今朝、友子さんの父上の夢を見ました。
友子さんの夢は、もう無数に見ている(ただしこの一年近くはほとんど見ていない)のですが、お父さ
ん(卓也氏)が夢に出てくるのは、初めてです。
どこかへ旅行に行って、なぜか井の頭線の東松原の駅で、「温泉に行きましょう、僕が良く行く良い温泉(銭湯?)があります」、という話になりました。
入り口は薄暗くて、でも中に入ると広々としていて、浴槽の向こうは開けた大展望。広い浴槽が数段に、丘を下るように重なっています。
この温泉(銭湯?)には、夢の中で度々行ってるのです。
でも、今は朝です。まだ開いていないかも知れない。とりあえず行ってみたら、営業していました。
良かった、と思ったところで、目が覚めました。
数日前のブログに書いたJとの温泉行(別所温泉/増冨温泉)、屋久島の尾之間温泉、雲南省謄沖の桜花谷露天温泉、四川省ミニャコンカ山麓の海螺溝温泉、、、等々が、記憶の中で漠然とミックスして作り上げられているのだと思います。
卓也氏は、マスクが大嫌いです。一切しないそうです。マスクが必要な場所には出向きません。僕も見習いたいのだけれど、、、なかなかそういうわけにはいかない(意思が弱すぎる;´д`)。
マスク着用は、コロナを怖がっている人たちへの「思いやり」という意見があります。それはそうなのかも知れない、と思う反面、そのことが本当に「思いやり」に繋がるのだろうか?と考えたりします。
例えば、74歳の人間(例:トランプさん)は、いわゆる「新型コロナ」が“表立って現れて”いてもいなくても、ウイルス(どのウイルスでも)に感染すれば、若者よりもダメージが大きくて、場合によっては死に至る、、、それは当たり前です。
根本的な部分で、「人々は“様々な脅威”にどう対応(対抗ではない)するべきか」を考えずにして、「マスク」と「ワクチン」で、当面のリスクを避ける、、、その「(場当たり的な)思いやり」は、結果として人類と地球を、ネガティブな方向に(気付かずのうちに)ひたすら向かわせるだけです(「冷房/熱中症」の問題も同じく)。その時点ではそれで良くても、人類の未来を考えれば、決して「本当の思いやり」には繋がらないはず。
もっとも、自分の子孫や、未来の地球など、どうなろうが知ったことではない、今の「安心」が最優先事項、という前提に立つなら、何とも反論しようがないですが。
世の中、腹が立つことだらけです。といって、人を疑ったり、恨んだり、誹謗したりはしたくありません。換言すれば、「正義」は拒否する、ということです(分からん人は分からんでしょうけれど)。その分、自分自身の中において、妬んだり、僻んだり、卑下したりすることは自由だと思うので、それは十分させて貰うつもりです(笑)。
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キンモクセイの薫りが素敵です。その特有の花香が、子供の頃は嫌いだったのですが、今は大好きです。友子さんが大好きだった花です。そういえば、開花季節が彼女の誕生日の頃と重なっている、という事に、さっき気付きました。
早春のジンチョウゲ、初夏のクチナシとともに、僕の大好きな薫りの樹木の花三種。いつか、(それらの原種の探索紀行について)詳しく書いて行きたいですね。