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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

カズオ・イシグロの『失われた巨人』のアクセルとベアトリス

2025-04-30 21:00:51 | こころ

入院していたとき、夜中にふと目の前に浮かんだのは、カズオ・イシグロの『失われた巨人』(ハヤカワepi文庫)の寒々としたイギリス風景である。ブリトン人の住む丘陵地は風が吹き荒れ、サクソン人の住む低地とともに霧に覆われている。雌龍が吐く霧が人びとの記憶を奪っている。

小説の大筋はつぎのようである。

ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、家をでた息子と一緒に住もうと、息子を探す旅に出る。サクソン人の戦士が雌龍を殺すことで、人々が記憶を取り戻す。老夫婦も息子が死んだことを思い出す。サクソン人も、アーサー王による虐殺を思い出し、ブリトン人への復讐の戦いを予感させる。

入院中の私が気になったのは、アクセルが、ベアトリスのことを「お姫様(princess)」と呼び、旅で病身の彼女にとても尽くすにもかかわらず、霧が晴れたら、どうして、彼女と結婚することになったのか、二人で激しい恋に落ちたのか、楽しい日々があったのではないか、そういうことを思い出さなかったことである。

退院後、『失われた巨人』を何度も読み返したが、やはり、その記述がない。霧が晴れて、思い出すのは、ふたりの諍いが嫌で息子が家を出て死んだということである。夫婦というものはその程度のものか、納得がいかない。

私と同じく、イシグロのパートナーはこの小説が気にいらなかったようだ。


森永卓郎に敬意を表する、膀胱がんになって

2025-04-23 11:49:13 | こころ

森永卓郎は死ぬ間際まで本を何冊も書いていた。自分が生きていた証しを残そうと必死だっただろう。その執念に敬意を表する。

私も本当は書きたいことがあるはずなのに書けない。膀胱と腹部が痛くて神経が書くことに集中できない。この痛みにはうんざりしている。

私は膀胱がんの第3期で、主治医から膀胱の全摘を勧められている。今週にも承諾するつもりだが、術後5年後の生存率が40%しかないと知って、多少がっかりしている。

膀胱がなくなると代わりに体の外に袋をつけるのだが、袋の尿を1時間ごとに捨てないと袋が重くなりすぎるという。夜中に起きる回数を減らすには、袋の先にある排尿口に延長コードをつけ、もっと大きな溜め桶に流し込むのだという。

私のところにはベッドがない。ベッドを入れる余裕もない。布団の上の私の袋からちゃんと尿が溜め桶に流れるだろうか。

膀胱がなくなるので、私は身体障碍者になる。袋は週に2回取り替えるのだという。袋代は月に1,2万円かかるのだが、横浜市に申請すると、現物支給を受けられ、年、1,2万円の経費で済むという。これはありがたいことである。

しかし、定期的にあるいは突然来るこの痛みに私はまいっている。

手術をすすめる医師は私の痛みに関心がなく、また、生活の質がさがることには、具体的には話さない。教えてくれるのは、介護福祉士だけである。


病人になって気づいたこと

2025-04-16 15:22:51 | こころ

この歳になって、ガンになって気づいたのは、世の中には病人がいっぱいいるということである。

近所の大学病院に入院して気づいたのは、いつも病床がいっぱいであることだ。手術の後、みんなせきたてられるように退院となる。

私は退院後おしっこがでなくなって近所のクリニックに通ったがそこはもっと混んでいていた。忙しい中を診療してくれて本当にありがたいと思った。町医者も大変なのだ。

電車の駅では歩き方の変な人が目につく。どこか痛くてやっと歩いているのだろう。

診療や処方箋に保険が効くということはとてもありがたい。高額医療費制度も本当に助かった。ガンは手術したからと言ってスパッと治ると限らない。年寄りの場合はゆっくりと進行して重くなる。家庭の医学書は、病人を傷つけないよう明るく書いているが、実際はそうでない。

アメリカではオバマ元大統領が導入した国民皆保険制度に対し、トランプ政権が攻撃しているようだ。

アメリカの歴史書を見ると、ルーズヴェルト元大統領のニューディール政策以降、アメリカも福祉の方向に向かい、企業は従業員に健康保険に掛けたようだ。ところが、1980年代以降、だんだん企業も従業員の健康保険の面倒をみなくなり、無保険の国民が急増し始めた。こういう背景があって、オバマ元大統領が国民皆保険制度を導入した。アメリカが福祉制度を維持できなくなったのは、製造業の衰退と軍事費の増大にあるという。

日本に国民皆保険制度や高額医療費制度があるということは、本当に素晴らしいことだ。ところが、日本の財務省は財政難を理由にその制度を切り詰めようとしている。人間は病気になるものだ。病人を助ける制度は、地味だが、社会制度として、防衛費よりもっと重要だと、私は考える。

アメリカの場合、グロバールサプライチェンや多国籍企業や国際金融を守るため、巨大な軍事力が必要なのだろうが、日本はそうではない。そうあってはならない。日本は今後とも福祉制度を維持すべきである。


経尿動的膀胱腫瘍切除術とインスリン治療

2025-04-03 14:35:18 | こころ

一昨日せきたてられるように、一日早く大学病院を退院した。

入院したのは、膀胱がんの診断確定と早期治療のための「経尿動的膀胱腫瘍切除術」のためである。何か難しい術名だが、要は、全身麻酔のもと、おちんちんの先から直径8ミリの内視鏡と電気メス挿入し、腫瘍の削除と生検を行うものである。

ただ、私が血糖値のコントロールができていず、術を行うには危ないということで、糖尿病内科の意見のもと、術の2週間前に入院して、インスリン投与の治療を受けた。

同室の患者の多くは、入院翌日に術を行い、術後の経過が格別の問題がなければ、2、3日で退院していく。ベッドは次々と新しい患者で埋まり、私だけが術を受けることもなく、のんびりとしているようで、入院を要する患者に申し訳ない気がした。

しかし、これまで服薬で糖尿病治療を行っていた私は、はじめてのインスリン治療で四苦八苦していたのである。どれだけのインスリンを投与すれば、普通の血糖値になるか、なかなかわからなかったのだ。

今回初めて知ったのだが、高血糖より低血糖のほうが危険なのだ。高血糖は持続することで体に害を与えるが、低血糖は即座に脳に機能障害を起こす。

人間の体は、もともと、血液中のブドウ糖が過剰になればインスリンを放出し、ブドウ糖が少なくなれば自動的にインスリンの働きを抑えるようにできている。この自動的メカニズムが壊れた状態が糖尿病なのである。困ったことに脳はつねにブトウ糖を必要としている。

低血糖を起こさない程度に、インスリンを外部から注入し、術に安全なレベルに血糖値をコントロールするのが、意外と難しい。私は、3食ごとに、直前に自分で血糖値を測定し、指定された量のインスリンを自分で腹に打つ。寝る前にも血糖値を測定する。77歳の私には、手順正しく、自分で血糖値を測定し、インスリンを自分で投与すること自体が、大変だった。

低血糖を起こさず、血糖値を200未満に抑えるのに、内科の予告通り、本当に2週間かかった。

話しは、それで終わりではなく、言われた通りにインスリンを投与したのだが、退院した当日の昼食前、血糖値が71、昼食後4時間後には血糖値が74になった。血糖値70以下が低血糖である。大学病院に電話を掛けたが糖尿病の主治医がつかまらず、ブトウ糖を飲めという受付事務員と押し問答になった。その翌日には、朝食前の血糖値が77で、昼食前の血糖値が58になった。完全な低血糖状態である。インスリンの投与量がオカシイのだ。

今度は幸運にも主治医と直接電話で話すことができ、今回の昼食前のインスリン投与は中止、今後のインスリン投与量は半分にすることに決まった。きょうは3日目だが、投与量を半分にした結果、低血糖を起こさずに順調に血糖値コントロールができている。

この大学病院の売りは「チームで治療」だが、実際には柔軟に状況判断できるリーダーが重要である。チームリーダーが人間でなくAIに代わってもうまくいくはずがない。AIは例外的状況に対応できない。AIは平均的な答えしか出せないのである。

なお、私の膀胱がん治療は今後続く長い道にはいった。同じ階の泌尿器科の患者と話しても、みんな時間をかけて悪くなっていくので、あきらめはついている。


日本人ってみなが悪いと思ってるだろう?半藤一利の最後の言葉

2025-02-27 15:29:17 | こころ

きのう読んでいた半藤末利子の『硝子戸のうちとそと』(講談社)に、半藤一利の最後の言葉が載っていた。4年前、加藤陽子の朝日新聞への寄稿のなかの「日本人はそんなにわるくない」の言葉を私が曲解していたのに気づいた。一利の意図を感じとってもらうため、末利子の本から抜粋する。

>亡くなる日の真夜中、明け方だったかもしれない。

「起きている?」

珍しくも主人の方から声をかけてきた。 (……)

「日本人ってみなが悪いと思ってるだろう?」

「うん、私も悪い奴だと思っているわ」

私がそう答えると、

「日本人は悪くないんだよ」

と言う。<

これを読んで病床の私は涙が止まらない。一利はなんて優しい夫なのだろう。

末利子の応答からすると、一利は日ごろ「日本人は悪い」と怒りまわっていたのだろう。彼は、死ぬ間際に、自分の言葉が与えつづけた呪文から妻を解き放したいと思ったのだと思う。

日本人全員が悪いわけではない。悪意の人もいれば、善意の人もいる。何も考えていない人もいる。悪い人がいるのは日本人だけでない。

一利は悪い日本人に怒りまくっていたのだ。

夫婦の思いやりという文脈を離れて、「日本人は悪くないんだよ」という言葉が独り歩きして欲しくない。

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