青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

遺書 80

2020-10-11 22:45:53 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




立ちんぼ営業、スタートしました。計8時間。マスク付けて直立不動。反応はゼロでした。

最初に読者の方々(がいるかどうかは不明、でも今日、少なくても一人はいることが判明しました)にお願いです。

街角に立ち続けて、無視・冷笑をされるのは平気です。気力はあります。問題は体力。午後になると、胸と頭が苦しくなって辛い。それと、やっぱり寒い。

黒い100円Tシャツ(ブリーフ共々数枚を毎日洗って使っています)と、去年の夏ジョージに貰った夏物の短パン、100円のサンダル、それが身に着けている全てです。僕の価値は、消費税込み220円(笑)。

220円しか価値のない人間であることは自分でも充分に認識しているのですが、それはともかくとして、三世のいう「青山さんは仙人だから汚いお金の世界を超越して生きて下さい」は、違うと思う。

残念ながら、僕は仙人ではないので、お腹も減る(明日は病院で栄養剤貰います)し、寒くなれば、さすがにTシャツ一枚では辛い。

という事で、次に幾許かの資金が出来た時には、2年前スーリンに買って貰ったジャンパーを、洗濯屋さんに出して(清潔にして)着ます。

問題はズボンのほう。下半身は特に寒くはないのだけれど、この時期に短パンはみっともない。立ちんぼ商売するのは、見かけが勝負だと思うので(僕が「もともと変な人」であるとはしても、笑)必要以上に「変な人」と思われないためには、出来るだけまともな身なりをしなければなりません。

というわけで、せめてズボンは履きたい。

実は、モニカが何本も安売りの長ズボンを買っていてくれてるのですが、中国のアパートに置いたままです(すぐに戻れると思っていたので)。日本に持って帰った一本は、4月に新潟の山の滝つぼで、ズタボロ(お尻のところが真っ二つ)になってしまいました。夏の間は短パンでも良かったので、あんまり気にしてなかったのです。

というわけで、読者の方(あや子さんでも良い)で、履き古しのズボンがありましたら、送って頂けないでしょうか?

「青山潤三の世界・あや子版」のコメント欄に連絡して戴ければ、僕の住所などが分かるようになっているはずです。

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第一日目の今日の「立ちんぼ」は、2か所。

朝の礼拝に行っていたキリスト教会の最寄り駅の東青梅駅前。10時30分~12時30分。
反応はゼロでした(礼拝の帰りの人が通るんじゃないかと期待していたのだけれど)。

お昼過ぎに吉祥寺に移動。ヨドバシカメラ前と北口の商店街で、13時30分~19時30分。
これも反応はゼロ。

一応、交番で、許可を取るにはどうすれば良いかを尋ねました。いろいろ調べてくれて、CDの販売くらいならば、許可届は原則必要ないとのこと。ただし、その時々の現場での反応には従った方が良い、とアドバイスされました。

その間、訪問営業(知人の店員さん)を一か所。事情を話し、DVD1枚を買い上げて頂きました。

支出
往復電車賃 1140円
スタバ・ドリップコーヒー代 319円
牛丼小 330円
計1789円

収入
DVD1枚
1000円

収支
-789円

この調子では、立ちんぼ営業で成果を挙げるのは、永久に無理かも知れんです。

ピンポイントで知古の方を訪ねてお願いすれば、たぶん結構多くの方々が応じて下さるとは思うのですが、いくつかの問題点があります。それらの方々(というよりも周囲との空気関係)に、精神的な負担を与えてしまいかねないこと。電車賃の問題。そして、それで終わってしまえば、伸びしろがない、ということ。

結局、何千何万の道行く人々から、あからさまに好奇の目で見られた挙句、結局見て見ぬふり(日本人の絶対的得意技)。

それでいうと、中国人は最初から見ない(人の行動など無関心)ですね。万が一見たら、「見向き」ます(人間としての中味は同じなんでしょうけれど)。

昨日のブログにも書いたのだけれど、日本人は「シャイ」なのです。「シャイ」とは、ある意味「排他的」と同義語です(どう結びつくか、いちいち話の筋道を必要とする「頭の良い人」には分からんでしょうね)。

良い悪いは別問題として、日本という地域(「沖縄」を除く)の「地史・生物地理」な特異性に鑑みれば、そうでなければ生きていけない。どこの国よりも、圧倒的に「空気で全てが決まる」のです。

空気に「乗る」か「乗らないか」は、ほんのちょっとの差で決まります。「ほんのちょっと」だからこそ、実質大変な距離なのです。

「千歩の道も一歩から」というけれど、「千歩の道」だったら、努力さえすれば目的地に辿り着けます。困るのは、その距離が「一歩ともない“ちっぽけな”距離」である場合。空気にさえ乗れば、一瞬。乗らなければ、いくら根気よく歩き続けても、永久に到達しない。

ブログとかコラムとかユーチュブとかをチェックしていると、億の単位での聴視者を持つものもあれば、いつまで立ってもゼロとか言うのもあります。

どこが違うのか、と言えば、たいして違わない。概ね、充実している内容には、コメントが圧倒的に少ない。つまらん内容には、圧倒的に多い。

「つまらんもので評価を得る」能力、すなわち「空気に乗る」という能力、それを持った人々が(当面は)生き延びることが出来るわけです。

「民主主義」「自由」を言い換えれば、「取得権」ですね。民主主義社会には、力や特権で得たものを守る権利・自由がある。他に譲る必要はない。

共産主義体制一党独裁政権下では、しばしば自分の権利・自由は、剥奪されます。自由を、譲らねばならない。電車の中で若者は年寄りに、すぐに席を代わってくれます。

民主国家から見れば、そのように調教されている、それは民主的ではない、自分が損をすることを体制から課せられている、ということに成ります。

話は飛びますが、まあ、中国人は、やってることが、何もかも直截的で出鱈目です。恐ろしいほど、圧倒的にデリカシーに欠けます。相手や周りがどう思うか、まるっきり関心がない。モニカの行動を見ていると、一目瞭然です(笑、、、でも、そのパターン、僕は大好きです)。

日本人は「おもてなし」が上手ですね。皆、自分たちは優しくて謙虚で、いろんなことに配慮し、心の広い人間である、と信じてるのですね。一面、その通りなのでしょう。でも、そこに「シャイ」が加わると、結果として「恐ろしいほどの排除」に繋がっていく。

モニカ曰く、「ジュンゾウは、中国人が(私も)外国人(特に日本人)嫌いだという事を知っておけ」。
その気持ち、良く判ります。

日本人の「優しくてシャイ」な空気の中で、その空気外にあるものを期待してても、待ってるだけ無駄なのかも知れません。

最初にも書いたように、DVD販売も、たぶん個別に当たれば、それなりの成果は得られることでしょう。でも縁故販売に頼っていると、将来的な展望は望めない。

明日は病院の日です。例えば、主治医のFさんや、事務局長のI氏にお願いすれば、DVDの一枚ぐらいは買ってはくれるでしょう。河辺や福生の駅員さん、スタバの店員さんたちにも、お願いすれば買ってくれるかも知れません。

でも、彼らを取り巻く「場」の空気を壊して仕舞い兼ねない。僕としては、当人に直接購入してもらうよりも、周りの方々に宣伝しておいてくださいね、とお願いしたいわけだけれど、相談された相手からすれば、(個人として応えることは出来るとしても)戸惑ってしまうと思う。

結局、不特定多数を対象にしなくてはならないわけで、となると、個と個の関係ではない「同調空気」の中で、見て見ぬふりをされてしまう。

とにかく、日本という国は、自主的な縛りの、社会のルール、空気、突き詰めれば強者の取得権(リスク管理)から、全てが成り立っているのだと思います。

(ずっと昔から)僕が撮影した「全く同じ」フィルムを出版社などに提供する際、しばしば体験してきたこと。

フィルムエージェントに預けてある、デュープ写真(無論低クオリティで、高価)と、自分が持っている原版(むろん高クオリティで、廉価)、両方同時にプレゼンした場合、必ずと言って良いほど、エージェント経由の「高くて質の悪い」ほうが選ばれてしまいます(貰えるお金はほぼ同じなので僕自身の損得には関係がないけれど)。中味はどうでも良く、「体制」が大事なのです。

僕の原版写真を、K大学写真部とかの若者に何枚か差し上げたことがあります。それ(僕の写した写真)が、某週刊誌のグラビアに(無断で)「有名大学の新進写真家」の作品として掲載された。それ自体は良いです(差し上げたのだから)。でも、僕がプレゼンしたときは、門前払い同様に無視されている。そんな世の中の「ご都合主義のルール」が、情けないです。

以上、同じ内容の文章を、繰り返して書き綴ってきました。重複している部分を整理再編するべきなのですが、面倒なので、このままアップします。

ちなみに、こんな支離滅裂な文章でも、読んでくださっている読者の方がいることを、今日知りました。本当に有難いことです。励みになります。挫けずに、頑張ります。





コメント (1)
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