『中村元の仏教入門』(春秋社)は実際の経典からかけ離れている。これは、中村元が仏法を愛しているからだ、と私は思っていた。
ところが、小山聡子の『浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜』(中公新書)を読んで、「愛しているから」だけでもない、と思い始めた。
小山聡子の主張は、親鸞が「呪術」が勢力をふるっていた時代の人であり、その「信仰」には混乱があるのは仕方がないというものだ。「中村元の原始仏教」と原始仏教経典との乖離も同じようで、親鸞の時代の仏教理解だけが突出して非合理的であるのではなく、原始仏教経典は2500年前の当時の知性のレベル(の低さ)を引きずっていても仕方がない。
古い中国の書物には、「先生」と「後生」とが出てくる。あのトンデモナイ孔子でさえ「後生畏るべし」と言う。後から生まれてくる人は、先の生まれた人の試行錯誤の上にたち、その誤りを正して、先に行くことができる。力学を体系化したアイザック・ニュートンもそのようなことを言っていた。
しかし、今の人が、誤っていることを誤っていると言わず、過去の人をどうして賞賛ばかりするのか。それではいけないというのも、小山聡子の主張である。そして、日本での、過去の人の賞賛、理想化には、次のような背景があると指摘する。
「明治維新から約100年間、日本では西欧文明へのあこがれのもと、近代化が推し進められた。それによって、日本の歴史の中に西欧に匹敵するような近代的な要素を発見することに大きな努力が払われることになる。これは仏教についても同様であった。」
中村元にもこれがあてはまると思う。
中村元は1912年生まれである。33歳のとき、敗戦を迎えた。したがって、思想では、西欧文明に負けたくという意識が強くあっても、おかしくない。自分の頭の中で仏教を再構成し、それを本来の仏教と思いたかったのではないか。
彼が再構成した仏教の中には、鎌倉仏教が入っていない。使われた素材は、東南アジアの仏教や中央アジアで発掘された仏典である。ここに中村元の好みがある。
私は宗教研究者ではないので、小山聡子と異なる見解もある。宗教が発展するものだとすると、過去の宗教から非合理的なものを排除し、知的に再構成しても良いと考える。
しかし、原始仏教の経典も、中村元の再構成も、私の心を動かすものではない。釈尊の「人生は苦に満ちている」という根本認識より、鎌倉仏教の社会を変えようという努力を私は好む。この根本認識はあまりも自己に執着しており、社会的視野がない。