憲法記念日の朝、朝日新聞の1面の見出し「民主主義定着せず48% 本社世論調査」を見て、「定着せず」の言葉に私は強い違和感を感じた。
もとの世論調査の質問文は「いまの日本社会に、民主主義は根を下ろしている思いますか、そうは思いませんか」である。「根を下ろす」は「定着」より少しましな言葉である。
違和感の1つは、ここでいう「民主主義」とは何かが、曖昧であるからだ。しかし、それ以上に違和感があるのは、「定着せず」とは「民主主義を上から与えてやった」というニュアンスが背後にあるからである。
今年、戦後80年を迎える。80年前にアメリカの占領軍が日本に民主主義を押しつけたと言いたいのだろうか。
150年前、明治の初めに、国会開設の運動、自由民権運動が日本で起きている。1889年に大日本帝国憲法が公布され、翌年に第1回の総選挙が行われ、帝国議会が開かれた。
昭和になって、日本の「民主主義」が軍部に乗っ取られた、と言えないだろうか。軍部が「民主主義」を乗っ取ることができたのは、大日本帝国憲法に欠陥があったからではないだろうか。天皇制に問題があったのではないか。
民主主義は押しつけられたものではない。
「民主主義」を、宇野重規が言うように、「人間は対等である、誰かの言いなりにならない、あらゆる権威をみとめない」という個人の行動規範なら、「根を下ろす」というのも多少は理解できる。しかし、それでも、「根を下ろす」に、民主主義を教化するという背後の考え方には違和感が残る。