猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

なぜハンナ・アーレントの『全体主義の起源』はむずかしいのか

2023-12-29 22:54:58 | 思想

私が、イスラエル・ガザ戦争を契機に、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源(THE ORIGINS OF TOTALITARIANISM)』を読み始めて1カ月以上たっている。そして、あと、1カ月読みつづける予定である。

本書は、とても難しい本である。あまりにも難しいので、仲正昌樹の『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)を図書館から借りてきた。『全体主義の起源』を読解する助けにしようと思ったからである。

しかし、仲正の本の序章が「『全体主義の起原』はなぜ難しいのか?」とあるのに、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を理解するのに役立たたない。何か、仲正がドイツ留学で習ったことを受け売りているだけのように見える。彼は、本書の本当の難しさに言及していない。

まず、アーレントはドイツ語圏の著作者である。ドイツ語は一文がやたらと長い。関係代名詞を多用する。屈折した文章構成が多い。それを翻訳で読むのだから、言語脳をしていない私は、文章を書き写して、彼女が何を言いたいのか、頭をひねるしかない。ドイツ語と日本語は相性が悪い。

それに加え、ヒトラーやスターリンとほぼ同時代の彼女は、非常に細かな事実までを書きつづっていて、突然、断定的に、一般的な法則のように、何かを主張する。そして、その定言が相互に矛盾しているように見える。彼女は、反ユダヤ主義に怒っていると同時に、ユダヤ人が単一でなく問題行動もあるとことを指摘している。さらに大衆が嫌いで統治者の視点で書いている。

仲正は、彼の本の中で、アーレントの個人的背景を語っているが、重要なポイントを見過している。彼女は東プロイセンの裕福なユダヤ人の出であることである。ケーニヒスベルク(現在ポーランド領のカリーニングラード)の商人だった彼女の祖父は、ユダヤ人コミュニティのリーダー的人物で、ユダヤ教徒の改革派だった。

アーレントの『全体主義の起源』にプロイセンがやたらと出てくるのはこのためである。本書の国民国家、帝国主義国家、全体主義国家の歴史展開はまさにプロイセンの歴史である、と私には思える。

プロイセンはまた特殊な位置にある。ヨーロッパの東、リトニア、ポーランド、ウクライナ、モラヴィアは多数のユダヤ人が住むスラブ語圏である。貧しいユダヤ人が多数いた地域である。そこに離れ小島のようにあるのが、ドイツ語圏の東プロイセンである。

仲正は、「全体主義」というのは近代の個人主義の問題を解決するための当時の新しい思想として出てきたと指摘する。これは、私が気づいていなかった重要な視点である。

仲正の指摘で、『全体主義の起源』を読み直すと、アーレントは思想的な議論、哲学的な議論をまったく避けている。彼女が言及する人物はほとんど政治家である。近代のリベラリズムの租、ジョン・ロックについて全く言及されない。また、『自由論』を書いたジョン・スチュアート・ミルも言及されない。いっぽう、ミルの父親のジェームズ・ミルは政治家だったので言及される。

アーレントは、大量の人を殺さなかったのいう理由で、ファシストのベニート・ムッソリーニを全体主義者から外す。全体主義運動は、大量の人を抱えた国でないと、人を殺しつつづけられないから、ドイツとロシアでしか不可能だったと言う。ナチズムと共産主義が全体主義だと言う。この論法だと、インド、中国、アメリカで全体主義運動が起きることになる。

アーレントの両親は社会民主党の党員であった。アーレント自身はシオニズム運動にも参加している。当時のドイツの社会民主党はマルクス主義に奉じるものが多かった。しかし、彼女はマルクス主義やシオニズムのイデオロギーに言及することはない。

結局、アーレントは近代の反ユダヤ主義を、イデオロギーとしてでなく、政治的社会的現象として、詳細に大量に書き綴っただけではないか、と私には思える。そうだとすれば、彼女の『全体主義の起源』を資料として読み取り、それを再構成して、「全体主義とは何か」に自分で答えなければならない。ここに、アーレントの『全体主義の起源』の難しさがある。


イスラエル・ガザ戦争の宇野重規の論壇時評

2023-12-24 23:07:42 | ガザ戦争・パレスチナ問題

10月7日にハマスによる攻撃でイスラエル側の1400人が殺された。その報復とハマス壊滅に、12月23日までに、イスラエル軍はガザ侵攻でパレスチナ人を一方的に2万人殺した。

イスラエルは、病院だけでなく、ガザのほとんどの建物を爆撃した。ガザは瓦礫と化した。また、イスラエルはガザを封鎖しており、食料攻め、燃料攻めを行っている。エジプトは、ガザと接しているが、ガザからの難民を拒否している。ガザ住民には逃げ場がない。

ガザのパレスチナ人は、爆撃による直接的な死だけだけでなく、飢えや医療が受けられないなどで、大人も子供も老人も女も男も死んでいくだろう。10万人は間接的に殺されるだろう。

イスラエル政府は、ハマスの幹部がまだガザで生きていることを理由に、この一方的攻撃を継続している。アメリカ政府は、イスラエル政府に、武器や弾薬を提供し、攻撃を支持している。

イスラエル・ガザ戦争は、明らかに非対称な戦争である。

「政治学者」の宇野重規は、この戦争について11月30日の論壇時評で『暴力絶つため歴史に向き合う』を書いている。彼は、非常に控え目に書いているので、彼の真意が日本の人々に伝わらないのでは、と私は危惧する。

彼の言葉、「わたしたちは、地域の複雑な歴史を理解し、人々が暴力から解放されるために、自らがなすべきことを考え続けなければならない」が、私にむなしく響く。

時評を読むと、報道人と異なったイスラエル・ガザ戦争が、論壇で展開されているようだ。

「(公研11号で池田ら3氏は)『組織であると同時にイデオロギーである』ハマスが、イスラエルという国家の存在を認めない以上、和平が困難であることを強調する。」

しかし、ハマスを壊滅しないと、イスラエルが生き残れないとするネタニヤフ政権もイデオロギーではないのか。2004年以降、ハマスの幹部をイスラエルは暗殺している。

宇野は「反ユダヤ主義」と非難されることを恐れ、何か大事なことを読者に伝えていないように思える。

イスラエル首相のネタニヤフは、今回の戦争で、「西欧の民主主義の国イスラエルか、イスラム法のハマスか」と語ったが、ここに問題がある。現在のイスラエルを建国したシオニストは、自分たちを西欧の一部と考え、アラブ人やスラブ人を劣等民族と見なし、彼らの人権を無視する。

(補遺)「西洋」ではなく「西欧」とは言っていないことに注意して欲しい。「西欧」とはイギリスとフランスのことで、イスラエルは中欧のドイツをいまだに許していない。

「反ユダヤ主義」は英語でanti-semitismという。それは、セム語系を話す民族に対する偏見と差別のイデオロギーのことを指す言葉である。セム語系民族とは、ユダヤ人だけでなく、アラブ人やイラク人などを含む。西欧の偏見と差別に闘うという観点からは、パレスチナ人はユダヤ人の同胞である。なのに、シオニストはパレスチナ人を野蛮人かのようにいう。

また、宇野は「イラン現代政治の中西久枝は、問題はより複雑だという」「経済制裁に苦しむイランにとって、米国との対立を浮き彫りにしたハマスによる攻撃は『タイミングの悪いもの』であった」と簡単に述べるが、パレスチナとイスラエルを囲む中東諸国の政治状況について、もっと言及すべきだと思う。

現在、「イラン革命」や「アラブの春」はもはや幻想である。周囲の中東の国々は、イラクを含め、国内に政治不安を抱えている。政府は国民に信頼されているわけではない。アラブ諸国の多くは国民を抑え込むためにイスラエルの技術的支援を受けていると高橋和夫はいう。これが「アラブ諸国の一部とイスラエルが国交を正常化したが、パレスチナ問題の解決が置き去り」の実態である。


「能力が高い」とか「仕事ができる」とかの職場の評価は本当なのか

2023-12-19 23:57:08 | 働くこと、生きるということ

古新聞を処分していて、突然、ひと月近く前の朝日新聞《耕論》に不快な思いをしたことを思い出した。その《耕論》は『「仕事はできる」けれど』という見出しで、つぎのような問題を提起していた。

「職場で「能力が高い」と評価される人が、攻撃的だったり、他人の足をひっぱったりすることがしばしばある。なぜそうなってしまうのか。「仕事ができる」とはどういうことなのか。」

私が思うに、本当に「能力が高い」人なら、どうして、他人に攻撃的である必要があるのか、他人の足を引っ張る必要があるのか、そんな必要はないはずだ。だとすると、他人を攻撃する人や他人の足を引っ張る人は、「能力がない」のに、会社内の競争に勝ちたいからでないだろうか。そういう人を「能力が高い」と評価する職場に問題があるのではないだろうか。私はそう思う。

同じように、他人を攻撃する人や他人の足を引っ張る人が「仕事ができる」と評価される職場は、どうでもよい仕事や他の人に迷惑がかかる仕事や他の人からお金を奪う仕事をしているのではないだろうか、と私は思う。

しかし、インタビューを受けている3人の論者は、「能力が高い」「仕事ができる」という言葉に、少しも疑問を感じていないように、見える。私はこのことに不満であった。

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約40年前、カナダの大学で研究していた私は、日本の外資系会社の、コンピュータの新しい応用を切り開く部門に請われて、入社した。入って感じたことは、やっていることが退屈であることだ。もっと創造性のある仕事がしたい、そう思って、幾度となく企画書を上司や上司の上司や上司の上司の上司に提出した。

職場に先に入社した同僚(先輩)から、まず、言われたのは、「仕事をするな」「私に仕事をされると自分の居場所がなくなる」ということだった。彼は、その後、私をうまく手なずけている、「管理能力」があると吹聴して出世していった。私からみれば、上に対するゴマすりが上手であるだけだ。

会社の行事として全員の宴会があるとき以外、上司や同僚との飲み会に私は参加しなかった。私は家族がある。飲み会よりも家族と時間を過ごすことのほうが、だいじだと思うからである。いっぽう、異なるグループや異なる部門の人たちとは昼間に会話を良くした。営業部門の人たちのおかげで日本のいろいろな企業の開発部門、研究部門の人たちとも付き合った。話すのは、私は耳学問が好きだからである。いろいろな人たちと楽しく会話し学んだ。

そのうちに、私の部門が研究部門に格上げになった。研究部門とは会社の明日を築くかもしれないが不確実性の高いことに挑戦する部門である。ところが上司たちは海の向こうの本社に独創的な企画を出さず、開発の下請けのような仕事しかとってこない。企画書を出す私は上司たちからは煙たがられた。

私に研究管理の職がまわってきたのは、本社が赤字をだし、人員整理の波が来たときである。私が50歳近くのことである。管理職になって、自分がやりたい仕事をあきらめ、みんなができることは何か、みんながやりたいことは何かを考えた。また、みんなと公平に接するために、職場の人間と少人数で飲みに行くことを自分自身に禁じた。話はみんなの前で昼間にすべきという考えをつらぬいた。

結局、私が率いた研究プロジェクトが成功せず、会社の退潮傾向を止められなかったが、それで出世できなかったことには悔いがない。楽しい一社員の生活だった。

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もちろん、世の中はいろんな仕事があって、創造的な仕事だけではない。世の中の大半は昔ながらの仕事かもしれない。

どんな仕事でも、一生懸命する人と手を抜く人がいる。手を抜く人を一生懸命する人が非難するのはいけない。人より働いたからといって偉いということはない。しかし、逆もいけない。働かないから偉いということもない。

私のいとこの夫は、自衛隊の曹士だった。彼は 引退後 門番に再就職したが、それだけで給料をもらうのは悪いと感じて、門のまわりの掃き掃除をした。たちまち、周りの同僚から非難された。門番の仕事を増やすという理由からである。みんなと同じでなければいけないという考えは、おかしいと思う。よく働く人も、あまり働かない人もいて いいのではないか。


人間は冷酷な殺害マシンになれない、イスラエル軍は内部から崩壊しだした

2023-12-17 15:47:41 | ガザ戦争・パレスチナ問題

12月15日夜、イスラエル軍はハマスに人質となっていたイスラエル人の3人を誤って殺したと発表した。射殺された遺体はイスラエル領に運び込んで確認した結果、10月7日のハマス襲撃でガザに連れ去らわれたイスラエル人と分かった。

イスラエル軍は、すでに、ガザの地下トンネルに海水を注ぎ込んでいるから、今回の件は、人質のイスラエル人を見える所で殺すか、見えない所で殺すかの違いにすぎない。

ロイター通信やCNNによると、この3人は、イスラエル軍が銃撃したとき、白旗を掲げていたという。いま、ガザ市街戦では、白旗を掲げていても射殺するのが、あたりまえになっているようだ。

銃撃で2人が即座に射殺されたが、1人が建物に逃げ込みヘブライ語で助けを求めた。それで、上官ははじめて銃撃停止を命じたが、すでに遅く、ふたたび銃撃があり、その1人も射殺されたという。

イスラエル軍は、市街戦では敵が民間人の服装をしているから仕方がないと釈明している。戦闘員と民間人が識別できないのは、市街戦でいつも起きることである。市街戦に持ち込むこと自体、無差別空爆と同じく、間違っている。

また、今回の件で、遺体をイスラエル領に運び込んで、民間人か、ハマスの戦闘員か、ハマスの幹部か、ほかのイスラム聖戦の兵士か、確認していることがわかる。ハマスのメンバーをどれだけ殺せたかを確認するためだ。ハマスを壊滅するためには、民間人を何人殺してもかまわないというイスラエルの立場がにじみ出ている。

遺体だけでなく、降伏したパレスチナ人もイスラエル領に連れ去り、尋問している。人権が守られているか、私は疑う。

イスラエル政府は、イスラエル軍を感情のもたない冷酷な殺害マシンとして考えているのだろう。しかし、人間は感情をもっている。戦場に駆り出された兵士は、恐怖から誰かれを考えず、発砲してしまう。また、人を殺していくうちに、自分の中にあったモラルがはじけていく。

12月15日の読売新聞オンラインにつぎの記事がのった。

「イスラエル兵が(ガザの)商店の棚にある商品を周囲に投げつけ、棚を倒した。同僚の兵士からは笑い声が上がった。軍には予備役が多く、若い兵士らがふざけ半分で撮影した映像や画像をX(旧ツイッター)に投稿している。」

また、ヨルダン川西岸でも、イスラエル兵が、占領したモスク(イスラム教礼拝所)でユダヤの祭りの歌「ハヌカ」を歌ってXに投稿している。

イスラエルは軍事的に勝っているが、内側から腐り始めている。イスラエルは国際的支持を失いつつある。

日本人も、イスラエルのあやまちを「他山の石」として、増税してまでの軍備増強路線をただちに放棄すべきである。軍事路線に良いことはない。負ければ負けで惨めだが、勝てば勝てばで傲慢になってみんなの嫌われ者になる。


イスラエルがガザ攻撃を続けパレスチナ人を殺すのを許してよいのか

2023-12-15 22:20:52 | ガザ戦争・パレスチナ問題

きょうの朝日新聞は、12月13日にイスラエルの首相ベンヤミン・ネタニヤフが、「国際的な圧力に直面しても、我々を止めるものはない」と、ガザ軍事侵攻継続の決意を述べた、と報じた。これは、アメリカのバイデン大統領がその前日に、イスラエルが「無差別の爆撃によって世界からの支持を失い始めている」と異例の警告を発したことへの回答である。

ハマスを壊滅するためには、ガザ攻撃を継続し、住民を殺しまくることが、イスラエルにとって軍事的に正しい。しかも、イスラエルの潜在的な敵であるパレスチナ人の人口を減らす絶好の機会でもある。

しかし、人道上それは正しいのか。ホロコーストでユダヤ人が一方的に殺されたことを理由に、自分たちが生き残るために、歴史上ホロコーストに関与したことのないパレスチナ人を、ガザに閉じこめ、一方的にイスラエル軍が殺しまくるのは、人道的に正しいのか。ナチスと同じでないか。

私は子どものとき、『アンネの日記』を読んでユダヤ人少女のアンネに涙し、ハリウッド映画『栄光の脱出』を見て1948年のイスラエル建国に感動したのは、なんという愚かな誤りだったと、いま、思わずにいられない。

12月13日、アメリカのCNNは、「イスラエルがガザでの攻撃に使った2万9千発の空対地弾のうち、40~50%が無誘導弾だ」と報じた。「空対地弾」とは、戦闘機から地上の標的に発射するロケット弾である。無誘導弾ということは、標的を正確に狙うことができず、民間人を巻き添えにせざるをえないということだ。

しかし、それだけではない。イスラエル軍は、どこにハマスの拠点があるのか、どこにハマスの戦闘員がいるのか、わかっていないのではないか、と私は思う。どこが標的かわからないから、価格の安い無誘導弾を使えば良いということになったのだろう。

1週間前のTBSテレビ『報道1930』は、いま、イスラエル軍が毎日空爆の標的を200カ所 AIで生成していると、イスラエルの新聞が報じた、と言っていた。以前は、ハマス1人を殺すのに非戦闘員平均2人を殺してもかまわないとイスラエル政府は言っていたが、今回の戦闘では、ハマス1人につき、平均20~30人の非戦闘員を殺してかまわないと言っているという。

標的がわからないで攻撃するのだから、1対無限かもしれない。AIを使って標的を決めているのは、軍の誰もが、良心の呵責を感じたくないから、自分で毎日の標的を決めずに、機械まかせにしているのだろう。

さらに、地下トンネルにいるハマスの戦闘員を殺すため、人質になっているイスラエル人やアメリカ人がいるにもかかわらず、海水を地下トンネルに注入しはじめたと、12月12日、アメリカのメディアが一斉に報じた。

鶴見太郎の『イスラエルの起源』(講談社選書メチエ)を読んだ私には、「世界には敵か味方しかいない、生き残るために敵を殺すことこそが正しい」とするシオニストのネタニヤフが「国際的な圧力に直面しても、我々を止めるものはない」と言うことを予測できた。

イスラエルがこれまで軍事路線を続けてこれたのは、アメリカが、中東の石油資源確保のために、その先兵であるイスラエルを軍事的にも財政的にも支援していたからである。しかし、アメリカは中東の石油資源へのこだわりをいま捨て始めている。いずれ、アメリカは、人道に反してのイスラエル支援をしなくなるだろう。バイデンの発言は、その予兆かもしれない。

アメリカの支援がなくなるとすれば、イスラエルの軍事路線は自殺行為である。周囲の敵意を煽るだけである。

だとすれば、イスラエル国民が、自分たちの祖父祖母がパレスチナ人から土地を奪ってイスラエル国を建設したことを謝罪し、ネタニヤフ政権のパレスチナ人虐殺を止め、平和共存の道をさぐるしかない、と私は考える。