青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(28)

2011-10-22 11:30:04 | アメリカン・ポップスearly60’s



まず、前回の続きで、Kris Jensenの曲を紹介します。

Kris Jensen 「Please Let Me Love You Tonight」 


Kris Jensen 「Poor Unlucky Me」

なぜ、2曲目以降のヒット曲が出なかったのか?

Ricky Nelsonと、Everly Brothersと、Roy Orbisonと、Johnny Tillotsonと、Brian Hylandをブレンドしたような、とても“質のいい”声だと思います。あるいは、そこにブレイクが続かなかった秘密があるのかも。あまりに平均的で、いわば個性に欠ける。そういうことなのかも知れません。

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特集 RICKNELSON 69

Ricky Nelsonファンのかた、申し訳ない、リッキーとは全く無関係の話です。でも「Ricky Nelsonに恋して」のmarierenさんは先刻承知ですよね。

Malielenさんが尊敬しているという、米国「ricknelson69」氏(たぶん男性?)がYou-tubeに張り付けた、Johnny Tillotsonの曲の特集です。

You-tubeのJohnnyファンと言えば、ダントツに「ILoveJenny47」さん(たぶん女性)が有名ですが、「ricknelson69」氏も、負けずにJohnnyの曲を張り付けています。なんといっても、選曲のセンスが素晴らしい!

以前、marierenさんのところでやっていた“Ricky vs. Johnny”が終わった時に、まだほかにもあったら教えて、という問いかけに、断然「Hello Walls」が素敵です!と答えようと思ったのだけれど、Johnnyの「Hello Walls」はYou-tubeになかったので、リクエストをあきらめたのです。その曲が「ricknelson69」氏の手で張り付けられていました。

それを紹介するとともに、「ricknelson69」氏によってYou-tubeに張り付けられたJohnnyの曲を、いくつか選んで紹介しておきます。

Johnny Tillotson 「Hello Walls」

ジョニーが敬愛するという、C&Wシンガー、Faron Young(ファロン・ヤング)1961年の大ヒット曲(Pop12位、C&W 1位)。Johnnyは62年夏にリリースされた、2枚目のアルバム「涙ながらに/It Keeps Right On A Hurting」の締めくくり(B面6曲目)に、この曲を置いています。Johnnyお得意(?)の“明るい失恋歌”の面目躍如といったところでしょう。

Johnny Tillotson 「Your Memory Comes Along」


僕のNo.1Fauborete-songは、「恋はつらいね/Heartaches By The Number」なのですが、それと並ぶJohnnyのBest-songが、この「君の面影/Your Memory Comes Along」です。Johnnyの自作品(Paul Tannenとのゴールデンコンビ)の中でもNo.1の出来ではないかと。1965年 「Heartaches By The Number」のB面、最強のカプリングなのです(2曲とも65年夏リリースの6枚目のアルバム「That’s My Style」に収録)。

Johnny Tillotson 「One Red Rose」

Johnny Tillotson 「Just As Long」

1965年末にリリース(Johnnyはこの年3枚のアルバムをリリースしています)された「Johnny Tillotson Sings」から2曲。通算8枚目のアルバムで、それ以前の7枚に比べてファンの間の知名度は劣ると思うのですが、今聞き返してみると、これがなかなか素晴らしいのです。殊にA面の6曲。その流れがとてもいい。

本来トップに来るべき「Our World」が6曲目で、トップは以前に発売されたシングル盤のB面曲「One’s Yours One’s Mine」(Johnny自身の作品では、全述の「Your Memory Comes Along」、このあと紹介する「Just As Long」と並ぶ出来)。

2曲目が、この「One Red Rose」。作者の一人Paul Evans(1938年生まれ)は、Bobby Vinton「涙の紅バラ」の作者として有名なソングライター、60年代初頭に、自らの歌唱で数曲の大ヒットを放っているテーンアイドル歌手の一人でもあります。彼のH.P.のリンク欄には、いの一番に「僕の相棒」として、JohnnyのH.P.が紹介されています(JohnnyのH.P.にも、真っ先に彼のH.P.がリンクされている)。

3曲目が、Johnny自身、Johnnyの最初の奥さんのLucille(来日コンサートの時、僕とルシルは「キューティー・パイ」に合わせて、舞台裏で一緒にダンスをしたのです)、それにPaul Evansが共作した「Just As Long」。Paul EvansがJohnnyと共作した曲は余りないので、貴重な一曲です.

4曲目の「I Never Loved You Anyway」のイントロは、そのうちに紹介しようと思っている、Johnnyたち“狭間の世代の歌手”の先輩格にあたる50年代トップ女性シンガーの一人、Teresa Brewer/テレサ・ブリューワーの「He Understands Me/ヒー・アンダスタンズ・ミー」(JohnnyのShe Understands Me、Bobby VintonのDam De Daと同じ曲)の出だし部分にそっくり(Andy Williams/アンディ・ウイリアムスの大ヒット曲「Can’t Get Used To Losing Of You」のイントロにも似ている)。「One Red Rose」同様、Paul EvansとPaul Parnesの共作。

5曲目は、Johnnyのもう一人の相棒の、Paul Tannen(1曲目の「One’s Yours One’s Mine」ほか多数の曲をJohnnyと共作しています、1966年に来日した時に、僕はTannenに「日本人形」をプレゼントしたのです)が単独で書いた「Strange Things happen/不思議なことが起こった」。日本語タイトルの謂れについては以前「青山潤三ネーチャークラブ」に記したので、そちらを参照してください。Paul Tannenは、Johnnyとの共作時より、単独作品の方に、より素晴らしい曲(「どうしようかな?」など)があると思うのですが。

そして6曲目が「Our World/アワーワールド」(Paul EvansとPaul Panesの作)。ちなみにアルバムのB面一曲目が、シングル「Our World」のB面曲でもある「My Gidget」で、当時毎週放映されていたT.V.ドラマ「ギジットは15歳」の、タイトルバックに使われていた曲です(たぶん次回の「あやこ版」で紹介するはず)。

Johnny Tillotson 「Island Of Dreams」

Johnny Tillotson 「Willow Tree」

1965年初頭にリリースされた、6枚目のアルバム「She Understands Me」からも2曲。僕は、このアルバムが、Johnnyの最高傑作だと思っています。そのうちに詳しく紹介する予定です。

Johnny Tillotson 「This Ole House」



1964年夏にリリースされた、5枚目のアルバム「Johnny Tillotson Touch」から。このアルバムは、Johnnyとしてはかなり実験的な作品で、従来のC&Wタッチの曲と、それとは別編曲者の手になるジャジーなスタンダードナンバーに、2分されています。Jonnyのスタンダードポップスも、それなりに聴きごたえはあるのですが、C&Wタイプの曲が出てくると、ほっとした気分になります。やはり彼には、こちらのスタイルの方が合っているようです。Stuart Hamblen/スチワート・ハンブレン作のカントリー・ロック、50年代初頭に、作者自身のほか、当時の人気女性歌手Rosemary Clooney/ローズマリー・クルーニの唄で大ヒットした曲のリメイクです。

Johnny Tillotson 「Come Softly To Me」

1963年秋発売の3枚目のアルバムから。62年の初頭と夏にリリースされた、1枚目の「Johnny Tillotson’s Best」、2枚目の「涙ながらに」が、ともにアルバムとしても一つの作品たるべく、考え抜かれた曲の配置が成されているのとは対照的に、ケイデンス倒産(およびJohnnyのMGMへの移籍)が決まってからリリースされたこのアルバムは、これまでのアルバムに未収録の曲の“寄せ集め”の感が否めません。その中で、唯一光っているのがこの曲。日本では、アメリカでのヒットから4年遅れでリリースされた「Poetry In Motion/ポエトリー」に次いで、64年初夏に発売、人気絶頂時ゆえ、単調な曲調ながら、それなりにヒットしたようです。

むろん、The Fleetwoods/ザ・フリートウッズ1959年の大ヒット曲のリメイク。フリートウッズの曲は、リアルタイムでは日本で全く知られていなかったといっても良いのですが、2大ヒット(ともに59 年Billboard Hot100第1位)の「Come Softly To Me 」と「Mr.Blue」が、5年後の64年になって、それぞれJohnny TillotsonとBobby Vintonのアルバムから日本独自でシングルカットされ、ヒットしたというのも、何かの縁かも知れません。

Johnny Tillotson 「Oh. Eine Tolle Frau」



1964年春の、MGM移籍後2曲目(通算19曲目)のヒット、「ナイスガイ・ジョニー/I’m A Worried Gay」(Paul Evans & Paul Hart作)の、超レア・ドイツ語録音盤。実は、この曲は日本語でも録音されていて、日本コロンビアから、64年夏に発売予定だったのです。ところが、その直前に、米MGMが日本コロンビアと契約解消、すぐ前に旧レーベルのCadenceも、日本キングレコードと契約を解消していたため、人気絶頂時にあって、再び日本では一曲もリリース出来なくなる、という事態に陥ってしまいました。




当時、「日本Johnny Tillotson Fan Club関西支部長」(笑)をしていた僕は、この日本語のテスト盤を、今も何枚か所持しています(紹介した写真がそれ)。これこそ“超”が3つほど付くレア盤だと思います。B面の「Please Don’t Go Away/ドント・ゴー・アウエイ」(ジョニーとルシルの作)も、Under Bubbling 112位と小ヒット。こちらも日本語で歌われています(こちらをA面に予定していたようです)。さらに、次のシングル「君に心を奪われて/I Rise, I Fall」b/w「恋のいらだち/I’m Watching My Watch」も、漣健児さんの訳で日本語録音が成されていたはず。しかし、いずれも発売されることなく、お蔵入りになってしまいました。

Johnnyの次の日本でのリリースは、(米MGMの販売権を獲得した日本グラムホンから)翌65年春の、日本語表題を変えての「恋のウルトラC/I Rise, I fall」、正式な日本語初歌唱は、65年秋の「涙くんさよなら/Good-by Mr, Tears」 を待たねばならなかったのです。幸い、この2つの曲は大ヒットに結びつき、日本でのJohnnyの代表曲の一つになったのです。もし、日本コロンビアから、順当に“最初の日本語盤”「ナイスガイ・ジョニー」と、“最初の日本語タイトルのままのI Rise, I Fall”「君に心を奪われて」が発売されていたなら、果たして「恋のウルトラC」や「涙くんさよなら」のようなヒットに結びついていたかどうか、、、。

Johnny Tillotson 「Blowin’ In The Wind」

最後の一曲は、あやこさんへのプレゼント(笑)。あやこさんが大好きだという「風に吹かれて」です。64年初頭MGMからの初アルバム(通算4枚目)の、B面最後の曲。PPMの唄で63年に大ヒットした、いわばディランの出世作です。JohnnyとBob Dylanは、どう考えてもミスマッチだと思うのですが、、、、。まあ、こんなDylanナンバーもあっても良いでしょう。

ジョニーとディランは、“年齢”はさほど違わない(ディランが2歳下)のですが、“年代”は(イメージ上)大きく異なります。まあいわば、Johnnyは旧世代の代表、Dylanは新世代の代表ですね。そのことについては、また別の機会に(C&W音楽評論家・高山宏之氏の当時の評論記事などとともに)紹介したいと思っています。

以前にも何度も触れたように、「ロック音楽」や「アメリカン・ポップス」の歴史を述べた本は、どれもボブ・ディランに多大な分量を割いています。そして数百ページに亘ってDylanについてに述べられている、それらの本のなかには、“狭間の世代”の歌手については、ほとんど述べられていません。Johnnyに至っては、一言も触れられていない、というのが通常です。両者の実績は、月とスッポン(むろんJohnnyが“いつものごとく”後者)ですから、仕方はないでしょう。

でも、ちょっと待ってください!そう言い切ってしまって良いのでしょうか? Billboardの1999年版「Top-pop singles」をチェックすると、Johnnyは148位、Dylanは176位。Hot100登場曲数は、Johnny26曲、Dylan23曲。トップ40に限れば、14曲と12曲。ベスト10は、ともに4曲(ともに最高位は2位)。Adult contemporaryで、ジョニー9曲(全てトップ20以内、ベスト5に5曲)、ディラン4曲(4曲ともトップ20以内、ベスト5に1曲)。C&Wは、ジョニー6曲(ベスト5に1曲)、ディランはゼロ。

時代が10年前後ずれるとはいえ、実に拮抗しているのです(しかも大半はJohnnyが上回っている)。

むろん、あくまで(シングル盤のチャートにおける)数字の上の結果ですし、これをもって“月とスッポン”の立場が変わるわけではないことは、言うまでもありません。アルバムでの実績や後年の評価などは比べものになりません。でも、「数百頁の記述」対「記述ゼロ」ということはないと思うのです。
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