は、大選挙区:比例代表制といえるだろう。小選挙区では少数意見が無視されてしまう。少数意見を大切にという言い伝えは、人類の歴史の中で、正義;真実ははじめは常に少数であったという歴史から得た理念だ。

 あえて極端で理想的な選挙法をいわせてもらえば、国政では、一院制、定数500、全国区制、完全比例代表による政党への投票、大政党であろうと小政党であろうと、その公約の国民への周知徹底はメディアの大切な役割、そして主権者の得票率が70%の場合は、新国会の議席は350名、150名は欠員とすればよい。民意の向上のためには、政党は必死の努力が必要だし、メディアも権力に左右されないことが大切で、投票率を100%に近づける努力は永遠に続ける必要がある。議員定数を削減してからの増税なら、、、との意見がもっともらしく提起されているが、現行の小選挙区、300,比例代表、200の内、比例代表の数を減らすとの小手先の変更は、少数意見を抹殺する暴挙といえるだろう。 

 

 

 

 


2012年、年頭のメッセージ

2012年01月01日 12時45分08秒 | コラム

 命を生んだ奇跡の惑星、地球での新参者の人類

 アフリカの森を巣立ち、わずか400万年で

 地球上のあらゆる地域に、その生活の場を広げ

 紀元前後に約3億、その後千年は横ばい

 19世紀初頭に10億、20世紀初頭に20億

 昨年10月に70億に達したと推定されている。

 

 人類繁栄の証か、生物学的な異常繁殖か、、、、

 格差社会の進行は、前者に疑問符がつくし

 後者だと人口削減のための、戦争、病原菌の流布が

 企てらねかねない、、。

 

 遠い道のりだが、70億一人一人を大切にすることが

 みんなの幸せにつながるという、

 手段としての民主主義を信じ

 弱肉強食を克服し、棲み分け人類社会の実現を目指す。

 

 そのためには、縄張りを維持するための軍備を全廃し

 浪費し続けた人類の富を、その文明化に生かすことだ。

 その先頭に立てるのは、憲法9条を持つ日本だし

 絶対悪の戦争を、この地上からの追放を願う民衆の知性だ。