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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

神無月の終終わりに、、、、

2020年10月31日 20時47分54秒 | コラム

 この月は、ひと月に二度の満月が観賞できた。北関東は晴天に恵まれ、場所によっては日没と月の出が同時に目られるところもあったようだ。電気がなかった頃は、満月の日はたいそう夜を楽しめただろう、、、。散歩の途中で、太陽光発電の設備が多くみられるようになった、中には耕作放棄地にその設備が目立つようになったが、それが許される昨今は、”利”が最優先されているからなのだろう。数十億年は原料としての太陽光は確保され続けるのだろうが、太陽光から発電の仕組みを考え出した発明は素晴らしいのだが、儲かれば許される資本主義の論理は考え物だと思う。せっかくの発明を人類への貢献ではなく、儲けへの露払いをすることになってしまうからだ。

 実を言うと私は、20年以上前に。自宅の屋根に太陽光発電の設備を設置した。そのきっかけは、あるテレビ番組で。ラクダに太陽光発電の装置を負わせ、その電気で稼働する冷蔵庫で子供用のワクチンの運んでいるのを見たからである。人類に貢献する企業を支援したいと思ったからであった。電気の歴史では、エジソン以前にも先駆者なる人々が大きな努力をしてくれたからで、現在では夜のない町が存在している。そのために多くの発電設備が作られたのだが、水力発電では、ダムのために立ち退きさせられたありした人もいたが、それ以上の世の中への貢献はしてくれた。火力発電となると、様々な公害を生み出したし、クリーンエネルギーとして推奨された原発も。事故が起きるととうなるかはすでに証明されている。


戦後史のキーイパ=ソン、石橋氏

2020年10月23日 10時34分58秒 | コラム

 新首相が決まって1か月以上になるが、成立時の支持率の高さにはびっ、くりしたが、メッキはすぐはがれるというし、岸内閣以降進行してきた、親米路線、好米路線なら許されるが、従米路線の継続を図る現政権には期待を持てないだろう。初の外国訪問に、ベトナムとインドネシアを訪れたのも、対中封じを狙う宗主国アメリカの意向を先取りしたものであろう。

 歴史にもし何々だったら、、、は意味のないことだが、あえて反省を込めて願望を述べるなら、戦後復興が成っての、社会党の左派、右派の統一がなり、保守系も自由党、民主党の合同がなり自由民主党の結成、初代党首選出にあたって、アメリカの意向の岸氏が選出されるのが当然視されていたが、ハップニングが起き、決選投票で石橋湛山氏が選出されたことである。もし彼が一定期間この国の国政を担当していたら、もう少しましなこの国になっていたのではないかとの、、、、、。

 石橋氏は、戦前から”日本小国主義”を唱える、東洋経済新報のジャーナリストであった。加工貿易で十分に発展できると主張していた。戦後政治家に移行したのだが、疑惑の公職追放の処分を受けたが間もなく復帰、戦後の冷戦の進行時には、”日、中、ソ、米”の四国同盟を提起した、先見性を持つ政治家だったのだが、、、、。病に倒れ、超短期間で政権を岸氏に禅譲し岸内閣が成立した。もっとも、その後体調も回復し、88才まで生存したのだから、もしかしたら、期待の従米路線に岸氏に政権を移行させるための、アメリカの特殊機関の謀略だったのかもしれないのだが、、、。。:

 


”下の枝の実は旅人のために、上の枝の実は鳥たちのために、、、”

2020年10月15日 12時48分08秒 | コラム

 子供の頃、甘柿のある家が羨ましかった。秋は果物の季節、栗林やミカン畑の近くを通るとき、持ち主の冷たい視線を感じたのを思い出す。そんな時、タイトルの言葉を投げつけたい気になったのだが、今の世知辛い世では取り戻したい、”人の心”である。

 命を生み出した奇跡の惑星、と言われる地球、最近のニュースでは金星に命の痕跡があるとか、、、。ホモサピエンス(賢い人)と自称しながら、その歩んだ道は、そしてこれからの道は真に賢い道なのであろうか、、、。

 人間の歴史について、中学生でも、”四大河文明”あたりから本格的に学ぶのだが、文明なるものは、それ以前の悠久の歴史から見れば、薄い紙切れと言えるだろう。精神文明なるもの、物質文明なるもの、人が長年の歴史で生み出したものであるが、産業革命以降の物質文明の進展は、”金がすべて”の世の中を生み出してしまった。海に面した土地で生きてきた民族は、開明的であり、周りの強国にとっては、貴重な奴隷労働の提供者となる。地中海東岸には、かってフェニキア人とフェブライ人が民族国家を成立させていた。フェニキア人はアルファベットの創立者と言われているが地中海に乗り出し、各地に植民都市をきづいた。古代オリエント世界を支配したペルシャ帝国に、抵抗し独立を保った古代ギリシャのポリス連合は、そのフェニキア人の末裔であろう。最後までローマ帝国に抵抗したユダヤ(フェニキア人)民族は、亡国の民となり、”メシア信仰”が唯一の生き延びる道となった。ヨーロッパ各地に流浪し、商業活動で生き延びる以外に方法はなかった。現在世界の大富豪と言える人たちのほとんどが、ユダヤ人の血を引いている人によって占められている。また人類に貢献したとして国際的な評価を受けているノーベル賞。一番多いのはユダヤ系の人である。まさに”逆境は人を作る”の証明であろう。

 イスラエル建国以来の中東の悲劇は、ユダヤ人が去った(すべての人が流浪したのではなく、アラブ人との混血もあったのだろうが)アラブ人の居住地に、旧ユダヤ王国を再建したいというユダヤ人の希望を当時の列強、英、仏、米が支援して実現させたからだ。最も英、仏、米を実質経済的に支配しているのはユダヤ資本なので、パレスチナ人の抵抗の根強さを見誤ったといえるだろう。亡国の民を強いられたユダヤ人を救済してくれる”メシア”とはキリストではなかったし、今の時代を考えると、”金”がすべての救済者となっているような気がする。タイトルに掲げた”人の心”こそ、すべての人間を救済する”メシア”なのかもしれない、、、、。


”上を向いて歩こう、、、”

2020年10月08日 08時52分40秒 | コラム

 もう半世紀以上になるのだが、御巣鷹山で犠牲となった坂本九ちゃんの大ヒット曲となった、”上を向いて歩こう、、、”について考えてみたいと思う。私は若いときに、人から聞いたのか、本で読んだのか、はっきりしていないのだが、その内容は今でも鮮明に記憶していることがある。”医者に”、上、中、下の三通り、下の医者は患者を治す、中の医者は自分を治す、上の医者は世の中を治す。”との言である。儲ける自由が保障されている”資本主義社会”では、ともすれば、”下の下の医者”がまかり通っているのではないだろうか、、、。医療保険制度を悪用し、必要のない検査や手術や薬を投与して、利を得ている病院が無きにしも非ずである、、、。 

 私の実体験で、もう10年もたつと思うが、シニアーのサッカーを定年以降続けていて、ある大会で、”心筋梗塞”でプレイ中に倒れてしまった。最新の医療行為で、私が気が付いてのは4日後のこと、その後順調に回復し、リハビリにも段階を経て励み、担当者にもまもなく退院ですね、と言われていたのだが、、、。もっとも後遺症もなく順調に回復できたのは、倒れたとき居合わせたスポーツインストラクターが応急処置をしてくれて、救急車が来たときには心臓は鼓動をしていたとのこと。搬送された大学病院では、何故に心臓が止まったかわからないので、もう一度検査をしたいとのことで、それの応じたところ、まさに実験材料にされてしまった,大量に集められたインターン、局部麻酔だから意識はあり映像を見ていて、画面が消えるときが何かが起きたときらしい、集められたインターンが歓声を上げる中で、たびたび実験材料にされてしまった。

 その検査の後主治医から、”なぜ心臓が止まったかわからないので、ペースメイカーを入れる手術”が必要だと言われた。その際私は、”近代医療で命を救ってくれたのには感謝するけど、機械の力を使って長生きしようとは思わない。”と言って断ったのだが、さらに上級の医者から再度の要請があった。その際にも同じ答え、姪の連れ合いが循環器系の開業医をしているので、いざとなったらそちらに世話になるのでこの病院には迷惑を掛けない、と述べたところ、即退院となった事情がある。

 医者に限らず、政治家も、経済人も、あらゆる職種に人でも、”上、中、下、下の下”の四通りがあるのだと思うが、”万物の霊長”を自認するのだったら、日々修養、k研鑽を怠らず”上を向いて歩く”人でありたいと思う。

 


神無月に寄せて、、、

2020年10月01日 09時48分50秒 | コラム

 今日から10月、この国では古い呼び方で神無月と言った。なぜ神様がいない月かというと、日本中の神様が出雲に集結して、縁結びに励むとか、出雲地方では神有月、よって他の地方は神無し月となる。日本列島はかって太陸と陸続きで、約一万年前に大陸と切り離されたといわれているし、その大振動の時この地域に居住し大地殻変動を経験し生き延びたのが、この列島の先住民、人間という意味のアイヌである。三内丸山遺跡跡を見ても、定住し、それなりの自活の生活様式を維持していたのであろう。  紀元前からの大陸の動向、殷、周、戦国、そして秦、漢帝国の成立を踏まえての歴史を理解して、この国のことを考えないと、”紀元は2600年”となってしまうだろう。

 地域に巨大な権力が構築されると、その支配を逃れた人は他の地域に移住することになる。逃れた先に海があれば、その海を越そうとする冒険心のある民は、様々な工夫をするのであろう、、、。大陸からこの列島には冬に北西の季節風が吹く、その季節風を利用した人たちが、出雲地方に移住したのだろう。海流に乗って、また朝鮮半島から島々を経由して、九州地方に住みついた人たちもいたのであろう。出雲王朝、九州王朝(邪馬台国)、越王朝、も存在していたという多元史観でこの国の成り立ちを考える必要がある。

 人類の歴史、500万年の中で、その大部分は他の生き物同様、自然に支配され生きてきた。”考える葦”よろしく、その自然から多くの体験を経て学ぶことにより、生き延びる知恵を獲得し、地球のあらゆる地域に、その生活を広げていった。万物の霊長などと自己を誇大表現しても、大自然に比べれば人類など微小な生き物に過ぎない。もっと謙虚になって、人類の未来、地球の未来についても配慮する必要がある。未知の領域が神(宗教)の領域であり、拡大し続けた既知の領域が科学である。”宗教はアヘンである”と述べ、神からの自由を求めた人もいたが、人類最大の愚行、戦争を無くせない限り、自らを野蛮である、文明化されていない未熟な生き物であるとの理解が必要であろう。

 私がよく通る散歩道の傍らに、かわいらしい赤い帽子をかぶった小さな六地蔵がある。無神論者である私が、そこを通るたびにお賽銭をあげ、会釈しているのだが、今の人の世に参考にしてもよいなと考えるのがあるからだ。人の歩む道を、六つの道、つまり、地獄道、畜生道、餓鬼道、修羅道、人間道、天道と分け、それぞれの本尊を信じることによって、そのぞれの道を歩むことが出来るし、救済される、との教えである。今の世の権力者(政治家、経営者、等)には身に着けてほしい教えだと思う。

  1.  

マスクマジックは何時解ける、、、。

2020年09月28日 08時43分42秒 | コラム

 新型コロナウイルスの世界的な蔓延で世界中が委縮してしまった現状だが、かってペスト菌で世界が恐怖のどん底に叩き込まれた体験があるだけに、人に恐怖感を植え付け、自粛ムードを強制されてもやむを得ないと思わせる現状である。元総理が、予防のためとか、全家庭に二枚のマスクを配布すると決めて、実行されたのだが、どれだけの効果があったのか解明されていない。マスク業界は需要が拡大し多大の利益をあげることが出来たぐらいであろう。

 ”欲しがりません、勝つまでは、、、。”、と大多数の国民を一つの方向に導けた成功体験を持つ権力者は、今のこの国のムードにほくそ笑んでいるのかもしれない。確かにほこりまみれの場で働く人にはマスクは必需品だし、せきが出ている人でそれが拡散しないようマスクをつけるのはエチケットの領域である。国会内で国民の代表国会議員がマスクをしているのは利権病や汚職に汚染されないようにと考えているのなら話は分かる。体力充分のっプロ野球の選手も。ゲーム中はつけてはいないけど、ベンチの中では特注のマスクをつけているのは噴飯ものである。気の毒なのは学校に通っている児童生徒たちである。これほど、”学校の決まりを守る”を徹底させるために便利なものはないであろう。

 


葉月の終わりに、、、

2020年08月31日 12時34分06秒 | コラム

 陰暦での月日の表現の仕方には趣がある。温暖湿潤気候のこの国では、”まかぬ種は生えぬ”の逆の現象が起きて,この国の土と共に生きてきた人にとっては,雑草との戦いはずっと継続してきたものである。つい170年前、当時でも世界有数の人口を抱え、3000万の人口を支えたこの国は,農業の自給自足で生きてきたのだが,欧米で生まれた,拡大再生産が命の経済の仕組みに取り込まれ,闇雲に突っ走った結果が75年前の敗戦である。二度と戦争はしない,そのためには軍隊を持たない,さらに交戦権すら放棄した憲法を定めたのだから,農業立国を目指すべきであった。そのモデルとしては,かってヨーロッパに覇を唱え,戦いに敗れ不毛の半島に閉じ込められながらら豊かな国を生んだデンマークである。

 日本は連合国に占領され,十分な民主主義が回復されれば,占領軍は撤退することになっていたのに、実質この国を支配したのはアメリカ軍であった。アメリカの都合で対日占領政策(日本が完全に民主主義の国となる)が変更され,戦後発動された東西冷戦のあおりを受け、アメリカの手下の地位に甘んじることとなった。アメリカに大きな力を持つまでに育った巨大企業、その象徴は軍需産業である。資本主義の最大の欠点が過剰生産,売れ残り、倒産であるが,軍需産業にはそれがない,政府が全て購入してくれるからだ。戦争は全ての人が反対するのだが、軍需産業にとっては,戦争は必要悪となる。アメリカの軍需産業にとっての好材料が,朝鮮戦争、そしてベトナム戦争であった。この国にとって,朝鮮戦争は,この国の経済復興につながったし,ベトナム戦争は高度経済成長の引き金となった・歴代この国の政権は,アメリカに従属し(サンフランシスコ会議、日米安保条約),豊かになれれば国民の支持が得られる状況を維持してきている。

 対米従属路線の現状を築いた人物の、孫息子が政権を投げ出したのだが、体調不調ではなく能力不足だったのではないだろうか、、、。この国の資源、働くことが好きな国民性、つまり,”傍が楽になる”を貫いてきた自分たちにもっと自信を持つことだ、政府が何かやってくれる期待を持つことなく、自分の生活は自分で良きものにするとの生き方を再確認することであろう。

 散歩の風景で、”稔れば稔ほど、頭を垂れる、稲穂かな”の田ぽを見ることが出来る。農道、あぜ道、土手、様子も三通り、きれいに刈り込んであるところ、雑草が生い茂り、背丈ほど伸びているところ、除草剤をまいて枯れ死して無様な姿を示しているところである。戦後一時、”東洋のデンマーク”を目指したこの国だが、その心を取り返す必要がある。人類がこの地上で平和的に生存し続けらるるために、、、


私の8月15日、その2

2020年08月15日 10時48分23秒 | コラム

 8月15日はこの国にとって終戦なのか、敗戦なのか考える必要がある。日本国憲法第9条がこの国の日々に生かされていれば,8月15日は終戦記念日として誇りにしてよいであろうが、、、。戦争とスポーツに共通点があるが。古代ギリシャ人の知性が生かされたからであろう。スポーツで、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしと言われているが,チームを強くするには勝った試合より負けた試合から多くのことを学べるからだ。勝ち続けるといい気になり,反省を怠り勝手なことをやって大失敗をするのが,スポーツでも戦争でも言える真実である。この国の近代史を見るとこの真実が当てはまる。

 戊辰戦争は最後の国内戦争であり。イギリスと組んだ討幕派の薩長とフランスと組んだ幕府との戦いとなるが,討幕派が勝利し、新政府、明治政府が実現したのだが,民権派を押さえ込み,国権を重視する体制が確立した。隣国朝鮮は、江戸時代修好使節を定期的に派遣していたし,一方大国中国と地続きでもあり,属国状況を継続してきた。

 その朝鮮国内で,新興国日本にならって、清からの独立を目指す勢力(独立党)と今までどうりに大国に順応する(事大党)が対立していたが、真の自立を目指す東学党が反乱を起こしその勢いは全半島に及ぶことになった。事大党は清の支援を。独立党は日本の支援を要請し。東学党の乱は収拾したが、日清両軍が衝突し,いわゆる日清戦争が勃発する。近代兵器をイギリスから購入した日本が圧倒的に優勢で、下関で講和条約を結んだ。①朝鮮は独立国、②リャオトウ半島,台湾の割譲、③3億テールの賠償金(当時の日本国家予算の3倍の現金)、朝鮮半島の付けににあるリャオトウ半島は朝鮮の独立を阻害するとの名目で,ドイツ、フランス、ロシアの干渉で返却した。いずれにしても、戦争は勝つと儲かるとの先入観を持ってしまったと言えるだろう。その後ロシアとの戦争で勝利し、ポーツマス条約の内容に不満な日比谷焼き討ち事件が起きたのは、後の”欲しがりません、勝つまでは”につながる。この国の民の価値観なのかも知れない、、、。

 大航海時代の覇者、スペイン、ポルトガルに代わり,イギリス、フランスの覇権争いが続くが,フランスはアフリカでインドで、そして幕末に日本でも敗れ、唯一勝利したのがアメリカの独立である。支援して勝利した喜びを,今も残る”自由の女神像”プレゼントで表したのだが,,,、ビスマルクのドイツ統一後、イギリスと組まざるを得なくなった。欧州戦争(第一次世界大戦)が起き、日本は日英同盟を根拠にドイツに参戦、山東半島のドイツの租借地を占領、太平洋上のドイツの島も獲得した。

  第一次世界大戦という人類の愚行から,人に知性は働くもので、その象徴が、第一次世界大戦の講和に当たって原則を提示した,当時の新興国アメリカの大統領のウイルソンの”講和原則14箇条”であろう。無賠償、無併合、民辱自決、等の14箇条である。当時の世界の為政者が,その提案に賛同してベルサイユ条約を定めたら,第二次世界大戦は起きなかったであろう。戦勝国イギリス、フランスのドイツに対する懲罰的処置が,敗戦国ドイツで、”ベルサイユ条約破棄”を唱え続け、選挙による政権を獲得したヒトラー政権の誕生である。 

  そのヒトラー政権と結んで,”大東亜共栄圏”を目指し、朝鮮併合、満州国建設、最終的に中国を支配下に置こうとして,対米英戦争に望んだのが,大政翼賛会下の、5,15,2,26で政権を獲得した軍部である。当初は,勢力拡張の対象が第一次世界大戦後成立したソビエト連邦(社会主義を目指した)が目標だったが(日独防共協定)対英仏戦争を優先するドイツは,ソビエトと不可侵条約を締結する。外交音痴といえばそれまでだが、自力で北進政策を進めようとして完敗したのがノモンハン事件である。対ドイツ戦争で苦戦中のイギリス。フランスの植民地であったインドシナに目をつけた軍部は、対米英戦の大ばくちを打つ、パールハーバーとシンガポール攻撃である。その結末は,ヒロシマ,ナガサキ、そして75年前の無条件降伏である。 


私の8月15日

2020年08月14日 11時50分23秒 | コラム

 75年前の8月15日は、私は国民学校の一年生,仙台郊外の疎開してた学校でこの日を迎えた。仙台は逓信省(現郵政省)の役人だった父の転勤地、3年前、”大東亜戦争”で攻略した東南アジアのイギリスの植民地だった,シンガポールに陸軍司政官として赴任、当地との軍事郵便の開設の遂行にあたり、過労死したのだと思うが昭和17年12月に。当時旧制中学1年の長男を頭に6人の子どもを残し異境の地で戦病死した。

 母は外地赴任を断るように進言したそうだが,父はどうせだったら若いうちにと、赴任したとのことだが、”大東亜共栄圏”を信じていたのであろうか、、、。外地赴任は2年間、次の転勤地は広島とのこと、父が元気で帰国していたら,我々家族はヒロシマでみんな灰になってたかも知れない、、、。父一人が犠牲となり,家族全員が生きていけたということは,多くの戦争の犠牲者に比べたら,幸運だったと言えるのかも知れない。父の死、親族会議で,子どもたちの引き取りについて話し合われたようだが,母は断固として、”どの子も渡せません,私が育てます”と啖呵を切ったそうだ。

 長兄の卒業まで,転勤地の仙台で過ごしたので,私も仙台市荒町国民学校の1年紫組、最初の鮮烈な思い出が,楽しみにしていた遠足の日、校庭に集合、学校長が,空襲がないといいのですが,の発言後、直ちにサイレンが鳴り,遠足が中止となった出来事である。7月10日、仙台空襲、残された子どもの命を考えてか。仙台郊外の高立村に知り合いを頼って疎開し,その地で8月15日を迎えた。子ども心にも,日本が戦争に負けるなどとは,思ってもいなかった。何しろラジオから流れる大本営からの発表、その戦果に小躍りし,台所の母にその戦果を告げたりしたものである。当時の私は,確かに一小国民であったのだ。門前を通る大人の姿を見て。”,あんな大人がいるから戦争に負けたんだ”なんて悔しがったり、つくづく、戦前の教育の恐ろしさを感じている、、、。


7月14日、今日は何の日、、、

2020年07月14日 13時09分11秒 | コラム

 中学生の頃、”火縄くすぶるバスチーユ”として1789年、フランス大革命が起きたとして学んだことを思い出す。そしてヨーロッパを象徴する、イギリス、フランス、ドイツ人の性向として、イギリス人は歩きながら考える民族である、フランス人は突っ走してから考える、ドイツ人は考えてから突っ走る、との言を聞いてなんとなくその三国の歴史を学んで納得したことがある。そして揶揄的に、日本人は、考えないで突っ走り、こけた後も考えない、との言にも頷けるものがある、、、。

 フランス大革命の発端となった、’’バスチーユ牢獄襲撃”はルイ14世に時確立した、彼の言、”朕は国家なり”に象徴された絶対王政を批判した啓蒙思想家たちが収容されていたのがバスチーユ牢獄だったといわれている。啓蒙思想家たちは、それまでの絶対的真理であった、天国に生まれ変わるには、今の世で信仰心を持ち、神の意に沿ったつつましい生き方をする、との教えに対して、神の国を現実のこの社会に実現しようと主張した。フランス革命の精神、自由、平等、友愛、の精神は、周りの君主個々にとっては脅威であり、その革命を押しつぶすべく干渉戦争を実行した。フランス共和国軍も奮戦したが、各地で敗れた。唯一イタリア方面へ向かった共和国軍は連戦勝利し、その指揮官であったのがナポレオンを民衆の英雄として、当時敵国であったドイツのベートーベンは、”英雄交響曲”を作曲し、ナポレオンに献じようとしたが、彼が皇帝になったと知り、献詞を破り捨てたといわれている。

 ”突っ走ってから考える”民族よろしく、目まぐるしく政体が変化するフランス、王政、共和制、帝政、王政、共和制、帝政、そして第三共和制、として現在に至るのだが、この国はどうなのだろうか、、、。鉄製の船が海に浮かぶ不思議さが、極端な欧化政策となり、そのたどり着いた先が、焼け野原の8月15日である。なぜそうなったのが真剣に考えるべきだったのだが、”一億総ざんげ”で誤魔化してしまった。戦前、治安維持法違反で獄中にあった羽仁氏は仲間が牢獄のカギを持って、釈放に来てくれると信じ切っていたそうだ。そして釈放されたら、即、日本共和国を宣言し、大統領には、”松本冶一郎氏”を推挙する予定だったとのこと、”待てど暮らせど来ぬ人の、、、”に絶望感を抱いただろう羽仁氏には、75年後の現在でも同情を禁じ得ない。