猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

横浜市のカジノ誘致推進と新型コロナウイルス流行に民主主義を考える

2020-02-29 22:09:12 | 新型コロナウイルス


M. I. フィンリーは、民主政(democracy)とは人民(デーモス demos)による政治であると、『民主主義 古代と現代』(講談社学術文庫)で書く。私も、人民の声にもとづく政治がおこなわれて当然である、と思う。

ところが、横浜市では、各社のアンケート調査で、圧倒的にカジノの誘致に反対であるというのに、横浜市議会でカジノ誘致の準備が進められている。昨年の市長選や市議会選では、カジノの誘致は白紙と言いながら、選挙が終わると、議会の多数派の自民党と公明党はカジノ誘致に走り出したからだ。

現在の日本の「代表民主制」は機能していないようだ。選ばれた代表が、「人民の声」にしたがわないというというのは、「民主政」の理念に背いているように思える。

しかし、このことをもって、「民主主義の限界」というのはおかしい。それよりも、学校教育やメディアが「エリート主義」に染まっていて、選ばれた代表、政治家が「人民の声」を無視し、自分の利益のために走るからだ、と思う。

人が自分の利益に走るのは、人間の「さが」だと思う。政治家だけではない。

市中では、新型コロナウイルスがこれから蔓延して物資の流通がとまるとして、ティッシュペーパーやトイレットペッパーや食料の買いだめに走っている。「人民」も自分の利益に走る。

しかし、この人間の「さが」は、道徳や倫理の権威にだまされない人間の「賢さ」をも示している。みんなは、3月いっぱい学校を閉鎖するという安倍晋三が、新型コロナウイルス流行を抑止できるとは、思っていない。だから、買いだめに走るのだ。

昨年の8月22日の朝日新聞の《政治季評》に、豊永郁子が『トランプ氏を支持したのは「違い」を嫌う権威主義者』と書いていたが、やっぱり、これは間違った分析だ。頭のいい人やきれいごとを言う人に不信感をもっている人々に、自分の利益を優先しようとトランプは訴えたから、選挙に勝ったのだ。

大統領の言うこと、首相の言うこと、政治家の言うことを、じつは、多くの人は信用していない。

トランプと闘うのは左のバーニーが良い。中道のバイデンではダメだ。
人民は、中道を唱える政治家に「エリート主義」の匂いを感じているのだ。

新聞が「ポピュリズム」を批判するのはおかしい、と感じる人々は賢いのだ。政治家が大衆の声に耳を傾けるのは誤りではない。新聞はその政治家がどんなことをしたのか、しようとしているのかを批判すべきである。

人間は自分の利益に走るだけ、と私は思わない。多くの人に、他人と「共感する能力」があると思う。それをフィンリーは「共同体」だと考え、フロムやバートランドは「連帯 solidarity」と言う。民主政を機能させるには、みんなを、「共感する能力」の存在に絶望させないことだ。

安倍晋三は、民間の検査会社に新型コロナウイルス検査の試薬を配布するという。じつは試薬の配布は国立感染症研究所が検査を縛ることになる。これでは、試薬の量が検査数を縛る。現実には、日本の国立感染症研究所は諸外国や国内の研究所よりレベルが高いわけではない。外国の検査キットや大阪大学のベンチャーや理化学研究所の検査キットを使ってもよいはずだ。

市中で買いだめが起きたのは、安倍晋三のウソがばれてしまったからだ。政権がウソをつけば、それだけ、人々は不信を強め、自分の利益に走るようになる。人民はバカではない。
もちろん、私は、だれかを犠牲にして自分の利益のために走ることを、良いと思っていないが。

新型コロナウイルス対策で専門家たちが政権に利用されている

2020-02-27 22:37:27 | 新型コロナウイルス

豊永郁子が昨年8月22日の朝日新聞《政治季評》で、ドナルド・トランプの支持を説明するものは「権威主義」だと書いていた。田辺俊介らの社会学者は、『日本人は右傾化したのか』(勁草書房)で、若者は右傾化したとは言えないが、「権威主義」になっていると書く。

「権威主義」とは まさかと思っていたが、どうもそうではないようだ。ここでの「権威主義」は『自由からの逃走』でエーリッヒ・フロムのいう意味ではなく、田辺俊介らのいう「この複雑な世の中で何をなすべきかを知る一番良い方法は、指導者や専門家に頼ることである」という傾向である。

このような傾向を積極的に政治に利用する為政者を、M. I. フィンリーを「エリート主義」と呼ぶ。民主主義は壊そうとする者やその太鼓たたきは、専門知をもって、エリートによる国民支配を正当化する。

新型コロナウイルス対策で政府が、専門家が何かをいうと真にうける人がいる。もちろん、政府がいうのだろうから、ウソだろうと思う人もいる。しかし、メディアの多くが政府批判をしないので、多くの人が、専門家たちを抱え込んでいる政府の言うことを疑うと「非国民」と呼ばれるのかと恐れ、口を閉じる。

「クラスター」「パンデミック」「PCR検査」という言葉を使えば、よくわからないから、専門家に任すしかないと思う。図をつかって、「ここ1,2週間が勝負だから、集まってはいけない」と言われると、素直に信じる。「医療体制が崩壊するといけないから自宅に閉じこもる」と言われると、素直に信じる。

「クラスター」とは「集まり」のことである。感染者が動き回ることで、新型コロナウイルスの感染があちこちに離れてポコポコでおき、それが周りに大量の感染を引き起こすことにすぎない。まだ、感染が蔓延していない状態をいう。

「パンデミック」とは世界的流行のことである。国境での検疫では感染を防げない状態をいう。すでに、世界的に流行しているが、WHOが「パンデミック」と言わないから、メディアは「パンデミック」と言わないだけである。

「PCR検査」とはPCRという医療機器を使ってから、シーケンサーまたは試薬をつかって検査する方法のことにすぎない。PCRはDNAやRNAという遺伝子を何万倍にもする標準の医療機器で、国立感染症研究所や地方衛生研究所や大学でも使っている。そして、重要なことだが、この機器は民間の検査機関のほうが多数もっており、検査の実績もある。また、シーケンサーは塩基配列を自動的に決める機器で、これも標準で買ってくることができ、PCRと同じく、どこでももっている。塩基配列を決める方法は確定検査と言われる。

国立感染症研究所や大学は研究機関であって、検査機関ではない。民間にまかさないところが、国民をバカにした「エリート主義」の証拠だ。ほぼ世界的流行と言われる状況で、新型コロナウイルスの検査を自由化していないのは不思議、という直観は正常な反応である。

PCR機器があっても検査することに自体に、厚生労働省の許可が必要なのだ。増やされたRNAが新型コロナウイルスかどうかを判定する試薬は国立感染症研究所が提供するものを使わないといけないという縛りが行われている。しかも、陽性と判定されたものを国立感染症研究所でシーケンサーを使って塩基配列を決定し、確定検査となる。

これは大事なことだが、検査を自由化するということは、国立感染症研究所の試薬を使わないで、他から買ってきて検査をすることをいう。また、新型コロナウイルスの塩基配列は世界中の研究所から公表されているから、シーケンサーを使えば、試薬は不要である。

検査を自由化しないと、国立感染症研究所の試薬が国内で独占状態になり、無競争のため、その信頼性が低いままになる。国立感染症研究所以外が、シーケンサーを使って、確定検査をすれば、試薬の信頼性が明らかにされる。厚労省と国立感染症研究所が検査の自由化に反対するはずだ。

国立感染研究所は、厚労省や政治家に左右されず、感染の実態調査や、強い感染力と急性肺炎症のメカニズムのまっとうな研究に力をそそぐべきでないか、と思う。検査を自由化したほうが研究に集中できる。

一般に専門家は自分の権益を無意識に守る。国民は、「エリート主義」にだまされないために、自分の直観を信じ、専門家に説明を求めないといけない。

新型コロナウイルスの検査が十分に行われていないのに、「ここ1,2週間が勝負だから」と専門家たちがどうしてわかるのか、何も根拠ない。この「1,2週間」は、感染してから発症するまでの期間である。単にそれでだけで、それ以上の根拠はない。「1,2週間」しても感染数は減らないから、また、「ここ1,2週間が勝負だから」と言って、ずるずると、「集まらない」ように言うしかない。

専門家たちは、まず感染の実態調査をすべきである。そのために、国立感染所研究所と特定企業の癒着を守るのではなく、検査の自由化が必要である。

専門家は1か月で新型コロナウイルスが抑え込まれるとみていない。世界中のみんなが5月になっても収束すると思っていない。

すると、流行が続くなかで、医療体制が崩壊せず、社会的経済的活動が継続できるための知恵を専門家たちは出さないといけない。そのためには、感染のメカニズムの信頼できる知識がいる。それをもちわせていない専門家たちが集まる政府の専門家対策会議とはなんなのだ。

いっぱんに、有識者会議とか専門家会議とかは、現場をすでに離れた管理者が集まって、役人の作った案を承認する儀式にすぎない。ニセ専門家が集まるだけだ。

患者の診断と治療を行わない医療体制は、崩壊しなくても、すでに医療体制と言えない。専門家たちが何も具体的な指針を出せないのは、権益にからめとられているのではないか。

国民が専門家たちに疑問をぶつけ、常識的な行動をとるのが健全な民主主義である。

クルーズ船に失敗した安倍晋三が、全国の学校を3月まで閉じるといっても、単なる思いつきで、国の対策でもなんでもない。国にとってお金がかからないからだけである。

利権が裏にある?政府の神頼み新型コロナウイルス対策

2020-02-25 22:34:03 | 新型コロナウイルス

2月24日、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が開かれ、政府から新提言がでてきた。しかし、内容がわからない。希望的観測を述べ、国民にお願いしているが、政府が何をいつするのか、曖昧にしている。

新型コロナウイルス患者がでても医療機関が診療をしなければ、医療体制は崩壊しない。しかし、医療体制が崩壊しなくても、それは医療体制とはいえない。しかも、専門家会議が流行への移行期だといっている。移行期には、まだ医療体制の余裕がある。だから、しっかりと医療機関が新型コロナウイルス患者の診療をしないといけない。

いわゆる初期消火である。

BS TBSの『報道1930』で、昨夜から、新型コロナウイルスを取り上げ、ゲストを招いて議論(discussion)をしている。
昨夜は、神奈川県知事の黒岩祐治、横浜市立市民病院感染症内科長の立川夏夫、ウイルス学者の岡田晴恵を招いた。
今夜は、衆議院議員国民民主党の岡本充功、おなじく自民党の国光あやの、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広を招いた。

昨夜から問題となっているのは なぜPCR検査をしないのか、ということである。

PCR検査は2段階からなる。ウイルスのRNAをPCR機械で約2時間で10万倍に増やし、このあと、シーケンサーという機械でRNAの塩基配列を自動的に確定するか、試薬を使っていわゆる抗原抗体反応で検査するかである。ウイルス検査や研究で標準的に使われている方法である。

私が大学院生のとき、50年前だが、生物物理教室でシーケンサーの開発が進められていた。いまは、シーケンサーはメーカが販売する標準の医療器械である。中国でも、韓国でも、台湾でも、シンガポールでも、世界中で、新型コロナウイルスの確定検査にPCR検査が行われている。

PCR検査に関しては民間のほうが、体制が整っている。また、韓国では1日に5千検体を検査する体制を構築し、これから1日に2万5千検体を検査にもって行こうとしている。日本では、1日3千検体を上まわる検査体制にもって行こうと2月17日に加藤勝信厚労大臣が言っただけで、厚労省の役人は、これは期待で実現性を確認していないという。そして、厚労省は、実際に1日何検体を検査したか、確かな数字をつかんでいない。1日に100検体を越えていないようだ。

新型コロナウイルスPCR検査を民間に自由化し、保険診療でできるようにすれば、すぐさま、1日に数万検体の検査が可能となる、とみんながいっている。本当だと思う。

新型コロナウイルスの感染が検査できなければ、本当に、どれだけの人が感染しているかわからない。無症状あるいは軽症のひとは動き回るから、ウイルスをどんどんと まき散らしていく。感染が検査できれば、少なくても他人にうつすことを抑え込める。また、軽症のうちに治療すれば、重症化させないで、治せる。

重症化するまで、検査しないとは正しい医療であろうか、私がテレビを見るかぎり、臨床医はすべておかしいという。

政府は、新型コロナウイルスの本当の感染数も知ろうとせず、なぜ、専門家会議を開いて、こんな おかしな方針がでてくるのか。

今夜の『報道1930』では、厚労省と国立感染症研究所とが結託して権益を守ろうとしているからという疑いがでた。国立感染症研究所は、検査機関でなく、研究機関なのに、PCR検査をそこに集中させようとしているのは、第1に予算が欲しいということであり、第2に特定の日本の医薬品会社と組んで検査キットや治療薬やワクチンの開発研究をおこなっており、その権益を守りたいからでないかの疑義がでてきた。よく言えば、厚労省と国立感染症研究所は「日の丸」企業を守りたいのだ。だって、今すぐ、ロッシュから新型コロナウイルス簡易検査キットを買うことだってできるのにしないのだ。

前夜の議論では、普通の医療機関が新型コロナウイルスの診断をするためには、患者が受診したからといって、大騒ぎをして病院を閉鎖することをやめてほしい、と立川がいっていた。検体をとることは難しいことではなく、ほかの感染病でもやっていることである。患者からうつらないために、マスクや手袋をすることや、器具を消毒することも標準であって、それを通達すればよいだけである。

しかし、営業上からは、現状では、新型コロナウイルスの診断行為は医療機関にとってマイナスになるという。政府が普通の医療機関に検体の採集を依頼したことを明確にし、国民に周知させないといけない。

政府は、検査できる数を検体が超えた場合を想定し、優先順位を決めるルールを明確にすればよい。

以上のように、専門会議はやるべきことを提案していない。

政府のやっていることは、雨ごいと同じく、実態を調査せず、神頼みをつぶやいただけである。

また、株価急落は、もともと、政府による株価操作で、実態のないバブル状態であったから、この際、どんどん下がった方が良い。下がれ、下がれ。それよりも、毎日働かないと食べて行けない非正規雇用者や毎日の売り上げでしのいでいる小企業を政府は心配しないといけない。

起きていることは、安倍晋三が腐りきった者ばかりを周りに集めて政権を維持してきたウミが吹き出たのだ。安倍は早くやめろ。迷惑だ。

[追記]
きょう、2月26日のTBSテレビ『ひるおび!』で、政府の方針通り、この1,2週間、日本全体が自主的に活動を休止しても、その期間が過ぎたら、どうすればよいのかという、素朴な疑問が出た。専門家会議での見通しでは、1,2週間自粛しても、患者数が増加すると言っている。すると、自粛はずっと続けることになるのか、という疑問である。
政府は、長期間継続できる個人的努力を国民に要請し、一方政府がすべきことを明確にして、政府も実行すべきではないか。今回の発表の政府方針は問題ではないか。

[追記]
2月26日の朝日新聞夕刊を読むと国立感染症研究所がRNAにくっついて光る試薬を配ったという。まさに、これが日本のPCR検査のボットルネックになっているのではないか。
本来は検査機関が国立感染症研究所から試薬を受けとる必要がない。国立感染症研究所は開発した試薬の試験をひそかに行っているのだ。「日の丸」ビジネスの利権を確保しようとしている。検査機関はどこから試薬を買ってきてもよいはずだ。また、シーケンサーによる確定検査では試薬はいらない。
国立感染症研究所の試薬が外国企業より優れているとは限らない。開発した「日の丸」試薬の信頼性が まだ低いから、現在、国立感染症研究所でシーケンサーで確定検査をする必要性が生じている疑いがある。

新型コロナウイルス対策に国は国民の個人的努力を要求するだけなのか

2020-02-24 22:21:12 | 新型コロナウイルス

あす、2月25日、政府は新型コロナウイルスの対策方針をまた発表するという。

前回、2月17日に「国内発生の早期」ということで、「重症化を防ぐための体制をつくろうということ」で、「目安」をつくったと、加藤勝信厚生労働大臣が大臣会見で話をした。その「目安」では、37.5度以上の発熱が4日以上続くまで家にいて、続いたら「帰国者・濃厚接触者相談センター」に電話をかけようというものである。すなわち、肺炎の疑いがでたら、相談センターに電話をかけろと言っているのだが、新型ウイルスは、肺炎症状がでると急激に重症化する。そんなことを政府が堂々というのは無責任ではないか。

きのう、加藤大臣は「流行の移行期」の段階であると発表している。それでは、「目安」を変更するのか。新型コロナウイルスの診断・治療体制はどうするのだろうか。また、現在、地域によって、新型コロナウイルスの発生件数が大きく異なるが、感染検査に消極的な地域があるためではないか、の疑義にどう答えるのか。

NHKから漏れてくる情報では、この1,2週間は、人ごみにでず、家でじっとしていて、医師にも受診するなというものらしい。感染者がでなくても学校を閉鎖しろと言っているのだろうか。満員電車を個人の努力で避けろというのか。

個人の努力が必要なことは分かるが、しかし、政府にはもっと重要な なすべきことがあるのではないか。

これからは1日に何十人と感染者が出てくる。その濃厚接触者を追跡することが難しくなる。それよりも、感染検査を幅広く一般に提供すべきだろう。

加藤大臣は17日の会見で「一日3,000件を上回る」PCR検査ができるようにするというが、2月21日の段階で、クルーズ船とチャータ便をのぞくと、累積693件しか、検査が行われていない。感染検査が自由にうけられる環境が現在ないからである。加藤大臣が呼びかけても、厚労省の役人が動かないからか、地方の保健所が動かないからか。

テレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーでは、PCR検査を保険適用にしろ、と言っている。その通りだと思う。

しかし、17日に出された大臣会見では、検査はすべて保健所を通し、国立感染症研究所や地方衛生研究所で、必要なら民間5社に委託するという。どこかで、検査を渋っているところがある。厚労省の役人か地方自治体の長であろうか。

このPCR検査を妨げている犯人捜しよりも、PCR検査を自由化し、保険適用にしたほうが手っ取り早い。PCR検査は多くの医療検査会社で日常的にやっていることである。

あとは、発熱患者から検体をとる作業を誰がやるかである。経験ある医師にやらせる手もあるし、医療検査会社の授業員がやっても良いのではないか。1日3000件以上のPCR検査を行うようになると、検体をとる作業もボトルネックとなる可能性がある。

診断と共に治療体制の充実が必要である。呼吸器疾患の重症患者を受け入れている病院なら、経験も設備もあるだろう。感染症指定病院に限定せず、治療体制を広げる必要がある。これまで、厚労省はどれだけの重症患者を受け入れられるのか、また、それを増やすためにどのような努力をしているのか、これまで、発言していない。

また、肺炎を発症している可能性があるのか、新型コロナウイルスの検査をしたほうが良いのか、の判断を町のかかりつけ医が判断する体制をつくった方がよいのではないか。さもないと、重症になってから、相談センターに電話をかけるというケースが、続いてしまう。

また、すでに開発され認可された抗ウイルス薬のなかで、新型コロナウイルスの患者に効くものがないか、国立感染症研究所のリーダーシップで、系統的に試すべきだと思う。外国の論文でいろいろと報告されているが、その真偽を確かめるべきだろう。

  ☆ ☆ ☆

笑い話のような話だが、私が外資系IT会社に勤めているとき、20年前だが、サーバーに多数のアクセスが来て、サーバーのダウンが頻発した。そのとき、日本人の技術者がビッグ・アイデアがあると本社にむけて誇らしげに提案した。サーバーの手前のルーターでアクセスを絞れば良い。すなわち、サーバーへのアクセスが減れば、サーバーがダウンしない。残念ながら嘲笑されただけだった。

たしかに、病人が医療機関に受診しなく、家にじっとしていれば、日本の医療体制は崩壊しないだろう。しかし、そんなものが医療体制と言えるのだろうか。日本人はアタマがおかしい、と思わざるをえない。

[追記]
けさ、2月25日のテレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーで、加藤厚労相大臣の言った「1日に3000件を上回るPCR検査」は期待であって、厚労省が、民間を含む各機関に確かめた数ではないという。また、厚労省がまとめている、PCR検査の実績数も、実際に地方の衛生研究所が行っている検査数を反映していないという。さらに、政府が主催した2月24日の新型コロナウイルス対策専門家会議で、PCR検査体制が患者数の増加に対応できるかは、話題にもならなかったという。

加藤大臣は厚労省役人にバカにされているのではないか、と私は思った。しかし、モーニングショーでの意見では、専門家はただ政治的決断にしたがっているだけで、専門家会議の前に、だれかが政治的決断を下しているのだろうであった。ということは、加藤大臣の上を見て、厚労省役人が動いているのだろうか?

悪魔の兵器「原爆」の誕生は科学者の心に責任がある?

2020-02-24 00:11:32 | 戦争を考える


きのうの深夜、NHKで、2018年のBS1スペシャル『“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇』の再放送があった。思わず、99分見いってしまった。

NHKが制作したドキュメントである。しかし、語りが誰か、声は誰かの名前(クレジット)があるが、誰が取材して、誰が制作して、誰がシナリオを書いたかが、番組紹介に出てこない。ドキュメントを信頼するか否かは、語り手や声優の迫真性ではなく、取材者や製作者やシナリオライターへの信頼性である。決して、NHKという組織を信頼してではない。

[訂正]You Tubeにこの番組の録画あがっていたので確認すると、最後の数秒に画面最下部にクレジットが出ていた。ディレクターが鈴木冬悠人、製作が内田俊一、古庄拓自、取材が山田功次郎、宇佐美悠紀、リサーチャーが中里雅子とあった。大作ありがとう。

ネットで探してみると、鈴木冬悠人が、取材の動機を書いていた。

《取材のきっかけは、去年制作した戦争番組だった。
第二次世界大戦中に、日本を徹底的に焼い弾空爆したアメリカの空軍幹部たちが、口をそろえてこう証言していた。
「日本に対する原爆投下は、軍事的には全く必要のない作戦だった」。それを聞き、大きな疑問を抱いた。
じゃあ、いったい誰が、何のために原爆を製造し、日本への投下を推し進めたのか。》

その答えは科学者である、というのが、このドキュメントである。「軍や政治家でなく、科学者自身が原爆開発を提案し、積極的に推進し、投下も主張した」。すなわち、科学者の心に闇があるのだという。

ルーズベルトの科学技術アドバイザーのヴァニーヴァー・ ブッシュとロスアモス研究所所長のロバート・オッペンハイマーが極悪2人組だという。
    ☆
私はヴァニーヴァー・ ブッシュの名前を聞いたことがないので、ウィキペデイアを見てみると、1917年、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学から工学博士号を受けている。

彼は、第1次世界大戦時に、潜水艦を発見するための技術を開発した。1932~38年には、MIT副学長と工学部学部長を務めた。1939年、研究資金の潤沢なワシントン・カーネギー研究機構の総長職となった。非公式な政府の科学顧問としても助言をする立場となり、ブッシュはアメリカ国内の研究のを軍事的な方向に舵を取った。1940年、アメリカ国防研究委員会(NDRC)の議長となった。

すなわち、ブッシュは「物理学」と無縁のひとであり、軍事研究をてこに権力に近づき、行政管理畑の道を歩いた人である。私にとって、ブッシュがまったく知らない人であって、あたりまえである。

番組では、ブッシュは物理学の研究資金と物理学者の職をふやすために、軍事研究を推進したとしている。

《科学は病気をなくし生活水準を向上させているのに、物理科学への資金援助は大幅にカットされ完全にうち捨てられた。》
《戦争が始まる前の1930年代、アメリカを覆った世界大恐慌。博士課程を修了しても科学者の多くは仕事に就けませんでした。この戦争に貢献し、科学者の地位をあげるとブッシュは強い決意でのぞんだ。
この戦争は科学技術が左右する。もっと強力な爆弾を造りあげて他人の頭上に落とすのも悪いことではない。》

回想では、自己を正当化するために何とでも書く。

アメリカが第2次世界大戦に参戦するのは、1941年12月である。そのまえに、ブッシュはアメリカ国内の研究を軍事的な方向に舵を取っている。単に、アメリカ国内の好戦的な上流階級の人々に合わせて、自分の野心を成し遂げようとしたのではないか。
    ☆
もう一人の重要人物は、ロバート・オッペンハイマーである。彼については、多少の知識をもっている。分子科学でボルン=オッペンハイマー近似というものがある。彼の功績はこれだけである。彼は大学で化学を専攻した。イギリスのキャヴェンディッシュ研究所に留学し、化学を学んだ。オッペンハイマーはここでニールス・ボーアと出会い、実験を伴う化学から理論物理学の世界へとはいった。

ドキュメントでは、オッペンハイマーは名誉欲が強く自己中心的で、能力が認められず、ふてくされていたとか、性格が悪いとか、中傷のオンパレードであった。とにかく、その彼が、39歳の1943年、ロスアラモス国立研究所の初代所長に採用され、原爆製造研究チームを主導した。

一般に、科学者は権威を尊重せず、集団行動が嫌いだから、組織の管理者に向いてない。お金が好きで役職が好きで権力者の意志を気にするものが管理者に向いている、と上の人間は考える。私が会社に勤めているときも、上はそうだった。

これは あくまで一般論だ。ドキュメントでは、オッペンハイマーはロスアモス研究所で起きた開発の疑念・反対にたいして話し合いで解決しようとしている。その点で非常に良識的な市民としての一面を見せており、極悪人とは言えないかもしれない。

物理学者レオ・シラードがルーズベルト大統領に原爆開発の手紙を送ったのは1939年である。このとき、ブッシュはルーズベルトに軍事技術の助言をしていた。ルーズベルトが正式に核兵器開発を認可したのは1942年10月で、ブッシュと副大統領のヘンリー・A・ウォレスが立ち会っている。プロジェクトの管轄を陸軍にした。また、ルーズベルトは10月11日にはイギリスの首相ウィンストン・チャーチルに書簡を送り、協力を要請した。

原爆開発プロジェクトの暗号名はマンハッタン計画である。

チャーチルに書簡を送ったのは、イギリスでも原爆の研究が進められていたからだ。ウラン235を爆発させるには数kgから10kgで十分だと見積もられていた。その報告が1941年10月、ルーズベルト大統領に伝えられている。

じっさいには、それ以前から、ウラン鉱石の採掘、ウラン235の濃縮が研究されており、1942年12月22日に、エンリコ・フェルミやレオ・シラードらが世界ではじめて核分裂連鎖反応を人工的に引き起こした。これによって、いろいろな物理定数を測定できた。

当時、日本もドイツも核兵器研究にとりかかっていたが、核分裂連鎖反応を引き起こすことができず、臨界半径などの重要な設計に必要な定数を求めることができなかった。

すなわち、ブッシュには大統領と副大統領とともに核兵器開発プロジェクトへの資金投入を決定できるほどの権力があった。

オッペンハイマーは雇われた駒である。2016年のBS1スペシャル『原爆投下 知られざる作戦を追う』では、陸軍将校につねにプロジェクトの進行を報告する立場、中間管理職であった。今回のドキュメントは、オッペンハイマーはどうしてこの機密プロジェクトを知り得たのか、どうしてブッシュは彼を雇ったのか、いつ雇ったのかを、明らかにしていない。

ブッシュから見れば、オッペンハイマーに物理学的才能がないから、核兵器開発の技術的管理に最適とみえたのではないか。それは、ロスアモス研究所の目標は、すでに科学的研究ではなく、兵器として設計し、製造することであったからである。

今回のドキュメントで私が得た新しい知識は、ハリー・S・トルーマンが大統領になるまで、核兵器開発プロジェクトを知らなかったことである。民主党内で、トルーマンはルーズベルトと対立する立場にあり、1941年には、軍事費の不正使用を追求していた人である。1944年にルーズベルトが大統領に4選されるため、トルーマンを副大統領にした。その彼が、大がかりにすでに進展していた核兵器開発プロジェクトを、1945年4月12日にルーズベルトが急死するまで、知らなかったのだ。

これには、びっくりした。ブッシュとルーズベルトは完全機密として原爆の開発を進めることができたのだ。そうできたのは、愛国心のマジックとともに、情報流出に厳しい罰則が規定されていたからであろう。英国の科学者が、ソビエト連邦に原爆製造の機密を漏らしたことで、戦後、死刑になっている。

ルーズベルトが急死したことで、ブッシュやオッペンハイマーはプロジェクトを戦争終結の前に完成させ、使用しないといけないとの思いに追い込まれた、とドキュメントは描く。
特に、ブッシュはなぜ200億(150億?)ドルものお金を投資したか、とアメリカ国民に責められないように、原爆のおかげでアメリカが戦争に勝利したという、演出をせざるをえない立場になった。

ドキュメントでは、核兵器の開発を知ったトルーマンは、開発された原爆をどこで使うかの委員会を発足させた、という。それに、ブッシュとオッペンハイマーとが参加しており、必要がないのに広島、長崎に原爆を落としたのは、科学者ブッシュとオッペンハイマーのせいであるとする。すなわち、科学者は悪魔の心をもっているとする。

委員会は5人でできているから、「ブッシュ、オッペンハイマー=科学者=悪魔」の論理は、ちょっと、無理だと思う。

それに、BS1スペシャル『原爆投下 知られざる作戦を追う』では、1945年8月6日の広島原発投下はトルーマン大統領の承認をとっておらず、オッペンハイマーの上司の、プロジェクト責任者のレズリー・リチャード・グローヴス陸軍少将が命令したという。子どもや女をターゲットに原爆を使うなという大統領の指示を無視し、実行されたものであるという。

このように、BS1スペシャル『“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇』はツッコミどころが満載である。たしかに、核兵器は個人的な野心によって開発されたと言えるが、「科学者たちの心の闇」は言い過ぎで、ブッシュの野心と陸軍上層部の野望とが合致して起きたことと考えた方が良さそうに思える。

愛国心は野心と容易に合体しやすいのである。