青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

無題

2022-11-02 09:36:07 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然





読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。



【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



・・・・・・・・・・



10月が終わりました。結局、丸々ひと月間、毎日完璧同じパターンで過ごしました。全くのサラリーマン状態です。いや、土日関係なしなので、サラリーマン以上。もちろん幾ら働いても(将来はともかく)一銭も給料は入りません。



繰り返し記しておきますね。7時半起床。7時56分に部屋を出て、4分後の8時ジャストにジョイフル。うち2分間は、大学の駐車場の脇を歩きます。これが車車車、、、。人車共用道路なのですが、この時間帯に限っては実質車専用で、脇に舗道がないため、悲惨な状態です(アルプスの稜線歩きどころではない危険さ)。



以前から(東京近郊を探索していた時にも)実質生活道路(人の歩ける道)がなくて困ってしまったことが多々あります。町の中心部はともかく、ちょっと郊外に出ると、車車車、、、そりゃもう半端な交通量じゃない。郊外の移動は車で行うもの、迷惑だから人は歩いちゃいけない、そう暗黙の了解で決まっているんですね。まるで犯罪者を見るような眼差しを浴びて精神的に参っちゃいます。降り注ぐ弾丸を避けるようにして精神を擦り減らしつつ何時間も歩いて、やっと「道」(いわゆる路)に出れば、そこは「ハイキングコース」とか「自然観察周回路」」とかの、限られた目的に沿った「歩く」道です。生活道路じゃないので、勝手にどこかに行くことは出来ない(辿り着くところは大抵駐車場)。



車がないと生活できない、(冷房とかもそうだけれど)悪循環です。人間としての権利を放棄してしまっていることに、誰も気付いていない。自由の放棄です。自由であることと、便利である(楽しく暮らす)ことは、相同ではない。



自分だけ楽をする、それが個人だと、自己中、我儘ということになるのですが、全ての人が集団で行えば(皆が“自分だけ楽すること”に徹すれば)それが基準となってそこから外れた行為や思考は逆に“自己中”と見做されてしまうわけです。資本主義の病巣の根源なのですが、その話は置いときましょう。



話が大きくなってしまいましたが、ここはまあ1~2分の我慢なので、どうってことはありません。8時ジャストに「ジョイナス」到着。隅っこの40番のコード席で、目玉焼モーニングトースト(ドリンクは終日飲み放題)326円をオーダーして、ネットを開きます。



韓国とインドで痛ましい事故がありました。ハロウインなんかは本来特定の宗教に基づいた伝統的催しであって、我々には一切関係ないはずなんですが、空気に乗っかって、(大衆が求めて企業とかメディアとかが煽る、どっちが先かは分からないけれど)大衆の共通認識としてのお祭りイベントになって、皆が同じように、、、ということなんですね。



そして皆が皆一定方向に向かう。ホモが正義でヘテロが悪だと。一定方向への集結、僕には理解が出来ないんですが、人間もウンカやヨコバイやカメムシ(そのほか大多数の生物)同様の潜在的集合特性を維持しているのだとすれば、仕方がない事なのかも知れません(そういえば最近は、半翅目はセミ目=ヘミプテラで統一されて、ホモプテラ同翅目とヘテロプテラ異翅目の区別はされなくなってるのかな?)←本題とは無関係。



おそらく、みんなが考えている以上に、人類にとっての一大事だと思います。トータルな視野から見れば、大変な問題なのです



日常的にどこかへ収斂していく(自分もその一員である)ということの恐ろしさ。それはコロナにしてもロシアにしても統一教会問題にしても、同根です。善悪の問題じゃないですよ!具体的な思想とかでなく(もちろんその衣は纏っているわけですが)、空気に基づく大衆の先導(扇動または洗脳)によって、それが特別な状況の許ではなく、無意識的に、スムーズに為されている、ということ。普遍的な、ごく当たり前の問題(人間の本質でもあります)というのは、実に複雑で多様な要素を内包している。宗教絡みのほうがまだ分かり易くて、ましなような気もします。



この話題(人間の本質としての集団志向)は面倒なので、これ以上は踏み込みません。



で、8時開店と同時にモーニング・エッグ・トーストをオーダーして、それを食べる前に、8時半、向かいの江藤医院で毎日血圧を測ります(何故か命令されている)。先日(3日前)は上が187。かなり高いのだそうで、なぜか怒られてしまった。翌日は114で、違い過ぎるじゃないか!と思うのですが、まあ結果オーライということで、でも昨日はまた170台に戻っていた。測り直して貰ったら140台になっていた(僕の場合は低め?)。その時々の(薬を飲んだ時間とかタイミングなどで)結構数値が変わるんだそうで、だったら、毎日いちいち測る意味ないと思うんですけれどね。



ジョイフル戻って、10時過ぎにカメラを持って駐車場わきの草地にぶらりと出かけます。ここのところ快晴の日が続いていて、一日中ファミレスに籠ってるのは、何か罪悪感を感じてしまう。10分でも20分でも撮影しとけば、自らへの言い訳にもなります。



日替わりランチ(無料大盛り)500円を食べた後、午後2時過ぎに再度カメラ持参で散歩。朝とは違って、車は全くと言って良いほど通らない。その代わり学生たちが大挙して通行しています。



ロクな蝶はいません。もっとも、いかに駄蝶であっても、ボロ蝶であっても、いるだけで嬉しいです。10月末ならば、むろん碌な蝶はいないけれど、天気さえ良ければ数だけはいます。い



とりあえずの目的は、ヤマトシジミの撮影と、イチモンジセセリの実態チェック。共に駄蝶中の駄蝶ではありますが、それなりに魅力的でもあります。ことにヤマトシジミは、結構美麗な蝶(殊に雄の翅表のブルー)なのに、撮影に気合が入っていないためか、いつも中途半端な写真しか撮れていない。この際、チャレンジしておこうというわけです(とはいっても「時間つぶしに」という気分が抜け切れずに本気にはなれないので結果として碌な写真が写せないでいる)。



ヤマトシジミの雄は、いたるところで飛んでいるのだけれど、なかなか止まらんのですね。小っちゃな蝶が見えないだろう道を行きかう学生たちからすれば、「このジジイこんなところでカメラ持って何してんの?」と不信に思っていることでしょう。車に対しても人に対しても、後ろめたい気持ちにならざるを得ない。



蝶の行動(周日活動)は、種によって、時間帯によって、個体の日齢によって、気象条件によって、、、様々な要因で決まっています。60年余蝶を追っかけてきたのだけれど、いまだにきちんと把握は出来ていません。この上もなく奥深い、複雑多様な組み合わせで成り立っているのです。



ヤマトシジミに関しても、蝶の飛ぶ時間帯は(そのパターンごとに)決まっていて、もう暫く待てば止まり始めるかも知れません。少なくとも午前中はひたすら雌を探して?飛び続けている場合が多いようです。



その目まぐるしく飛び交っているヤマトシジミ雄の中に、一頭だけ止まって翅を開いている個体がいた。しめしめ、とシャッターを押します。何枚か押していて、ヤマトシジミじゃなくツバメシジミらしいことに気が付いた。こちらも、(やはり普通種ゆえ余り真剣に撮影してこなかったので)この機会に沢山移しておくことに。でも、ツバメシジミともちょっと雰囲気が違う。(翅裏が確かめれず)消去法からいうと、タイワンツバメシジミかも、、、。だとしたら、まだ1枚も撮影したことのない種のゆえ、とりあえずどっさり撮影しておくことにしました。



一通り撮影し終えて、画像をチェックしようとしたら、「カードが入っていません」という表示。体調も(何度もしつこく言うように)滅茶悪くて意識朦朧、眼もほとんど見えない状態、それでよくまあ写真など写せるものだと我ながら呆れている次第ですが、体調以上に酷いのはカメラの状態、そりゃもう生半跏なクラッシュ状態じゃないです。ちゃんと撮れるのは宝くじのぐらいの確立ですね。でもこんな表示が出るのは初めて(実際に入れ忘れて撮影していたことはこれまで何度かあったけれど)今度こそ万事休すです。それで一度ジョイフルに戻って、ダメもとで叩いたり振り回したりしていたら、突然直った。



せっかくタイワンツバメシジミかも知れない種に出会った(空撮影した)のだから、同じ所に戻って、再登場してくるまで執念で待ち続けて撮影し直さなきゃ、と思っていたら、すぐに姿を現しました。でも、違った。クロマダラソテツシジミ。この種は数日前にも撮影しています。(同じ新帰化種の東京のアカボシゴマダラ同様)やたらといるみたいです。バリエーションが豊かな種でしょうから、さっきのをタイワンツバメシジミと間違えても不思議じゃない。でも断言するわけにもいかないので、一応片っ端からチェックしておくことにしました。結局、まず間違いなくクロマダラソテツシジミ。ヤマトシジミに見える蝶は、半々ぐらいでヤマトシジミとクロマダラソテツシジミ。大型のウラナミシジミを除くとブルーは全てこの2種です。



ヤマトシジミは、本当に感心するほど、どこにでもいる蝶です。その意味では「大和(日本)のシジミチョウ」の和名は、ピッタリなのだと思います。でも、北海道にはいません。アジアの暖地全域に最も普通にいる蝶の一つで、どちらかと言えば日本では比較的新しい時代に繁栄した種と思われますが、といって特に近年になって勢力を広げているというわけでもなく、その素性は意外によくわかっていません。雲南省北部の梅里雪山の氷河下などにも沢山いる(僕の見た限りでは日本産との有意差はない)ので、様々な角度から日本産との比較を行ってみても面白いと思います。



ちなみに、種全体の分布域は、第二次大戦時の大日本帝国の勢力範囲とほぼ重なりますね。それこそ、ヤマトシジミたる所以かな? ちなみに中国名は「カタバミシジミ」で、もちろん唯一の食草がカタバミであることに拠ります(ヤマトシジミのアイデンティティの追求は、カタバミのそれを知ることでもあります)。



限られた植物への依存、というのは、意外に稀なんですね。例えばベニシジミのメイン食草はスイバですが、タデ科の種の多くに亘っています。ベニシジミのグループの大半の種も同様です。アゲハチョウやその仲間はミカン科、モンシロチョウやその仲間はアブラナ科、セセリチョウ類やヒカゲチョウ類はイネ科、等々、そのパターンです。更にルリシジミなど多くの植物の科に亘って食草とする種もいる。ヤマトシジミのように、一種だけが、別の近縁種と異なる特別に限られた植物だけを食草とする、という例は、そう多くはなさそうです。



そういえば、クロマダラソテツシジミも、その特殊な例の一つですね。食草はソテツ。同じグループ(ヒメシジミ族ヒメシジミsection)の各種の食草とは全く異なる(注:ソテツシジミに関しては後述)、特殊な植物です。



ということで、ここ数日にアパートから2分弱のところのこの道端で出会った蝶は、ヤマトシジミ、クロマダラソテツシジミ、ウラナミシジミ、ベニシジミ、チャバネセセリ、ツマグロヒョウモン、キチョウ(キタキチョウ)、モンシロチョウ、アゲハチョウの計9種(最後の2種は一度だけ遭遇)。



イチモンジセセリがいないですね。これは意外です。チャバネセセリはごく普通に見ることが出来るのですが、イチモンジセセリは一頭もチェックできなかった。



そういえば、昨年も書いたのですが、東京青梅の霞丘陵でも、思っていたほどイチモンジセセリは多くは無かった。僕のこれまでの(数十年前の日本における)印象から言えば、秋に圧倒的に多い蝶がイチモンジセセリ、その次がヤマトシジミ、、、、といったところだったのですけれど。なにしろ数10億頭の大群となって不思議な移動をしていたという、突出して謎だらけの蝶だったのですが、その謎が解明されないまま、「普通の蝶」になってしまっているような気がします。



一般論として、生物の種の絶滅の前には、大発生が見られることが多いような気がします。僕の直接知るところでは、近代日本第一号の絶滅種(そのことに対しては幾つかの指摘したい点があるのですが、機会を改めて)オガサワラシジミ。中国杭州市内のチュウゴクギフチョウなどもその一例に相当するように思います。



僕は、オガサワラシジミに関しては、いわゆる「母種」に位置づけされるルリシジミとの関連で、相当真剣に取り組み始めたのですが、途中で挫折してしまいました。まさか絶滅してしまうとは思っても見なかったので、そのうちに、と楽観していたのです。



それとセットで取り組み始めていたのが、もう一つの小笠原固有種オガサワラセセリ。こちらはイチモンジセセリとの関連です。やはり(様々な事情で)挫折してしまったのだけれど、こちらも頑張って続けていればよかったのに、と今になってつくづく悔やんでいます。



(このことはこれまでにも何度も書きましたが)当時、東大農学部の千葉演習林において蝶の観察(ルートセンサス)と撮影を始めた時、最初に提出した計画書が、

「水田耕作の発展に伴うイチモンジセセリの生態的変遷」

今でも気に入っていて、時間的経済的体力的に許されるものであれが、これからでも再トライしたいと思う程、魅力的なテーマなのです。

(僕がやるのは実質不可能なので誰か若い人に引き継いで貰いたいですね)



二つのアプローチ。

チャバネセセリ(同居繁栄)との比較

オガサワラセセリ(残存祖先)との比較

異なる次元から光を当てていくことで、アイデンティティの実態を浮かびあがらせる。



常に俯瞰的に、異なる視点(時空)からのアプローチを行う。



衰退-繁栄-衰退。。。。の繰り返し(その過程が“進化”にも結び付いて行く)。



イチモンジセセリは、生物の種とは何か?生命とは、進化とは、集団とは、個とは何か? それらの問題提起のエキスを秘めた稀有の存在だったのですが、いつの間にか忘れ去られて、今は人々の興味の対象はアサギマダラに置き代わっています。



いや、アサギマダラだって、魅力的なテーマを無尽蔵に秘めた存在なのです。でも困ったことに、いろんな意味で“見栄え”がする。そして一見分かり易い。大衆に先導された「空気」に乗っかって、「答え」を導くことが出来そうに思える。プロフェッショナルもアマチュアも一丸となって重箱の隅をつつくような作業を重ね、情報が増えれば増えるほど、実態が見えなくなって行く。僕に言わせれば、方法論が間違っているのです。それ以前に、「方法論に沿って解明していく」という姿勢が間違っている。俯瞰性の欠如。



イチモンジセセリの、あの数十億頭の大移動の実態は、何だったのでしょうね。今は、普通の蝶になってしまっているような気がしますが、アサギマダラにしろ、世間の興味に惑わされず、腰を落ち着けて実態を探っていくことが出来れば良いですね。



ちなみに僕個人的には、「繁栄」よりも「衰退」という現象に、魅力を感じています。「危惧」ではなく「興味」です。

(「自然保護」と「絶滅危惧」という言葉が大嫌いなものですから)



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今日は、生活保護金の支給日でした。手取り約2万5000円。原則6万円貰っていた青梅市とは金額的には天国と地獄の差ですが、実質的には、こちらのほうが天国です。布団もあるし電気もつくしシャワーも浴びれるし病院での診察も受けられる。たっぷりと食事も出来る。なによりも、周りの人々の支援態勢が素晴らしい。土壇場でここに決めたのは、チエちゃんの大手柄です。もっとも、それ以外の事では、いろいろと頭が痛いですが(-_-;)



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撮影種の紹介(全て福岡県飯塚市有安近畿大学駐車場脇の同一場所で撮影)は2回に分けます。今日はブルー3種。明日ベニシジミ、チャバネセセリ、キチョウを予定。



写真1~12

クロマダラソテツシジミ

Polyommatus (Chilades) lajus


思い切って、属名をPolyommatusとしておきました。日本本土産の主要ブルーは、(エリオットの)ルリシジミ節をLycaenopsis、ツバメシジミ節をCupido、ヤマトシジミ節をZizeeria、カバイロシジミ節をGlaucopsycheとそれぞれ統合しておいたので、ヒメシジミ節はPolyommatus。



ヒメシジミ、アサマシジミ、ミヤマシジミ、カラフトルリシジミのユーラシア温帯勢に対する、熱帯性のヒメシジミ類ということになります。



むろん狭義で解釈しても良いので、その場合はソテツシジミはChiladesです。もっとも、Polyommatus-sectionの中に於けるChiladesはかなり祖先的な位置から分岐しているようなので、一律にPolyommatusに併合するのは、問題なしとは言えない様にも思います。



日本では、クロマダラソテツシジミが侵入する以前(今から60年ほど前)に、一度八重山諸島でソテツシジミChilades lajusが大発生した記録があります。最初につけられた和名は「キヤムラシジミ」で、僕などにはこちらの名の方がなじみ深いですね。ソテツシジミのほうは、それっきり発生が途絶えてしまい、入れ替わるように侵入してきたクロマダラソテツシジミのほうが、その後継続して発生を繰り返し、今では日本本土のかなり広い地域に定着してしまっているわけですが、その(繁栄と消滅)の分かれ目は、どこにあるのでしょうか?



ちなみに、今ネットで検索をしたら、ソテツシジミの属名がEdales、クロマダラシジミのほうがChiladesと分けて示されている文献をいくつか見受けます。その根拠は、どこにあるのでしょうか?



雄交尾器の形状は、両種の間に全く有意差はありません。ここに示した写真(ほぼ同じ日の同じ場所で撮影した個体)だけでも、相当にバリエーションがあります。2つの種の最も大きな差は、尾状突起を備えるか欠くかということだと思いますが、シジミチョウ科の多くの種に関しては尾状突起の有無は分類上余り大きな意味を持っていず、同一種でもあったりなかったりします。それどころか(今回撮影していて気が付いたのだけれど)同一個体でも、尾を伸ばしたり引っ込めたり?することが可能なみたいです。クロマダラソテツシジミの著しい変異パターンを考えると、ソテツシジミとの関係も再考を要するのではないかと思います。



写真13~18

ヤマトシジミ


属名をハマヤマトシジミと同じZizeeriaとしておきます。最近の傾向では細分する場合もPseudozizeeriaを使わずにZizeeriaで統一しているみたいですが、その場合はZizina(シルヴィアシジミ属)も統合すべきだと思います(雄交尾器の特化は本質的な差ではなく表現の程度差)。もっともその場合、ZizeeriaとZizinaは同じ著者によって同日に同じ文献で記載されているので、どちらに先取権があるのか、僕にはわかりません。個人的には「プセウドゼゼリア・マハ」という語感が好きですね。



写真19~24

ウラナミシジミ

Lampides boeticus



ほぼ世界中(ただし新大陸を除く)どこにでもいる蝶で、変異もほとんどなく、他に近縁種もいないという、もっともつまんない蝶の一つではあるのですが、その先入観さえ無くして対したら、姿も性格も、なかなか魅力的な蝶なんですね。他に近縁種が見当たらないということは、言い換えれば非常に特殊(二次的特化ということではなく祖先的残存ということで)なわけで、本来なら衰退絶滅のほうに向かうはずが、何かのきっかけで、爆発的に繁栄を遂げているわけです。この後どうなるのか。まるで人類の盛衰と軌を一にしているような。



写真1 クロマダラソテツシジミ 2022.10.29 12:32



写真2 クロマダラソテツシジミ 2022.10.31 10:55



写真3 クロマダラソテツシジミ 2022.10.30 14:49



写真4 クロマダラソテツシジミ 2022.10.30 14:49



写真5 クロマダラソテツシジミ 2022.10.29 12:30



写真6 クロマダラソテツシジミ 2022.10.29 12:30



写真7 クロマダラソテツシジミ 2022.10.30 14:29



写真8 クロマダラソテツシジミ 2022.10.30 14:32



写真9 クロマダラソテツシジミ(雌) 2022.10.30 14:30



写真10 クロマダラソテツシジミ(雌) 2022.10.30 15:10



写真11 クロマダラソテツシジミ 2022.10.30 15:11



写真12 クロマダラソテツシジミ 2022.10.30 15:11



写真13 ヤマトシジミ 2022.10.30 15:05



写真14 ヤマトシジミ 2022.10.29 15:29



写真15 ヤマトシジミ 2022.10.30 15:01



写真16 ヤマトシジミ 2022.10.31 14:22



写真17 ヤマトシジミ 2022.10.30 15:14



写真18 ヤマトシジミ 2022.10.31 15:04



写真19 ウラナミシジミ 2022.10.29 15:38



写真20 ウラナミシジミ 2022.10.29 15:38



写真21 ウラナミシジミ 2022.10.30 15:16



写真22 ウラナミシジミ 2022.10.31 11:01



写真23 ウラナミシジミ 2022.10.31 15:04



写真24 ウラナミシジミ 2022.10.31 15:03







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