この国の主食を長年にわたって維持してきた田畝も大部様変わりしている。イナゴはすでに見られなくなり,蛙の数も大部減ってきたし、タニシが生息する田んぼもごくわずかとなって来ている、、、。区画整理で機械による省力化は進んだが,コンクリートの用水排水路では、めだか、ざりがに、川にな,等はもはや姿を消し、この国の長く続いた夏の風物詩、蛍舞う田畝は、極々限られてしまった。
人の生活に欠かせない、衣食住、重要さから言えばなんと言っても第一番は食である。その食をまかなう第一次産業が、循環経済であり、拡大再生産が困難なため、”割りが悪い”として軽視され続けてきた。結果的には第二次産業である、製薬会社、肥料会社、農機具会社の高度経済成長に奉仕したのが,農業従事者であった。その道筋が、”三ちゃん農業”、”三段農業”、と揶揄され、”農薬漬け農業”となってしまったのだろう。
合鴨稲作や有機肥料農業,さらに無農薬無肥料の自然栽培農法にチャレンジしている篤農家もいるが、国やJAの方針には合わないし,いずれも苦心惨憺しておられる。よって消費者は、食の安全を第一に考えてるそんな生産者に,消費行動で支援していく必要があると思う。 散歩の途中で,そのような篤農家とお会いし、いろいろ話を伺う機会があるのだが、昨日聞いた話は是非とも残しておきたい内容であった。
その方の田畝にはタニシが多く生息しているのだが、かってはタニシやイナゴは,農家の貴重なタンパク源であった。その方はとうに80歳を超えた方だが、子どもの頃、そのタニシ取りをやったとのこと、その方の祖母に,タニシ取りは,10時と3時がタニシが田んぼの中から畦に出てくるから良く取れると教わったそうである。理由を聞くと、”タニシは何時も田んぼの中にいるから,ふんどしが濡れてしまう、だから10時には干しに,3時には取り込みに畦に出てくる。”と教わったとのこと。確かにその通り、夕暮れ前、その方の田の畦に数多くにタニシが見られた,まもなく中の方へ移動するのだろうが,サギの補足されたタニシの死骸も見られたが、干しにか取り込みに来たときに補足されたのだろう。