自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

瑞穂の国の行く末は、、、

2019年05月22日 10時13分05秒 | コラム

 長年、この国の主食として多くの人口を支えてきた稲作、俗に稲作は米の字をもじって、88の仕事があるといわれてきた。田起こし、クロ張、代かき、除草、等は重労働であったし、”猫の手も借りたい”というのは、女、子供も手を出さざるを得なかった証しである。それ故に、この国の唯一の資源が、”働くことが好き”という国民性であった、。戦国時代末にやってきたヨーロッパ人が、嬉々として働くこの国の民を見て文化ショックを受けたという。ヨーロッパでは、ローマ時代にキリスト教が国教となって以後、人間キリストの教えとは異なるのだろうが、人間は神の教えに背いたため、この地上に追放されたものの子孫だから、罰として厳しい労働を科せられ、この世で苦労するのは当然である、と教え諭していた。その苦難に耐え、現実でつつましく生きていけば、死後天国に生まれ変わると教えていたのだから、、、、。

 ”働く”が”傍が楽になる”が語源であるといわれてきたのだが、その国民性が維持されていたのは何時までのことであろうか、、、。高度経済成長期、ジャパン イズ ナンバーワンとおだてられた時までかもしれない。江戸時代には当時の武士が権力を維持し、そのために、農業を最優先し、手工業は容認するも、商業には厳しく対処していた。時代は変わっても、農工商への優先順位には間違いがない。自由主義経済下で最強の商が、資本(金)が商人資本から産業資本へ、さらに金融資本へと大化けしてしまい、人間平等を願っての市民革命、豊かさを求めての産業革命、そして生まれた資本主義は、”神の国をこの地上に!”実現の手段だったはずなのだが、1%と99%の格差を生み出してしまった。

 江戸270年は、戦争のない時代であった。圧制への抵抗として、逃散や強訴、一味同心としての一揆は見られたが、おおむね平和な時代であった。つまり農業立国であれば他国とa争うことなく平和的に生きていくこと可能なのである。一時はヨーロッパの覇者となり、戦いに敗れた後、不毛と言われたユットランド半島に押し込まれたが、農業に力を入れ平和的で豊かな国を作り上げたデンマークにその証拠がある。この国は明治以降欧米、特にイギリス、アメリカを師匠役に、資本主義を取り入れたのだが、近隣諸国との諍いは、資本主義のもつ拡大再生産命の政策では必然だったといえるだろう。中国市場を巡る米英との対立は真珠湾、マレー攻撃となり、結末は、74年前の8月15日である。

 ひもじい思いはしても、餓死者がほとんど見られず、戦後復興がなされたのは、食糧を生産する人々が、特に農地改革で自作地を持てるようになった農民が懸命に増産に励んでくれたからだ。かって毛沢東は、旧ソビエトの様子から、重工業重点ではなく農業の進展に役立つ工業に力を入れる政策を取ろうとしたのだが、今の中国の状況を地下の毛沢東はどう思っているのであろうか、、、。焼け野原にはなったが、潜在工業力を保持しているしているこの国は、軍需産業は、憲法上許されないので、繊維産業、耕作機械、電化製品、自動車、等で目覚ましい復興を成し遂げた。それを支えたのが、最初は復員兵士であり、やがては若年労働の集団就職。そして農村からの出稼ぎであったといえるであろう。、

 この国の稲作農業の健全な発展を援助するのが農業政策であるのだが、ノ=策続きで、稲作農業では生活できない状況が進行してしまった。かっては、三ちゃん農業、三段農業と揶揄されたのだけど、、、。つまり、かっては父ちゃんが、耕作機械などの購入費を稼ぐため農閑期に出稼ぎに出向いたのだが、さらなる出費のために、常時の出稼ぎが必要となり、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんによる農業となったのが、三ちゃん農業、そして、じいちゃん、ばあちゃんが年を取り過酷な農作業が困難となり、母ちゃんだけ、手が回らないので、田んぼは、下に雑草。中間に稲穂、上段には稗が盛んに生育し、三段農業とやら、、、、。


可能性の月、五月.....,

2019年05月12日 10時53分44秒 | コラム

 この国では、この五月に代替わりが実施された。慶祝ムードがいっぱいで、衆議院では新天皇の即位を賀詞する決議が全会一致でなされた、、、。あれ衆議院には日本共産党や社会党の議員はいなかったのかな、と思ったが、、、。”山宣ひとり孤塁を守る”はもうこの国では死語なってしまったのだろうか、、、。

 渡来系の有力豪族だった蘇我氏をク。デター倒し、天智朝を実現し、壬申の乱後、天武朝を成立させ、古代天皇制を確立した7C後半だったら、その権威を確立するためのイデオロギーは理解できる。試行錯誤を繰り返しながら1400年も経た今日、”天皇を中心とする神の国”を今後も維持したいのであろうか、、、。

 世界で王室が残るのは、イギリスと日本とトランプだといわれていたが、イギリスの場合は他国からいくらでも血統を取り入れているのだが、この国では万世一系維持していたとの架空の伝統により、その継続が維持されてきたのだが、皇室の継続の困難さも取りざたされはじめ、女系天皇も話題となってきている。この国では皇室の廃止の機会は何度かはあった。平氏が建てた王朝が三種の神器とともに瀬戸内海に沈んだ時、天皇の血筋を引くといわれる源氏の棟梁を担いで鎌倉幕府を開いた北条氏が承久の乱で勝利した時、信長が本能寺で死ななければ彼は確実に日本国王となっていただろう。一番近くは、対米英戦争を発動し、敗戦した時である。第一次世界大戦を発動したドイツ皇帝はその責任を取って退任したが、昭和天皇はその意思はなかったのか、アメリカが占領政策を円満に維持するために天皇制は優位に働くとの判断からか、神から人間に戻って’’象徴’’として新しい憲法の第1条から第8条に定められた国事行為をなすことになっている。

 己の意思のない、わけのわからぬ立場から解放され、人間としての喜怒哀楽のある人生を新天皇のみならず、すべてのこの地上で生を営む人に付与することが主権者の立場にあるすべての人間の義務であるといえるだろう、、、。