陸に上がったカッパの海無し県生活

潜りから漁師へ。身体を壊し船を下りた。
海の話、釣りの話。脳脊髄液減少症。

久し振りの電話

2008-01-13 22:07:00 | 脳脊髄液減少症
小学校、中学校と共に過ごした友人から、久々の電話があった。
最後に会ったのは、もう何年前になるだろうか?
多分、10年以上も会っていないかもしれない。

仕事の合間に電話をかけてきてくれたので、積もる話しとまではいかなかったが、
他の友達の近況やら親の事やら、色々と話しが出た。
皆、色々と大変らしい。
中には、両親を続けて亡くした上に、自身までがガンを患ったりしている者もいるらしい。
中には、介護の問題で悩みを抱えている者もいるらしい。
親が死んだ。寝たきりになっている。
そんな話しを聞くと、凄く寂しい気持ちで一杯になる。
子供の頃、友達の家に遊びに行くと「おう、○○君」「あら、○○君いらっしゃい」
などと優しい言葉を掛けてくれた人たちばかりだ。
その笑顔は、10年経っても20年経っても、忘れることは無い。

幸い、僕の両親は至って健康だ。
友達が介護問題などで苦しんでいる状況を見ると、
僕はまだまだ幸せなのかもしれないと思う。
脳脊髄液減少症(或いは他の病気かもしれないが)という辛い病気を抱えた身で、
さらに親の面倒を見るなんて、今の僕には肉体的にも金銭的にも、到底無理な話しだ。
考えてみれば、今の僕が仕事に出られるのも、遊びに出られるのも、
親が元気でいてくれるからこそなのだ。

実は内心、「息子が苦しんでるのに、平気な顔して遊んでやがる」とか、
「同じ身体になって、10分でも5分でもいいから動けるもんなら動いてみて、それから物を言ってくれ」
などと、そんなことを思ってしまうことも少なくない。
そんな言葉だって、親が元気だからこそ言えること。
僕自身、病気を抱えているとしても、親が元気で遊んでくれている内は、
まだ楽をさせてもらっていると思えばいいのかもしれない。

今回友達と話しをしてみて、そんな事を感じてみたりしたのだが。
だが、介護の問題が出てくるのは、僕にも遠い未来ではないかもしれない。
避けては通れない道なのだと思う。
老老介護、まだそれは遠い先の話しだが、
病老介護、そんな言葉があれば、それは確実に一歩一歩忍び寄っているだろう。
百歩譲って、今は幸せだと思うことにしよう。
だが、先を考えれば考えるほど、不安は大きくなるばかりだ。
先のことから逃げてばかりいる自分がいる・・・。