青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

近所の森と道端の蝶「福岡県飯塚市近畿大学編」 アオスジアゲハ

2023-05-10 15:54:00 | コロナ、差別問題と民主化運動、身近な自然




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。



【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



・・・・・・・・・・



嬉しいニュース2つ。久しぶりにモニカからメールが来た。「心配かけてゴメン!みんな元気でいる」と。数か月メールが無かったのでとても心配してたのです。先週はスーリンからも来たし、後はジョージだけが心配の種(;´д`)。



「中国蝴蝶野外生態図鑑」520頁(別冊分を除く484頁)書き終えました!もっとも、シジミ・セセリの英中翻訳の一部、字体などの再構成、全訳文を含めた全体の再チェック等々が残っているので、商品として完成するにはまだひと月ほどかかるかも知れません。気を緩めるわけにはいかんです。



でも、とりあえず一息ついて、ここまで(2月27日~5月9日)の“近所の森と道端の蝶(福岡県飯塚市近畿大学周辺)”チェックの整理をブログ掲載していきます。時間が勿体ないので、執筆は1時間以内、文章は書きなぐり(支離滅裂)、写真もエイヤッとくじ引きスタイルで選びます。



アオスジアゲハ






2023.4.23


4月中旬頃からカエデ属の花に多数吸蜜飛来。以前にも同じことを書いたけれど(極端な言い方をすれば)アゲハチョウは「蝶」ではなくなってしまうかも知れません。むろん、パピリオ/パピヨンは「蝶の中の蝶」ではあるのですが、系統分類上は、「蝶以外の蛾のひとつ」に成り下がって?しまうかも知れない、と。



以前は、「蝶」とは、鱗翅目(チョウ目またはガ目)の中の、「セセリチョウ上科」と「アゲハチョウ上科」を合わせた分類群、とされてきました。前者は「蛾のような蝶」、後者は「蝶らしい蝶」で、見方に拠れば純粋な蝶は後者(アゲハチョウ上科)だけ、前者(セセリ)は蝶ではなく蛾(みたいな存在)である、と認識されても致し方ない位置づけにあったのです(実際セセリは欧米などでは“バタフライ”ではなく“スキッパー”とされてきた)。



ところが、近年のDNA解析結果で、その「常識」が180度ひっくり返りつつあります。セセリチョウ科を含めたほぼ全ての蝶(新しく蝶の一員に加わったシャクガモドキ科も含む)の祖先よりも早い時代にアゲハチョウ科の祖先が分化しているのです。ということは、「セセリは(いわゆる)蝶ではない」というこれまでの認識に立てば、アゲハは猶更「蝶」ではなくなってしまう。そんなバカな、といっても、考えて見ればそのことは充分に分かっていたことなんですね。



アゲハとセセリ。体の(「見かけ」ではなく基本的な)構造の差ももちろんですが、食草の違いも重要な意味を持っています。大多数のセセリチョウの食草は(同じように褐色で地味なジャノメチョウ同様)イネ科などの禾本植物。こちらも限りなく地味で、印象上は「原始的」な存在。でも実際は、植物の歴史の中では最も新しい時代に出現して、急速に繁栄した「新参者」なわけです。「風媒」という機能を(裸子植物の場合とは別個に新たに)獲得したため、美麗で大きな花を咲かせる必要が無くなった。これも「進化」の一つであるわけです。



セセリチョウやジャノメチョウも、その食草に呼応して(どのように呼応しているかについては検証が必要ですが)、地味な外観に「逆進化」しつつ、急速な繁栄を遂げつつあるわけです。ちなみに、セセリチョウの仲間やジャノメチョウの仲間には、いわゆる絶滅の危機にある種が多く含まれていますが、これは「原始的」である故、種としての勢力が衰えているということに起因しているわけではなく、(表現が適切ではないかも知れないけれど)「進化の途上の頭打ち」みたいな面があります。



もっとも、「原始的」とか「進化」とかという属性の認識自体が、同じベクトルで測れるものではないのですね。例えば100億年前と、100年前、どちらも大昔には変わりない。どこを起点にして、どのような見方で捉えるかによって、認識の仕方が変わって来る。時間は類型化出来ないと思うのです。総体的・俯瞰的に捉えるしかない。



セセリやジャノメも、新しく進化繁栄という次元に基づいての、アゲハに於ける時間軸に基づく「原始性」とは別次元での原始性の関与(祖先形質の発現)によって、多くのエンデミック分類群が生じ、そのうちの一部は絶滅の危機に面している。その反面突発的繁栄を遂げている種もいる(イチモンジセセリ*とかヒカゲチョウとか)。衰退と繁栄は紙一重なんですね。西表島と石垣島の山の頂上にだけいるアサヒマキマダラセセリなんて、一歩間違えれば、東京のごみ捨て場の周りにワンサカ発生する存在になってしまうかも知れない(母種である大陸のウスバキマダラセセリだってそれに近いですし)。アカボシゴマダラとかも、、、。



説明下手ですね。読者のみなさんには伝わってないでしょうね。後期高齢者になって、ボケてきたわけではないんですよ。もともと昔からボケているので(;´д`)。



ボケてる、というよりも、発達障害ですね。物事を正確に理解できない(受け入れることが出来ない)、思考を手際よく纏めることが出来ない、、、、。精神的な障害です。「そんなことはないでしょう」と言う人もいるかも知れないけれど、本人がそう言っているんで間違いないです。まあ、未開発民族の人たちと似たようなもんで、文明社会に於いては彼らの存在は「病的疾患」に帰属してしまう。有識者の人たちは、「そんなことは言っていない」というでしょうが、言ってるんです(昨日、道路歩行中、「裸足で歩いた方が楽だろうな、アベベみたく、でも東京では靴履いちゃったけれど、、、」とか考えながら歩いていて、今この文章を書いています)。



*ちなみに昨日、春季(第1世代)のイチモンジセセリに遭遇。それも複数個所で複数個体。秋の個体数が意外に少ない(というかこちらでは未だ出会っていない)ことと併せ考え、非常に興味深い事柄です。それについては改めて。



アゲハチョウに話を戻すと、セセリチョウやジャノメチョウとは対照的に、多くの種が、被子植物の新参者であるイネ科植物群より遥かに旧い時代に出現・繁栄した、被子植物最古参といえる「古被子植物」(いわゆる古草本+モクレン群)を食草としています。モクレン科とかウマノスズクサ科とか。



古被子植物(たぶんそんな名称はない、正確にはモクレン目植物で良いのかな?)は、滅茶旧い時代から現在に至るまで、細々と、姿や生活体系なども余り変えることもなく、生き延びてきているわけです。それを食草とする蝶たち(アオスジアゲハをはじめ、ジャコウアゲハとか、ギフチョウとか)も、滅茶旧い由来であろうことが、容易に想像できます。



もっとも、そのなかには、花が大きくて美麗なモクレン類のような種も含まれているため、それでもって、確たる「常識」のようなものが、先への思考を遮っていた。地味で見すぼらしくてちっぽけなセセリチョウやイネ科植物は、なんとなく原始的な存在、派手で美しくて大きなアゲハチョウやモクレンは進化した生物、という先入観。無意識的にその前提に則って思考を構築していくわけです。なにも目立つものが新しいというわけではないのですね。人間だって、どんどん進化していけば(何億年か後には)ミミズみたいな外観になっているかも知れません。



ところで、図鑑や目録の掲載順は、より早い時代に他の大多数(多数派)から分離した所謂側系統群(一般に「原始的な存在」と見做されることが多い)からスタートするのが習わしになっています。これまでの分類体系からすれば、セセリチョウ科から始めねばならぬのですが、こと図鑑に於いては、地味なセセリが最初のほうにあれば、一般読者の興味を惹きつけられずに、本が売れなくなってしまう。ということで、アゲハチョウ科からスタートすることが慣例となっていました(セセリは末尾)。



学術的な立場に於いても別に決まりはない(でも同調強要の縛りはある)わけなので、何を冒頭に持ってきてもいいわけです。それぞれの国ごとに、その国を代表する美麗な(あるいは人気のある)種から始まります。大抵はアゲハチョウ科で、日本ではギフチョウです。中国はたぶんキシタアゲハ。ヨーロッパ圏はキアゲハまたはアポロチョウ。アメリカはオオカバマダラ(タテハチョウ科)だったかな?本来ならセセリから始めなければならないことを承知のうえで、「セセリ君、ゴメン!」と、スター蝶を最初に据えていたわけです。



でも、セセリに代わってアゲハが最も祖先的グループとなれば、気兼ねなくアゲハをトップに持ってくることが出来る。日本の場合、通常はギフチョウなわけですが、九州にはギフチョウはいません。次の候補はウスバシロチョウだけれど(東京郊外では今頃群がり飛んでいる)九州にはこちらもいない(九州にはいないのに、それから朝鮮半島にもいないのに、中国大陸にはいる、これは非常に興味深いテーマなのですが、それについてはまた別の機会に)。



三番手はジャコウアゲハ。これはちょっと地味ですね(もっとも同じ仲間のトリバネチョウ類はダントツ派手なのでこれがいるところはトップに来る)。



となると、アゲハやキアゲハが繰り上げトップに来ます。それで行こうと思ったのですが、アオスジアゲハをトップバッターに持ってきました。わけがあるのです(ぶっちゃけ一番原始的存在)。



話逸れます。



日本に於ける蝶のDNA解析の先駆者S氏(故・新川勉氏)がギフチョウやPierisのDNA解析を試み始めた時、、、 うろ覚え(趣旨を間違っていたら困るのでご迷惑かからぬようイニシャルにした)なのですが、ギフチョウの系統枝のなかに突然アオスジが混じっていた(確かOut groupとして示したのではなかったと思う)。



そんなアホな、と誰しも思うわけです(むろん僕も)。単純ミスですね。このようなトンでもリザルトが示されるということは、DNA解析技術はまだまだ未熟なんだ、と。



でも改めて考えると、一概に突拍子もないとも言えない節がある。どうやら(ギフチョウなどとは単系統には置かれないにしろ)アオスジアゲハはアゲハの中ではかなりの基幹的部分に位置していることは確かなようなのです。



常識的には、アゲハチョウ科は、(メキシコアゲハを除けば)アゲハチョウ亜科とウスバシロチョウ亜科に分かれ、前者はアゲハチョウ族、ジャコウアゲハ族、アオスジアゲハ族(テングアゲハ族も分離する見解あり)に、後者はウスバシロチョウ族、タイスアゲハ(シボリアゲハ)族、ギフチョウ族に分けられます。



でも、そう単純に決められはしないのかも知れない。案外アオスジアゲハはアゲハチョウとは単系統に置かれないのかも知れないし、一方ウスバシロチョウもギフチョウなどとは単系統上に置かれないのかも知れない。ということは、アオスジアゲハがギフチョウと同一分枝に位置し、ウスバシロチョウがアゲハチョウと同一分枝に位置するという、ハチャメチャな見解が為されないとも限らんわけです(事実そのような解析結果も示されている)。



これをハチャメチャ、トンでも科学(いわゆる陰謀論だ!)と、ストレートに判断して良いのでしょうか?



いや、僕は、「陰謀論」を支持しているわけではないのですよ。でも、無視はしたくない。どこかに真実(そんなものがあるかどうかはともかく)の欠片が潜んでいるのかも知れない、と。



真実は一つではない。



僕は「分子生物学」というものを(ひいては「科学」全体を)信じていません。I氏(日本分子生物学会前会長の伊藤建夫氏)はこんなこと言ってたですね。「どうやら蝶愛好家はDNA解析を全面的に支持する派か支持しない派の2つに分かれているようだ(むろん自分は前者である)」。この問いかけの意味はよくわかります。



DNA解析結果が絶対的な分類指標になってしまうと、コレクターの人たちにとっては困った事態に陥ってしまうでしょうから、後者が少なくないだろうことは想像するに難しくありません。



むろん僕も前者です。基本的には全面信じています。でも、この表現はずるいかも知れないけれど、ある意味全面信じるけれど、別の意味では全面信じているわけではない。



以前、大槻なんとかさんという教授(確か大槻文彦のお孫さん)と、霊能者のお婆さんとの論争があったですね。大槻教授は揺るぎない「科学で検証し得ない霊の存在は認めない」派です。僕は全面的に大槻教授支持です。でも、それと同時に、(全面支持の前提の上で)そうとも言えない部分もある。議論の枠組みとは異なる次元・立脚点で。



宇宙人はいるかいないか。僕は断然「いない派」です。でもある視点に於いては断然「いる派」。もっとも、大抵の「いる派」の人たちとは、まるっきり異なる次元での見解ですが。



いたとしても、例えば余りに大きすぎて(小さすぎて)確認不可能とか、時間のレベルが全く違う(互いの1秒が数億年に相当したりして)とか、それ以前に「存在」の意味が全く異なる次元にあるでしょうから、議論そのものが成り立たない。



分類、あるいは進化の航跡の追求でもいいのだけれど、それを「系統」という概念の許で認識していく。全ての先入観(見かけによる判断とか)を完全排除して、どんなに理不尽でも系統的な繋がりを絶対視(その究極がDNA解析に基ずく分類)。



系統とは、言い換えれば血縁関係の集体化であり、生物の進化過程に於ける過去から現在・未来への連綿とした「繋がり」の可視であると認識しているのだけれど、しかし最近は、それだけではなく、もっと曖昧な類型化が不可能な「何か」(例えば進化あるいは時間の流れに於ける双方向性の存在とか)が加わってこそ成り立つのではないだろうかと思い始めているのですね。案外、旧来の直観的分類が当たっていたり、、、。



下手に話を進めていくと、トンでも科学になってしまいます。と言って、陰謀論もそうだけれど、トンでも科学もまんざら捨てたものじゃないでしょう。少なくとも、科学・文明の思い上がりに対する抑止力にはなるでしょうし。



漱石の「夢十夜」(運慶の項)、鴎外の「かのように」(こっちは駄作ではあるけれど示唆するところは大きい)、精読してほしいです。



進化とか分類とかは、混沌としていることで成り立つ概念です。いかにAIが発達しようとも、類型化は不可能。別次元のところに存在します。



頭のいい人には分からんでしょうね。H氏(故・堀田満氏)は、「(いわゆる頭の良い人達は)頭が悪いからDNAとかに頼っている」と、最後にお会いした際、お酒飲みながら仰っていましたし。



相反する答えがあっても良いと思うのです。そうであって、そうではない。正しいけれど、正しくない(むろん逆も)。なんだか小学生並みの知能(今の小学生は僕などより遥かに高知能)でもって、糸の切れた風船みたくグダグダと書いてるので、中断してアオスジアゲハの話。



Graphiumの分類、面白いんですよ。40年以上前、相当必死でゲニタリアの構造比較による分類に、徹底して取り組んでいました。丁度同じ頃正式な論文を発表されていた九州大学のS博士(三枝豊平教授)から、「市井の研究者の中にも我々と同じResultsを導き出した人がいる」と、お褒めの言葉を頂いたのは誇りに思っています。



種アオスジアゲハは、熱帯アジア広域分布種のひとつです。



この群を広義に見渡せば、オオタイマイG.codrusの一群やミイロタイマイG.weiskeiの一群(3種、素直に言えば全蝶類中僕が最も好きな蝶、いつかセラムやニューカレドニアに撮影に行きたいというのが夢)も加わるのですが、狭義に捉えれば、大陸寄りに分布圏を持つタイワンタイマイG.cloanthus、ミンダナオ固有のアポタイマイG.sandawanum、それにアオスジアゲハG.sarpedonから成ります。



さらに狭義に、種群(あるいは上種)アオスジアゲハに限定すれば、分布圏ほぼ中央のセレベスのミロンタイマイG.milon(通常は独立種とされる)を挟み、西半分(スンダランド‐ヒマラヤ‐中国‐日本)に原名亜種群、東半分(ワラセア‐ニューギニア‐オーストラリア)に東方亜種群となり、東西の亜種群をそれぞれ独立種に格上げする見解も成り立ちます。

 

ただしセレベスとその周辺諸島には、ミロンタイマイおよび東西の典型アオスジアゲハに雄交尾器の特徴が重複(移行)する複数の集団が存在していて、解釈を困難にしています。



西半分の典型西側アオスジアゲハにも、幾つかの問題が残されています。南インド(デカン高地)+セイロン産は、東側の要素が(遺存的祖先形質として)組み込まれている。中国大陸産には後翅の青帯を欠く一群(というよりも同じ分類群に2つの表現型が示される)を含め、複数の分類群が存在している可能性がある。ゲニタリアを調べていたのは中国に行きだすより前のことで、ごく一部しかチェックしていなかった。実は、検鏡した中国産の個体の中には、一部西側個体群と共通する特徴を持つ個体も見出されたのです。その後保留したままでいるのですが、中国には固有の形質(遺存的旧形質)を保有する集団が混在している可能性が充分にあると思うのです。



日本の南西諸島(琉球弧)産も面白い。北(大隅諸島)と南(八重山諸島)は典型的東方群なのですが、中(奄美と沖縄本島)は必ずしもそうとは言えない可能性がある。中国産同様に気になる形質の個体もチェックしていて、判断を保留しています。他の日本産生物の場合も同様ですが、いわゆる「南方系種」の場合、べったり南から北へ繋がっているわけではないようなのです。








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