青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ウクライナ紛争。僕(今日74歳)の幼稚な意見です。

2022-04-25 20:53:28 | コロナ、差別問題と民主化運動、ウクライナ紛争




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



終わらせるためには、ウクライナが白旗を挙げるしかない。それが「正しいか間違っているか」は別問題。



ここで白旗を挙げれば、力の強い側の暴力による侵攻を認めることになってしまう、、、それはそうでしょう。



でも、それは2つの意味で「別問題」だと思うのですね。



「力の強い側の一方的な暴力」というのは、本当にそう定義できるものなのか、立脚点を変えてみれば、別の解釈もできるのではないか。



それについて考える事は、ひとまず置きましょう。仮に「一方的な悪」を認定するとします。



シチュエーションは異なるとしても(すべての事象は全て異なる背景を持っている、同じ事象でも背景は無数にある)、今のロシアとウクライナの関係を、第二次大戦時のアメリカと日本の関係に置き換えてください。広島・長崎に原爆を落とされて、日本は白旗を挙げました。



アメリカは、膨大な数の一般市民を殺害したのですね。それは、いかに「正義の行為」であったとしても、許されることではありません。と言って、原爆投下後も日本が徹底抗戦し続ければ、日本という国は消滅し、日本国民も全員いなくなってしまっていた、という可能性大です。



国民の命を守ったのは、それが是か非かという問題ではなく、白旗を挙げた、という選択です。もし、人の命が何よりも尊いという前提に立てば、「強者の力に屈すること」は、唯一の正解だったのです。



もちろん、人の命が何よりも尊い、という前提が成り立つのかどうかは、僕にはわからない。そうではない、という考えがあっても、否定することは出来ません。



今日は、僕の74歳の誕生日です。よくまあ、滅茶苦茶な健康管理、リスク非排除のなかで、ここまで生きて来れたものと、ある意味呆れています。





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