猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

TBS報道特集「1971年国会爆竹事件」は民主主義の否定か

2022-05-15 23:15:07 | 国家

きのうTBS報道特集で放送した「1971年の沖縄返還に抗議する国会爆竹事件」が、ツイッター上で大きく盛り上がったようだ。

日本政府の決定に従うのが正しいと考えるか、琉球(沖縄)人は自分の将来を自分で決める権利があると考えるかで、その評価が大きく分かれた。

国会爆竹事件は、琉球(沖縄)から見れば、「国会に鳴り響いた爆竹 舞うビラ 米軍基地を残したままの沖縄返還 欺瞞に捨て身の告発」(沖縄タイムズ2021年10月18日)となる。

日本政府に従うべき、自民党は正しい、首相は偉い、佐藤栄作は正しい、と思う人たちからすると、国会で佐藤栄作が演説中に沖縄人3人が傍聴席で爆竹をならすことに、ツイッター上でつぎのような反応となる。

<いついかなる状況であっても 暴力で現状を変更しようとする行為はテロ テロリストは卑劣極まりない>

<TBS報道特集で沖縄国会爆竹事件を肯定されていた。テロを肯定するテレビ会社があっていいのだろうか。>

テロとは自分の意見を通すために相手に恐怖を与えることだ。普通は、殺すとか、傷つけることをさす。傍聴席で爆竹をならし、佐藤栄作の演説を妨害しただけで、爆竹を佐藤栄作に投げつけたわけではない。テロとは大げさで、「欺瞞に捨て身の告発」のほうがあたっている。3人はすぐさま取り押さえられ、日本での裁判に付される。「捨て身の告発」である。表現の自由の範囲とも考えられる。

また、つぎのようなツイッターがあった。

<国会爆竹事件の裁判での“日本語で話しなさい”って差別的取り扱いだろうが、これは、津軽弁が強い被告の場合も当時は同様のケースが起きてたはずで沖縄問題とは別個に捉えないと>

裁判官には、日本語を話せなど言う権利はないと私は思う。琉球弁であろうが津軽弁であろうが、自分の国の言葉で話す権利はある。通訳をつけて欲しい、という弁護人の主張は認めるべきである。考えてみれば、日本の役人にとって話している言葉がわからない琉球人を、琉球の土地と共に、日本がアメリカから受け取り、これまでのアメリカの軍事基地をそこに押し込むというのが、沖縄返還の実態である。

これをつぎのように茶化すのは無神経だと思う。

<他の方言でも「わかる言葉で」って言われると思うんだよな。被害者意識強過ぎん?植民地?植民地にこんなにお金注ぎ込む!?で……ハンスト扱いちっちゃwwwww>

琉球人はつぎのようにつぶやく。

<裁判官が日本語使いなさい。涙が流れました。たった20年前に私も言われました。名札を見て、もしかして沖縄ですか? 私は、「はい」と答えると、あら日本語上手ですね。私はお客様歴史勉強した方がよろしいですよ、支配人の説教くらう。>

琉球人には、日本で見かけない名前があるので、名札で、わかる人にはわかってしまう。

また、ツイッターの中に「方言札」という言葉があったが、ネットで調べると、つぎの説明があった。

<標準語の使用を強制させるため、学校で方言を話した者に、罰として首から下げさせた木札。 各地にあるが、特に沖縄で厳しく行われ、明治末から第二次大戦後まで用いられた。>(コトバンク)

私がカナダにポストドクターで渡ったとき、大学院生にアイルランドからの学生がいて、ちょっと前まで、学校で英語を使わないとイギリス人から体罰をうけ、英語を使いますとの木札を首につけられたと言っていた。

琉球はもともと独立国家で、幕末に島津藩に属領にされた歴史がある。ヨーロッパの感覚では、いかに集団が小さかろうが、聴いて言葉がわからなければ、独立国家として承認されてもおかしくない。そして、日本国内のアメリカ軍の基地の代替地とされることを拒否するのは、当然のこととみなされるだろう。

つぎのツイッターのコメントに私は共感する。

<公判で被告の青年たちが一貫して沖縄語を使い裁判長から退廷を命じられたことは返還直前のオキナワからヤマトへの最大限の抵抗だった。(日本人に沖縄の運命を決定する権利はない)という言葉は重い。>

<昔「ゆきゆきて神軍」奥崎健三を見たが、何かそんな番組やった。「山崎天皇を撃て」と昭和天皇にパチンコを3発打ったが、そんな気持ちやったんやろな。>

<国は復帰50年をお祝いモードだが、金平キャスター『ウクライナと地続きになっているのは沖縄ではないか』沖縄は戦争最前線にならないことを祈りたい。>

現在、沖縄でのアメリカ軍基地反対運動を取り締まる機動隊は、他県から集めた警官から成り立っている。まさにヤマトからオキナワへの占領軍である。


佐伯啓思の『対コロナ戦争』で展開する「国家観」を批判する

2021-06-26 22:36:45 | 国家

きょう、また、佐伯啓思が理解しがたいことを朝日新聞に書いている。『(異論のススメ スペシャル) 対コロナ戦争』である。

彼が言いたいことを一言でまとめると、日本人は頭が悪いということである。この結論自体に私はべつに異論がない。日本人に限らず、人間は頭が悪いと思う。それでも人間は生きていくのだ。

問題は、そこにたどり着くまでの論理である。

彼の小論には「西洋」「日本」「市民」「国家」「共同体」「戦争」「国家の危機」「国家の強権」「ルソー」「共和主義」などの言葉が出てくるが、「平等」「プロレタリア」「共産主義」「階級」「革命」という言葉は出てこない。

「民主主義」「リベラル」という言葉はそれぞれ一度だけ出てくるが、「戦後民主主義」、「リベラル系」というかたちであらわれ、自分の思想に反する人びとを罵るため使われている。

彼は、今は《国家の危機という「例外」状態》にあるから、「国家の強権」が必要があるというたわごとを、つぎのように述べているだけである。

《われわれは、「自粛要請」型でゆくのか、それとも、西洋型の強力な国家観を採るのか、重要な岐路に立たされることになるだろう。「自粛型」とは市民の良識に頼るということであるが、果たしてそれだけの良識がわれわれにあるのだろうか。》

この結論をだすために、偏った国家観をくどくどと書いているのである。

私はフランス語が読めないから、彼が引用するルソーの言葉もその思想もわからない。

《「統治者が市民に向かって、『お前の死ぬことが国家にとって役立つのだ』というとき、市民は死なねばならない」》

こんなことをなぜルソーが言ったのか私は知らないが、私は拒否する。

バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』のなかで、ルソーがトンデモナイお調子もので、人にたかって生き、支援をつなぎとめるために、その場しのぎの言葉をあやつっている、何の哲学もないと、ケチョンケチョンにけなしていた。

佐伯はさらに続ける。

《ひとたび国家社会に危機が押し寄せてきた時には個人の権利は制限されうる。国家が崩壊しては、個人の権利も自由もないからである。だから危機を回避し、共同体がもとの秩序を回復するために強力な権力が国家指導者に付与される。》

《「政治」とは危機における決断なのである。しかし、戦争のような国家の危機という「例外状態」にあっては、部分的には憲法の条項を停止した独裁(委任独裁)が必要となる、というのである。》

こんなことで、独裁が認められるなら、独裁者になりたいものは、戦争の危機をいつも煽りつづけるだろう。実際に、ナチスは「共同体社会の防衛」をかかげ、ファシズムは「国家社会の防衛」をかかげ、独裁体制を造り上げ、戦争に国民を導いた。私は彼に問う。回復すべき「秩序」とは何のことか。「国家指導者」とは何のことか。

佐伯は欧米がコロナ禍で国家の強権をふるっていると言うが、それは負担の「平等」という考えにもとづいており、守るべきルールをコロナ対策として明確に打ち出しているだけだ。現実には、ドイツでは、コロナ禍で私権が制限されるなかでも、デモによる表現の自由が認められている。イギリスでは、感染対策のルールを破った政府要職者は世論の批判を浴び、辞任している。民主主義は欧米で いまも 生きている。

佐伯が「共和主義の精神」と呼んでいるものはプラトンの「哲人による政治」のことである。プラトンは、アテネがスパルタとの戦争に負け、一時的にスパルタの属国になっていた時代のスパルタ派である。プラトンは、スパルタを模範として軍事強国を作るべきと考え、市民は自分の役割に専念し、政治は一部の集団が独占すべきだと説いた。そして、民主主義を批判した。プラトンの考えは、欧米社会に生き残り、エリート層による国家支配という形で、幾度も復活してきた。

国家指導者や独裁なんて不要である。コロナ禍でも民主主義が充分機能する。新型コロナワクチンは、まだ、試験段階であり、本人の同意のもとに接種されねばならない。また、「三密を避ける」「人流を抑える」という、彼がバカにする「自粛要請」は充分に機能し、「緊急事態」の宣言で感染者数が減っている。これは、「自粛要請」にしたがう良識ある人々がいるからである。

政府こそ、「自粛要請」にしたがう良識ある人々をあざ笑うがごとく、「三密を避ける」「人流を抑える」に反する政策を行う。これを批判するのが、民主主義社会の健全さである。「自粛」自体の問題ではない。

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奴隷制はいかに生じたか、ローマ帝国、漢国、ロシア帝国

2020-07-16 21:14:23 | 国家

奴隷というと、戦争で得た捕虜のことと考えやすい。ジェームズ・C・スコット著の『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(みすず書房)もそういう印象を与えるかもしれない。古代のローマ帝国では、確かに、そういう側面があったが、古代社会が すべて そうであるわけではない。

古代のメソポタミアやパレスチナでは、しもべと奴隷との区別がなかった。しもべも奴隷も主人に仕える点で同じである。所有物である。お金で売買された時点で、現代的な意味で「奴隷」であることがわかる。

古代メソポタミアでは、戦争で捕虜にされるのは、敵国の裕福なもの、王などの支配者の一族である。貧しい者は、殺されるのでなければ、負ける前に逃亡するのである。王などの支配者一族は反乱を避けるため、隔離する必要がある。これを「捕囚」という。裕福な者は、その身内が身代金を支払うまで、すなわち、「贖われる」まで、捕虜にとどまる。

「奴隷」は、優遇されなければ、カウツキーが指摘するように、非常に生産性の悪い「労働力」となる。したがって、単純労働する奴隷が社会のなかで多数を占めたのは、ローマ帝国の特殊性である。ローマ帝国が安易に勝てたという時代が一時的にあったということだ。

戦争は、勝てるために、自軍からも死者をださないといけない。戦闘の努力が、得た奴隷の労働奉仕に見合うとは、かなりの偶然的要素に依存している。ローマ帝国が他国に容易に勝てる時代がすぎると、奴隷制が崩壊した。

奴隷が生じる要因は、かならずしも、戦争の結果ではない。

歴史上最悪の奴隷制は、200年前のアメリカの奴隷制である。ここでの奴隷制は、国内的には、暴力と人種差別によってなりたっていた。対外的には、イギリスの奴隷商人が、中央アフリカの部族王と、工業製品と奴隷との交換貿易を行って、アメリカに奴隷が供給されていたのである。王が着飾るために、奴隷を輸出していたのである。

これは、グローバリズムのなかで、生産力の差によって、奴隷が輸出されたという例である。

社会が安定した結果、格差が拡大し、奴隷が生じたという例も多い。

『図説中国文明史』(創元社)第4巻の「秦漢 雄偉なる文明」には、9箇所、奴隷のことが書かれている。中国は殷、周、春秋、戦国と、次第に奴隷の売買や殉葬がなくなり、戦国末には法的にも禁じられた。国が分かれていると、王や貴族の過酷な支配から平民や奴隷は逃亡するから、競合して下層民の人権もみとめるようになる。

すなわち、国政に競合があると、奴隷制はなくなるということだ。けっして、巨大統一国家は望ましいことではない。

ところが、漢代のように、競合的支配体制がないと、自営農民が没落し、小作になり、借金がかさむと奴隷になる。奴隷が増加し、後漢時代には、奴隷の売買が法的にも認められたとある。

『地域からの世界史』(朝日新聞社)第11巻、和田春樹の『ロシア・ソ連』に同様の例が見られる。ロシア帝国の国力が高まり、治安が良くなると、地主は農民から過酷に取り立てを行うようになり、逃亡が起きるようになった。そこで、農民の移動を禁止し、農奴が生じた。農奴制が立法化されたのは1649年である。ロシアに初めから農奴があったわけでない。

日本も、このまま、格差が大きくなると、奴隷制がおきるかもしれない。
支配・被支配関係が強化された形が、奴隷制である。

働くことは生の一部である。働くこと自体が苦痛であるのではない。働かされるから、苦痛なのだ。働くことが喜びであるのが、あるべき社会だ。
農耕は苦役だから、奴隷制が生じたというスコットの見解に賛同できない。


歴史上最悪の奴隷制は200年前のアメリカの奴隷制

2020-07-14 22:39:09 | 国家


ジェームズ・C・スコット著の『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(みすず書房)を、ようやく、3日前に手にした。哲学者、柄谷行人の書評が不快だったので、現物で確認すべく、5カ月以上前に図書館に予約した。

なにが不快かというと、「奴隷制が国家を可能にし、国家が農業革命を可能にした」とも読める柄谷行人の要約である。

現物を手にして、スコットの本書は、読みづらい、真意を知るに注意がいると、感じた。
スコットは、彼が属している知識人の世界をクソと思って、その常識に反抗しているのだが、訳で読んでいるので、翻訳の誤りかもしれない。スコットもクソの仲間か、ほんとうの反逆者なのかわからない。スコットの評価には時間がかかりそうである。

歴史の教科書は、4大文明で始まる。なぜ、そうなのか、私にはわからない。そして、4大文明の創始者は、いまだに、文明の担い手かというと、中国をのぞいてそうではない。メソポタミア文明創始者のシュメール人は、いまどうなっているか、歴史家でも知らない。

スコット自身が指摘しているように、4大文明が養っていた人口はわずかで、世界は、4大文明と関係なく回っていた。4大文明中心に歴史を論ずるのは、本来は、おかしい。

歴史は、文字で伝えられたものに大きく依存している。だから、「歴史」を、知識人たちが作った虚構と考えたほうが、適切である。

メソポタミア文明に奴隷制があったかは微妙である。「奴隷」という概念が明確ではないからだ。スコットは「奴隷」という言葉はなかったが、それに相当するものはあったという。

同じ問題は、聖書を読んで、私もぶつかった。日本語聖書は、同じヘブライ語を、同じギリシア語を、「奴隷」と訳したり、「しもべ」と訳したりする。

古代のメソポタミア社会や地中海社会は、誰かに仕えて生きる者は「奴隷」であり、仕える主人をもたない者が「自由人」である。したがって、「しもべ」と「奴隷」は同じである。現代の会社勤めをしている者は、「社長」という主人をもつから、古代人の感覚では「奴隷」である。反乱しない「奴隷」は、スコットのいう「飼いならされた穀物や家畜と同じ存在」になる。ストライキを起こさない勤め人はクソだ。

カール・カウツキーは『キリスト教の起源 歴史的研究』(法政大学出版局)で、ローマ社会のプロレタリアと奴隷について詳しく言及している。プロレタリアとは資産をもたない自由人を言い、奴隷はだれかの所有物である人々を言う。プロレタリアは土地も職もないから、奴隷より貧しいこともすくなくなかったのである。

支配者は、プロレタリアが反乱を起こすと、奴隷を使ってプロレタリアの反乱を抑え込み、奴隷が反乱すると、プロレタリアを使って、奴隷の反乱を抑え込んだ。

残念ながら、プロレタリアと奴隷とが手を組んで、支配者と戦うことはなかった。皇帝は自分の奴隷(しもべ)を厚遇し、私兵として利用していた。いっぽうで、プロレタリアのご機嫌をとっていた。

「奴隷」とは古代社会に限られたものではない。歴史上最悪の奴隷制は、200年前のアメリカの奴隷制である。

それまでの「奴隷」は主人の所有物であったが、外見は、主人も奴隷も変わらない、すなわち、肌に色で区別されることはなかった。同じ人間であるとみなされていたのである。戦争での捕虜ばかりが奴隷になったと思われがちであるが、古代社会では、借金のかたに、奴隷になった者も多い。

200年前の奴隷は、人間だと思われていないのだ。古代にない、人種という考え方が、アメリカの奴隷制をささえていたのである。歴史の教科書に騙されてはいけない。アメリカの奴隷制は最悪なのだ。いま、アメリカで銅像を倒す人々がいるが、彼らの行動は正しい。なぜ、クソみたい人間が銅像になって崇められているのか、その怒りがよくわかる。

スコットがなぜ200年前のアメリカの奴隷制について言及しないのか、不可解である。アメリカ社会の負の遺産はまだ清算されていない。

「なにじんでもない」ことが居心地のよいロンドンのウエンツ瑛士

2020-01-02 22:13:45 | 国家
 
ウエンツ瑛士が「自分が何人(なにじん)でもないという感覚も悪くない」と朝日新聞のインタビューに答えていた。彼は、演劇の勉強にロンドンに留学中だという。とても幸せそうだった。
 
彼はいう。「ロンドンでは、複数の国や地域にルーツを持たない人の方が珍しいぐらい。周りにもたくさんいるので、僕は自分のことをむしろポジティブに捉えています。」
 
「なにじんでもない」ことをコスモポリタンという。
 
しかし、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』(新潮社)を読むと、複数のルーツを持つことの大変さを思わざるを得ない。
 
サリンジャーはユダヤ系の父とアイルランド系の母のあいだに生まれた。娘のマーガレットは、これがいかに大変なことかを思いはかっている。ヒットラーのドイツとアメリカが戦っていたとき、国と国とは戦っているのに、アメリカの白人はドイツ人に親近感をよせ、ユダヤ人とは一緒にいたくないという感情をいだいていたという。1930年の大恐慌のなかで、アメリカ人の反ユダヤ感情が強まり、ユダヤ人は職を得るに苦労したという。
 
サリンジャーのフルネームはJerome David Salingerである。しかし、非ユダヤ白人にとって「ユダヤ人でございます」という名前なので、彼はこれを嫌い、J. D. Salingerというイニシアルで作品を発表した、とマーガレットがいう。そしてその当時の多くのユダヤ人が職を得るためにしたことだという。
 
さらに、マーガレットは、ユダヤ人と非ユダヤ人とのあいだに生まれたことは、両方のコミュニティから排除されることになる、という。J. D. サリンジャーは、ユダヤ人コミュニティからの保護をうけられないという。
 
排除の問題は、コスモポリタンを認めないヒットラーの時代のドイツではもっと深刻だ。ナチスは、ユダヤ人が何代か前にユダヤ教の信仰をやめ、カトリックに改宗しても、ドイツ人だと認めず、ユダヤ人の刻印を押し、収容所に送ったのである。ナチスは「なにじんでもない」コスモポリタンの存在を否定したのである。
 
じつは、安倍晋三も『新しい国へ 美しい国へ完全版』(文春新書)で「なにじんでもない」生き方を否定している。「日の丸」「君が代」に心から感動しないといけないのである。
 
私は40年以上前に妻と1歳の息子とカナダに渡った。カナダは移民の国で居心地がよかった。私は大学で研究生活をしていたが、大学は本当に色々な国籍をもつ人が働いていた。研究者や学生だけでなく、食堂のレジ係のおばさんや掃除のおじさんとも友達になった。
 
もちろん、ケルト人やフランス人であることで、どのように迫害されたかの歴史も聞かされた。英語の訛りにもいろいろあり、それで差別されるという話しも聞いた。しかし、私自身は差別というものを感じず、研究に専念した。
 
日本に帰ってから、逆に日本人であることをいろいろと要求され、自分はコスモポリタンになったんだと感じた。
 
ウエンツ瑛士のいう、「なにじんでもない」という感覚が居心地のいいロンドンは素晴らしい都市だと思う。東京は、ロンドンやニューヨークよりも偏見に満ち満ちている。