青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

青山潤三日記 2020.7.25 ①

2020-07-25 20:09:59 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


青山潤三日記 2020.7.25 ①

例えば(あくまで「例えば」です、笑)、某雑誌編集者のU氏(彼の編集する記事の読者の大半、および周辺の人々)は頭が良くて、僕(の作品の読者、およびその周囲の人々)がバカであることは、事実だと思います。だから、仕事は貰えないし、野垂れ死にするしかないわけです(そこに至る詳細は略)。

でも、僕は、青葉容疑者のようなことはしないし、三浦春馬さんのようなこともしません。理由は、僕にその資質が備わっていないからです。ということは、そういった資質を持ったうえ、僕と同じ境遇にある人々が、多数いるかも知れない、ということです。そのことを、社会やマスメディアが(無論個人個人も)真摯に考えるべき時が来ていると思うのです。

「あや子版」「社会の窓から」旧記事の再掲載の機会に、U氏が頭からバカにして(「余りにもクオリティが低すぎる」と)見向きもしてくれない、しかし僕自身はある程度「自信」と「責任」を持って執筆した、2つの作品を再掲載(一つは再々掲載)しておきます。 

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総選挙「一票の格差」について
「青山潤三の世界・あや子版」2010.1.12-14 掲載
(1990年代に記述したオリジナルの縮小型、2010年代後半にも再掲載したと思う)

20年以上も前から、たまらなく不思議に思い続けていることがあります。そのうち誰かが言いだすだろうと、自分で発言することは控えていたのですが、いつまでたっても誰も言及する気配がありません。政治の話です。政治音痴の僕が言っても、誰ひとり耳に留めてはくれないでしょうが、、、。

“一票の格差”についてです。人口比率と議員定数の問題。人口の多い自治体(大都市圏)と少ない自治体(地方)で、議員定数が同じであったり、大幅な格差があったりする場合が少なからずある。その不公平を是正しよう、という動きです。これが僕には分からない。

“対面積比率”では、どうしてダメなのでしょうか?

僕の地元の兵庫県で言えば、人口過疎地域の丹波・丹後・淡路の一部は、阪神・播磨の人口集中地域に、僕と縁の深い鹿児島県なら、屋久種子や三島十島や奄美諸島は、県本土の各都市部に、それぞれ選挙区が編入されてしまっている。つい先日の新聞には、人口の少ない鳥取(60万人)島根(70万人余)両県を、併せて“定数1”の選挙区にしてしまおう、それでも同じ定数1の滋賀県や沖縄県より人口が少ないのだから、という意見が掲載されていました。

個々の選挙区における政治家の存在意義は、突き詰めて言えば、その選挙区に住む人間一人ひとりの要求(欲望と置き換えても良い)に、どれだけ多く応えられるか、ということなのだと思います。そのためには、「地域の人口と政治家の数の関係」が問題になってくるでしょう。

しかし、人間を育むのは、人と人の関係だけではない筈です。人の住む“空間”そのもの、それも人の生活とは直接関係のない、“ただの山野”(おおむね“自然環境”と置き換えても良いでしょう)の重大性を、忘れてはいないでしょうか?人間の思惑とは切り離して、人間の住む“空間”のあるべき姿を考えていくことが、究極的には、一人ひとりの生活の“向上”に還元される、それを司ることこそ、政治の使命ではないのか、と僕は考えるのです。

“人と自然環境との共存”といった言葉を、近頃よく耳にしますが、「政治=対人間」といった概念が、全ての人々の念頭にあるらしき現状では、すぐ目の前に見える自分たちにとっての利益だけを考えた、嘘っぽい掛け声としか、僕には感じられません。「人の少ない広い空間に、国政の財力・労力を注ぐのは、税金の無駄使いである」と。でも、本当に“無駄”なのでしょうか。物事全て、長い目で見れば、直接の成果や利益とは切り離した、(一見意味がなさそうに感じる)基本的な対応が重要になってくるはずです。

それ以前の問題として、過疎であることは、悪いことなのでしょうか?

話が少々逸れるかも知れませんが、「人間としての幸せは“家族”の存在を抜きに考えられない(“女性の使命は子供を産むことにある”といった話とも直結するでしょう)」とか、「引きこもりは良くない、もっと社会に順応しなくては」とか、、、、。本当にそうなのだろうか?と頭を捻ることが多すぎます。
「“障がい者”の“害”は、ネガティブな印象を与えかねないので、その漢字を使うのは自粛しよう」など、差別に対して病的なほど過敏・過剰に反応する日本の社会が、根本的な部分での差別意識に対しては、余りに敏感であること、呆れるばかりなのです。形として現れた、意識に上る“差別”は、本当の意味での差別ではないと僕は思っています。形に現れざる、部外者(少数者)に対する“無意識的な排除意識”こそが、問題なのではないかと。

話を元に戻し、かつ100歩譲って、過疎の地に活気を取り戻そう、という意見に耳を傾けるとしましょう。ならば、広い面積に人口の少ない自治体にこそ、政治家の“数”と“労力”を注ぎこみ、様々な方向から考えを練り、その土地に適応した企画を導入し、独自の発展に結びつけていかねばならぬのではないでしょうか?

僕は自分自身が人間ですから、“人が大事”という概念を全面否定するつもりはありません。それならばこそ、“人と自然”の、眼前の利益とは切り離しての、根源的な次元での関係性(無意味であることの大切さにも繋がります)を、もっともっと真剣に見つめなおさねばならぬと思うのです。

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日本人への警告。私たちは一体何処に行こうとしているのか?
(2018年8月6日にU氏に送信した、ボツ原稿の最初期型)

3日間ほど日本に滞在するため、香港から深夜の飛行便で早朝空港に着きました。電車で移動し、スタバでインターネットのメールなどをチェック(その6時間余り冷房の効いた空間にいたわけです)、さあ久しぶりに自分の住むアパートに戻ろうと昼過ぎにスタバを出たとたん、強烈な日差しと熱気に、倒れそうになってしまいました。「そうか、これが噂の熱中症なのか、、、、」不覚にも納得してしまった。

最寄りの駅から部屋(冷房、扇風機なし)までタクシーで帰るとき、よほど恥を忍んで病院に直行しようかと考えたくらいのダメージです。冷房を拒否し、猛暑による「熱中症」の否定記事を書いている本人が“「熱中症」で死んでしまった記事”などが出れば、みっともないことこのうえありませんから。

もちろん、徹夜が主原因であることはわかっていたので、部屋に戻ってひと眠りして、ことなきを得ました。

この体験で、2つの事実を、改めて確信しました。

一つは、日本中が冷房漬けになっていること。そりゃあ、これだけ冷房漬けの日常の中にあれば、夏の外気が堪えるのは当然です。むろん国外(中国南部や東南アジア)でも要所要所に冷房はありますが、日本は極端で徹底しています。

もう一つは、確かに暑いこと。いや、暑いのは夏だから当たり前です。気温だけならば、筆者の主要行動圏の中国南部やタイやベトナムのほうが、上だと思う。

ただし、うまく言い表せないのですが、日本の(殊に大都市圏の)暑さは「質」が異なるような気がしてならないのです。

それは(あくまで筆者の感覚ですが)今に始まったことではないと思います。筆者が1980年代前半に拠点にしていた屋久島の南部平地の夏は、気温だけで言えば東京を遥かに凌駕する暑さでした。でも、決して不快な感じではなかった。東京や関西都市圏の暑さは、(少なくとも筆者にとっては)体に馴染まない、不自然な暑さのように、その当時から感じていたのです。

「熱中症」の要因を、「冷房漬けの日常」+「不自然な暑さ」と仮定してみましょう。

まず、冷房の普及率についてチェックしてみました。
http://www.garbagenews.net/archives/2058711.html

1961年に、市販のクーラーがスタートします。70年代後半になって普及率は急上昇し、80年代初期には50パーセントを超えます。そして2000年代以降は、90パーセント台を保っている。

1960年以前は、クーラーはなかった訳ですから、現在60歳代以上の人は、多少なりとも幼少時に、クーラーなしでの生活を経験していることになります。

言い換えれば、60歳以上の人でも、(仮に50パーセントを普及がなされたという一つの基準に置けば)この40年間ほど、例えば60歳だと20歳頃から、80歳だと40歳頃から、すなわち、人生の半分以上を、好むと好まざると、身近にクーラーのある生活を、強いられていることになります。殊に、この20年は、普及率9割前後ということなので、クーラーを完全拒否して、クーラーのない部屋に籠りきっている人は別として、通常生活を行っている限り、クーラーを避けることはできません。

次いで、暑さ(気温)の推移をチェックしてみましょう。
http://zatutisiki.com/1606.html

30年前(1980年代)と現代(2010年代)の10年間の、東京における8月の気温の比較です。

確かに、全体として捉えれば、やや高くなっているのは事実です。「最高位気温の平均」が、1.4度高くなっています。この数字を、「大した差ではない」と見るのか、「凄く暑くなった」と見るのか。

様々な測り方が示されていて、この10年は、「最高気温の最高」が高くなった年が多いのですが、全体としては、10年間平均で見れば、ほとんど変わっていません。

年によりばらつきがあり、1980年は記録的な冷夏だったので、それを除外すれば、さらに平均値は近づいてきます。

また、最も新しい資料のある2017年と、その30年前の1987年の比較では、「最高気温の平均」は、むしろ昨年の方が30年前よりも低く、「最高気温の最低」も、昨年の方が低いのです(10年間平均でも2010年代の方が低い)。去年も、「異常な猛暑」と言われていたように思うのですが、数字の上では、そんなことはないのですね。

この記事を書かれた方も、最近の夏は30年程前とくらべると暑くなっているけど、気温だけを見ると思っていた程ではない と、強調されています。

明らかに言えることは、2つだと思います。
●「最高気温の最高」は、最近の方が、かなり高い。
●全体として見れば、気温的には、昔も今も大した差はない。

①をどのように捉えるか、によって、判断は異なってくると思いますが、巷に言われているように、「近年の夏は異常な高温」とは思えません。

「全体として僅かな上昇」と「最高気温の突出傾向」。その2点で、異常なまでの猛暑体感を得、実際に熱中症にかかる人が増えている(亡くなる方も少なくない)という事実(データへの意見 後述)。

近年の猛暑の正体=冷房による体感的差+暑さの質の違い。

後者については今のところ謎としか言いようがないのですが、まさか、冷房が生み出した要因と、案外同じ根っこで繋がっている?

暑さの阻止のための手段としての冷房の発明と普及。
→それによる不自然な暑さの増殖。
→さらなる冷房の需要と徹底。
→さらなる不自然な暑さ。

実際、命に係わる事態まで来ているわけだから、今更冷房をやめよう、というわけには行かないでしょう。

でも、日本人のみんなが、「近年は異常なほどの猛暑」と感じているのでしょうか?

少なくても、筆者は全然そのようには感じていません。昔も今も夏は暑いです。それだけ。

ほとんどの人が「昔と比較して異常な猛暑」だと感じていることは事実であるとしても、同時に「数字上は大した変化はない」ということも事実です。そして、筆者もそのような変化は感じていない。

筆者と多くの日本人の違いは、どこにあるのでしょう? 筆者は、昔から、冷房大嫌い人間です。夏は団扇と打ち水と木陰。せいぜい扇風機を使うくらい。

それと、毎年屋外で昆虫や野生植物の調査・撮影を行っていて、70歳になった今年も、ずっと炎天の下を歩き回っています。

中国や東南アジアの田舎の僕の生活圏の周辺では「熱中症」なんて言葉は聞いたこともありません。

永い間クーラーに慣れ親しんで、クーラー無しの生活は出来なくなってしまった、現代日本人特有の現象ではないでしょうか?

痛み止めを多く飲み続けていると、いつの間にか少々の量では効かなくなって、そのうちに、にっちもさっちもいかなくなってしまうことと、似ているような気がします。

藤部文昭氏という方の、興味深い論文があります*。
https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2013/2013_05_0015.pdf

「熱中症」に関する時代ごとの傾向について、非常に詳細なデータが示されています。ここでは全部についての紹介はスペース的にむつかしいので、とりあえず「表1」に注目してみましょう。

一つの顕著な傾向が読み取れます。1909年から2011年にわたる100年余のうち、1960年頃を境に、その前後の50年間で、対照的な傾向が示されているのです。

クーラーが出現した1961年以前には、子供(14歳以下)の死者が、老人(60歳以上)の死者数を大きく 上回っています。クーラーの出現以降、子供の死者はほとんどなくなり、老人が主体を占めます。

というよりも、1960年代から1990年代半ばにかけては、熱中症による死者数自体が、ごく少数のまま推移していきます。

しかし、クーラーの普及がほぼ完全に定着した1990年代半ばから、熱中症による死者数が、一気に増えて行きます。増えた分は、老人です。

*↑注(2020.7.25):僕の原稿はボツになったのですが、その後、「現代ビジネス」に、この教授による執筆記事が発表されました。僕はU氏に「だったらその前に“青山さんの原稿は載せずに、この教授に原稿を頼んで載せる”と一言報告してくれればいいのに」と言ったのですが、「いや、まったく偶然、青山さんからの原稿を受け取った翌日に、この教授の書いた論文の存在を知って、別個のルートで原稿を頼んだ」と。、、、、、全くの偶然ね。信じるしかないのですかねぇ。

一方、気温自体は、この100年間に(少なくても数字上は)わずかな上昇しか見られません(傾向として、後半50年は、高い年と低い年の振れ幅が大きくなっている)。

夏の暑さは、100年も昔から(おそらく特に生まれつき虚弱な体質の)子供達にとっては大敵だったはずです。クーラーの普及によって、それが救われたのです。

1990年代半ば頃までは、必要最小限なクーラーの利用によって、冷房も、自然の風も、その時々に応じて、自由に選べる状況だったのです。そのことで、熱中症自体の発症も、最小限に抑えられていた事になります。

ところが、この20年間の、ほとんど完全に義務付けられたごとき、クーラーの完備。好むと好まざると、「クーラーのある日常」から、「外気の異常」に接したとたん、体に変調をきたしてしまう。本来ならば、 前者が「特殊な状況」、後者が「日常」のはずだったのが、現実的には立場が逆転してしまっているのです。

今や、都市(生活空間)の構造事態が、クーラーの完備を前提として構築されている。加えて、おそらくは クーラーの使用(その排出熱気)に基づく、数字には出にくい気温の質の変化。クーラーを拒否する老人達は、行き場がなくなってしまいます。

将来、今の若者たちは、もし何らかの原因で、クーラーがなくなるような事態になれば、生きていけなくなってしまうでしょう。

子供たちは、夏に昆虫採集などをすることが、出来るのでしょうか?
大人たちは、本物の「大自然」に接する旅行などが、出来るのでしょうか?

「コンパクトクーラーを持ち運びながらの大自然の探検」、、、滑稽な状況になってしまいそうです。

それ以前に、夏は戸外には出ず、クーラーの効いた室内で大人しくしていることが、常識、いや日本人としての義務みたいになってしまうのかも知れません(もしかすると、もうなっている?)。

考えてみれば、とても怖いことだと思います。

「熱中症」の問題は、別の角度から見た、日本の危機でもあるのです。



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