猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「核のごみ」巡り分断される町、必要な議論阻む「お金の恩恵」

2024-06-25 23:59:32 | 原発を考える

きょうの朝日新聞夕刊の『Another Note』によると、宮崎県の木城町議会の5人が、原子力発電環境整備機構(NUMO)のお金で、一昨年8月に「青森県六ケ所村や北海幌延腸町などを視察」した。そのこともあってか、翌年の9月、久保富士子氏議員が議会で最終処分場に関して質問しようとしたら、視察に出かけた甲斐政治(まさはる)議長がその質問を不許可にしたという。

ネットで調べると、昨年の9月12日の読売新聞オンラインに次のようにあった。

「(議会の三隅事務局長は)久保議員に「質問者が(調査に)賛成なら筋が通るが、反対なら筋が通らない」「町議会は一枚岩ではないと広まる可能性がある」などと発言したという。」

宮崎県の町議会では、議会での質問内容を事前にチェックし、議長が質問を不許可にすることができるのか、唖然とする話である。

朝日新聞のAnother Noteよれば、その後、久保議員が不許可の件で12月の議会で甲斐議長を批判したら、視察に行った議員らから懲罰動議が出て、久保議員を「1日間の出席停止」処分にした。そして、現在、裁判沙汰となっているという。

この事件で、朝日新聞夕刊のつけた見出し『必要な議論阻む「お金の恩恵」』に、私は気にいっている。

「核のごみ」の最終処分場は迷惑施設だが、すでに原発を動かしてきた日本にとって、必要な施設でもある。しかし、原発の最終処分場が世界のどこかで安全に稼働できているのか、どうかを、私は知らない。現在の日本の技術で安全な「最終処分場」は本当に造れるのだろうか、と私は思ってしまう。

難しいとしたら、まず原発の稼働を止めてしまうべきではないか、とも思う。お金で地方の人々をダマしてその土地を奪う前に、政府は、そのお金で安全な最終処分場の研究を真剣に進めるべきだと私は考える。

また、日本で最終処分場を作ったら、どれだけの核のごみがそこに持ち込まれるのか、誰も言ってくれない。原発が稼働しているかぎり、無限に核のごみが最終処分場に持ち込まれることになる。すなわち、最終処分場を危険な場所として封印することができない。

地下に大きな空洞を造れば、何かの拍子に崩れる可能性がある。最終処分場の埋め戻しの計画はどうなっているのだろうか。また、作業員は高レベルの放射線をだす核のごみの倉庫で毎日作業するわけだから、安全性の確保がとても難しいだろう。

政府は核のごみの廃液をガラスで固化するというが、私がカナダの大学で働いていたとき、飲み友達にその研究をしている人がいた。ガラスは結晶状態でなく、アモルファス状態だから、ウランやプルトニウムやその他の放射性物質をいくらでも溶け込ますことができるのだという。しかし、アモルファス状態のため、金属よりも容易に、溶け込ました物質は拡散してしまうという。本当は、閉じ込めは難しいとこぼしていた。

じつは、核燃料はペレット上に焼固められ、それをジルコニウム合金でつくられた燃料被覆管につめられた状態にある。それを砕いて壊して、使用済み燃料からウランやプルトニウムを取り出し、そのときに出る廃液をガラス固化するというストリーになっている。「再処理」と称して、わざわざ、使用済み核燃料棒を壊して液体状態にするから、「ガラス固化」という怪しげな処理が必要になる。「再処理」は止めるべきだろう。

どのような形で、核のごみを保管すべきか、核燃料サイクルやプルトニウム爆弾の製造能力保持という話しを撤回し、安全性という観点から、もう一度、最終処分場を日本は研究し直すべきだろう。

日本政府は、これ以上、札束で国民をダマすのではなく、真剣に安全な最終処分場の建設を研究すべきだと、私は考える。


核のゴミ最終処分場の文献調査を請願する玄海町の怪

2024-04-23 18:49:20 | 原発を考える

けさの朝日新聞に『核ごみ文献調査 賛同の佐賀・玄海町議は』という記事がのった。玄海町の町防災対策協議会が、みずからの町を核廃棄物の最終処分場に、と町議会に請願したという。

最終処分場推進派は「原発立地自治体として、責任は果たさないといけない。全然、関係ないところに処分場をつくるわけにはいかん」「玄海原発の立地の安全を再確認するためにも、文献調査で地質を把握することが必要」と言う。

いっぽう、玄海町は地下に石炭があり、国の公表した「科学的特性マップ」ではほぼ全域が最終処分場に好ましくないと分類されている。核廃棄物は発熱するから、地下に石炭がある場所は好ましくないのだ。

ところが「今、町内で表だって原発反対の活動に参加できるのは2、3人だけ」という。「町防災対策協議会」とは町旅館組合、町飲食業組合、町内の建設業者11社のつくる任意団体である。

この記事を読んで、玄海町はすでに崩壊しているのではないか、と私は思った。町には農業をやるものがいないのか。町には商店がないのか。町には子どもがいないのだろうか。原発臨時労働者を当てにした旅館業、飲食業、原発マネーによる公共建設や原発の核燃料の入れ替え時の清掃に依存した土建業が、町で幅を利かしているのだろう。ヤクザが町を支配しているのかもしれない。

原発立地自治体が核廃棄物を引き受けるということ自体は、ありうる論理だと思う。しかし、原発を稼働するかぎり、核廃棄物は増え続ける。したがって、最終処分場は、これでごみはおしまいとして封印することができない。常に、核のごみが持ち込まれる。そのために、処分場はどんどんと広げる構造になり、脆弱性(ぜいじゃく)なものにならざるをえない。

「町防災対策協議会」はそんなことに無頓着なのだろうか。文献調査申請で20億円をもらっても、国が玄海町に最終処分場を作るはずがないとたかを括っているのだろうか。

資源エネルギー庁は、玄海町議の退廃に厳しく対処すべきである。

国としては、ドイツのように原発の稼働を止めて、強靭な最終処分場を建設すべきである。


今回の能登半島地震で志賀原発の再稼働を考えなおす必要がある

2024-02-02 12:28:03 | 原発を考える

(1月11日の朝日新聞2面より)

能登に断層型の大地震が起きて以来、この間、テレビで能登の珠洲に原発を建設しなくて良かった、滋賀町の原発を再稼働していなくて良かったという報道が流れている。私も心からそう思っている。能登半島の付け根にある志賀原発で大事故があれば、能登半島の人々は避難経路がまたっくなくなっていた。

1月11日の朝日新聞は、能登半島にある志賀原発の地震のリスクを2面すべてを使って特集していた。志賀原発は幸いなことに、2011年福島第1原発重大事故以来、原子炉をずっと停止していたので、大事故に至らなかった。しかし、福島第1原発の再来にならなかったといえ、問題がなかったわけではない。

朝日新聞は、北陸電力と原子力規制庁の資料から、地震によって生じたトラブルを9点あげている。

1号機の使用済み燃料プールの冷却ポンプが地震後40分間停止した。1号機、2号機の燃料プールからそれぞれ95リットル、326リットルの水がこぼれた。1号機、2号機ともに、外部から電源を受ける変圧器が故障した、1号機原子炉建屋近くで道路に段差が生じた。などなどである。

志賀原発の地下に多数の断層が走っている。この断層が活断層かどうか、長い間、活断層かどうかが、原子力規制委の再稼働審査で、問題になっていたという。直下の活断層が動けば、大惨事になるからである。

活断層かどうかは、12万年から13万年前以降に活動したかどうかで判断されるという。したがって、争っているのは、断層の生じた時期の推定にある。北陸電力は、断層の生じた時期の証拠を提出し、活断層でないと規制委に了承されたという。

私はそんな簡単なものではないのではと思う。金属などの破断現象からの経験によれば、地盤に圧力が加われば弱い所から壊れてしまう。実際、最近の知見を聞くと、時期で活断層かどうかの判定は当てにならないという。地盤にどの程度の圧力がかかっているかは、じっさいに、地盤が動いてから分かることで、圧力を測定する良い方法がないのが現状である。

きょうの朝日新聞に、能登地震のメカニズムについての特集があった。そのなかで、遠い過去の地震の研究者から、能登半島の繰り返す隆起から推定すると、数千年に一度は、今回のような大地震が起きているという。

今回のマグニチュード7.6の地震で、地震が打ち止めになったと誰も言えない。また、志賀町の沖にある能登沖西方活断層が今回動かなかったが、これから動きだし、志賀原発の建屋が傾くかもしれない。そうなったら制御棒なんて動かなくなる。

こういうことを考えると、わざわざ、志賀原発を再稼働する必要がないのではないか、私は考える。


震度7の能登半島地震で志賀町の原発は大丈夫か

2024-01-02 03:19:41 | 原発を考える

新年早々、能登半島でマグニチュード7.6、震度7の大地震があった。横浜の我が家、賃貸集合住宅7階も揺れ、私は驚いた。その震度7の地が志賀町(しかまち)であることを知って、さらに心配になった。

テレビに、すぐさま、「福井、石川、新潟の原発には、異常の報告がありません」が流れた。震度7の石川県の志賀町に原発がある。震度7は、地震の揺れの中の最大級である。

夜遅くになって、志賀原発1号、2号は定期検査のため停止中で、原子炉に核燃料が入っていない、外のモニタリングポストでは放射能測定値の異常がないとのことだった。

しかし、使用済み燃料プールの水が外に漏れ、冷却するポンプが一時停止したということである。また、変圧器に火災があったが、鎮火した。外部からの電気を受ける電源系統2つのうち1つから受電できていないが、もう1つの系統から必要な電源は取れている。

これって異常があったということではないか。すぐに異常が公表されず、5時間もたってから被害の公表ということでは、今後、「異常の報告がありません」の信頼を大きく欠くことになる。

原発の耐震性基準は、建物の強度のことであり、配管とか配電とか制御棒などの耐震性ではない。高浜原発では、地震がないのに、去年、制御棒の落下事件があった。今回の地震で、発表の件以外の被害がこれらの付属部品にあったのではないか、と私は疑う。原発稼働の賛成反対にかかわらず、今後の安全対策のために公表すべきである。

もう一つの疑問は、なぜ、志賀町だけが震度7であるのか、ということである。マグニチュード7.6の震源地(珠洲市北部)は志賀町から離れている。約10年前に志賀原発から9kmに活断層との疑いのある断層が見つかっている。

気象庁のサイトで震度分布を調べると、震度7を観測したのは志賀町北部であり、志賀町の他の観測点では震度6弱である。原発での震度情報はないが、幸運にも志賀原発は震度7でなかったようである。しかし、「異常なし」で済まさず、今後の安全性対策のため、原発の詳細な被害と断層が動いたかを調査し、公表して欲しい。


薄めれば放射性物質を海洋に捨てて良いという論理は倫理的に間違っている

2023-10-06 02:29:04 | 原発を考える

もう、真夜中をすぎて、きのうのことになるが、福島第1原発のトリチウム(3重水素)汚染水を沖1000mの地点に2回目の放出を始めた。これまで幾度もブログに書いてきたが、問題は、放射能汚染水を薄めれば、人類共有財産の海洋に放出して良いのか、ということである。薄めれば良いとなれば、海洋は毒物の捨て場になってしまうから、捨ててはいけないを原則とすべきである。

本当のところ、海洋に捨てなくても、汚染水を大規模な埋設タンクに貯めるとか、地中深く注入するとかの方法があるのだ。

この点が論じられれずに、薄めれば安全である、海洋放出に反対する者は非科学的だ、中国に味方する非国民だ、と言われると、私は腹が立つ。

3重水素(トリチウム)は、放射線のベータ線(電子)を放出して、質量数3のヘリウムに転換する。3重水素の半分が、12.32年で、質量数3のヘリウムに崩壊する。

いっぽう、降り注ぐ宇宙線によって、大気の上空で、たえず3重水素が作られるので、崩壊する3重水素とのバランスで、自然な状態では、雨水には、1リットル(L)あたり、0.1ベクレル(Bq)の3重水素があると想定される。これを0.1Bq/Lとかく。

Bq(ベクレル)という単位は、1秒間に1個の崩壊が起きるに要する放射性原子核の個数をさす。

じつは、50年前、アメリカ、ソビエト、中国が頻繁に核実験を行ったため、大気中に大量の3重水素が作られた。大気圏核実験をやめた現在でも、関東では、雨水中0.5Bq/Lの3重水素が検出されている。

東電の海洋放出計画では、タンクのトリチウム汚染水を100倍の海水で1500Bq/Lに薄めて放出するという。じっさいには、8月24日に始まった1回目の放出では800倍の海水で200Bq/Lに薄めて放出した。きのうの2回目の放出でも800倍の海水で200Bq/Lに薄めていた。

100倍の海水とは、コップ1杯(200mL)の水を2Lのペットボトル10本の海水で薄めることになる。800倍となると、ペットボトルの80本の海水で薄めたことになる。

それでも、自然の状態0.1Bq/Lより、はるかに多いトリチウム水、1500Bq/L、200Bq/Lを放出していることなる。自然環境を明らかに破壊している。

現在、東電や日本政府は、福島近海でトリチウムが検出できていないと主張するが、これは、1つは、検出装置の精度が悪いのと、もう1つは、トリチウム水の拡散の速度が遅いからである。しかし、これから毎年22兆Bqと大量に放出していくから、確実に海洋は汚染されていく。

東電と日本政府の主張には、十分に薄めている以外に、福島第1原発沖以外でもトリチウムを大量に放出している、がある。「みんなで赤信号渡れば怖くない」の論理である。みんなが海洋を汚染しているからいいのだという論理はなりたたない。

みんなで海洋を汚染しているのなかに、「日本原燃再処理工場(青森県)では、試運転した2007年度に1300兆Bqのトリチウムを放出した」があった。これと比べて、毎年22兆Bqを福島沖にトリチウムを捨てる計画は大したことがない、というのである。トンデモナイ論理である、

これには、もっとひどい話があって、日本原燃再処理工場の建設にあたって、年間の放出するトリチウムの量を18000兆Bqと日本原燃は申告している。使用積み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す必要はない。今のところ、取り出したプルトニウムはプトニウム核爆弾にしか使用価値がない。そのために、さらに、ひどい海洋汚染を引き起こすなんて、許せるはずがない。再処理工場を稼働してはならない。

人類共有の海洋を放射能汚染水の捨て場にしてはならない。汚染水を薄めれば、海洋に放出して良いとすれば、際限のないモラル崩壊を招く。