自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

私の8月15日、その2

2020年08月15日 10時48分23秒 | コラム

 8月15日はこの国にとって終戦なのか、敗戦なのか考える必要がある。日本国憲法第9条がこの国の日々に生かされていれば,8月15日は終戦記念日として誇りにしてよいであろうが、、、。戦争とスポーツに共通点があるが。古代ギリシャ人の知性が生かされたからであろう。スポーツで、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしと言われているが,チームを強くするには勝った試合より負けた試合から多くのことを学べるからだ。勝ち続けるといい気になり,反省を怠り勝手なことをやって大失敗をするのが,スポーツでも戦争でも言える真実である。この国の近代史を見るとこの真実が当てはまる。

 戊辰戦争は最後の国内戦争であり。イギリスと組んだ討幕派の薩長とフランスと組んだ幕府との戦いとなるが,討幕派が勝利し、新政府、明治政府が実現したのだが,民権派を押さえ込み,国権を重視する体制が確立した。隣国朝鮮は、江戸時代修好使節を定期的に派遣していたし,一方大国中国と地続きでもあり,属国状況を継続してきた。

 その朝鮮国内で,新興国日本にならって、清からの独立を目指す勢力(独立党)と今までどうりに大国に順応する(事大党)が対立していたが、真の自立を目指す東学党が反乱を起こしその勢いは全半島に及ぶことになった。事大党は清の支援を。独立党は日本の支援を要請し。東学党の乱は収拾したが、日清両軍が衝突し,いわゆる日清戦争が勃発する。近代兵器をイギリスから購入した日本が圧倒的に優勢で、下関で講和条約を結んだ。①朝鮮は独立国、②リャオトウ半島,台湾の割譲、③3億テールの賠償金(当時の日本国家予算の3倍の現金)、朝鮮半島の付けににあるリャオトウ半島は朝鮮の独立を阻害するとの名目で,ドイツ、フランス、ロシアの干渉で返却した。いずれにしても、戦争は勝つと儲かるとの先入観を持ってしまったと言えるだろう。その後ロシアとの戦争で勝利し、ポーツマス条約の内容に不満な日比谷焼き討ち事件が起きたのは、後の”欲しがりません、勝つまでは”につながる。この国の民の価値観なのかも知れない、、、。

 大航海時代の覇者、スペイン、ポルトガルに代わり,イギリス、フランスの覇権争いが続くが,フランスはアフリカでインドで、そして幕末に日本でも敗れ、唯一勝利したのがアメリカの独立である。支援して勝利した喜びを,今も残る”自由の女神像”プレゼントで表したのだが,,,、ビスマルクのドイツ統一後、イギリスと組まざるを得なくなった。欧州戦争(第一次世界大戦)が起き、日本は日英同盟を根拠にドイツに参戦、山東半島のドイツの租借地を占領、太平洋上のドイツの島も獲得した。

  第一次世界大戦という人類の愚行から,人に知性は働くもので、その象徴が、第一次世界大戦の講和に当たって原則を提示した,当時の新興国アメリカの大統領のウイルソンの”講和原則14箇条”であろう。無賠償、無併合、民辱自決、等の14箇条である。当時の世界の為政者が,その提案に賛同してベルサイユ条約を定めたら,第二次世界大戦は起きなかったであろう。戦勝国イギリス、フランスのドイツに対する懲罰的処置が,敗戦国ドイツで、”ベルサイユ条約破棄”を唱え続け、選挙による政権を獲得したヒトラー政権の誕生である。 

  そのヒトラー政権と結んで,”大東亜共栄圏”を目指し、朝鮮併合、満州国建設、最終的に中国を支配下に置こうとして,対米英戦争に望んだのが,大政翼賛会下の、5,15,2,26で政権を獲得した軍部である。当初は,勢力拡張の対象が第一次世界大戦後成立したソビエト連邦(社会主義を目指した)が目標だったが(日独防共協定)対英仏戦争を優先するドイツは,ソビエトと不可侵条約を締結する。外交音痴といえばそれまでだが、自力で北進政策を進めようとして完敗したのがノモンハン事件である。対ドイツ戦争で苦戦中のイギリス。フランスの植民地であったインドシナに目をつけた軍部は、対米英戦の大ばくちを打つ、パールハーバーとシンガポール攻撃である。その結末は,ヒロシマ,ナガサキ、そして75年前の無条件降伏である。 


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