猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

本当にギフテッドはいるのか、インクルーシブ教育の確立が先ではないか

2022-09-30 23:28:53 | 愛すべき子どもたち

先日、日本の文科省がインクルーシブ教育に真面目に取り組んでいないとの報告書を国連が出したという記事が新聞にのった。インクルーシブ教育とは、障害者を集団教育の場から除外しないということである。この障害には、肉体的障害だけでなく、知的や精神的障害を含む。

私はインクルーシブ教育に賛成であるが、その実施に関しては、教授陣にかなりの能力が要求される。文科省がかなり本気になって教師をサポートしなければ、実施できないだろう。インクルーシブ教育は理念であって、教育技術として実装するにはまだまだ試行錯誤と研究がいるように思える。

いっぽうで、ギフテッドに対する学校における指導・支援には文科省は熱心であるように見える。ここでのギフテッド教育とは、音楽やスポーツほどには才能教育が確立していない分野において、天才教育をしたいということらしい。

私はギフテッドなるものは存在しないと思っている。

ギフテッドといわれるものは、人間がつくった文化のある制限された領域に対し、年齢以上の能力を発揮するものをいっているにすぎない。しかも、音楽やスポーツの天才教育を見ていると、多くの場合、ある程度の潜在的能力を持っていれば、早くから仕込めば、他の人より能力を発揮できる、といった程度の理屈である。それって、人類にとって何の意味があるのだ。歌舞伎役者の子が歌舞伎役者になるのが、何がいいのか。芸を仕込まれるサーカスのライオンや馬と同じではないか。

大学の数学ができる小学生の話を読んだが、そんなもの、普通以上の頭を持っていれば、教えればできるようになる。それが、どうしたというのだ。大学の教えていることは、過去において研究され、基本的知識として体系化されたことにすぎない。天才といわれるには、これまで知られていない真理、真実を発見することである。

私は今年からNPOでギフテッドといわれる小3の子の指導をしている。いろいろなことを知っているし、書かせば、大人並みの論理的構成の文章を書く。大気中の炭酸化ガスの濃度を知っているのにはびっくりした。しかし、教えているうちに、立体図形の問題に弱い、数パズルが解けないことがあるのに、気づいた。どうも、母親が教えることのできる分野が得意らしいことに気づいた。

この子の本当の才能は何なのか。1つはしつこく試行錯誤できることである。ディオファントス方程式タイプの数パズルは、初等的には試行錯誤で解くことになる。ここで試行錯誤を減らす工夫がいる。それに気づいていないようだ。

魔法陣の1つの数をいろいろと変えて、縦横斜めの和が与えられた数にする問題は、この子が解ける。しかし、2つの数を同時変えての試行錯誤が求められる問題を解けない。線型のディオファントス方程式では、独立な方程式の数が未知数の数より少なければ、その差の数の未知数を試行錯誤の対象にする必要がある。ここで、どの未知数を試行錯誤の出発点にするかが、試行錯誤を減らすのに重要である。

小3とすれば、難しい言葉を知っているし、文章構成力がある。しかし、自分の哲学を切り引けるか、自分の政治理論を打ち立てるか、といえばそうではない。ただ、プレゼンテーションや企画書作りの技術を知っているだけである。

そうすると、この子の能力は、成功体験の蓄積から得た成功への「試行錯誤のしつこさ」であると思う。今後は、バカな大人にたよらず、自分で自分の道を切り開かないといけないと悟ることが近い将来必要になるだろう。さもなければ、昔は神童、いまは凡人となる。大人を驚かすだけのギフテッドは、バカな大人に若くして到達できるだけである。


怒れる神の手のうちにある罪人、宗教はやばい

2022-09-29 22:16:35 | 宗教

「統一教会」だけでなく、宗教にはヤバくなる要素がある。「信教の自由」を盾に、宗教団体が暴走始めれば、詐欺組織や暴力組織と変わらなくなる。

森本あんりの『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)で、18世紀のアメリカでのエドワーズの説教を読んだとき、これではカルトではないかと思った。

<あなたがたは、怒れる神の手のうちにある罪人です。神は、燃えさかる地獄の業火の上に、今にも焼き切れそうな細い糸であなたをつり下げています。>

<昨晩あなたが目を閉じて眠った後、地獄に落ちることなく再びこの世に目を覚ますことができたのは、まったく何の理由もないことです。今朝あなたが起きて後、地獄に落ちなかったことには、何の根拠もありません。ただ神の手があなたを支えていたにすぎないのです。>

この説教は、教会に集まる信徒に不安を煽っているのではないか。じっさい、アメリカでは、「信仰復興」(リバイバル)といわれている、集団ヒステリーが何度も起きている。

人間はなまじ予測する能力があるから、不安に陥りやすい。そして、言葉で自分の不安を他人に伝えることができる。ここに、「信教の自由」の問題がある。

布教という名で不安を煽る。悪意がなく、集団ヒステリーが起きるだけで、一夜明ければ、収まるかもしれない。

しかし、詐欺集団が不安を煽ってお金儲けをたくらむということは充分ありえる。どうやって、それを防ぐか議論を進めなければいけないだろう。議論を進めれば、いたずらに不安を煽られずに、すなわち、不安に対する抵抗力を、人々が持てるだろう。

このキリスト教リバイバル運動の問題点は、根拠もなく、人を「罪人」だと非難することにある。そういう宗教はカルトである。新約聖書を読むと、パウロの手紙にも、その気配が感じられる。

日曜礼拝において、十戒を全員で唱え、全員で神に許しを求めるのも、カルトに堕ちいる入り口である。

叱る文化も良くない。子どものときから、人間を肯定的に捉える環境においてこそ、本当のやさしさが育つと思う。

もちろん、人間の心に不安があるのは、警戒を怠らないのために必要なことである。地震があれば、津波の襲来を予測するのは正常な反応だろう。問題は不安を煽られてパニックになり、合理的な対応をしないことである。

北朝鮮や中国からミサイルが飛んでくるという自民党や一部の新宗教の言い分には、不安を煽って軍備を増強しようという企みを感じる。話に合理性が感じられない。統一教会と同じくカルト集団ではないか。


「統一教会」だけでなくすべての宗教はヤバいと思うようになった

2022-09-28 23:56:53 | 宗教

7月8日の安倍晋三殺害事件で統一教会(世界平和統一家庭連合)のヤバさが明るみに出た。この事件が契機で、私は宗教全体がヤバいものではないかと思うようになった。

私は、新宗教だけでなく、程度の差があれ、キリスト教も仏教(仏法)もヤバいと思う。それは、宗教というものは、人間の弱さを利用している。信仰とは信じて疑わず、永遠に忠誠を誓うことだからだ。そして、その対象となる教義は、人間の作ったものにすぎない。

現代人は、脳が壊れているのでない限り、自分の心の弱さに甘えてはいけないと思う。何が良くて何をしてはならないのか、自分の頭で真剣に考えるべきだと思う。他人の判断に任してはいけない。

私は、あす、トーマス・レーマーの『ヤバい神 不都合な記事による旧約聖書入門』(新教出版社)を図書館に返さなければならない。最初ぱらぱら全体を読んだが、護教論の印象が強く、それ以上読む気が起きなかった。そして、借りて2週間がたとうとしたとき、ようやく、二度目の精読の意欲が出てきた。レーマーと対決するためだ。

レーマーは、旧約聖書(ヘブライ語聖書)が書かれた時代背景を語り、現代の価値観から旧約聖書を批判していけないと言う。この主張に私は同意できない。宗教は私たちの行動に影響を及ぼしてくる。したがって、つねに、宗教を自分の価値観に基づき批判的にとらえなければ、宗教団体に洗脳され、利用される危険に陥る。

レーマーの発見の要点はモーセーの六書(ヨシュア記を含む)は、当時のアッシリア帝国の文書作法にもとづいて書かれていることだ。神に忠誠を誓う様式はアッシリアの帝王に忠誠を誓う様式にならっていると言う。しかし、そのことが、旧約聖書の神が好戦的だということを、正当化するわけではない。

モーセの五書にもアラム語の用法が見いだされる。ということは、後の時代の書き換えが頻繁にあったということだ。ヘブライ語辞書を作っているとそれをひしひしと私は感じる。

聖書研究者が、現代の信者を傷つけるからといって、ヤバい神を弁護してヤバくなかったというのは、好ましくないことだと思う。

レーマーがこのような態度をとるのは、ナチスのユダヤ人迫害の事件があったからだと私は思う。確かに、レーマーが序論に書いているように、ドイツには旧約聖書を新約聖書から切り離そうというキリスト教の1つの伝統があった。フリードリヒ・シュライアマハー(1768~1834)、アドルフ・ハルナック(1851~1930)、ルドルフ・プルトマン(1884から1976)がそうである。日本人では田川建三がそうである。しかし、彼らは別にユダヤ人の迫害や抹殺を考えていたわけでない。ナチスのユダヤ人虐殺と キリスト教から旧約聖書の排除とを別個の問題と考えるべきである。

エッカールト・オットーは『モーセ 歴史と伝説』のなかで、律法学者と預言者たちとの対立があった、律法学者のなかに、ユダの地に固守する立場とディアスポラを肯定する立場があったとして、ヘブライ語聖書の多様性を主張する。私はそれに加えて神の存在に疑義をとなえる立場もあったと考える。それなのに、多様性のあるヘブライ語聖書が宗教を規定すると考える人たちがいるから、他の人たちに迷惑をかけるようになる。

宗教をもって、人の弱い心をかたくな心に変えたからといって、何も良いことはない。


きょうの安倍晋三の国葬は下品で情けなかった、やるべきでなかった

2022-09-27 23:22:09 | 政治時評

安倍晋三の下品で情けない国葬がきょう武道館で行われた。岸田文雄や菅義偉の追悼の辞(送る言葉)はなんだ。感傷的に個人の死を悼むなら個人葬で充分である。岸田や菅は安倍の威光がほしかっただけでないか。

人びとに対する安倍の功績はなんなのか、岸田や菅が言うことができないなら、国葬とすべきでない。情動で国政や外交を行うというのは、危険極まることである。

そう言えば、安倍自身も意味のない感傷的な言葉を発し、「戦後レジーム脱却」を叫んで統一教会と組んで国家主義・軍国主義体制を日本に復活させようとした。「戦後レジーム」とは、日本の民主化・非軍事化のことである。

第一次安倍内閣で、教育基本法改正、イラク特措法の延長、教育三法改正を行った。第二次安倍内閣で、特定秘密保護法制定、労働者派遣法改正、集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定、検察庁法の改正を行った。日本が敗戦で得た民主化を逆行させただけである。

2016年12月27日、ハワイでの真珠湾攻撃犠牲者慰霊式では、当時の首相、安倍は、「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江」とスピーチを始め、その感傷の言葉が最後まで続いた。

これに対し、日本の代表的保守論者、保阪正康は、日本の真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争が始まり、日本軍部は戦線を拡大続け、アジア太平洋地域で1千万単位の死者を出したが、その結果、日本はどんな教訓を学んだかの言及がない、と怒った。

私も保坂と同意見だ。こんなことで、日本の軍備を増強し、敵基地攻撃能力を持ってもらっては困る。いったん軍拡競争が始まると、軍事費の国民負担がどんどん大きくなる。そのうち、軍関係者や政治家はその軍備を本当に使いたくなる。情動で国政や外交をしてはいけない。

岸田は、安倍派との対抗意識から、国の借金を増やしてまで、GNPの2%にあたる軍事費予算をつけようとしている。ここが岸田の悪い所だ。昨年、聞く耳をもつと言って、総裁選に勝ったが、聞いているのは安倍派の声だけである。

安倍は戦後レジームの脱却しか理念がなく、選挙に勝つため何でもやった。しかも、自分に逆らう自民党議員を落とすことまでやって、長期政権を維持した。約8年の長期政権というが、その実現のため、自民党内の政敵をつぶし、自民党の総裁の再選規約を変えたのである。安倍が潰瘍性大腸炎にならなければ、いまでも安倍政権が続いていたのだ。プーチンと同じ独裁が大好きの政治家であった。

民主国家の首相になることは、戦国時代の国盗り物語ではない。自己実現の権力闘争ではない。

党内政治で陰謀を振るうという安倍の体質は、政治に腐敗を招く。論理的な説明より、感傷的なスピーチを好み、陰謀で政敵や逆らう官僚を排除する姿勢は、甘い汁を吸いたいという者を集めてしまう。森友学園、加計学園の事件をうやむやになったが、いま、新たに東京オリンピックの賄賂事件が吹き出ている。

国家主義は腐敗と切り離せない。岸田は国葬を閣議だけで決定した。政権とは行政府を担うことにすぎない。民主国家の行政府は国民にサービスする部門である。閣議で決定すれば、なんでもできるというのは、安倍が始めた政治スタイルであって、行政府の暴走である。民主国家のあるべき姿ではない。

岸田政権は、今回の国葬をよくわからない会社に丸投げした。予算のわりに あまりにも お粗末な葬式であった。品がないのである。武道館の入り口に掲げていた やたらと大きな字の垂れ幕「安倍晋三国葬儀場」は、場末の温泉旅館か大阪の餃子チェイン店かを思わせる。美的センスがないのだ。参列者をスチールパイプの折りたたみ椅子に座らせていた。マスクをつけた自衛隊員が手持ちぶさたに中央に参列していた。なぜ、暗い照明のなかで葬儀を行うのだろう。楽しくできないのだろうか。式典に何のユーモアもない。

この会社は政府の誰かにキックバックしていないだろうか。アベノマスクを思い起こさせる。

安倍を継承する岸田政権の安直さと無能さとをきょうの国葬は表わしていた。弔問外交なんて名ばかりだった。


安倍晋三の国葬を行う岸田文雄は迷惑をかける令和の喜劇役者

2022-09-26 22:52:46 | 政治時評

あす、安倍晋三の国葬を武道館で行うという。死んでほしかった安倍が死んで良かった良かったと思っていたところ、岸田文雄が安倍をあす国葬にするという。岸田は「弔問外交」で安倍の外交遺産を引き継ぐという。G7の首脳のだれも安倍の国葬に参加しないという。

だいだい安倍はトランプのけつの穴をなめていただけの男でないか。

岸田は、安倍の死を絶好のチャンスとして、安倍「的」なものを政治の舞台から追放すべきだった。安倍派を解散においこむべきだった。ところが、岸田は安倍晋三の継承者だと名乗りたがっている。岸田は安倍派を取り込むことができると思っているのだろうか。

安倍は電通と組んで国民をだまかしていた。オリンピック汚職で電通の元取締が逮捕された。安倍「的」なものを排除しないと日本が経済的に破滅するだけである。ウソの国民総生産(GNP)値事件もあった。株価操作もやってきた。いまアメリカとの金利差で超円安になっているのに、異次元の金融緩和、マイナス金利を是正できない事態に日本は陥っている。

安倍は「私がドリルになって規制という岩盤を打ち破る」と言いながら、森友学園、加計学園に便宜を図っていた。政府の「桜を見る会」を自分の後援会に利用していた。統一教会とはずぶずぶの関係であった。

安倍は「戦後レジメの脱却」といって民主主義の破壊者であった。国家(行政府)の権力を強めるよう法を改正した。軍備増強をはかった。教育基本法改正、イラク特措法の延長、教育三法改正(以上第一次安倍内閣)、特定秘密保護法制定、労働者派遣法改正、集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定、検察庁法の改正ときりがない。

そういう安倍の継承者でありたい岸田文雄は、原発の再稼働、新増設を推進するし、資産倍増計画といって、金融商品の宣伝を行っている。

石川健治が岸田を令和のルイ・ボナパルト(喜劇役者)と言うが、岸田を笑ってすまされなくなっている。岸田が生きていても はた迷惑なだけだ。