猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

NHK番組『ナチスとアスペルガーの子どもたち』

2021-06-02 23:36:18 | 奇妙な子供たち

きのうの深夜、NHKの『フランケンシュタインの誘惑 ナチスとアスペルガーの子どもたち』の再放送を見た。

オーストリアの医師、ハンス・アスペルガーは、1944年に、『小児期の自閉的精神病質』という題の論文で、一群の奇妙な子どもたちのことを報告した。靴紐も結べず、普通の子のようにはしつけをできないが、内側には深い知的な世界を秘めている子どもたちを発見し、愛を持って接すれば、教育可能であると報告した。

1990年代には、彼にちなんで、知的能力障害を持たない自閉症の子どもたちのことを、アスペルガー症候群と呼ぶようになった。

ところが、きのうのNHKの番組は、ナチスの優生思想、遺伝的に劣ったものは排除すべきだという理念にしたがって、医師アスペルガーが、何十人もの子どもたちを教育不可能だと診断してシュピーゲルグルント児童養護施設に送っていたという。そこに送られた子どもたちはみんな「肺炎」で死んでいった。安楽死処分が行われていたのである。

2018年に医史学者ヘルビヒ・チェフが論文でそう発表したのである。エディス・シェファーも2019年の『アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源』で同じことを書いているから、とにかく、事実なのだろう。

私は、論文も本を読んでいないので、番組だけからは、医師アスペルガーの心の動きがわからなかった。とくに、医師アスペルガーが論文を発表した1944年には、ナチスの権威は崩れ始めたときである。

1つの解釈は、ナチスの思想が権威を失うか否かにかかわらず、医師アスペルガーは、教育可能か否かを、子どもの殺処分の判断基準においていたというものである。何十人もの子どもたちを、教育不可能という確信にもとづき、シュピーゲルグルント児童養護施設に送ったとする。だから、心の中に矛盾がない。

もう1つの解釈は、ドイツが負けると思ったので、本当の思いを論文に書いたというものである。それまでの行動は、ナチスに従ったまでである。

医師アスペルガーが生存中に、ナチス政権下での行為について、罪を問われなかったので、いまは、彼の心の奥まで知ることが難しい。

優生思想は、個人より民族共同体に重きを置けば、当然出てくることである。自分の民族が類として優秀なのに、劣った子が生まれるのは、何かの間違いであるから、その存在を抹殺するしかないとなってしまう。「教育不可能」を「コミュニケーション不可能」と置き換えれば、相模原の津久井やまゆり園殺傷事件の実行犯の主張と同じである。

そして、優生思想は当時ドイツや北欧で多数派だったと言われる。わからないのは、オーストリアではどうだったかである。当時のウィーンはヒトラーの嫌う「個人の尊重」の中心地である。だから、ヒトラーを慕った日本では、いまも「世紀末退廃のウィーン」というのである。

もしかしたら、アスペルガーは出世のためにナチスに従った可能性もある。ナチスに従順でない教師・研究者はウィーン大学から追い出されたという。

「個人の尊重」とは、ひとりひとりは異なるが、異なっていても、尊重されなければいけないという理念である。「教育不可能」であれ、「コミュニケーション不可能」であれ、かってに、存在すべきでないとして他人がその生を奪ってならないということである。

以前は、アスペルガー症か自閉症かの差異を知的能力で差別していたが、現在は、「自閉スペクトラム症」とひとくくりにしている。「うちの子はアスペルガー、自閉でないのよ、オホホ」となんて言って欲しくない。

自閉がどういうレベルであれ、「他人を信頼する」ということを愛をもって気長に教育すべきである。靴紐を結べるよりも、公文のドリルをこなせるよりも、他人を信頼でき、人との楽しい関係をもてることを、教えて欲しいと思う。

かってに「教育不可能」とか「コミュニケーション不可能」という刻印を子どもに押しては いけない。

「発達障害」が個性なら「障害」と呼ぶべきでない、NHK番組

2019-10-31 23:15:16 | 奇妙な子供たち

きょう(10月31日)のNHKテレビ『所さん!大変ですよ』で「発達障害スペシャル」をやっていた。番組は、「発達障害」のひとには健常者にない特性があるのだから、短所を長所と考えましょうというものであった。善意の番組である。

しかし、素晴らしい特性に恵まれた者をなぜ「障害者」と呼ぶのだろうか。「障害者」呼ばわりをするのを、社会や精神科医や教師はやめるべきだ。

4年前、ひきこもり問題に取り組む精神科医の斎藤環が、「発達障害」とは精神科医が自分の扱いにくい子どもにつける悪口のレッテルだ、と講演会で言っていた。私も、多くの場合はそうである、と思う。

番組で、ハリウッドのスタジオに務める自閉スペクトル症の男が、動画の見えてはならないモノ、たとえば、ワイヤなどを消す作業に集中していた。あってはならないものにすぐ気づくこと、集中して作業することは、たしかに良い特性である。私が問題だと思うのは、なぜ、それを「障害」と呼ぶのか、ということだ。また、番組では、彼だけがキチンと12時にランチを食べることを取り上げていた。

私も、毎日、ここずっと、スキャンした子どもの絵を修正している。
その絵は、非常にうまく描けているが、罫線付きのノートに色鉛筆で描いていた。スキャンすると罫線がくっきり見えてしまう。無料ソフト、ペイントを使って罫線を消すのに毎日集中しているのだ。色鉛筆の手描きの絵は、一様に色が塗れているわけでなく、ざらざらの肌合いになっている。そのザラザラ感が同じ部分をコピーして罫線にかぶせることで、違和感がなくなるようにしている。

NPOにくる子どもたちの絵や工作の写真や詩やエッセイを集めて文芸誌を私は発行しているのだ。

私は集中して作業するのが好きなタイプだが、「発達障害」と呼ばれたくない。毎日、同じ時刻に同じ仕事をするのも、おかしなことではなく、脳の負担を軽くするためだ。興味ないことに脳を使う必要がない。これは、私だけでなく、ドイツの哲学者カントもそうだった。毎日、昼の同じ時間に起き、同じ時間に同じ道を散歩し、同じ時間に同じ物を食べたという。

番組では、発達障害のおもなものは、ADHD、自閉スペクトラム症、学習障害と言っていたが、これもおかしい。

じつは、大きなジャンル、知的能力障害を抜かしている。年齢相応な知的行動がとれないとき、知的能力障害を疑う。例えば、独りで食事ができない、排せつができない、道順が覚えられないことを言う。軽い症状では、買い物ができない、電車やバスが利用できないことをいう。

「知的能力障害」を「障害」と呼ぶのは、アメリカの知的能力障害者の親がそう望むからで、オバマ大統領の時代に法律で決まったことである。親が「障害」と呼ばれるのを選んだのは、社会が障害者を責任をもって支援しろ、という権利意識からである。

また、アメリカの精神医学会の診断マニュアルDMS-5では、コミュニケ―ション症があるが、これも、だいじなジャンルである。
たとえば、吃音も周りがはやし立てると、人と会うことが怖い社交不安症をひきおこす。吃音をとがめてはいけない。
耳やのどが正常で記憶力があっても、すなわち、オウム返しができても、話せない子どもたちもいる。しかし、支援していくうちに、その子が生きていくのに、最低限必要なことをいえるようになる。この場合は話したいことを意識化するように指導する。

私が言いたいのは、本当に支援がないと生きていけない人に「障害者」と呼び、支援していくことに賛成だが、じつは、社会の対応に問題があって、過度の競争社会になっていて、また、思い込みの規範を全員に押しつけ、精神科医のビジネス繁盛のために、あるいは、学校教育の効率の追求のために、障害者でない者まで「障害者」と呼ぶのは、やめて欲しいということだ。

いっぽう、支援でなくても、気遣いが必要なことはいくらでもある。
たとえば、読字障害(ディスレクシア)の人が読める文章を書くということは だいじなことである。
また、ひとに指示するときは、わかるように具体的にいうことも だいじである。
とにかく、健常者、健常者と いばるな。

ものを考えるに言葉はいらない、小平、アインシュタイン

2019-05-12 22:41:25 | 奇妙な子供たち


「アインシュタインはものを考えるときに言語をもちいなかった」と小平邦彦は『怠け数学者の記』(岩波現代文庫)に書いている。小平は、数学のノーベル賞とも言われるフィールズ賞を最初にもらった日本人(1954年受賞)で、 1915年に生まれ、1997年に死んでいる。

「言語をもちいない」、たぶん、小平も、そうであったが、自分だけがそうなのか、気になっていたから、生前、わざわざ、勝ち誇ったように、それを書いたのだろう。「オレは異常でない」と。

小平によると、フランスの数学者ジャック・アダマールの『数学における発見の心理』の付録に、そう書いてあったとのことである。

アインシュタインがアダマールに宛てた手紙を、小平が、つぎのように要約している。

「私の思考の機構において言語が何等かの役割を演じていると思えない。思考の要素として働くものは自ら再生し結合する或るイメージである。このイメージの結合の戯れ――言語と記号による論理的構成以前の結合の戯れ――が創造的思考の本質的な特徴であると思う。」

言葉の遅れがあったアインシュタインが、中学になって、代数が出てきてはじめて、数学が好きになった、と、私も、どこかで読んだ記憶がある。

小学校の算数から、言葉による理解や、文章題を、とり除いたらどうだろうか。言葉が話せない子にも、算数が楽しめるものになるのではないか。
実際、小学校のとき、算数の文章題が嫌いな子が、中学校になって、文字式がでてきて、言葉がいらなくなると、数学が好きになることがある。

ところで、蛇足だが、小平が引用しているこの本の題名は正しくない。本当は『数学における発明の心理』(みすず書房)である。原著のタイトルも、“The Psychology of Invention in the Mathematical Field” (Dover, 1954)である。「発見(discovery)」ではなく、「発明(invention)」である。

小平の「発見」と「発明」の勘違いには、理由があると思う。数学は発明するものではなく、すでにあり、発見するものである、と、彼は信じていたので、アダマール大先生が「発明」と言うはずがない、と考えたのだろう。

しかし、「発明」とは、すでにあった自然のしくみを、人間社会に役立つよう、利用することをいう。だから、数学が人間の思考に先だってある、ことを、アダマール大先生が否定している、とは思わない。

団体行動を取らない子どもたちの人権を守れ

2019-03-17 20:25:21 | 奇妙な子供たち

スティーブ・シルバーマンは、自分の本にタイトル『NeroTribes: The Legacy of Autism and t he Future of Neurodiversity』をつけ、風変りな子どもや大人の人権を擁護している。タイトルを日本語に訳すれば『ニュロー諸族:自閉症の神話とニュロー多様性の未来』となるだろう。
残念ながら、講談社の翻訳本のタイトルが『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』(ブルーバックス)となっており、中身の翻訳の誤りもあり、著者の意図を読み間違うかもしれない。

シルバーマンだけでなく、日本でも、山登敬之、中川信子、井上祐紀らが「発達障害」の子どもたちをマイノリティと名づけ、平均からずれていることがなぜ悪いのか、人権を守れ、と声を上げている。

私も、「発達障害」だけでなく「知的能力障害」を含めて「神経発達症群」の子どもたちや大人の「人間としての権利」を守るべきと考える。私の要求していることは、風変りな子どもや大人にも敬意を表し、良き隣人として認めよ、という単純なことである。

私が子どもから大人になる頃、日本の社会は個性の尊重を訴え始めていた。日本は、個性を認めない集団主義的な風土だから、独創的な研究が生まれないのだと言われた。
そのとき、日本は「ニュロー多様性」を受け入れるかのように見えた。実際、そのおかげで、私は覚えることが大嫌いなのにもかかわらず、受験勉強せず、高校に進学でき、大学に進学でき、大学院に進学できた。
大学の3年生のとき東大闘争、全共闘運動が起きた。そして、全共闘派の大量逮捕と、企業や大学からの締め出しで、日本の社会は右旋回を始めた。個性を否定し、集団行動と規律を重んじるようになった。

今の、空気を読む社会は、おかしくないか。
NPOで子どもたちと接していると、絵を描く子と描ない子がいる。絵を描くということは楽がき、自由に遊ぶことである。描ない子がいるのは、失敗を恐れ、踏み出せないから、である。「知的能力障害」の子どもも、叱られたり、笑われたくないのである。
近所の大型商業施設では、閉じた店舗の前で、近くの各幼稚園の子どもたちの絵を貼りだしている。おかしなことに、幼稚園ごとに同じタイプの、同じ描き方の絵になっている。個性がないのである。

私のNPOで担当していた、支援学校高等部の子は、学校の絵画クラブに入ったが、自由に描かせてくれないと、今年部活を辞めた。

私は、中学高校と、美術の授業で、黒い太陽、赤い太陽、青い太陽、爆発する太陽を時間内に10枚以上描きあげ、みんなに天才だと言われ、有頂天になっていた。
嫌いな科目は、日本史など、白紙の答案を出してもとがめられなかった。年号なんて、基準が変われば、変わる数字でないか。覚える科目なんて、やっていられるか。

「ニュロー多様性」は、ひとりひとりの個性に敬意を払うことである。50年前は今よりも個性が尊重されていた。

3年前に送られてきた小冊子『よくわかる発達障害』

2019-03-15 12:46:20 | 奇妙な子供たち

私がNPOで、家庭や学校で うまく いかない子どもたちの、世話をするようになって、8年目である。
しかし、「発達障害」とは何か、自分の経験をじっくり考えるようになったのは、3年前からである。
3年前の1月2日に、青少年健康センターから、『よくわかる発達障害』という小冊子が送られて来た。この小冊子はシンポジウムの講演の書き起こしである。講演者は、斎藤環、山登敬之、中川信子、井上祐紀であった。

精神科医の斎藤環は、「発達障害者支援法」による集団早期検診の弊害を指摘していた。
実際には継続的に治療しない医師たちが、子どもの一回の印象で、「発達障害」、「自閉症」、「アスペルガー」と診断していいのか、と言う。
彼らは、「診断」だけしてフォローアップしない。斎藤環は「自分でフォローアップできる人が本当の専門家で、そういう人ならば診断する資格もある」と言う。
社会が子どもに「診断名」だけを与えるなら、それは社会が公然と「差別」をしていることになると言う。「障害」という言葉は、社会が支援するという法律用語で、フォローアップをしなければ、使ってはいけない。

特に、私は、親に、子どもをどう育てていけば、良いかのヒントを授けずに、診断名だけを告げるのは、無責任だと思う。社会的差別からの、子どもたちの最後の砦は、家族だと思うからだ。

言語聴覚士の中川信子は、自分の子がほかの子と違っているのは、個性なんだと言う。自分の子がどんな大人になるか、神様からもらった球根だと思って、どんな花が咲くか、楽しみにして、毎日毎日世話をしてください、と言う。
そして、次のエピソードを紹介する。

「この子ばかりは『障害だ』と思う子が、幼児期、学童期を通じてすくすく成長し、最難関の進学校に進みました。その子は、ある日、学校から帰ってきて『お母さん、今度の学校には僕と同じような子がたくさんいるよ』と、嬉々として報告した、とお母さんが笑っていました。」

私は、超難関の学校に進学したから、良かったとは思わない。もしかしたら、これはブラック・ユーモアかもしれない。

変わっているということは、平均ではないことだ。平均は中央にあるから、それから外れるということは、色々な方向にズレるわけだ。したがって、本からの知識には注意がいる。本にはステレオタイプなことばかり書いてあり、実際の子どもとは異なる。自分の目で自分の子をしっかり見て、子どもを育てる必要がある。

子どもは、花の名の書かれていない、神様からのあなただけの球根なのだ。楽しみに育てるのが良い。
私の知っている子の場合は、大きくなっても稼いでこれないが、決して親を捨てる子ではない。いつまでも子どもであるのだ。