猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

言葉への不信を深める安倍晋三の臨時国会所信表明

2019-10-05 21:25:38 | 安倍晋三批判



昨日、臨時国会が招集され、安倍晋三首相の所信表明がなされた。
所信表明と言っても、何のために「臨時」国会を召集したかの「目的」と、何を決めたいのかの「目標」を語ったわけではない。
その意味で、会社で行われる通常の会議の冒頭のスピーチとは異なる。宴会のアイサツ見たいもんだ。

安倍晋三の所信表明は美辞麗句のオンパレードで、何が討議すべき問題か、わからなくなる。すべてを国がうまく進めているから、国民の皆様は眠っていてください、と言っているにすぎない。これを人は「愚民化(obscurantism)」と呼ぶ。「啓蒙(enlightenment)」の反対である。

これから、彼の所信表明から、いくつか、例をあげ、問題点を指摘しよう。
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「65歳を超えて働きたい。八割の方がそう願っておられます。」
「意欲ある高齢者の皆さんに70歳までの就業機会を確保します。」

ここで隠されているのは、「年金の問題」である。

国民の納めた年金は基金として将来のために確保されているはずである。ところが、年金基金は、政府によって、現在、株価高止まりと円安維持のために使われている。年金基金は、政府が良しとする経済政策のために、使用されている。

ここの根本的矛盾は、老人たちへの「年金」給付を現役世代の「年金」拠出でまかなうとする現状の制度では、年金基金がたまり、いっぽう、老人の比率が増加するという日本の人口構成予測から、その制度が維持できなくなるという予見である。いっぽう、政治家や役人は、たまった年金基金は、使わないともったいないからと、使ってしまう。

そういうわけで、65歳からの年金支給ではなく、70歳からの支給したいという、政府の意図が隠されている。

現実には、老人たちの多くは、貧しさゆえに、70代でも80代でも、働くことができれば、低い給料で働いている。いっぽう、50代でも、60代でも、老いゆえに働けなくなっている人もいる。

年をとれば、誰でも、遅かれ早かれ、手脚がしびれる、指が自由に動かない、腰や背骨が痛い、心臓が苦しい、目が良く見えなくなる、耳が聞こえなくなる、言葉がでてこない、頭痛がする、記憶できない。

働けなくなった老人たちを現役世代が支えるのも、制度の如何によらず、現実である。しかし、集めた年金が、政府の経済政策のために使われ、その恩恵が国民の一部にしか行かないというのは、どういうものか。私は納得がいかない。
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「全ての子どもたちの幼児教育、保育の無償化が実現しました。」
「来年四月からは、真に必要な子どもたちの高等教育も無償化いたします。」
「子育て世代の負担を減らします。」

これを、どうして「急速に進む少子高齢化」への挑戦の柱にしているが、意味がわからない。

夫の給料でやっていけないから、妻はスーパーのレジなどで働いている。けっして、「思う存分その能力を発揮できる、一億総活躍社会」の実現のために働いているわけではない。

育児や家事が意味のない仕事ではない。育児は、おさなごに、これから生きていく世界への信頼感を持たせ、安定した人格を形成するために必要な仕事である。できれば、親が十分な時間を育児にかけたい。
また、育児や家事の共有は、夫婦の相互理解を深めるに役立つのだ。
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「障害や難病のある方々が、仕事でも、地域でも、その個性を発揮して、いきいきと活躍できる、令和の時代を創り上げるため、国政の場で、共に、力を合わせていきたいと考えております。」

国が障害者を法で定めただけも雇っていなかった。このことへの言及がなく、「一億総活躍社会」や「国政の場で、共に、力を合わせていきたい」とか首相が言っても信用できない。障害者を雇って、福祉政策立案過程に参加させるべきである。

民間での障害者雇用率が法を満たしていても、それが、「思う存分その能力を発揮できる」環境ではないのが現実である。私がNPOでパソコンを指導しても、いろいろなアプリが使いこなせるようになっても、特定子会社で、シュレッダーで紙を裁断するか、封筒貼り(封筒をつくること)か、部屋の掃除の仕事しかない。
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「昨年度、福島の農産品輸出は、震災前から四割近く増加し、過去最高となりました。外交努力により規制が撤廃されたマレーシアやタイへの桃の輸出が好調です。」
「これまでに三十二の国と地域で規制の完全撤廃が実現いたしました。引き続き、風評被害の払拭に全力で取り組み、東北の復興を加速してまいります。」

福島第1原発の汚染水問題が解決していないことを隠している。「農産品」と言い、「水産品」に言及しないのはそのためである。
また、原発再稼働の是非についても言及しない。
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「海外で急速にキャッシュレス決済が普及する中、日本を訪れる外国人観光客の七割が、キャッシュレスがあればもっとお金を多く使ったと回答」
「大胆なポイント還元により、キャッシュレス化を進め、インバウンド消費の拡大を通じて、全国の中小・小規模事業者の皆さんの成長へとつなげます。」

これなんて、本当なのか疑わしい。大手スーパーやモールでは、すでに、キャッシュレスで買い物できる。「ポイント」「キャッシュレス」「インバウンド」の片仮名語を並べ、人をバカにしている。
キャッシュレス化で金融が儲かるのも納得いかない。
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「沖縄の基地負担軽減に引き続き取り組みます。」
「普天間飛行場の全面返還に向けて、辺野古への移設を進めます。」
「沖縄の皆さんの心に寄り添いながら、一つひとつ、確実に結果を出してまいります。」

辺野古に、普天間より大きな飛行場を作り、どうして、「沖縄の皆さんの心に寄り添いながら」と言えるのだ。
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「政権発足後、強力にコーポレートガバナンス改革を進めた」
「会社法を改正し、全ての大企業に社外取締役の選任を義務付けます。」

現実問題として、社外取締役がいるところで、企業ぐるみの不正が起きている。
また、関西電力の原発部門のキックバック問題をどう考えるのか。
私がIBMを退職する前、キャノンとの共同子会社に派遣された同僚から、キャノンのキックバック体質について愚痴を聞いている。
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「懸案の貿易摩擦についても、自由、公正、無差別など、自由貿易の基本原則を、首脳たちと明確に確認することができました。」
「我が国は、これからも、自由貿易の旗手として、自由で公正なルールに基づく経済圏を、世界へと広げてまいります。」
「韓国は、重要な隣国であります。国際法に基づき、国と国との約束を遵守することを求めたいと思います。」

安倍政権が、ことしの7月に、韓国に対して、徴用工問題をチャラにせよという恫喝手段として貿易の輸出管理を行った。「自由、公正、無差別」の貿易とは、政府が貿易の輸出入を管理しないことである。
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「海洋プラスチックごみが、国際的に大きな課題となっています。大阪サミットにおいて、新たな汚染を2050年までにゼロにすることを目指す、新しいビジョンを共有いたしました。」

具体的に日本政府が、各自治体がどうするのか、何にも目に見えてこない。
ゴミ分別を日々行っている私としては、集めたプラスチックごみがどう処分されているのか、その実態と、どこに問題の本質があるのかを知りたい。
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「『提案の進展を、全米千二百万の有色の人々が注目している。』」
「百年前、米国のアフロ・アメリカン紙は、パリ講和会議における日本の提案について、こう記しました。」

安倍晋三が所信表明の最後にこれをもってきた理由がわからない。どうも日本国に誇りをもってもらうために言ったようだが、当時の大日本帝国政府は逆の行動に出た。

第1次世界大戦でドイツが負けていることに乗じて、中国のドイツ領を占領した。また、ロシア革命で生じた内乱に乗じて、シベリアの利権を獲得しようとして出兵した。
戦前の大日本帝国政府は、世界侵略に参加して、領土を拡大しようとしていたのである。

そして、その結果、所信表明の冒頭にあるように、「日本国憲法の下、第一回の国会、初の国会が開かれた昭和22年、戦争で全てを失った我が国は、いまだ、塗炭の苦しみの中にありました」という事態を迎えたのである。

安倍晋三の所信表明は、言葉に対する私の不信を深めるだけである。


マルキスト山川均と「プロレタリア独裁」

2019-10-05 00:30:13 | 民主主義、共産主義、社会主義

日本人はいつから、私たちのように、思想らしきものをもったのか、そう思い、米原謙の『山川均 マルキシズム臭くないマルキストに』(ミネルヴァ日本評伝選)を手にした。

1880年に生まれ1957年に死んだ山川均は、たしかに、自分の思想をもっている。彼の最終学歴は、同志社を中学4年で退学しただけなのに、留学の経験もないのに、地方で薬屋の店主をやりながら、洋書を読み、1922年の第1次共産党結党のときには、まわりから、マルクス主義の第1人者とみなされるようになっていた。

思想を持つことは学歴とは関係がない。しかし、思想をもつのに、当時は洋書読むことが必要だったのだ。

さて、米倉謙によれば、山川の抱えた問題は、「選挙への参加」と「プロレタリア独裁」への是非である。山川は、はじめ、選挙への不参加を主張し、プロレタリア独裁を容認した。彼は、のちに、この政治的立場を変える。

ここからは、私の憶測がたぶんにはいる。

大日本帝国憲法(明治憲法)は、その第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とし、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とする。国の主権は天皇にある。

山川は満20歳で、憲法第3条の不敬罪で逮捕され、3年近く牢獄に閉じ込められる。

では明治憲法を国民主権に改正できるのか。

憲法73条に「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 〇2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」
とある。

天皇自身の命令が、憲法改正の発議に必要なのである。したがって、国民主権に改正することは事実上無理である。戦後の日本国憲法で、国民主権になったのは、まさに「革命」で、大日本帝国が自滅(日米戦争に敗戦)したおかげである。

したがって、共産党が選挙に参加すべきか否かは簡単には決められない問題である。

山川は、のちに無産政党を作って選挙に参加した。憲法改正の可能性よりも、彼は党を非合法組織化にすることで、党が非民主的になることを恐れたのだ、と私は思う。

これは「プロレタリア独裁」の否定につながる。

米倉によれば、ウラジーミル・レーニンは、つぎの2つの理由で「プロレタリア独裁」を主張した。

「1つは資本主義を克服するには搾取者たちの抵抗を容赦なく抑圧する必要があること。第2は小ブルジョアと結びついた旧秩序の退廃的な要素を抑えるためには、時間と鉄腕(iron hand)が必要である。」

レーニンは、急激な国有化政策による経済秩序の混乱に慌てて、ご都合的に「プロレタリア独裁」を主張したのだと思う。「小ブルジョア」とは、生産流通過程を支配した農民と小商工業者のことで、「放縦や無秩序」とは、闇屋・投機・収賄などの横行である。
レーニンの言う「鉄腕」とは、暴力をもって、自分に従わすことである。

じっさいに、この「プロレタリア独裁」が「科学」の名前で独り歩きをし、ヨシフ・スタリーンの独裁を生むのである。

山川はレーニンの主張を1920年の論文で容認するが、その末尾に近い部分で、つぎのように危惧を率直に述べる。

「レーニンのいわゆる『プロレタリアの独裁政治』は、誤った思想であるかも知れぬ。けれども、もしこれをもって誤った思想であるとしたならば、この誤りたる前提の上に、露国の革命を築き挙げて居るレーニンの才幹に至っては、真に驚異に値するものでなければならぬ」

すなわち、レーニンが「驚異」の才覚があるから、こんな危なっかしいことで、共産主義革命が実施できると山川が言っている。

同時代のドイツのマルキストのカール・カウツキーは、もっと はっきりと、レーニンの「プロレタリア独裁」を非難している。米倉は、1918年のカウツキーの『プロレタリアートの独裁』の論文を要約している。それによれば、10項の批判を、レーニンにぶつけている。私はそのすべてを支持するが、とくに2番目と3番目の批判が重要だと思う。

2番目の批判
「(革命)の目的はあらゆる種類の搾取と抑圧を廃止することであり、民主主義は社会主義を実現するための手段ではない。つまり民主主義なしの社会主義は無意味だ。」

3番目の批判
「プロレタリアの階級闘争は大衆運動であり、民主主義を前提とする。つまり大衆は秘密裏には組織できないこと、秘密組織個人あるいはリーダーたちの集団による独裁を生み出し、大衆の自治や独立を促進できない」

ボルシェヴィキ自身が民主的組織でなく、独裁的だったことが、経済混乱の安易な収拾策「プロレタリア独裁」などという、コミュニズム(共同体主義)に反する方向にロシアの歴史を転がしたと言える。レーニンは軽はずみな男と言える。レーニンは、カウツキーの批判にたいし、『プロレタリア革命と背教者カウツキー』をもって答えている。

米倉は、山川がはっきりと「プロレタリア独裁」を否定することで、自分の思想を確立したという。コミュニズムは支配/被支配のない自由と平等の世界を作ることである。

言葉というものを信用しない私は、「言葉」による理屈で正しいか、誤っているかを決めるのはバカげていると思う。