これは「恋愛映画」である。
しかし、ただのラブストーリーではない。
強烈な愛に内包される凄まじいまでの“念”が、肉体が滅んでもなお現世に残りつづける恐怖を描いた、深すぎる愛の物語なのである。
それゆえ、ラストシーンでおどろおどろしく新吉(尾上菊之助)を抱きしめる豊志賀(黒木瞳)の姿は切なすぎて、恐怖よりも哀れさが先に立ち、涙がこぼれそうになる。
因縁や人間の“業(ごう)”の恐ろしさを描き、情念の世界が展開する三遊亭円朝原作の怪談の一つである「真景累ヶ淵」を、Jホラーの旗手・中田秀夫がどのように“料理”するのかも興味深かった。
煙草屋から豊志賀の屋敷へ戻ろうとする駕籠の中や、新吉とお久(井上真央)が橋の下から見上げたときの演出は、ハリウッド的ホラー映画の基本パターンを踏襲した、思わず“飛び上がる”恐さがあって面白い。
しかしながら、「私はいつもお前を見ているんだよ…」的な、“豊志賀視点”の天井から新吉を眺める演出は興醒めであった。
また、伝統的な日本建築の持つ“暗さ”を効果的に使えば、より和風ホラーとしての“怪談”色が引き立ったのに…という物足りなさも感じた。
(この点については、やはり山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」は秀逸である)
とはいえ、後になればなるほど、夜が更ければ更けていくほど、映画のワンシーンを、いや黒木瞳の顔を思い出すほどに恐怖心がこみ上げてくるのだ。
後を引く恐怖を覚える映画も、そうそうあるものではない。
やはり中田監督はただ者ではないということか。
ハリウッドが高く評価するのもムリは無い。
そして、観る者の脳裏に恐怖を植え込む黒木瞳も、やはりタダ者ではない…
「怪談」
監督:中田秀夫
原作:三遊亭円朝
出演:尾上菊之助、黒木瞳、井上真央、麻生久美子、木村多江
しかし、ただのラブストーリーではない。
強烈な愛に内包される凄まじいまでの“念”が、肉体が滅んでもなお現世に残りつづける恐怖を描いた、深すぎる愛の物語なのである。
それゆえ、ラストシーンでおどろおどろしく新吉(尾上菊之助)を抱きしめる豊志賀(黒木瞳)の姿は切なすぎて、恐怖よりも哀れさが先に立ち、涙がこぼれそうになる。
因縁や人間の“業(ごう)”の恐ろしさを描き、情念の世界が展開する三遊亭円朝原作の怪談の一つである「真景累ヶ淵」を、Jホラーの旗手・中田秀夫がどのように“料理”するのかも興味深かった。
煙草屋から豊志賀の屋敷へ戻ろうとする駕籠の中や、新吉とお久(井上真央)が橋の下から見上げたときの演出は、ハリウッド的ホラー映画の基本パターンを踏襲した、思わず“飛び上がる”恐さがあって面白い。
しかしながら、「私はいつもお前を見ているんだよ…」的な、“豊志賀視点”の天井から新吉を眺める演出は興醒めであった。
また、伝統的な日本建築の持つ“暗さ”を効果的に使えば、より和風ホラーとしての“怪談”色が引き立ったのに…という物足りなさも感じた。
(この点については、やはり山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」は秀逸である)
とはいえ、後になればなるほど、夜が更ければ更けていくほど、映画のワンシーンを、いや黒木瞳の顔を思い出すほどに恐怖心がこみ上げてくるのだ。
後を引く恐怖を覚える映画も、そうそうあるものではない。
やはり中田監督はただ者ではないということか。
ハリウッドが高く評価するのもムリは無い。
そして、観る者の脳裏に恐怖を植え込む黒木瞳も、やはりタダ者ではない…
「怪談」
監督:中田秀夫
原作:三遊亭円朝
出演:尾上菊之助、黒木瞳、井上真央、麻生久美子、木村多江