原子爆弾を開発したアメリカ、本来ならば人類に使用すべきでないことは重々わかっていたと思うのだが、玉砕戦術をとる日本には、戦争を終わらせるためには、原爆使用もやむを得ないと判断したのかもしれないが、6日のヒロシマ、8日のナガサキ、そして15日が無条件降伏の日となった。78年前の暑い夏の日々であった。今年も広島で式典が開催されたが、先日のヒロシマサミットに参加した首脳たち、本日この国の総理も参加して、言葉を発したのだが、心底核兵器に対していかなる考えをお持ちなのだろうか、、、、、。
私は、78年前の今日は仙台で小学1年生の夏休み、仙台は、亡父の転勤地、昭和17年、日本が東南アジアを占領し、当地と日本との郵便事業 の先発隊として、シンガポールに滞在、2年間勤務の予定であった。もし元気で帰国していたら、次の勤務地は広島であったとのこと、そうであればわれわれ家族全員ヒロシマで78年前の今日を迎えたかもしれない。