自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

野焼き、田起こしが始まった

2017年02月22日 09時18分17秒 | コラム

 瑞穂の国での風物詩、野焼き、田起こしが始まった。耕作放棄地が目立ち始めた昨今だが,耕された田畑を見るとほっとした気分になれる。太陽と土と空気と水があらゆる命の源でありその命を長らえる要素である。そして土に挑む産業が農業であり,その農耕を獲得した人類が,万物の霊長としてこの地球を支配しているのだが、生まれた時は岩石だらけの地球を何億年も掛けて土を作り出してくれたミミズの存在に感謝しなければならない。

 CULTURE(文明)の語源は耕すと言う意味だが,四大河文明と言われる世界で早く文明化された地域では、肥沃な地が多くの人口を養え,ムラ、国、統一国家へと進んでいった。東アジアでは,中国における,殷、周、秦、漢王朝の歴史はほぼ解明されているが。周の時代の禅譲や”鼓腹撃壌”が失われたので絶望した老子は,81章の人類への警鐘を残していずこかに去ってしまった。秦の時代、小作人であった陳勝は”鳳”の志を持っていて,農民反乱の指導者となり,秦帝国の滅亡をもたらした。欧米においての初の農民一揆はワットタイラーの乱ではその指導者の一人であったジョン、ポールは”アダムが耕し,イヴが紡いでた時誰が領主であったか”と主張したが,この国でも正長の土一揆で立ち上がった農民は,基本的には平等意識によっていたのは,土に挑んでいたものの本能なのだろう。

 農耕民族は,一定に期間を待てば食が保障されるし,基本的には平和な生活を望むものである。遊牧民は,農耕民を軽蔑し,困った時の略奪の対象であった。宇宙から確認できる建造物と言われている、万里の長城は,農耕の漢民族と,北方民族の抗争を象徴するである。中国における最初の農民の反乱といわれる前に述べた陳勝の乱にしても、ヨーロッパにおける最初の農民反乱のワットタイラーの乱にしても、この国の正長の土一揆にしても,永く続く戦乱に抵抗し、平穏の生活を取り戻さざるを得なかったからだ。

 ヨーロッパにおいて,一時強国であったが,戦いに敗れ、不毛の地と言われていたユットランド半島で,農業中心に国造りをして豊かな国を築き上げたデンマークの例は今後の世界を考える上で参考にする必要がある。ましてこの国は温暖湿潤気候、農業に番向きの条件を備えている。欧米では真理である”蒔かぬ種は生えぬ”は、この国では撒かないのに生えてくる作物で、雑草が目の敵しにされてきたが、農薬も肥料も使わないで済む自然栽培農業は,雑草との共存で実現できる。長年にわたって有機物を投入し,実り豊かな耕地となった田畑はこの国の貴重な財産である。土を疎かにする愚を一匹の老犬から教わることが出来た。

 散歩の途中で見かける老犬だが,足腰も弱り、視覚も聴覚、臭覚も衰え、散歩も拒否しているが、痛み止めを飲ませると散歩に出向くとか、飼い主が大切にその終末を看取る段階に来ているのだが,口元に食べ物を置いてやると食欲は十分に発揮するし、生命力は維持している。寒さに対して良かれと寝床に毛布を敷いてやっても,そこには横にならず,地面に直接体を付けて過ごしている。本能的に大地の恵みを知っているのだろう。かって裸足健康法が唱えられたが、一日30分裸足で地面を歩き回ると,健康でいられるという事だっただ。そういえば昔は裸足で校庭を走り回ったものだし、その頃は,アレルギーとかの疾患を持つ子どもはいなかった気がする。体が酸性化すると,いろんな病気に罹りやすくなると言われているし,中和するには,体を地面に接触させることで事足りるのだろう。


日米”商談”,中味は不明、、、

2017年02月15日 11時23分28秒 | コラム

 昔のことが懐かしく思い出すのは,それだけ年を重ねたことの証拠なのだろうが,知り合いの人で,お酒を飲んでいないと,知らん顔して通り過ぎるのだが,お酒が入っていると我が家に立ち寄り,財布から百円札二枚を出して,生菓子を食べされてくれた人がいた。一個10円の生菓子は,当時は贅沢品で滅多に口には出来なかったものである。その方はハイな気分の時、大判振る舞いをして子ども達が喜んでいるのを見て,良い気持ちになれたのだろうが,しらふになった時どんなだったのか,今は確かめる術がなくなってしまっているが、、、、。

地球儀外交とかで,度々外遊をして、多くの金をばらまいているこの国の宰相、今回のアメリカ参りでは,どのような約束をしてきたのであろうか、、、。傑物か単なる強欲経営者か,評価が分かれる中で,いち早くもみ手をしてすり寄るでんでん総理、大統領専用機に乗せてもらい,ゴルフ接待の厚遇を受け、さぞハイな気分となり,とんでもない口約束をしたのかもしれないが,この国のメディアは、高評価、支持率もうなぎ登りである。

 日中間の小骨である尖閣問題、かっては良識ある両国首脳で”棚上げ”されていたのだが、反中国の考えを持ち、”太陽の季節”でデビューし、”ノーと言える”で人気を増し、ノーを言いににアメリカに出向き、脅されたのか、洗脳されたのか、”尖閣の国有化”を講演した石原元都知事,民主党の外務大臣だった前原氏が、尖閣諸島は日米安保適用範囲とのアメリカの言質を得て得意がっていたのだが、、、、。

 アメリカの製造業はさび付いてしまっている。唯一世界に冠たる製造業は軍需産業である。冷戦、そしてテロとの戦い、で巨大化して,政治のコントロールが聞かない状況になっている。アイゼンハウワーが指摘し,ケネディが取り組もうとしたが、、、、。トランプは,アメリカ第一主義を唱え、軍需産業以外の製造業を復活させようとしているが金はないし直ぐには実現困難だろう,安倍さんがGRIPを活用しますと言えば別だが、、、。現在は軍需品しか売れるものがないのがアメリカの現状である。都合の良いことに、北朝鮮で,花火を打ち上げる。韓国は使い物にならないと言われているミサイル防御システムを購入させられるだろう。この国も,アメリカ産の軍需品を増え続ける防衛費で購入することになるだろう。昔懐かしい,チャップリンの”キッド”の場面を思い出す、、、。チャップリンはガラスの販売人、その日のノルマとして、乳幼児の時拾い育てたキッドは小石を投げ、ガラスを割る、そこに運良く通りかかったチャップリンが窓ガラスを修復するシーンである。


"憲法とは、、"の再学習

2017年02月08日 10時18分23秒 | コラム

 この国では中学3年生の政治学習で,憲法とは何かを学習することになっている。そして憲法の三大原則として、憲法とは、国の最高法規であり、国の基本法、そして法律の法律である、と学んでいる。それ故に憲法を変更するには高いハードルが儲けられている。理由は簡単で憲法が簡単に法律と同様多数決で改められれば,それに伴い多くの法律改正が必要となるし大混乱をもたらすからだ。人類の多年にわたる自由獲得の成果をすべて網羅したこの国の憲法をお気に召さない人たちは,自由民主党を結成し、”自主憲法制定”を党是として活動してきた。今までは、”両議院の総議員の三分の二以上での発議”をクリアーできなかったので実現できなかったが、統治行為論、解釈改憲で言い逃れをしてきた。

 70年前、日本国憲法を制定し,平和国家再建を目指した我が国だが、大戦後、アメリカで権力を確立したネオコン勢力にとって、冷戦を維持するためには,日本はアジアにおける共産主義を防ぐ防波堤とする事が望ましく,引き続き占領軍(アメリカ軍)を駐留させる方針をとった(ポツダム宣言違反)。冷戦の発動たる朝鮮戦争では,占領軍が朝鮮に出撃する為に,日本の治安を守るための名目で,マッカーサーによって警察予備隊の設置が命令された。旧日本軍の兵士だった失業者が救済されたし,朝鮮特需で潜在工業力を保持していた工業生産が大幅に伸び、奇跡の経済復興がなったのである。戦前は,江華島事件、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦でドイツに参戦、等、対外戦争で勢力を伸ばしたこの国の勢力は,天皇、軍部、財閥のトライアングルを結成し,対中国侵略、対米英戦争発動で崩壊したのだが、戦後はアメリカが行う数多くの戦争、代表的なのはベトナム戦争、で多くの利を得て経済成長を成し遂げた。

 建前として,主権者の意志で政治が行われる仕組みとなっているこの国では,いつ何時、日本国憲法の目指す方向ヘ進もうとする勢力が権力を行使しないとも限らない。それ故に完全に復活した旧財閥の勢力にとって、軍需産業に資本を投下することには不安を持っている。何しろ陸海空軍の不保持、その他の戦力の不保持、国の交戦権を認めない、を明記した憲法を持つこの国だし、、、、。その他の戦力を具体的に説明を加えれば、在日米軍、軍事同盟(日米安保はその範疇)、さらに軍需産業も含まれる、となれば,投資した資本の回収は絶望となる。

 主権者が,日本国憲法の理想に向かって歩むのを防ぐには、かっては天皇制を否定する共産主義、その親玉であるソビエトの存在で十分だった。ソビエト崩壊後はテロの脅威、北朝鮮の動向、最近では中国の拡張政策がメディアを通じて喧伝されている。トランプ大統領は,”メディアは嘘つきである。”と言っているが,あながちでたらめでもないようだ。この国の主権者も、”盆の上の豆”を拒否し”盆の上の納豆”になる努力をし、人類の最終目標である戦争のない世界の実現に向かおう!


理念と日々遠ざかるオリンピックは返上が望ましい

2017年02月01日 14時12分56秒 | コラム

 3年後の東京オリンピックを待ち望んでいる人が大多数なのはよく理解できるが、”真理は最初は常に少数である。”との格言に照らし合わせて,少数意見にも耳を傾けることが必要 だ。1940年のオリンピックは,日中戦争が拡大し,決定していた東京オリンピックを返上したのだが、平和の祭典であるべきオリンピックを開催するにふさわしくない状況と判断してのことだったのだと思う。

”平和の祭典”であるとのオリンピックは,古代ギリシャにおけるオリンポスの神々の祭典の際、各ポリスが戦争状態にあっても,争いを止めて,スポーツでの祭典を行い,その勝者をたたえ、月桂冠の冠を授与し、人間賛歌を祝った故事を,近代国民国家間の対立は度々戦争を繰り返す時代を迎えた時、クーベルタン男爵により,近代オリンピックをとの提案に,世界中の人が賛同して開催されるようになったのである。1896年アテネで開催されたのがそのスタートとなった。

 理念は時の流れとともに夢を育てていくこともあるが,多くの場合はその理念とは逆の方へ流れていってしまうのも現前とした事実である。国威発揚に利用されたり、経済発展の原動力として利用された時もあるし,東西冷戦に乗ってしまって互いに不参加のオリンピックになった時もある。4年ごとの開催地が,国際オリンピック会議で決定することから、様々な不祥事が起きているのだから,開催地はオリンピック発祥の地、アテネに限定する時期だと思う,恒久施設を世界各国が負担して提供し,20年後に五大陸を持ち回るようにすれば,五輪のマークにも合致すると思う。、

  なんといっても,真のオリンピック精神とは無縁の商業主義に汚染されてしまった現状から脱却することが必要である。スポーツの最高峰に触れたい世界中の観衆のためのTVの放映権はうなぎ登りだし,金メダル至上主義は,ドーピング問題を生み出したし,月桂冠の冠に向けたアスリートの懸命な心身の鍛練という人間的最高価値を否定することになってしまっている。アマチャーリズムがらほど遠くなってしまった現状から抜け出さなくてはならない。リオオリンピックで活躍した体操や水泳のさわやかな好青年がプロ契約をしないと選手生活が困難な現状は考えるべきである。さらに開催時期に大いなる問題がある。すべての競技を室内競技場で開催すべく,多大の建築費用を捻出しての経済効果に期待するのだったら,分からないことはないが,真夏の炎天下の開催はアスリートに命の危険すらもたらすこととなるだろう。