青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 3

2011-02-18 10:21:52 | 湖北 恩施 長江ほか


(第3回)

↓写真①
クロツバメシジミの撮影はそろそろ切り上げて、ジャケツイバラを写しに行かなくては。





↓写真②
僕の好きな花を見つけた!レンゲソウ。白花です。





↓写真③





↓写真④





↓写真⑤
複数の花が咲いているけれど、どれも純白、あるいは薄っすらとピンクがかった白花。辺りには紅花は見当たらないので、白花だけの集団かも知れません。白花と言えば雲南だけれど、それと同じタイプなのでしょうか? 何となく、こちらのほうが、より日本のレンゲソウに似た雰囲気を持っているような気もします。





↓写真⑥
大きさは日本のレンゲソウと同程度だと思う。





↓写真⑦





↓写真⑧





↓写真⑨



 
ゲンゲ(レンゲソウ)は、「中国原産の史前帰化植物」とされています。ほかにも、私たちに身近な野の花の多くが、農耕文化の渡来と共に大陸から日本に持ち込まれた、いわゆる“同伴植物”(主役の“作物”とともに、土とか入れ物とかにくっついてやってきた雑草)と考えられています(レンゲソウの場合は、それ自体が“緑肥”としての役割を担っているので、主役の“作物”と脇役の“雑草”の中間ぐらいの位置付けと言えるでしょう)。日本における「史前帰化植物」「史前栽培植物」といえば、僕の興味のあるところでは、例えばハランとか、ジンチョウゲとか、ヒガンバナとか、あるいはモモやウメとかが、すぐに思い浮かびます。それらの植物は、当然のように「日本の在来種ではなく」「中国大陸が原産地」とされているわけですね。

その根拠は、どこにあるのでしょうか? 前者(日本在来か否か)に関しては、明らかに人為が係わっていると思われるゲンゲなどはもとより、日本にも在来自生していたのではないかと推定されるものでも、現在の生育期が人里の周辺に限られていることから、野生状態ではあっても実は栽培品の逸出起源、と捉えられているわけです。そして後者(中国からやって来た)に関しては、、、、当然、中国には在来野生しているだろうという、、、、、それ(→当然)が最大の根拠だろうと思います。しかし、実際には、多くの種は中国でも正確な野生地が把握されていず、その“当然”は、実は根拠薄弱、ということになります。

といって、「史前植物の多くは日本が原産」と主張する気は、さらさらありません。僕自身は、レンゲソウを含むそれら“中国大陸原産”とされていながら、実は“原産地不明”の植物の多くは、結局のところは、やはり中国大陸からの渡来なのだろう、と考えています。なぜかと言えば、(日本に比べて)圧倒的に面積が広いからです。確率からすれば、日本列島原産と考えるよりも、中国大陸原産と考えたほうが、理に適っています。でも、ということは、率は低くても、日本原産の種もあるだろうことも、否定しきることは出来ないことになります。中国においても、多くの種が“人里周辺にのみ生育している”という事実は、日本の事情と似たり寄ったりのはず。だったら、どちらにも“原産地”としての可能性は残されているわけです(日本と中国に跨って「東アジア」に広く在来自生していた、という種も少なくないと思う)。

「人里周辺にしか生育していないので、栽培品の逸出起源」
という“常識”を、別の視点から、
「本来在来自生していた生育環境が、人里化してしまった」
と捉えることは出来ないのでしょうか?

それぞれの地域におけるヒトの活動に好適な空間は、在来生物たちにとっての好適空間と重なっていても不思議ではありません。日本人も日本に棲む生物たちの多くも、より日本的な環境(おおむね中間温帯林に相当)に根付いているわけです。実のところ、東アジアに固有の生物(日本固有種も含む)の多くは、人里離れたところに棲む、珍種とか稀産種とか絶滅危惧種ではなく、意外と都市部やその周辺に見られるのです。ということは、人間の活動空間に飲み込まれて消滅してしまうか、一緒に繁栄するか、どちらかに転んでしまう。

例えば、究極の遺存種の代表とも言える、国外からは全く近縁の種が見つかっていない、正真正銘の日本固有種ヒカゲチョウ(ナミヒカゲ)が最も繁栄しているのは、東京の都心などをはじめとした、人間の主要活動地域(青森県~山口県)です。

究極の“遺存的生物”と、究極の“繁栄種”は、隣り合わせの存在であるとも言えます(実は“ヒト”もそうかも知れない、出来損ないの“サル”の一種が、何かの拍子で爆発的な繁栄に繋がった)。換言すれば、進化と繁栄は、対極の関係にあるとも。「進化は繁栄の本筋から取り残されたものから始まり、それが本筋になると、また取り残されたものから、、、、という繰り返し」という普遍的な構造が、僕が数10年間チョウチョのおちんちんを顕微鏡で覗き続けて悟った、真理であります。その話については、また改めて、ですね。

日本国内に於いて、人里化し得なかった辺境の地である離島にのみ残存する、幾つかの身近な植物の在来分布が確認されています。南西諸島のハランやテッポウユリ、伊豆諸島のアジサイ(園芸種の直接の母集団)やサクラ(染井吉野の一方の親オオシマザクラ)などがそれです。そのうちのいくつかは、中国やヨーロッパに渡って育種改良され、改めて日本にもたらされて、普及しているものです。これらの植物も、もし離島に野生集団が知られていなければ、「中国からの渡来」と位置付けられていたことでしょう。

いずれにしろ、私たちに身近な人里周辺の生物たちが、古い時代における中国からの渡来である可能性が強いにしろ、簡単に「原産地は中国」と決めつけてしまえるような、単純な話ではないことも確かなのです。ゲンゲにしろ、中国に於いての実態は、在来野生集団の分布が極めて局所的であるか、もしくは特殊かつ複雑な状況を経て現在の“普遍的存在”に至っている、と考えねばなりません。

そんなわけで、ゲンゲには、ことのほか興味があるのです。雲南の白花種や赤花種は別として、“本物のレンゲソウ”の在来野生と思われる群落には、まだ出会ったことがありません。明らかな人里の、畑や道路の周辺ではちらほら見かけるのですが、だいたい、その機会自体が少ないのです。日本のような、広々としたレンゲ畑は、皆無ではないかと(北京など北部での実態は知らない)。

実物どころか、それ(レンゲソウの在来野生集団)に具体的に言及している文献にも、出会ったことがありません。あとで紹介する予定の、「中国植物志:第42巻第1分冊」では、真正のレンゲソウ(紫雲英Astragalus sinicus)については、「長江流域各省の海抜400~3000mの山岳地帯渓谷周辺および湿潤地に見られ、現在は、重要な緑肥作物、家畜飼料、稀に食用として、我が国の各地で栽培されている。摸式標本産地は、浙江省寧波」となっているだけで、具体的な在来集団の自生産地などについては、全く触れられていません。また、この本に紹介されている278種に及ぶ中国産ゲンゲ属の中にも、雲南の白花種や赤花種をはじめとした、強い類縁関係を持つと思われるレンゲソウ近縁種についての記述も見当たりません。

末尾の記述、原記載(リンネ1767年)摸式標本(在来野生集団の産地である必要はない)が“寧波(ニンポー)”というのは、興味を惹きます。本文に記述されている自生地域?“長江流域”からは遙か隔たった地であり、海抜400~3000の山間部渓谷や湿潤地(付近に標高1000mを超す山もあることはありますが、おおむね沿海部の低山丘陵地帯)という環境条件にも当て嵌まりません。

しかし、実際に寧波一帯は、僕の知る限り、最も真正のレンゲソウが多く見られる地域なのです。日本のそれとは、比べようもないのですが、寧波の沖に浮かぶ舟山島や、西方の杭州近郊では、明らかなレンゲ畑を、比較的普遍的に見ることが出来ます。ここが摸式産地であることには、非常に納得がいくのです(寧波は中国有数の古くからの対外貿易港であるがゆえ、そこから持ち出された内陸産の標本の一部が、誤って採集地として記されてしまった、という例も一部にはあるでしょうが、ゲンゲに関しては、この地に滞在中に採集されたと見るのが妥当でしょう)。

生育地が“長江流域”という記述も、興味深いです。もし、上~源流域の、四川(西部)・雲南・チベットなど、あるいは河口周辺の上海付近などであれば、“長江流域”とはせずに、別の表現が成されているはず。長江流域の標高400~3000mというのは、すなわち“中流域”を指すのではないでしょうか。低山から3000mまでをカバーする地域といえば、湖北省西部を中心とした一帯です。この報文の編著者達も、在来自生の確認はともかく、その可能性を念頭において記述を行ったのではないかと推定されます。僕としても、真正のレンゲソウの故郷がこの一帯では? という思いがあるのです。

そんなわけですから、この白いレンゲソウに釘付けになって、しばし撮影を続けていた、という次第です。


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