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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

きのうの野田佳彦の党首討論と岸田文雄の金融規制緩和の提言書が気になる

2025-04-24 14:41:56 | 経済と政治

きのうの国会での党首討論で、立憲民主党の野田佳彦代表が石破茂首相に対して、赤沢亮正経済再生相がホワイトハウスでトランプ支持の赤い帽子MAGAをかぶったことを非難していたが、本当にくだらないことに野田はいちゃもんをつけている。関税交渉は、外交の一部で、はじめから喧嘩腰で交渉する必要はない。

野田は古いタイプの政治家で、虚勢を張っている。

アメリカと関税交渉にあたって、日本はこれまで自由貿易を実行していたわけではない。国内の農業をどうやって守るか、自動車産業を守るために、犠牲にして良いのか、という議論をすべきである。メキシコやカナダに組み立て工場を作り、そこから低い関税でアメリカに日本車を輸出していたという実態なに威張ることではない。妥協点を見いだすための方策も議論しないといけない。

また、アメリカの関税政策に大慌てしなくても大丈夫な国内経済やアジア諸国とのウィンウィンの経済関係を築かないといけない。

もうひとつ気になったのは、きのう岸田文雄が資産立国議員連盟会長として石破首相に提言書を渡したことだ。日本の新聞記事では「NISAなどの提言」となっているが、外国の報道をみると、提言は金融規制の緩和全般に渡っている。アメリカの金融資本主義のまねごとを考えている。岸田の「新しい資本主義」は落ちるとこまで落ちている。アメリカの金融機関が国際的に強いのはドルが貿易決済の通貨になっているからだ。アメリカのまねをしても、資産を失う中間層が日本で出てくるだけだ。

日本はこの4年間貿易・サービス収支は赤字である。国内から海外に製造拠点が移っていく流れを政治はくいとめる必要がある。

トランプ大統領をバカにするだけではいけない。大阪を中心に日本にもラストベルトができつつある。岸田はトランプから少しは学んだ方が良い。


アメリカをまねる時代は終わった、最善最適の独自の道を進むときがきた

2025-04-20 12:06:17 | 経済と政治

この間、テレビのコメンテータは口を開けば、ドナルド・トランプ大統領の粗暴さを批判する。それに伴って、アメリカの政治、経済に疑問を口にする人が増えてきた。

とっても良いことである。アメリカのまねをするのでなく、自分の頭で考え、最善で最適の道に進むべきということが、理解され始めたようだ。

私の若い頃、40年年前、科学や技術分野では、アメリカの最先端をウオッチしていれば、間違いないという雰囲気があった。カナダでのポストドクターの生活をやめ、企業の研究所に務めたとき、通産省の産総研の友だちと話したら、アメリカでこんな研究に注目が集まっているというと、日本では研究費が簡単に承認されると言っていた。

これは、政治・経済分野だともっとひどく、何でもアメリカのまねをすれば良いという風潮があった。

中内㓛はアメリカ式のスーパーを日本に導入し、どんどん借金をしてダイエ―を大きくした。彼は行き詰るとアメリカのスーパー経営を視察した。そして、結局、ダイエーを潰してしまった。

小選挙区制による2大政党制を理想とするのも、これと同じ誤りである。いま、小選挙区制の弊害に日本は苦しんでいる。

岡山裕は、『アメリカの政党政治 建国から250年の軌跡』(中公新書)で、2大政党制がいかにアメリカの政治をいかに不安定化させたかを書いている。

古矢旬の『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』(岩波新書)も面白い。トランプの第1次政権までを扱っている。アメリカの曲がり角は1973年の変動相場制の移行からはじまった。民主党の変容はクリント政権に引き起こされたとする。

昔、田中拓道の『リベラルとは何か』(中公新書)を読んだとき、文化的リベラリズムといううさん臭い言葉が出てきたが、福祉国家を放棄したときに、進歩的のイメージを失わないように、文化的リベラリズムをクリント政権が装ったのである。規制緩和、自由競争を唱え、自由市場という妖怪を管理しないのは、福祉国家を維持する基盤を壊すことになる。

大橋陽・中本悟編の『現代アメリカ経済論 新しい独占のひろがり』(日本評論社)は、多国籍企業、国際金融企業がアメリカの政治力では抑え込めない怪物になっている現状がよく分かる。

日本は経済収支がこの数年間赤字に落ち込んだままである。製造業は工場を海外に移転しつぃて、日本国内は空洞化している。大阪は、町工場が潰れてだしているのに、バカな万博に酔っている。アメリカのまねをしているうちに、アメリカと同じ衰退の道を歩んでいる。

日本は自分の頭で考え、独自の道を進む時がきた。アメリカのまねをするのでなく、アメリカの誤りを分析し、同じ誤りを起こさないようにすべきである。


トランプ大統領の関税政策はそんなに悪か、自由貿易が正義か

2025-04-13 17:37:28 | 経済と政治

テレビを見ていると、誰もが一方的にドナルド・トランプ大統領の悪口を言い、誰もが自由貿易支持者のように振る舞っている。こうなると、へそ曲がりの私は反論したくなる。

自由貿易の根拠は、国による分業によって生産が効率化される程度のことである。国際経済学の本によれば、これをデイヴィッド・リカードの「比較優位理論」と言うらしい。しかし、「生産の効率化」より、人々がそれで幸せになるかが、私たちにとって重要なのだ。人間は「生産拡大」ための奴隷ではない。

トランプは、安倍晋三と同じく、選挙で自分が支持されるかを非常に気にする。単なる民主主義の破壊者ではない。自分の権威が選挙結果から来ていることを自覚している。だから、彼は米国の東部から中西部にまたがるラストベルト(荒廃した工業地帯)の労働者たちの思いを気に留める。

「自由貿易」はラストベルトの労働者から仕事を奪い、住み慣れた彼らの町を荒れ果てるままにしている。

米国は、貿易収支のみならず経済収支が、この30年、赤字なのである。今年の3月20日の米商務省が発表によれば、2024年の経常収支は1兆1336億2100万ドルの赤字で、赤字幅は前年から25.2%拡大した。これにトランプが責任があるのではない。これまでの民主党政権や共和党政権がラストベルトの労働者たちを見捨ててきたのだ。

米国が貿易で赤字を垂れ流しているのに、ドルが値崩れしていないのは、米国にお金が流れているからだ。アメリカの金融企業が世界最強だからだ。彼らは金融資本主義の担い手だと称している。

アメリカの会社の製品が日本国内にあふれている。しかし、アメリカ国内で生産しているのではない。これがグロバールサプライチェーンなのだ。これが自由貿易の実態なのだ。多国籍企業は、利益を一番税の安い国に留め置き、米国に利益を還元しない。

自由貿易という形で、企業は国境を越えてきた。米国政府は軍事力でこれらの企業を守ってきた。しかし、米国政府は、これらの多国籍企業や金融企業の強欲を抑え込むことはできなかった。抑え込もうともしなかった。

一部の人々だけが潤っているのが米国の実態なのだ。見捨てられた多数の人々がいるのだ。

トランプの関税政策がこれらの問題を解決できるとは私も思わない。しかし、少なくともトランプは米国の金融企業や多国籍企業を慌てさせている。


『ガルブレイスの大恐慌』とトランプの相互関税発動

2025-04-05 17:52:34 | 経済と政治

今回の入院中の読書に、図書館から借りた3冊、J.K.ガルブレイスの『ガルブレイスの大恐慌』(徳間文庫)、 宇野重規の『西洋政治思想史』(有斐閣アルマ)、岡山裕の『アメリカの政党政治』(中公新書)を私は持ち込んだ。

『ガルブレイスの大恐慌』は思っていた内容と違い、結局は『西洋政治思想史』を、入院中、一番読んだ。

私は1930年代のアメリカの大恐慌の全体像とルーズヴェルト政権の対応について詳しく知りたい。ガルブレイスは株式市場の狂乱に記述を絞っている。大恐慌は株式市場のバブルの破裂だけでないはずだ。

農業市場の不況は、株の大暴落の前から始まっていたと、どこかで読んだ記憶がある。株価の暴落は確かに小市民の資産を奪ったが、それだけでなく、製造業全体が需要不足の大不況に落ち込み、失業者が町にあふれたはずだ。失業率はどれだけだったのか知りたい。失業者はどうやって餓死しないで済んだのだろうか。ルーズヴェルト政権はどのような対策を打ったのだろうか。どうして、世界の貿易は縮小していったのだろうか。政権はそれをどう考え、どう対応したのだろうか。

『ガルブレイスの大恐慌』でわかったことは、資産を失った小市民が次々と飛び降り自殺したというのは、都市伝説にすぎないということだ。エンパイア・ステート・ビルディングの屋上に飛び降り自殺の人がいると、見物客が集まったら、それは単にビルのメンテナンスだったという、エピソードが書かれている。大恐慌の中で意外とみんな逞しく生きていたようである。

日本の1991年の株不動産バブル崩壊でも資産を失ったからといっても、格別自殺者が増えたわけではない。日本のバブル崩壊はどちらかというと大企業や銀行を傷つけた。日本の大企業や銀行の経営者たちはバカの集まりだったからである。自民党は、経済刺激のため赤字国債をつぎつぎと発行し、バブル崩壊を乗り切ろうとしたが、それが適切な対応だったか、経済学者たちの本音を知りたい。

今回のトランプ大統領の「相互関税」の発動によって、世界的株の暴落が起きているが、経済が縮小再生産にならないためには、各国が関税戦争に持ちこまないことだと思う。ヨーロッパの各国の対応をみても、トランプの関税政策を口先で非難しているが、関税戦争を控えている。トランプの相互関税の値自体は恣意的である。しかし、トランプ大統領の相互関税発動をアメリカの悲鳴として捉え、新たな世界均衡に慎重にランディングすべきである。メディアの冷静な対応を望む。

以上の思いがあるので、1930年代のアメリカの大恐慌の全体像とルーズヴェルト政権の対応について私は詳しく知りたい。


アメリカのリベラリズムは特殊な用法である、岡山裕の『アメリカの政党政治』

2025-03-10 21:13:12 | 経済と政治

岡山裕の『アメリカの政党政治 建国から250年の軌跡』(中公新書)が面白い。アメリカのリベラリズムとはなんだったのか、また、現在のアメリカの分極化とは何なのか、トランプ主義が出てくる背景が何のか、よくわかる。

フランクリン・ルーズベルト(ロウズヴェルト)が大統領になって、恐慌対策として12年と39日に渡って行なったニューディールは、明らかに「社会主義的」政策である。市場の自由に政府が介入し、富の再分配も行った。岡山によれば

「全国の銀行一時閉鎖し手経営体力に応じて再開させることとし、前フーヴァー政権を大幅に上回る規模の財政出動を行う」

「失業対策では、労働者の再教育や職の斡旋だけでなく、政府による大規模な直接雇用を実現した」

「各業界で生産調整を行わせて商品や農産物の価格の下支えを図り、景気回復を目指した」

「無責任な金融取引が行われないよう規制を強化した」

「労働者には団結権や団体交渉権を認め、1935年に全国労働関係委員会を設置してそれを保証した」

「老齢・障碍者年金に加え、子どものいる貧困家庭への金銭的援助を制度化した」

さらに1944年1月の一般教書演説でルーズベルトは「国民に教育、労働、福祉や年金といった、幸福の追求に不可欠な権利を保障するべきだと訴えた」

アメリカには、社会主義や共産主義を個人の自由を束縛すると忌み嫌う風土がある。だから、ルーズベルト政権は、ニューディールこそ本当のリベラリズム(自由主義)と言い張った。1930年代の大恐慌はすざましいものだったから、アメリカの人々はそれを受け容れた。

1970年代以降の「リベラリズムの行き詰まり」とは、みんなが大恐慌を忘れてしまったアメリカで、政府がニューディールのような総合的で強引な市場介入と富の再分配を二度と行えないことに一因がある。

中途半端の政策では、所得の格差拡大を止められないし、景気回復もできない。逆に、政府よる市場介入や再分配が景気を悪くしていると主張が政治の世界で支持されるようになった。

ニューディールを「リベラリズム」と見なしたり、戦後のヨーロッパの政治を「リベラリズム」の盛衰で見るのは誤解を招くと私は考える。