猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

高い給料をもらって敵基地攻撃能力・軍事費2倍増強しか言えない国会議員は不要

2022-06-30 23:42:35 | 政治時評

ミスター円の榊原英資の本に『財務省』(新潮新書)がある。先日、たまたま図書館で借りた。2012年されたのであるが、誰も読んでいないようで、きれいなままである。じっさい、大蔵省の人脈を自慢しているだけのつまらない本である。期待外れの本である。

ただ、いま、参議院選挙の最中であり、この本のまえがきに榊原が書いていた、つぎをぜひここで披露したい。

<実は、日本が先進国中で飛びぬけて高いのが、議員の歳費です。国家議員の歳費は年間2000万円を超え、アメリカ等を上回り世界のトップクラス。さらに問題なのは地方議員です。「構想日本」が2006年に発表した調査では、都道府県議会議員の平均年収は2119万円。これはアメリカの州議会議員の5倍以上です。>

どうして、榊原がこんなことを書いているのかいうと、民主党政権が生まれる直前に、官僚批判が日本全土に広がっていたからである。榊原は、つづけてつぎのように言う。

<こうして見ると、公務員の給与削減言う前に、必要なのは政治家、特に地方議員の歳費カットなのです。一般的に言って日本の公務員は、そこそこの給与でよく働いています。>

民主党政権時、官僚側の反転攻勢があって、官僚は優秀である、民主党政権は官僚を使いこなせてない などの声がメディアをにぎやかした。榊原の本は、大蔵省OBの反転攻勢のなかの1つかもしれない。

私は別に官僚をけなすつもりも持ち上げるつもりもない。官僚にも色々いるからだ。

私の友だちに、工学部の土木科を出て、国家公務員試験を受け、公務員として、港湾や河川の現場で働いてきた男がいる。同じ中学を出ていて、高校で親しくなった。私のほうで押しかけたところもある。彼は川の土手にある屋根の低い長屋に住んでいた。暑い夏の日、その川での花火大会を見るために、嫌がる彼を無視して、彼の住まいに押しかけた。そのとき、勉強机に使っているという、みかん箱を見せられた。

大学を卒業して、私は大学院に行き、彼は建設省に務めた。大学を卒業するとき、彼は大学院に行きたかったと泣いた。彼はアグレッシブのところがないので、その後、ずっと私は気になっていたのだが、10年前に、同窓会の名簿に彼の名前を見つけ、また、押しかけで付き合いをはじめている。彼は自分の人生と折り合いをつけ、よい男になっていた。ただ病気もちである。

私の友だちに政治家がいない。政治家になった人もいるはずだが、思い浮かばない。

榊原は地方議員を攻撃しているが、国会議員のほうが年収が高い。それに、国会議員は歳費以外に色々な名目で領収証がなくても経費を受け取っている。それだけなく、賄賂をとっている人までいる。

榊原は、日本の国会議員は、地方議員出身者が一番多く、専門家が多い欧米の国会議員と対照的だと批判する。給料が高すぎるとの批判には同意できるが、国会議員が専門家である必要はないと私は思う。国会議員に学歴も不要である。

軍事の専門家が、開戦を決める国では困る。それでは、国民の代表ではない。

国会議員は国民を代表して、国の政治を行うのである。上から目線で国民を見るのでは困る。国民と結びついていなければならない。そして、何が正しいのかを的確に判断し、それを国民に説明しなければならない。権威ぶって話すのでは困る。

いま、ロシアのウクライナ侵攻で、急に、軍事費2倍、敵基地攻撃能力を言い出す国会議員候補には票を入れたくない。

外交は軍事に裏づけられてあると軍事専門家や自衛隊幹部はいう。

日本国憲法第9条に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。立派な理想である。「軍事に裏づけられた外交」とは「武力による威嚇」による「国際紛争を解決」であって、理想を否定するものである。自分の言い分を通すために「武力による威嚇」を使うのは外交の否定である。戦争への道をたどることになる。

「外交」とは妥協によって紛争を避けることである。それが理解できない党に票を入れるわけにいかない。戦争は人を殺すことであって、敵国を決めて、敵基地攻撃能力をもとうというのは もってのほかだ。


私たちは経済活動の自由を抑圧してはいけないのか、『21世紀の資本主義論』

2022-06-29 23:24:40 | 経済と政治

岩井克人は『21世紀の資本主義論』(ちくま学芸文庫)の巻頭エッセイで、「恐慌」より「ハイパー・インフレーション」のほうが資本主義の危機であるという。たしかに、「恐慌」が物より貨幣を人間が好むことを意味し、「ハイパー・インフレーション」が貨幣そのものへの信頼が崩れることを意味すれば、岩井の主張にも一理ある。

しかし、恐慌が長引いたこと自体が、各自が利己的に動く市場に「神の手」が働き、供給と需要の調整が行われるという神話のウソを暴いており、それが資本主義の危機であることは間違いない。日本の1990年の株・土地バブルの破綻は、日本経済に長期のデフレを引き起こし、2000年代に、大企業は保有していた特許を海外に売り、また、製造のノウハウをもった技術者を大量に解雇し、その一部は雇用を求めて海をわたった。日本政府はそれに資本主義の危機を覚えた。表面的には、小泉政権時に、政府が銀行に資金を投入し、銀行の破産を最小限に抑えたことによって幕引きされたとされる。しかし、安倍政権がアベノミクスと称して、赤字国債を乱発し、規律のない、わけのわからない財政支出をし、異次元の金利引き下げをし、株価つり上げに国民の税を注ぎ込むということは、日本の支配層が、経済を市場の自律性(神の手)に任せることができなかった、という究極の実例ではないか。

すなわち、「ハイパー・インフレーション」も「デフレ」も資本主義の危機であることにまちがいないのだ。

岩井は「文庫版へのあとがき」のなかで、「資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使すること」とし、「資本主義を抑圧してしまうことは、自由そのものを抑圧すること」になるから、「私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義の中で生きていかざるをえない」と結論する。

ちょっと、その結論を待ってください。王制の時代にも、王には自由があったではないか。王や貴族は、かってきままに ふるまっていたじゃないか。近代の自由とは、みんなに平等に自由を与えるということではないか。平等がなければ、経済活動の自由とは、金持ちだけが、かってきままにふるまうことに過ぎない。

したがって、岩井と異なり、「私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義を抑圧せざるをえない」と結論することも可能である。


ケインズの「美人コンテスト」、岩井克人の『21世紀の資本主義論』から

2022-06-28 23:19:34 | 経済思想

(怪物化した桜の大木、散歩道にて)

岩井克人の『21世紀の資本主義論』(ちくま学芸文庫)は、2000年1月1日出版のエッセイ集の文庫版である。そのなかの巻頭のエッセイ「21世紀の資本主義論ーグローバル市場経済の危機」は書下ろしで、78ページに渡り読みがいがある。商人資本主義、産業資本主義を経て、現在、金融資本主義の時代にあるという認識のなかで、金融資本主義の本質はリスクを売買する世界として議論をしかける。

2000年当時、日本では、1990年の株や土地のバブルがはじけて銀行や大企業が大きな負債をおって、まだ、傷が癒えていない時期である。とくに、銀行はいつ倒産をしてもおかしくない状態であった。

私は外資系IT会社にいたから、金融商品を扱うアメリカやヨーロッパの金融業界の羽振りのよさに目を見張っていた。欧米では、金融業界はIT企業にとって最上のお客さんであった。金融取引を滞りなく、しかも、速く行うために金の糸目をつけない状態であった。2000年のITバブルも金融業界の需要があってのものであった。

岩井は、日本にいたが、アメリカのリスクを売買する金融資本主義、グローバル化する市場を見て、それを批判している。そのキーワードが「投機」である。

そこで、岩井はケインズの「美人コンテスト」を引用する。私はアダム・スミスの著作もジョン・メイナード・ケインズの著作も読んだことがない。それで、ケインズの「美人コンテスト」の話は、株価はみんなの思いこみだけで決まり意味がないという たとえだとおもっていた。岩井はそうではないとする。

ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)の第12章にでてくる「美人コンテスト」は、新聞の読者が投票してきめるコンテストであり、もっとも投票が集まった6名の美人に投票した読者に多額な賞金が出るのであった。

したがって、賞金を得たいと思う読者は、他の読者がだれに投票しようとするかの平均的感性を推測しなければならない。しかし、他の読者も同じように推測してくるとすると、他人の平均的感性をどうとらえているかを推測しないといけなくなる。しかし、これも、みんながそう推測してくると、さらにその上を行く推測をすることが求められている。

ケインズはそんなことを書いていると岩井はいう。金融取引とはそんなものだと岩井はいう。自分のリスクを最小にしようと合理的な判断を各自しているのではなく、相手の戦術・戦略を推測してゲームに勝とうしているだけだという。

したがって、合理的な判断が行われて、市場のリスクが極小化されるというミルトン・フリードマンの主張は、幻想だと岩井は言う。

当時、金融取引の確率論が流行っていて、プログラムによる先物取引などが行われた。プログラムのもととなる金融確率論は大同小異だから、たくさんのデータを収集して瞬時に処理することがゲームに勝つために要求される。また、金融市場の提供者は、それらのプログラムが集中的にアクセスしても、滞りなく高速に公平に処理する環境を提供できなければ、金融会社から見捨てられる。私の業界からすると、最高のネットワークシステム、コンピュータ、高速メモリが金融業界に売れたのであった。

現在は、確率論が行きづまっていて、数量的データによる確率論だけではなく、企業の人事、政治の出来事を集めてAIに瞬時判断させるようになっている。

しかし、それはますます合理的な判断からほど遠くなって、ケインズや岩井が言うように、リスク取引は囲碁や将棋のように相手に勝つという対戦型心理ゲームに陥っているように見える。

2008年にリーマンショックが起きた。同じころ、私のいた会社で人間の非合理的判断を実証的に調べていた経済学研究者が、金融危機のさなかに、モルガンスタンレーに転職した。

金融資本主義は、人間の欲望と同じくしぶといが、どうなっていくか、混迷を極めている。アレキサンダー大王の逸話ように、複雑化してほどけない「ゴルディオンの結び目」はズバッと切り捨てるしかないと私は思っている。


無理は禁物 この暑さ、熱中症で死ぬ猛暑がきた

2022-06-27 10:18:38 | 働くこと、生きるということ

まだ、6月の終わりなのに、猛暑の日がつづいている。猛暑の日がつづくと、例年、年寄りが死ぬ。今年はまだ死んでいないと思っていたら、きょうの新聞によれば、川越の94歳の男性が自宅から病院に緊急搬送され、死亡が確認されたという。消防局によると部屋にはエアコンが設置されておらず、熱中症によるとみられるという。

だれが消防に連絡して緊急搬送となったのか。家族が近くにいたのか。介護人が派遣されていたのか。エアコンが設置しなかったのはどうしてなのか。エアコンを設置しないのが悪いのか。

私の5歳上の兄は大阪のアパートで独り暮らしをしている。部屋の中をつたい歩きをするのがやっとで、訪問介護のおかげで生き延びている。

消防に連絡したのは訪問介護の人ではないか。命は助からなかったが、介護制度のおかげで、病院に緊急搬送された。昔は、発見されず、一人死んで、ネズミの餌食になった。大家が家賃を納めないと様子を見にいったら、部屋の中は血だらけで肉片が飛び散っていたという話しを、子どものときに聞いた。

私の子ども時代はエアコンがある家なんて聞いたことがなかった。私は虚弱体質で、夏になると食欲がなくなり、いつも床に転がり、ごろごろしていた。もしかしたら、普段から栄養が足りていなかったのかもしれない。

私は、いま、昔より、体力がある。夏になると、血管が開いて、楽になる。心臓の冠動脈がつまっているから、冬の寒さのほうが苦しい。じっさい、子どものころは、冬のほうが、年寄りが脳梗塞などでばったばったと死んだ。

じつは、エアコンの寒さに私は弱い。食堂兼居間にエアコンが1台、30代の子どもの部屋に1台ある。私はエアコンの寒さに足がつるのだ。もしかしたら、坐骨神経痛かもしれない。とにかく、きのう、鹿沼土5リットルをホームセンタで買って、40分かけて歩いて、家に持ち帰った。そのあと、うたた寝をしていたら、足のつった痛さで目が覚めた。

私の妻の友だちにも、エアコンの寒さに弱い人が二人もいる。ひとりは扇風機を家に5台ももっており、きのう、妻は古くなった扇風機を1台もらってきた。

死んだ94歳の男性は貧しかったからエアコンが買えなかったのだろうか。それとも、エアコンの寒さがこわかったのだろうか。エアコンを設置していないからといって、他人がそれを責めることはできない。

四国で独り暮らしの妻の姉は認知症がはじまって、新しい電気器具を使えない。スマホも使えないし、電気釜も電気洗濯機も使えない。いちいち、私の妻に電話で聞いてくる。それなのに、町の電気屋はつぎつぎと電気製品を売る。エアコンを買えるお金があっても、使いこなせない年寄りもいるだろう。

新聞は、死んだ94歳の男性の生活も人生も何にも語っていなかった。ただ、「部屋にはエアコンが設置されておらず、熱中症による症状とみられる」とだけあった。


国のすみずみまで腐敗を広める政権与党に選挙で報復せよ

2022-06-25 23:27:30 | 政治時評

きょう、TBSの報道特集を見ていたら、新型コロナ対策の特別会計予算がいい加減に使われた実態を追っていた。新型コロナ感染爆発の「緊急事態」を名目に、使い道が定まっていない何兆円もの予算が組まれ、景気対策や町おこし・村おこしや赤字病院救済に使われていたという。

何兆円ものお金を、景気対策や町おこし・村おこしや赤字病院救済に使って悪いとは私は思わない。しかし、そうなら、最初からその名目で予算を組めばよい。名目と実態とを合わせれば、後で、その税の使い方が公平だったか、その使い方が目的にあっていたか、監査できる。わけのわからない使い方をして、かつ、使い方の国会報告がないのは、おかしい。

日本の政府は、20世紀の終わりから、すでに、税収入を上回る支出をしている。その日本政府の借金は、安倍政権下で急激に膨らみ、いまや、1年に国民が働いて生産した総価値、国民総生産(GDP)の1.5倍を超えている。その赤字日本政府が、さらに、緊急事態を名目に、わけのわからないお金の使い方で、借金を上積みにしている。

円安の原因は、単に日銀の異次元の金融政策だけでない。わけのわからぬ財政出動にも原因がある。日本政府が腐敗の土壌を作っていると海外から疑いの目で見られているからだ。アベノミクスの3本の矢はそれぞれ「まがい」ものだった。

おとぎ話の世界でもあるまい。国民が価値を生産しなくても日銀がお金を刷っていれば、それで済む、はずがない。

安倍晋三はウソんこを言いまくっている。自民党政権がでたらめをしているのに、選挙でそれを国民がとがめないのは、みんなに後ろめたいところがあるのではないか。国民の多くが政権のばらまくお金の恩恵に、大なり小なり関わってきたのではないか。

だからと言って、私は1億3千万人総ざんげしろと思わない。ただ、日本の国民を腐敗の網に巻き込んでいく自民党を断罪しなければいけないと思っている。

悲しいことに、新聞の選挙報道は自民党公明党維新の会の大勝を予測している。たとい、政権のばらまくお金の恩恵を受けたとしても、いま、選挙で政権与党や極右の日本維新の会に報復しないといけない。

このまま、真面目に働く者が損する腐敗の道に進んでは、日本には滅びしかない。軍事費を2倍にし、「敵基地攻撃」と勇ましいことを言っていても、道義的に守る価値のない国になるだけである。