今日も素晴らしい快晴だ。外気温9度、室温10度、湿度20%。南アルプスが朝焼けに浮かんでいる。あたりの雪はほとんど消えてしまった。
薪ストーブで部屋を暖める。ファンヒーターは音がどうもしっくりこない。
「新聞」に目を通す。
第144回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞に朝吹真理子(あさぶき・まりこ)さん(26)の「きことわ」(新潮9月号)と西村賢太(にしむら・けんた)さん(43)の「苦役列車」(新潮12月号)、直木賞に木内昇(きうち・のぼり)さん(43)の「漂砂(ひょうさ)のうたう」(集英社)と道尾秀介(みちお・しゅうすけ)さん(35)の「月と蟹(かに)」(文芸春秋)が選ばれた。副賞は各100万円。授賞式は2月中旬に東京都内で開かれる。
ともにダブル受賞となった。
次は、97歳になる音楽批評家、吉田秀和さん「永遠の故郷」完結の話。
音楽評論家、吉田秀和さんの自伝的エッセー『永遠の故郷』(集英社)全4巻が完結した。ベートーベンやシューベルトら大芸術家が紡いだ愛すべき歌たちに、自らの戦争体験や恋の思い出などを重ね、大胆かつ柔軟な筆で描き下ろした。人生の集大成であると同時に、現代における「批評のかたち」を今なお模索する97歳の挑戦の証しでもある。 音楽を書くという行為に、自分という存在をもっと投影していい――。吉田さんはいま、そう感じるという。
「自分を消し、対象を客観的に書くのも大切だけど、好き嫌いを含め、『己』と音楽を大胆に結びつける評論がもっとあっていいんじゃないかな」 現代音楽の作曲家や演奏家たちと、音楽が生まれる現場で密に接してきた経験が礎になっている。
「僕自身が音楽と関わって、どんな人生を生きてきたか。それを書くことで、芸術というものと僕たちが生きるということはつながっている、と伝えたかった」 。 「夜」「薄明」「真昼」「夕映(ゆうばえ)」の4部構成にすることは最初から決めていた。圧巻は、「夕映」を締めくくる「菩提樹(ぼだいじゅ)」だ。シューベルトの晩年の連作歌曲「冬の旅」からの一曲。「泉に添いて 茂る菩提樹」の歌詞で、日本でもなじみが深い。穏やかなホ長調の旋律で始まるが、憩うほどに世の不条理を思い出し、激しく苦悶(くもん)するかのように音楽はうねり出す。しかし最後は再び温かなホ長調に。作曲者自身が「それでも人生は美しかった」と、ほほえみながらこの世に別れを告げているかのような珠玉の小品だ。 この「菩提樹」を吉田さんは、自らの戦争体験や、若いころに感化されたトーマス・マンの「魔の山」などと重ね合わせ、対位法を思わせる自在な筆致で縦横に描いていく。 「魔の山」の主人公ハンス・カストルプは、戦場で屍(しかばね)を踏みつけて歩きながら「菩提樹」を歌い続ける。「生と死は戦友仲間のようなものだ」と吉田さんは思う。その普遍の響きは、自身が幼いころに母親と歌ったフォスターの曲「金髪のジェニー」と深いところでつながってゆく。
「『菩提樹』は、もはやドイツの歌なんかじゃない、誰の歌でもない。僕たち人類、みんなの歌なんだ」
朝食は、簡単に済ます。余りに山がきれいなので、写真撮影に出る。南アルプスも八ヶ岳もくっきりと美しい。
部屋に帰ってきてから、フルートの練習をする。音出し、「毎日の練習」はNO2をすることにした。続いてNO7、NO4をやる。
11時からは、ウォーキングに出よう。久しぶりに清泉寮に行ってみる。ほとんど雪は融けているが、富士山が美しい。
清泉寮の新館を見てから、トレイルAまで歩く。さらさらの雪の歩き心地がいい。
車のガソリンを満タンにして灯油3缶とチェーンソー用のガソリン5Lを買う。ガソリンの値段が一挙に132円まで跳ね上がったのが痛い。
昼からは、庭に出て、北側のシラカバの生育を阻んでいるコナラを伐採することにする。ユウに10メートル以上はある木なので、どさっと倒れた。問題はそれからだ。30センチに丸太カットしていくのが、なかなか面倒なのだ。下手をすると直ぐにチェーンソーが木に挟まって抜けなくなってしまう。すると、倒した樹木を持ち上げてその下に丸太を入れこむのだが、樹木がものすごく重いので、持ち上げるのに一苦労だ。
結局、丸太カットで今日の作業を終了した。明日は丸太を薪置き場に運び、枝を30センチにカットする作業が残っている。
夕方になり部屋に入る。再度、フルートを吹く。バッハの1033、ポロネーズを吹く。
夕食は、コロッケとポトフだ。薪ストーブで炊いたポトフは、じっくりと野菜のうまみが溶け込んで美味しかった。それに揚げたてのコロッケに、「特製ソース」をかけて食べる。ホクホクだった。