青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2021.9.3 日記

2021-09-04 06:57:09 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然


★9月3日の記事に、応援ありがとうございます。



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・

ひと月ぶりに銭湯に行きました(普段は毎朝晩シャワー浴びています)。「入口は“マスク必着”」「中では“マスク無し”」という、例の(その不思議を何度かブログに書いた)駅前温泉です。

新しく大きなプレートが浴槽の脇に立っていました。
『黙浴願います』
黙ってればいいのね(だったら電車の中などでもマスクせずに黙って座っていれば良いのに、と思う疑問はさておき)。さすが日本の文化です。

日ハム中田の巨人移籍に至る一連の騒動が、ある意味当然のことのように“有耶無耶”に着地してしまう事と、似たようなものだと思います(たぶん“コロナ”も同じような着地方向に進む)。

・・・・・・・・・

菅さん(二階さんともども?)降板ですか、、、まあ、お疲れさまでした。

それにしても、金太郎飴のような(ニュースコラム上の)コメント群、、、日本の大衆(ヤフコメ民だけかも知れんですが)の程度の低さ加減には、呆れるしかないです。

・・・・・・・・・

9月になったので、そろそろ「作品」制作に専念します。

本来ならば「中国の蝶」「東アジアの蝶」に取り組みたいのだけれど、それとは別個に「近くの森と庭の蝶」みたいなのに取り組もうとしています。なんとか収入に結び付けたいので。

既成のメディアから原稿料が貰える仕事は20年前ならそれなりに有ったわけですが、今は「蝶のガイドブック」なんて、余程のサプライズでもない限り出版出来ません。

その前提で、「ポピュリズム」(国民総自己中)の空気を頼りにして、唯一需要に結びつくべくアピールできそうなのが、「(自宅の)庭に蝶を呼ぶ方法」のレクチャー。

しかしそれは、僕の信念からは最も離れたところにあることなので、(もし僕にその能力があるとしても)するべきではない。

「蝶の棲んでいる空間に自分も住む」なら、まだ良いと思います。ちなみに、一般的には、「自分の庭に蝶を呼びよせる(実質的には食草や訪花植物共々持ち込む)」ことは“自然愛好”の行為と称賛・歓迎され、「森に踏み入る(「家を建てる」など以ての外!)」ことは“自然破壊”の行為として忌避されるように思うのですが、、、僕は逆なんじゃないかと。

自然保護の立場から、山道の両側にロープを張って「観察フィールド」を作る(見せてあげる、教えてあげる、、、教育ですね)。例えば「萌芽更新地」とか「薪炭林」というのは、実際にそこで生活が為されていたからこそ成り立っているわけじゃないですか。しかし、今やっていることは(一般人立ち入り禁止)アトラクションとしてのパフォーマンス。「雑木林」「里山」の存在の本質(動きの部分)としての、ネガティブな要素の大切さ(それを切り捨てていくことの恐ろしさ)を、どれだけの人がきちんと認識出来てるのでしょうか? 

まあ、そんなこと言ってたら、売れる本も売り損ねてしまいかねません。

既成(出来れば大手)メディアから刊行し、複数の書評とかに取り上げて貰えれば、勝算に結びつけることが出来ます。

中身以上に重要なのは「タイトル」(キャッチ・コピー)でしょうね。

老人であることを前面に押し出して、「73歳からの再挑戦!」とか(笑)。「コロナで鬱々としている人々への贈り物」とか。とにかく、大衆の要求との折り合いをつける。「近所の森は僕の庭」みたいな感覚でもって、「チベットの雪山」や「熱帯アジアのジャングル」と同じ視点から「身近な自然」にアプローチする、、、、等々。








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