自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

瑞穂の国の未来は、、、

2013年07月31日 13時50分35秒 | コラム

 この国の主食を長年にわたって維持してきた田畝も大部様変わりしている。イナゴはすでに見られなくなり,蛙の数も大部減ってきたし、タニシが生息する田んぼもごくわずかとなって来ている、、、。区画整理で機械による省力化は進んだが,コンクリートの用水排水路では、めだか、ざりがに、川にな,等はもはや姿を消し、この国の長く続いた夏の風物詩、蛍舞う田畝は、極々限られてしまった。

 人の生活に欠かせない、衣食住、重要さから言えばなんと言っても第一番は食である。その食をまかなう第一次産業が、循環経済であり、拡大再生産が困難なため、”割りが悪い”として軽視され続けてきた。結果的には第二次産業である、製薬会社、肥料会社、農機具会社の高度経済成長に奉仕したのが,農業従事者であった。その道筋が、”三ちゃん農業”、”三段農業”、と揶揄され、”農薬漬け農業”となってしまったのだろう。

 合鴨稲作や有機肥料農業,さらに無農薬無肥料の自然栽培農法にチャレンジしている篤農家もいるが、国やJAの方針には合わないし,いずれも苦心惨憺しておられる。よって消費者は、食の安全を第一に考えてるそんな生産者に,消費行動で支援していく必要があると思う。 散歩の途中で,そのような篤農家とお会いし、いろいろ話を伺う機会があるのだが、昨日聞いた話は是非とも残しておきたい内容であった。

 その方の田畝にはタニシが多く生息しているのだが、かってはタニシやイナゴは,農家の貴重なタンパク源であった。その方はとうに80歳を超えた方だが、子どもの頃、そのタニシ取りをやったとのこと、その方の祖母に,タニシ取りは,10時と3時がタニシが田んぼの中から畦に出てくるから良く取れると教わったそうである。理由を聞くと、”タニシは何時も田んぼの中にいるから,ふんどしが濡れてしまう、だから10時には干しに,3時には取り込みに畦に出てくる。”と教わったとのこと。確かにその通り、夕暮れ前、その方の田の畦に数多くにタニシが見られた,まもなく中の方へ移動するのだろうが,サギの補足されたタニシの死骸も見られたが、干しにか取り込みに来たときに補足されたのだろう。


私の知る毛沢東、、、その④

2013年07月29日 08時15分44秒 | コラム

 エンゲルスは私有財産の起源を明らかにしてくれたが、私有財産が生じるはずのなかった、牧畜農耕が始まる以前の社会を、原始共産制社会、つまり人と人との間に差別があり得ない世がずっと続いていた。生きていくのがやっとで、家族単位、部族単位で協力し合って生きていく以外に生存の余地がなかった。つまり貧しさ、極貧の中の共産主義社会が原始共産制社会であり、豊かな中での差別のない世がユートピアである。宗教家は、神の国、天国、極楽等を示し、現世では慎ましく生きる術を示したが、啓蒙思想家(市民革命の正当性を主張)は神の国をこの現世で実現しようと考えた。フランス革命で、自分が耕していた農地(地主が保有)を無償でもらった農民が急速に保守化していった有様を踏まえ、マルクスやエンゲルスは、そのユートピアである共産主義社会を実現するためには、私有財産を否定する考えを示した。この国にも、ヤマギシズム実験農場があり、生産財、消費財も共有している共同体もあるが、生産財(土地、資本、工場、機械等)の共有を主張して、その実現を失うものが何もない労働者に期待し、”万国の労働者よ団結せよ”と呼びかけたのが、1848年の共産主義者宣言である。

 共産主義を目指した毛沢東は、”ゆっくりやれ、そうすればうまくいく”と言いながら、ソビエトとの路線のちがい(中ソ対立)もあり、大衆を立ち上がらせ、ユートピア実現に向けて、”大躍進政策”を発動したが、革命の成果である緊張感は長続きしないのであろう、そんなにがんばらなくても、との人間的弱さ、意識的無意識的なサボタージュ、成果を偽造(忍び寄る官僚主義故)することもあって、大躍進は破綻した。連続革命の必要性を説いた毛沢東だが、失うものを持つようになった共産党幹部の中で孤立していくこととなる。革命、英語では,REVOLUTION,と言うのだが、革命の語源からの意味は,革は象形文字で,羊の皮のなめして張った状態を示しているし、命は文字どお生きてる証だし、今まで虐げられ,人間的生活が出来ていなかった人々が,世の中が変わったことによって、”命がピンと張り詰めた、生きてて良かったと実感出来るを世の到来”が革命によって自分たちのものになったと言うのが本来の革命の成果である。

 マルクスやエンゲルスの理論を,約100年後実現しようと考えた毛沢東はその見果てぬ夢に向かって、新しい世代に期待したのであろう。人は教育によって変わる故、社会主義中国になって生まれ育った若い世代が,連続革命の先駆者たり得ると考えたのだと思う,それ故に、”紅衛兵、好!”となり、多少の行き過ぎは、”造反有理”として是認してしまった。革命的であると考えられる、貧農、労働者、革命烈士、等を”紅五類”として優遇し,反革命分子を攻撃させたのだが、人間一人一人違うのを,ひとくくりにしてしまうと,様々な過ち弊害が起きるものだ,紅五類の中でも、”失うものを持つ者”も生まれているし、黒五類に決めつけられた人の中にも十分に革命的な人もいたはずだ。それを度外視した,善は紅五類、悪は黒五類が浸透した運動は多くに悲劇を生み出してしまう。

 毛沢東思想を掲げた,カンボジアのポルポト政権の悲劇は、知識階級の改造には、”実事求是”が必要と考え、強制的に市民を農村に下放したことから生まれてしまった。これこそ前に述べた、”毛沢東かぶれの毛沢東知らず”と言って良いであろう。文化革命当時、この国でも,毛語録を掲げ毛沢東を礼賛する勢力もあったが,これも同じ類であったと思う。人は一人一人違うものだし、ひとくくりの制度化してしまっては、大きな過ちを犯すことになる。教育の一分野、自己教育で、たとえば北京大学の学生が,毛沢東思想に感銘し,自己改造のため農村や、工場に下放したのだったら問題はないのだが、制度的に権力で強制しては問題が起きるのは、相手が人間だけに当然である。  

 私の学生時代、一時描いた夢は,一生をかけて”共産主義者”を目指すことだったが、知人に不当たり出さないために宅地を買ってくれと頼まれ購入し,何年か後に家を建てたときに自動的にその不適格者だと自認した。それ以降は,ラジカルヒューマニストたらんと心がけ、生きているのだが、”一人一人が生まれて来て良かった、生きていて良かったといえる世”はまだまだと遠いと実感している昨今である。


私の知る毛沢東、、、その③

2013年07月26日 14時22分32秒 | コラム

 私が理解した共産主義者とは,私心のない人間のことを言うのだと思う。自らをホモサピエンス(賢い人)と自称しながら,そのたどった道は,人だけに生じたエゴの増殖、それ故に、世に泥棒と争いが種が尽きることなく,切羽詰まっての,世直し、革命が必要となる。問題は一つの体制をひっくり返す(revolt)して後の新たな世の建設にある。旧勢力の巻き返しもあるし,権力を取った側の奢り、腐敗の克服は難しい。革命が成功しなければ反乱者だけど、成功すると往々にして革命家が独裁者に変質するのも歴史上多々見られる。反乱者の中には,私心のない優れた人物が多いのだが、、、。この国においても、平将門、いまもって神として祭り続けられている、アテルイ,大塩平八郎、等はその例であろう、、、。

 世界史で見ても,フランス大革命で,アンシャンレジームをひっくり返した,ジャコバン独裁に恐怖を感じた,周りの君主国はその革命の火”自由.平等.友愛”が自国に及ぶのを防ぐべく干渉戦争を行った。その革命の火が消えかかったとき,唯一共和国軍を率いて勝ち戦を続けていたのがナポレオンであり、当時その敵国であったドイツのベートーベンは、ナポレオンを礼賛する交響曲“英雄”を作曲し,ナポレオンに捧げようとしたが,彼が皇帝になったと聞き,激怒して献詞を破り捨て、”彼もまた俗人に過ぎなかった。これからは、人々の人権を踏みにじり自分の野心のために奔走し,誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるであろう。”との警鐘は至言と言える。

 建国なった中華人民共和国を真の社会主義、共産主義の国家に作り上げることをめざしたのだろうか、、、。その妨げとなる国内外の敵に対して,毛沢東は”アメリカ帝国主義は張り子の虎である”と述べ、国内的には”造反有理”で旧勢力打倒、新勢力の腐敗防止を意図した文化大革命を発動した。10年間の大混乱の内に,文化大革命は終結したが,今の中国の状況を地下の毛沢東はどう見ているのであろうか、、、。孫文の言”未だ革命成功せず”を反芻しているかもしれない、、、。 


私が知る毛沢東、,,その②

2013年07月24日 15時34分51秒 | コラム

 毛沢東は,後のインタビューで,”私は教師になるのが夢だった,中国の状況がそれを許さず,革命家の道を歩んだ”と述べているのだが,やはり時代は必要な人物を生み出すものなのだろう。事実18歳で辛亥革命に参加し,中華民国が成立すると,郷里の師範学校に入学する。孫文の三民主義に基づく共和国が順調に育っていれば,毛沢東は一田舎教師としてその生を終えたことだろう、、、。ロシア革命が実現し,中国においてもマルクス主義研究が盛んとなり,中国共産党も結成されるが,知識階級を中心とする党中央は,中国の実態に合わない戦術で,弱体化していく。そんな中で,”土着のマルクス主義”を模索したのが毛沢東である。”農村から都市を包囲する”つまり農村の土地改革に農民を立ち上がらせ,農村解放区(ソビエト)を目指し、最終的に日本軍に打ち勝ち,アメリカに支援された国民党右派の蒋介石を台湾に追いやり、人民共和国の成立へと導いた。

 権力を獲得するまでの毛沢東の考えは、抑圧された人々の解放には,その導きの星であるのは事実である。それ故に,少なからぬ国に,毛沢東主義者を名乗る反体制勢力が存在するのだが、”論語読みの論語知らず”の現代版、”毛沢東かぶれの毛沢東知らず”がなきにしもあらずである。私が毛沢東選集を読んで感心させられた一つに、党員に対する講話で、”党というのは,一部という意味で,党が存在する以上我々は一部であることを自覚すべきだ,それ故に党の意見を大衆に広める組織を作るに当たって、党員は三分の一を超えないようにしなければならない、三分一は意見の異なるもの,三分の一は中立”,そしてその中立の三分に一の同意がなければ,実施すべきではない、、、と言う件である。”そしてゆっくりやれ、そうすればうまくいく”との姿勢であった。

 建国当初は、名宰相周恩来のサポートもあったのだろう。日本人戦犯に対する寛大な措置、対日戦争賠償金の請求を放棄、曰く、敵は日本帝国主義で,日本人民はその被害者,日本人民を苦しめる賠償は請求しないであり、訪中したある政治家が,戦争中のことを謝罪したところ,毛沢東は、”日中戦争時、あなたは何をなされてましたか、、、。私はむしろ日本軍には感謝しているのです。あれだけ酷いことをいてくれたので,さすがの中国人も立ち上がって,ご覧の通り今の中国には一人の外国の軍隊はいなくなりました。”と述べる毛沢東には,さすが4000年の歴史と10億の民が選んだ指導者と感心させられた。

 

 


私が知る毛沢東

2013年07月21日 07時38分59秒 | コラム

 味方千人、敵千人,と言う言葉があるけど,大きな仕事を果たした人物に当てはまる言葉である。20世紀、世界的な仕事を成し遂げた人物の一人が毛沢東だろう。4000年の歴史を持つ中華帝国が,欧米に起きた資本主義、帝国主義列強に,アヘン戦争以降浸食を受け、亡国に危機に直面した時,その亡国を阻止すべく,中国人民の力を一つにまとめることに成功したのが,毛沢東を中心とする人民解放軍といえる。天安門広場に,今もって巨大な毛沢東の肖像が掲げられているのだが,永久保存をなされている地下の毛沢東はどう思っているのだろうか、、、。

 私が毛沢東に触れたのは、確かエドガー、スノウの”中国の赤い星”を通してだったと思う。“16歳で社会主義者じゃないのは心のない人間で、,60歳になっても社会主義者なのは頭のない人間だ。”という誰の言か忘れたが,妙に納得いって,社会主義に目覚めたものだ。当然、マルクスやエンゲルス、さらにレーニンの著作に触れる機会があったが,マルクスは働く者のために資本論を書いたことは分かったが、その書物の日本語訳しか読めない私にはなかなか理解が出来なかった。欧米の言葉は動詞の語根を持つ名詞が多いのに対して,日本語では動詞と名詞は音も文字も違ってくるのがらではないかとも考えたりもした。そんな折、毛沢東の著作に触れたとき、人民解放軍の”三大規律、八項注意”にはうならされたし、人民大衆に開放の道筋として、中国人だったら誰でも知っている古い寓話“愚公移山”を通しての提示、これは本物だと確信が持てたものである。

 マルクスは,まずイギリスで革命が起きると予想したようだが、太陽の沈まぬ帝国を築きあげたイギリスでは、”歩きながら考える民族”よろしく、工場法等で労働者にも大英帝国のおこぼれを振りまくことが出来たので,二度にわたる市民革命はあったが、社会主義革命は起きなかった。当時の後進国ロシア(農奴制の国)で市民的自由が不十分なまま、世界初の社会主義革命が起きソビエト(それまで人間扱いされてなかった兵士と労働者と農民の会議)が権力を獲得したのだが、”権力は腐敗する”は絶対的真理なのであろうか、、、。(続く、、、)


”不正選挙”ありうるのか、、、

2013年07月19日 14時26分33秒 | コラム

 二日後に、この国の将来に大きな影響を与えかねない国政選挙がある。大手メディアは選挙予想屋よろしく、自公の大勝利を前提としての、各選挙区の情勢判断をして、参院選結果予想を発表している。昨年末の総選挙の時も、先日の都議会選挙の時も、驚くほど正確に、メディアの予想通りの結果となったし、メディアの情報力の”正確さ”には驚きの一言である。

 憲法をどうするか、原発をどうするか、PTTに加入するとどうなるか、それらを基本問題として、1票を投じる正しい判断をしてもらうために、メディアはその情報収集力を主権者たる国民に提供すべきであって、”開けてみなけりゃわからない”選挙結果を前もって予想し、有権者の勝ち馬に乗る傾向に拍車をかけたり、棄権に向かうのに手を貸してはいけない。

 独裁者の支配下の選挙だとあり得るが、民主主義体制下の選挙では不正は皆無であると思いたいが、メディアを使っての誘導や、選挙結果を早急に出すための”集計機械”の導入は不正選挙を望む勢力にとっては千載一遇のチャンスと言えるかもしれない。2000年のアメリカ大統領選挙で、フロリダ州の選挙結果が選挙結果を左右したのだが、、、、。この国でも、不正を防止すべく、開票立会人の制度もあり、選挙管理委員会の厳重な監視下で、投票箱の移送もなされているし、選挙人名簿による正確な投票人数も把握されている。選挙管理委員会が発表する選挙結果を信じるべきだが、もし実際の選挙に関わった人が、選挙中の有権者の動向と、選挙結果との乖離に疑問を感じたとしたら、再開票を求めてしかるべきだし、そのためには選挙終了後一定期間は,投票用紙は破棄せずに、保管しておくべきだと思う。


法でいじめはなくせない

2013年07月17日 12時47分27秒 | 学校・教育

 先日国会で”いじめ防止法”なるものが全会一致で可決されたのだが、それをあざ笑うように一中学生の自殺がいじめが原因であるとの報告がなされた。教職員の方は全員が気づかなかったと述べ、生徒からの調査で,卑劣で陰湿ないじめがあったことが明かされ、押しかける報道陣にたいする自信のなさげな、当局や学校の責任者(校長)の対応は,お仕置きをされているような情けない態度である。

 学校という空間は,現実の社会(様々な社会悪が存在)から切り離され,理想をはぐくむ場であるはずだ。教師と生徒が密接な関わりを持ち理想を学び取る。そして学校生活を終え現実社会に踏み出したとき,学校で学び取った理想をどれだけ実現できるかがその人物の生き様になるものだ。それ故に,学校現場には”自由な雰囲気”が必要となる。その原点は互いの信頼関係である。教師はまず生徒を全面的に信用しなければならないし,学校の管理者(校長)は教師を信頼して、”生徒のためになることは思い切って取り組んでほしい,責任は俺がとるから。”との姿勢があってほしいのだが、そんなことを言えた校長がいたのは,一昔も二昔も前のことになってしまっているようだ。ある学校を訪れたとき,校長室に山と積まれた書類があった。当日学校訪問で、先生方はその書類造りのために連日夜の9時10時までかけて,残業を続けたそうだ。行政側からの一種の現場いじめではないかと思ったが、こんなことがまかり通るようでは,現場の先生方は,生徒達との関わりを持ちたくても,それを犠牲にしなくてはならないだろう。

 理想を学ぶ学校とは言え,社会の影響を受けるし、様々な問題行動も起きうることは現場でも理解はしている。問題が起きないようにとの引いた姿勢では、”過ちから学びより賢くなる”体験をさせることが出来ない。むしろどんと構えて,問題が起きるのが当たり前、それを小さな内に把握する取り組みが必要である。問題が起きる時間帯は,休み時間、昼休み、放課後である。その時間帯を生徒と共有できることが大切である。その時間をパソコンの前で資料作りをやらなくて済む学校にしなければならない。

 ”いじめる者は,その者自身自由ではあり得ない。”ものだし、そのいじめの流れは,上から下に,その逆に、おべっか、追従は,下から上へと向かうのは、人類の歴史を見て、まぎれもない事実だし,人間の悲しい性なのだろうか、、、。いじめない、いじめられない,よいしょしない,よいしょされない,自己の確立が,いじめ防止の決め手だろう。人類皆兄弟姉妹、でありながら,現在200を超える国家に分かれているのだが、最大のいじめに行っている国はどこなのだろうか、、、。そしてその超大国におべっかを使い続けてる国はどこなのだろうか、、、。


雑感

2013年07月15日 19時43分13秒 | コラム

 NHKの朝の7時のニュースの前に”今日は何の日”と言う短い番組で、世界や日本の歴史的出来事を伝えている。人は歴史から学ぶものだし大切にしたい番組だと思う。今日7月15日の出来事として、昭和13年と聞こえたので,自分の生まれた年だし、思わず聞き耳を立てた。この日は日中戦争が深刻化し、決定していた”東京オリンピック”の返上を決めた日とか、、、。古代オリンピックの精神を引き継ぎ、近代オリンピックを提唱したクーベルタン男爵の意志が大部歪められてしまったのは残念なことである。”ベルリンオリンピック”はヒトラーによって国威発揚、戦争準備調査に利用されたし、経済発展の引き金、経済力誇示の祭典に、さらにプロ化まで進んでいる現状には、地下のクーベルタン氏も嘆いていることであろう、、、。次々回の開催地として、マドリード、イスタンブール、東京が競っているが、誘致活動に不透明な部分もあるし、本来のオリンピックの精神を復活するためには、3都市が一致して開催都市を、オリンポスの神を祝う祭典に争いを止めて競技会を開いたというギリシャに敬意を表しアテネに固定することを提案するべきだと思う。もし東京誘致を望むのなら、”イスラムの国はもめ事ばかり”なんて失言して顰蹙を買ったが,そんな他国に批判ではなく、日本の歩みが、世界人類の希望である、この地上から戦争、武力抗争なくすために,憲法で戦争放棄を明言し、陸海軍、その他の戦力の不保持を決めた我が国こそ,オリンピックを開催するにふさわしい国である,と世界中の人々に訴えることが出来ると良いのであるが、冷戦、アメリカによって”東洋のスイス”を断念させられ、憲法改悪が目前の現状では、東京オリンピックは開催すべきではないと思う。

 さらに、1948年のこの日は、GHQが事前検閲の禁止を指令し,それ以降は,事後検閲となったが、当然占領政策に反する報道は,国民の耳に達することはなかった。翌`49年には、疑惑の国鉄三大事件の,三鷹事件が起きた日である。憲法にも検閲に禁止が明記されているが,それは正しい真実の報道が国民の目や耳に届くことが,民主主義の世を作り上げる上で欠かさないことが歴史的に証明されているからだ。あからさまな検閲はなくとも,自主規制という名の報道差し止めは皆無ではないようだ。”三鷹事件、下山事件、松川事件”の真相は今だ不明であるが、それらの事件の真相を知る立場の人は,秘密を保持したまま鬼籍に入ってしまったのだろうか、、、。


警鐘者か裏切り者か、、、

2013年07月13日 11時08分42秒 | コラム

 元CIAの職員、スノーデン氏、母国を告発した後、ロシアで身柄は確保されているようだが、その後の動向が気になるところである。すっぱ抜かれたアメリカは裏切り者としてかれを処罰したいのだろうが、亡命先を求めていても、超大国アメリカに気兼ねして、受け入れを表明する国はごく少数である。香港当局は,アメリカの身柄引き渡しを拒否し、ロシアへの渡航を許可したので現在はロシアに滞在していることになっている。ロシアのプーチン大統領は,秘密警察の出身だし、その経験からは、スノーデン氏の言動は”裏切り”と映るのだろう。今後スノーデン氏が、アメリカのマイナスになるよう発言をしないのなら、亡命を許可する意向を示したようだが、警鐘者としての彼の意志を尊重する国への移動を早く認めてほしいものだ。一時的に対米関係が悪化したとしても、長期的な、全人類的立場に立っての判断をして、、、。

 通信の秘密は大切な人権の一つだが、今は全自動になっていて,固定電話にしても、携帯電話にしても相手の番号をダイヤルすれば繋がることになっているが、電話の初期の頃は,電話局を呼び出し,電話交換手に相手の番号を伝えてつないでもらっていた。聞く意志があれば話の内容は聞くことが出来た。郵便配達人も立場上誰から誰に手紙が出されたかを知ることが出来る。職務上知り得た事実を漏らしてはいけないのは,通信の秘密はこれを犯してはならない原則から言って当然のことである。通信技術が非常に発達した今日、我々が日常使っている電話やメールはその意志さえあればその内容を把握できる機関が存在しても不思議ではないと言う事実を,今回のスノーデン氏は告発してくれた。第二次世界大戦中の日米の対決は,情報戦で完敗していた事実が証明されているし、懐の甘さが現在に至っても,アメリカに把握されていて,この国の政治権力がアメリカの言いなりになっているのは,この国の権力者が、急所をアメリカに把握されていて、脅しに使われているのではないかとの疑いがもたれる。CIAと深い関わりを持っていたと言われる、この国の原子力の”平和利用”の先駆けとなった正力氏や今もって隠然とした力を保持する中曽根氏。今自信たっぷりの現首相の尊敬する祖父である岸氏、横須賀の小泉親子、国民には知られたくない情報をアメリカはつかんでいるのかもしれない、、、、。

 犬や猫が人間の言葉を話せたら,犯罪の未解決事件はなくなるだろうし、真実を知る立場の人が、その真実を明らかにすれば人類社会はより文明化されるであろう、、、。