猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

愛されるべき子どもたちの備忘録、怒りと悲しみ

2022-10-28 23:31:43 | 愛すべき子どもたち

渡辺弥生の『感情の正体 発達心理学で気持ちをマネジメントする』(ちくま新書)を読んでいたら、「子どもは、悲しみの表情を怒りの表情ととらえてしまうようなのです」という文に出くわした。これは、感情とは何かを表情から探ろう、という文脈での、一節である。

怒りと悲しみとが結びついているのだ。似たような文を見たことを思い出した。DMS-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)の一節である。

重篤気分調症につぎのようにある。

「激しい激怒性は2つの特徴的な臨床症状として現れる。1つ目は頻回のかんしゃく発作である。このような発作は典型的には欲求不満に反応して起こり、言語または行動(後者は、器物、自己、または他人への攻撃)の形をとる。」

「慢性的な易怒性を示す子どもは成人期に単極性抑うつ障害および/または不安症群を発症する危険性が高い。」

ここで「かんしゃく」は「癇癪」とも書く。

先日、NPOのほうから、私が以前に担当した女の子(23歳)がグループホームで癇癪発作を起した、すぐ来てください、というメールを受け取った。癇癪発作はSNSでのトラブルが原因で、SNSをやめるようにアドバイスしているとあった。

あくびてんかん発作を持病とする子だったので、急いで出かけ、その子に会った。話を聞くと、SNSの件は心のなかで決着している、Googleアカウントは複数もっている、イラストをネットにあげたいので、アカウントを閉じたくない、と言う。癇癪発作というが、グループホームから弁償を請求されないよう、すなわち、部屋を壊さないよう、一人で暴れているのだと彼女は言う。

SNSの件が決着しているのに、どうして、イライラするのか、よくよく聞いていくと、経済的不安に追い詰められていると言う。その子は、いろいろな人からカウンセリングを受けていたが、支援者のこれまでのメールのどこにも、それがなかった。発達障害という「色メガネ」から、SNSが悪者になっていただけだ。

人が欲求不満になるのは、味方してくれる人がいないのもあるが、自分の困りごとが何であるのかわからなかったり、あるいは、それを伝える言語的能力なかったりすることが多い。癇癪発作が起きたから薬を飲ますというだけでは、解決にならない。

彼女は精神障害の手帳をもっており、公的サービスを受けているから、形の上では支援者は多い。しかし、不安になると働けなくなる。働かなければ、おしゃれもできないし、趣味のものも買えない。障害者年金だけでは十分でない。さらに不安になる。悪循環に陥って、癇癪を起さずにいられなくなる。

背景に、彼女の母親が厳しい人で、子どものときから自立を要求することにある。「働くのが嫌なら、生活レベルを落として、生活保護を受けなさい」「高価な冬用帽子を買うことはない」「自分で組み立てられない椅子を買うなんて」と母親に言われたと話す。

「いろいろ言われると、また、失敗してしまうのでは、と思ってしまう。自分の思っていることが言えない」と彼女は話す。

母親の言うことは正論であるが、彼女は甘えたいのである。子ども時代に甘えたりなかったということが、現在の経済的状況を過剰に不安なものに受け取るのである。

怒りは悲しみに転換する。うつ病を発症するかもしれない。怒りの段階で、経済的不安と働けないの悪循環を止めないといけない。


「スピリチュアル」は人の不安な心に巣食うもの

2022-10-26 23:48:07 | こころ

きょうの朝日新聞『(耕論)スピリチュアルの今』を読んで、私は「スピリチュアル」の意味をすっかり誤解していたことに気づいた。

高校のとき、英語の教科書に“in high spirit”という語句が出てきて、どんな意味か思い悩んで、前後の意味から、「意気高揚して」と理解した。その経験から“spiritual”を「気分を高揚させる」という意味と思い込んでいた。

今回、英英辞典を改めて引いたが、「スピリチュアル」を「超自然的な(supernatual)」や「霊的な(of soul)」としている。

インタビュー記事によると、有元裕美子は「スピリチュアル」を「目に見えず、測定も可視化もできないエネルギーや、それが引き起こす現象の総称」と定義している。その存在を信じるか否かはわかれるが、「占い」や「ヒーリング」や「パワースポット」などがスピリチュアルなものの例であるそうだ。

もちろん、そのような「スピリチュアルなもの」の存在を私は信じない。

辛酸なめ子も占いや心霊写真などを思い浮かべており、良いスピリチュアル、悪いスピリチュアルがあるかのようにいう。彼女は悪いスピリチュアルは不安や恐怖をあおるものと言う。「スピリチュアルと、カルチャー要素の強いオカルトと、陰謀論と、それぞれ異なりますが、シームレスな関係です。スピリチュアルにまったく免疫がない友人が、陰謀論にはまることがすごく多いです」だと言う。

小池靖は、スピリチュアルを、上の両者と同様な意味に理解しており、現在、日本社会ではスピリチュアルなものや宗教的なものの存在感が弱まっているが、今後、大きな事件や深刻な不景気、巨大災害が起きたとき、人々の不安がスピリチュアルな言説や陰謀論の広がりに結びつく可能性があると警告している。

3人とも、スピリチュアルを信じるのは人びとの心に不安があるから、と考える。スピリチュアルなものは不安を癒す虚構なのだ。スピリチュアルの商売が繁盛するということは、単に、合理的な思考ができる人が少ない、というだけではなく、人と人とを結びつける「心の優しさ」が社会から失われたということを意味する

スピリチャルなもの、宗教的なものが社会から廃れること自体は、悪いことでないが、人々が不安から陰謀論に飛びつくことは避けないいけない。


Eテレ『こころの時代~宗教・人生~』シリーズ「問われる宗教と“カルト”」

2022-10-23 22:32:22 | 宗教

NHKのEテレ『こころの時代~宗教・人生~』で、統一教会問題を受けて、宗教問題の研究者・宗教者6人が一堂に会し、宗教の在り方を議論した。

宗教が危険なものを内在しており、取扱いに注意がいるとの認識を6人とも共有していた。が、論者が宗教関係者に限定されており、私には物足りないものだった。牧師や僧侶に伝統的宗教を守ろうという態度が見え、研究者には信徒のこころを傷つけたくないという態度が見えた。

現代社会では人々は宗教をもはや必要としないと言い切る者が、議論の場にいなかったことが、私には残念である。

カルトにひっかからないのために、公教育で「宗教リテラシー」の授業が必要だと、嬉しそうに、牧師の小原克博(同志社大学部長・研究科長・教授)が話すのに誰も反論しないのが、私は不満である。

小原が自分の主張の裏付けとしたのは、ドイツでは、宗教の教育が公教育で必須になっており、プロテスタント系かカトリック系のキリスト教か倫理を生徒が選ぶようになっている、最近はイスラム教も加ったということである。

現実の「宗教」には、「教団」と「信徒」という実体があり、「信徒」に「信仰」を求める。「信仰」とは、疑念をもたずに、「教団」に従うことである。キリスト教では「信徒」をまとめるのに、教会で一体感を醸し出す「儀式」を行う。

現実の宗教は自分というものを放棄することを求める。自分の頭で考えることを否定する。

なぜ、「宗教リテラシー」の名目で、公教育で宗教を教え、国が権威を与える必要があるのか。

議論に参加した6人は、「宗教」を「科学」の抜け落ちているものを補うものと考えているようだが、「科学」は人間の客観的な世界認識に関わるものであり、それを補うものとして、「倫理」や「哲学」がある。「科学」には価値判断がなく、「倫理」や「哲学」が価値判断に関する情報を与える。

政府が「宗教」にお墨付けを与えて「迷信」を肯定する必要にどこにもない。政府が「教団」を「宗教法人」と呼んで、税制で優遇する必要はない。

現在のキリスト教の「地獄」「天国」も、イエスやパウロの時代にはなかった。キリスト教団が現実の社会での支配者になれなかったことから、社会の権力者と教団との二重権力体制を築くために作った、後の時代の虚構である。

現在の仏教団も、親鸞が否定したにもかかわらず、呪術や呪咀が生き残っている。反論すると急に「嘘も方便」と居直る。生まれ変わり(輪廻)なんて迷信である。

公教育では、宗教を思想史の枠の中で扱うのが、適当であると私は思う。バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』(みすず書房)の中で、カトリック、プロテスタントの教義を批判的に取り扱っている。カルトにひっかからないのためには、自分の頭で合理的に考える訓練を施したほうが良い。


アメリカ社会の分断の要因を『壁の向こうの住人たち』のホックシールドに聞く

2022-10-21 22:26:56 | 国際政治

きょうの朝日新聞11面に「分断の象徴ともいえるトランプ前大統領」が支持されるのはなぜか、社会学者アーリー・ホックシールドに聞いたという望月洋嗣の記事がのった。

この記事に先だって、10月19日に、ネットでも同じテーマの彼の記事が載ったが、有料なので残念ながら私は読むことができない。ここでは、紙媒体の記事をもとに、納得できない点を指摘したい。

望月は、社会の分断、分裂、分極を導いたから、トランプが悪いというニュアンスで記事を書いているが、それはオカシイ。分裂は以前からあり、トランプの出現で注目を引くようになっただけである。

ホックシールドは、「グローバル化で、米国に『持つ者』と『持たざる者』が生まれました」と言う。どうして「グローバル化」で「持つ者」と「持たざる者」の分裂が起きたというのであろうか。「グローバル化」と関係なく、「持つ者」と「持たざる者」の分裂はつねに起きているものと私は思う。ホックシールドは、日本、韓国、中国と貿易を行うから、アメリカの工場が閉鎖に追い込まれて、分裂が起きたと考えているのではないか。同意できない。

「持つ者」と「持たざる者」の分裂は、「持たざる者」が「持つ者」から富を奪うことで解決する。奪われたモノを奪い返せばよい。それが、社会常識として共有されていれば、分裂は生じない。

ホックシールドは、「『持つ者』は、都市部に住んで教育水準が高く、多様性などリベラルな価値観を支持し、上昇する世界に生きています」と言う。

私はそうは思わない。「持つ者」を金持ちとするなら、教育水準なんて関係ない。「奪う者」であるから「持つ者」になる。人を蹴落とす者が「持つ者」になる。「上昇する世界」に生きることは道義的には正しくない。上昇すれば、下降するものが出てくる。物理の運動量保存の法則と似ている。

「持つ者」が自分の持ちすぎているモノを「持たざる者」に分け与えれば、分裂はそもそも起きない。

ホックシ―ルドは「『持たざるもの』は単純労働者で、非大卒の男性もいる。下方に動く世界を生きてきました」と言う。

これって、偏見でないのか。社会を維持するために、いろいろな仕事がいる。単純労働は必要なのである。

私の家庭内で考えても、毎朝ごみを集積所に出している。トイレもきたなくなれば掃除をする。毎日、朝食と夕食の準備を誰かがしている。そして誰かが汚れた食器を洗う。

単純労働は必要なのであって、教育水準が高いと言っても、教育されればできるような仕事に高い給料を出すこと自体が間違っている。

ホックシールドに、大学の先生だからといって、本を書いているからといって、単純労働者より高い給料が払われていること自体が間違っている。

しかし、ホックシールドは、こんなバカなことを、平気で記者に話したのだろうか。記者の聞き間違いでなかろうか。

アメリカ社会の問題は、「持つ者」のトランプが「持たざる者」の「救世主」となっていることである。ホックシールドは「2020年の大統領選でトランプ氏は2016年より多くの票を得て(投票者のうち)大学を卒業していない男性の7割がトランプ氏にいれたのです」と言う。これこそが大問題なのである。

こうなった要因は、1つは、民主党が「持たざる者」の救世主となる大統領候補を出してこないことである。二大政党制は幻想である。

1つは、「持たざる者」が洗脳されており、教育水準が高ければ給料が高いとか、人より富を持っても良いとか、に疑問を持たないことである。

1つは、1950年代のマッカシー旋風で、アメリカから共産主義者や社会主義者が追放された後遺症である。

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きょう1ドル150円を超した

2022-10-20 23:33:57 | 社会時評

きょう、一時、1ドル150円を超したと、テレビで言っていた。今年の初めにミスター円の榊原英資が予言していた水準まできた。アベノミクスの弊害がここまで来た。

きょうの朝、テレビでワーキング・ホリデーでカナダやオーストラリアで高い働いていると、高い給料がもらえると報道していた。いい生活ができると言っていた。しかし、働いているところは寿司屋や日本料理店であった。円換算で、高いと言っているだけである。ワーキング・ホリデーは、一時的滞在で、本国に戻ることを前提にしている。

本当は、移民となると、その国の人が働く場所を奪うことになるかもしれない。よほどの能力が自分になければ、やっかみを受けることになる。移民は差別感情の中に投げ込まれる。まあ、寿司屋や日本料理店に働いていれば、差別というものを感じないで済むかもしれない。テレビでは、ワーキング・ホリデーの女の子が、たくさんのチップをもらったと喜んでいた。

それでも、私は海外で働くことは良いことだと思っている。異なる文化に接することで、発想が自由になると思う。差別を受けることで、人間のもっている愚かさがわかる。私は佐伯啓思と違って、グローバリゼーションは良いことで、それによって人は賢くなると思っている。国家というものが自分の敵だと気づく。私たちが、テレビや新聞を通じて、日常的に、洗脳の攻撃を受けていると気づく。