きょう1日、林晋・八杉満利子訳・解説の『ゲーデル 不完全性定理』( 岩波文庫)を読んでいた。ゲーデルの論文は難解である。林晋の訳注・解説がないと到底読めない。
それで、10年前のブログをここで再録する。
☆ ☆ ☆
土曜の朝のテレビで、子供の夏休みの体験を通じて「ものづくり」を伝えようとしていた。これに居心地の悪さを感じた。子どもたちが楽しそうでないのだ。「考えない、ただ耐える」という生き方を勧めているように感じた。
NHKのテレビで具体的に紹介していたのは、プレスで風鈴を作る、溶接で板金をあわせサイコロを作るの2つであった。
何年か前のテレビ朝日のタモリクラブで、電気溶接の技術をタモリと仲間が競う番組があったが、あの楽しさがなかった。
プレス、溶接は、鉄などの金属のもつ性質を利用したものであり、うまくできるには、その性質の理解と自分なりの工夫が必要である。
プレスは、板金に力を加えると自由に形をかえる金属の性質を利用している。例えば、板金をたたき続けることで、一枚の板からやかんのような3次元構造を作り出せる。しかし、工夫しないと、力を取り除くと形がもどったり、素材の品質とかける力の分布の具合でひびやしわができる。
溶接は、二つの板金を熱でとかし合わせることで、一体の構造物とすることだ。一体とすることで、ボルトで止めるより接合の強度が増すと期待できるが、板金を熱でとかす際に板金にひずみを生じる。丈夫な接合を作るには、熱の与えかたに工夫がいる。
「ものづくり」には試行錯誤を通じて自分なりの技術の創造が必要である。失敗を通じて新しい発見と工夫をするのが「ものづくり」であって、教えられたままを繰り返すものではない。
テレビ朝日のタモリクラブでは、皆でワイワイガヤガヤ言い合いながら、自分なりの技術を創造していたのだから、楽しいのだ。
この「よく見る、考える、仲間と話し合う、自分で工夫をする」は、製造業だけでなく、農業を含め、あらゆる職業で重要なことであり、働く喜びのもとだ、と思う。
「ものづくり」の推進者の中には、日本の伝統技術の延長上に現代の製造業があると単純化するのは誤りである。
日本でも、100年近く前、大正から昭和の始め、ヨーロッパのアール・ヌーヴォー運動に影響され、陶器、漆器など伝統工芸でも、家柄による支配に反抗し、「調べる、考える、自分で工夫をする」という技術革新運動が起きた。ものづくりは科学にもとづく創造的自己表現なのだ。
「考えない、ただ耐える」という「ものづくり」は、機械に置き換えられ段々少なくなるだろう。実際、技術的後進国だと思われていた国々が、製造業で日本より競争力があるのは、労働単価の問題ではなく、最新設備が次々と投入されるからである。
すでに確立した大量生産の現場では、「考え抜かれて設計された」機械が競争力を決する。おカネが人生のすべてである産業資本家には、最新設備は魅力的である。どんどんと、昔ながらの「考えない、ただ耐える」という仕事がなくなっていくだろう。
しかし、機械によってコンピューターによって「考えない、ただ耐える」仕事は少なくなることは、創造的な仕事に時間をそそぐ余裕が生まれることでもある。これからは、日本も、皆が複数の仕事を持つようになり、単調な仕事をシェアして生活の安全を確保し、残りの時間を、「試す、考える、仲間と話し合う、自分で工夫をする」創造的な仕事をする時代がきたら良いと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます