猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

石川健治の「憲法と平成」、文明ではなく平等と自由の問題

2019-04-30 17:34:48 | 憲法


4月27日の朝日新聞「ひもとく」で、憲法学者の石川健治が『憲法と平成 「文明のあり方」を支える役割』という評論を書いている。

「文明のあり方」を支える役割が憲法である、という趣旨のようだ。

評論は、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」という、天皇即位後朝見の儀の明仁の言葉で始まる。
石川健治は、その誓いが果たされたかどうかの評価をくださない。

そのかわりに、即位の年、1989年を「惑星直列的な記念(の)年」にたとえ、歴史的転換点として捉える。そして予言するかのように書く。

《安倍長期政権を支える統治構造は、「89年」後の世界に対応すべく行われた種々の制度改革がもたらしたものであり、この改革の継続は、いずれ憲法改正を求めることになるだろう。》

この憲法改正は、武力放棄の条項のことだろうか、それとも、象徴天皇制に関する条項のことだろうか。

続いて、立憲主義という「ひとつの文明のあり方を支えるものとしての憲法」と旧来の天皇中心の「国体」との間の、「文化摩擦」に話を移す。

美濃部達吉が1912年の『憲法講話』で次のように書いたという。
《世界の重なる文明国は、あるいは民主国たるか、しからざればみな立憲君主政体を採ることとなった》
そして、「全国民の代表者」としての「国会」を重視する。統治権が天皇「御一身の利益のため」だけにあるとするのは、「我が古来の歴史に反するの甚だしい」と言い切った。

ここで、私は大正デモクラシーの限界を感ぜずにはいられない。

民主制も立憲君主制も、平等と自由を求めた民衆の戦いの結果であって、「文明」の進展によるものではない。「文明」の言葉に、欧米に対する劣等感と、欧米から輸入した底の浅い大正デモクラシーとを、感ずる。

石川健治は、「文化摩擦」が完全に解消されたのではなく、いまでも、「憲法もろともに立憲主義を押し流そうとしてきた」と言う。
次に、話を人工知能(AI)に移す。これにはついていけない。

平等と自由を求めた民衆の戦いという視点こそ、憲法と天皇制の議論で必要だと私は思う。

きょうは朝から天皇退位の大騒ぎ、祭りだ、祭りだ

2019-04-30 16:13:24 | 天皇制を考える


今日、4月30日は、朝からテレビは天皇に関する特集ものばかりである。アマテラスオオカミをはじめとする神々に、きょう、天皇明仁が「退位」のあいさつを行うとのことである。

アマテラスオオカミが皇居の中に祭ってあるとは知らなんだ。辞める天皇が「神々」に礼拝するなんて、いつから、あったのだ。テレビで「神々」なんて口にするなんて、非常識ではないか。天皇が神々に仕えるなんて、政教分離に違反しないのか。

「退位の儀式」なんて、そんなのものは、今回がはじめてである。「日本の伝統」が言い訳にならないぞ。

江戸時代にあったのは「譲位」で、「退位」ではない。「譲位」は、みずからの意志で、誰かに天皇の座を譲ることになる。これは、憲法の「象徴天皇」に違反となる。だから、国民の合意で特例の「退位」が許された、と政府はしたのである。さらに、「退位」の儀式と「即位」の儀式とに、日を分けた。

しかし、天皇や宮内庁は「退位」ではなく「譲位」であると言っているようだ。そして、皇居に祭られている「神々」に拝礼をしたとのことである。

茶番だ。茶番だ。象徴天皇の制度が破綻しているぞ。

みんな、これは、おかしいとわかっていて、喜劇として、バラエティ番組の一部として、ショー仕立てで、テレビ放映しているのだろうか。

祭りだ。祭りだ。きょうは朝から御祭りだ。

笑わないプリンセス、なぜ笑わない

2019-04-29 23:07:09 | 童話


童話には、色々なバージョンの笑わないプリンセスの物語がある。童話では、とろくて馬鹿正直な若者が、笑わないプリンセスを笑わす。しかし、焦点が笑わす若者にあって、童話では、なぜプリンセスが笑わないのか、説明しない。

2年前、芥川賞作家の津村記久子の小説をみて心が沈んだ。
主人公(女)は大学を出ている。女友達もいる。しかし、なぜ、生きていることを楽しめないのだろう。

ネットで見つけた2010年の日経BPnetのインタビュー記事を読んで、少し、津村記久子の気持ちがわかった。彼女は、大学を出て、トンデモナイ会社にはいって、すさまじいパワハラを受け、辞めている。

よく自死しなかった、と思う。電通に入った女の子は職場で孤立して自死した。

インタビューで、自分を責めないことが大事だ、と彼女は言う。ひどいことがあったら、「自分のせいじゃない」って逃げるのが良い、ひとのせいにするのがいい、と言う。
私もそう思う。上司が悪い、会社が悪い、社会が悪い、安倍晋三が悪い。

しかし、インタビューで、人とは関わりたくないんだけど、人みたいなものには関わりたい、と彼女は言う。一度、人からいじめられるとなかなか人を好きになる勇気がもてない、とも言う。人が恋しいのだ。

それでも、彼女は外に働きに出ることができるから偉い。地下鉄やバスに乗れるから偉い。

きっと、彼女を笑わす若者が、童話のように、現われるだろう。
その若者はトンデモナイ馬鹿者だが、プリンセスに勇気を与えるのだ。
私は年寄りだからその若者になれないのが残念だ。

言葉のない子どもたちのための絵本が欲しい

2019-04-29 22:18:11 | 童話


ほとんどの絵本は大人のために作られている。それは、絵本を買うのが大人であるからだ。絵本は、12月か1月にしか、売れない。そのとき、大人は、自分の思い込みで、本を選び、子どもにプレゼントする。

私は、言葉のない子どもたちのために、良い絵本が欲しいと思っている。言葉が遅れていても、目からはいってくるものに、反応する子がいるからだ。

私のところの子どもたちは、世界の名作童話や日本の昔話を読みたいと思っていない。王子様、お姫様なんて意味がわからない。
町の子どもたちなので、オタマジャクシやカエルを見たことがない。フクロウや子豚が出て来ても何がなんだかわからない。
新幹線や飛行機にのったことのない子どもたちもいる。

そのような子どもが興味をもつのは、電気掃除機や冷蔵庫やお鍋やお皿やご飯だ。いつもの部屋で何かが起きる、そんな絵本が欲しい。短いできごとの集まりで良い。

ごちそうやお菓子の作り方でもよい。掃除の仕方でもよい。コップの洗い方でもよい。

先日、リンゴが食べられる、というだけの、リンゴだけの絵を見せたら、言葉がでてこない子が、とてもよろこんだ。

親は物の名をやたらと幼い子どもに教える。私のところの話せない子どもたちにそんなものは必要ない。少ない語彙で良いのだ。言葉と言葉がつながって意味をなすことが大事なのだ。言葉と言葉のつながりが繰り返し、話しことばの響きの面白さが伝わることが大事なのだ。そして、怒り以外の、何かを感じる心を育てるのが大事なのだ。

本当は、親が掃除しながら、あるいは、料理しながら、子どもたちにお話をしてあげられるなら、それが一番良い。言葉がでてこない子を持った親は、いつの間にか、子どもとの会話をあきらめてしまう。

良い絵本は、失われた親子の会話を取り戻してくれる、私はそう思っている。

私の愛すべき子どもたち、喜びの初任給

2019-04-28 22:28:01 | 愛すべき子どもたち


私の愛すべきNPOの子どもたちの一人が、ことし、都内の会社に就職し、連休前に初任給をもらった。とても、うれしそうだった。使い道は、親へのプレゼントと、自分へのほうびと、貯金だと言う。

その子は、なぜ、個別級に通うのか、不思議な子の一人であった。教えるとすぐ理解できる子であった。パソコン検定は3級まで、英検は4級までとった。来るたびに、毎回、原稿用紙を渡し、作文を書かせた。

特別支援学校の高等部に進学した。中学では将棋部であったが、高等部ではバスケット部にはいった。授業の始まる前の、朝早くの練習で、倒れたりした。手を抜くことを覚えれば良いのに、と、私はいつも心配していた。そのうちに、体もがっしりしてきて、倒れなくなった。

特別支援学校は、生徒の就職率に気を使う。また、親も、就職を期待して学校を選ぶものが多い。1年から色々な職場に実習として行かせる。そうして、就職先を見つけるのである。

3年の中頃になって、就職先が決まったとき、その子は、保険に入れる、有給休暇がある、との会社の説明に、とても、喜んでいた。

その子が卒業するとき、「高校生活は、学校時代を通じて、一番、最高でした」と作文に書いた。

その子が、なぜ、個別級にはいるようになったのかが、その作文を通して、わかった。
「小中学校を通して人間関係がうまく作れず、気持ちが暗かった」と書いてあった。特別支援学校で入ってよかったのは、「報・連・相や、挨拶や、相手の気持ちになって考えたことで、良い人間関係を築けたこと」だという。

「報・連・相」とは「報告・連絡・相談」のことである。

この子の場合、特別支援学校の「熱血指導」と合って、結果が吉とでたが、すべての子が、そうとは限らない。その子でさえ、「3年間の学校生活」は「大変なこと、苦しかったこと」がいっぱいあったという。

「人間関係がうまくいかない」という悩みを、なぜ、小中学校は解決してあげられなかったのだろうか。多分、小中学校は悩みをもっていたことさえ気づいていなかった、と思う。

職場は、「部長」が一人で、あとは先輩(同僚)だという。重い荷物をもちあげるとき、学校で教わった通り、腰を痛めないよう、膝をまげているという。
部長になんでも報告し、連絡し、相談しているという。マニュアルをきちんと読み、先輩がマニュアル通りに仕事をしていないのを見ると、部長に相談しているという。

就職した後も、1週間に1度、私と話しに来るが、まだ、緊張していて、「新米の兵隊さん」と接しているようだ。それでも、会社のひとは学校よりずっと優しいと言うようになった。結果オーライでとにかく幸せに生きていってほしい。