(1906年、長崎でロシア語新聞が発刊された)
自由とは何か。中学の『公民教科書』を読んでも何がなんだか、わからない話が出てくるだけである。教師は、どうやって教えるのだろう。
それに対し、土肥恒之の『ステンカ・ラージン : 自由なロシアを求めて』(山川出版社)の冒頭に、もっと、わかりやすい「自由」の説明がでてくる。
《 「ヴォーリヤ」(自由)、それは行けども行けども果てしがなく、大きな河の流れに乗ってどこまでも旅をすることができ、自由の息吹、見はるかす大地の息吹を吸い込み、風で胸を一杯にふくらませ、頭の上に大空を感じ、足の向くまま気の向くままに、どこへでも行くことができる大きな空間です。》
これは、中世文学史家ドミトリィ・リハチョーフの言葉の引用だという。まさに、私が50年以上前に求めていたものだ。
「ヴォーリヤ」とはロシア語でどう綴るのだろうか。ネットで、日本語の「自由」をロシア語に翻訳させても、「ヴォーリヤ」という語は出てこない。仕方がないから、「ヴォーリヤ ロシア語」でネット検索をかけた。ほとんどカスばかりだったが、ついに、1906年に長崎で「ヴォーリヤ」というロシア語の新聞が発刊されたという観光紹介を見つけた。その写真から綴りがわかった。
「воля」である。
Wiktionaryで調べると、ブルガリア語にもロシア語にもウクライナ語にも「воля」があり、「will, freedom, desire」の意味だとある。「ヴォーリヤ」とは人や国家に左右されず、自分の思いを述べ、行動することである。
Wiktionaryには音声ファイルがあり、聞いてみるとロシア語では「ヴォージャ」に近く聞こえ、ウクライナ語では「ヴォーヒャ」に近く聞こえる。語尾の「я」は二重母音でなく、短母音である。「ヴォーリャ」と記したほうが良いようだ。
ロシア語版、ウクライナ語版ウィキペディアで、「воля」の項を見ると、ロシア、ウクライナ、ポーランドのいたるところで、それが地名として使われていることがわかった。逃亡農民が住みついた地である。
「それは行けども行けども果てしがなく、大きな河の流れに乗ってどこまでも旅をすることができ」は、シベリヤのことではなく、ウクライナの地だったのである。じっさい、19世紀につくられたウクライナ国歌の第1節に「воля」が出てくる。
Ще не вмерла України і слава, і воля.
1991年ウクライナが再度独立したとき、この国歌が復活する。日本の「君が代」よりずっとマシな歌詞である。
土肥恒之は、先ほどの書で、ウクライナ東部のドネツク州のコッサク(スラブ語ではカザーク)のモスクワに対する反乱の物語、ステンカ・ラージンの物語を伝える。