goo blog サービス終了のお知らせ 

猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

もの足りなかったきのうの憲法記念日

2025-05-04 22:23:14 | 憲法

2年前の憲法記念日には、朝日新聞が憲法関連の特集をやっていたような記憶がある。もっと前には、憲法学者石川健治の寄稿が何度かあった。今年は朝日新聞は世論調査結果とおざなりの社説で済ましていて、何かもの足りない。

現在の日本国憲法は、アメリカの占領軍が作ったわけではない。確かに、1945年に日本がアメリカに敗戦した結果、天皇しか発議できない大日本帝国憲法の改正を、天皇の同意がなく、国会で議論し、1947年に日本国憲法が施行できた。改正のためには、残念ながら、無条件降伏という大日本帝国の敗戦が必要だったのである。

現行の憲法の欠陥は、国民主権を序文で唱えながら、世襲制の天皇制を残したことであると私は考える。天皇制は日本国憲法24条にも矛盾する。

民主主義とは、人間はみんな対等であることだ。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)によれば、戦後も大日本帝国の支配層を生き残らすために、天皇制廃止をアメリカは要求しなかったという。

民主主義が、選挙制度があるということなら、136年前に第1回の選挙が行われている。

民主主義の破壊者と見なされる安倍晋三元首相だって、自分の権力は選挙に勝つことによって、生じていると意識していた。

人間はみんな対等だということが、みんなに共有されていないと、選挙制度があっても、独裁的に振る舞う政治家が出てくる。憲法の欠陥、天皇制を悪用する者が出てくるかもしれない。

現在の民主主義の教育は難しすぎる。形式的すぎる。抽象的すぎる。

「自由」とは、誰かだけに「気ままに好き勝手にふるまう」ことを許すことではない。みんな対等である。


日本国民は憲法第9条のブランド・イメージを守るべきだ

2023-05-04 22:56:55 | 憲法

5月3日の朝日新聞は憲法関連の記事が1面、2面、6面、9面、14面、15面、23面、26面と紙面を埋めていた。憲法が守られることへの朝日新聞社の危機感が伺えた。

現在の日本国憲法には問題がある。しかし、それは、憲法第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に問題があるのではない。

問題は、憲法第2条の「皇位は、世襲のものであつて」と戦前の天皇制を維持していることである。ヨーロッパでも象徴として王をかかえる国があるが、血統にこだわらず、他国から新王を持ってくることができる。「象徴」は血統による必要はない。憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、(中略)華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と天皇制は矛盾する。

憲法第9条の国際紛争を解決する手段として「武力による威嚇又は武力の行使」をしないというのは、すばらしい理念であり、日本国憲法のブランド・イメージを高めてきた。このブランド・イメージを、敵基地攻撃力のミサイルを配備することで、岸田文雄は破壊しようとしている。朝日新聞社が危機感をもつのは当然だと思う。

岸田政権は5年間で総額43兆円の軍事費を計画している。そんなにお金をつぎ込んで何が守られるのだろうか。軍事費を増やせばそれだけ国民の生活は困窮する。1億3千万人の日本が、13億人の中国と張り合って軍事費を増やす必要があるのか。中国を敵視して軍事費を増やせば、中国も呼応して軍事費を増やし、軍拡競争に堕ちってしまう。防衛費なら身の丈にあったささやかなもので十分である。事の成り行きでは、日本が降伏して中国に占領されたって良い。戦争をして国民が死ぬより降伏するほうが良い。生命が守られる。

軍備を拡張すれば本当の戦争になることを知っておかないといけない。

82年前の日米戦争開始は、日本の海軍がアメリカを敵国に規定して軍備を強化していたからだ。その点を陸軍から指摘されたから、海軍みずからアメリカとの戦争を天皇に奏上(提案)せざるを得なくなった。近代日本史学の加藤陽子は、国力の劣る日本が1941年12月8日にアメリカとなぜ開戦したかをそう説明している。

5月3日の朝日新聞で、憲法学者の樋口陽一は「万が一、米中が戦争を起こしたら、どうなりますか。両国はお互いにそれぞれの本土をいきなり攻撃はしないでしょう。日本で米中の両方の弾が飛び交うことになる」と警告している。

私も樋口と同じ推測をする。日本政府が軍備拡大に進めば、アメリカ政府は日本がアメリカの手先として戦うことを期待する。米中とも自国内に核爆弾が打ち込まれるのを防ぐため、その間に位置する手先の国に核爆弾を落とす。そして、その悲惨な実態を確認することで、米中が和解する。戦争とは駆け引きで、当事者は損な立ち回りをさける。

日本が損な立ち回りをしないために、日本国憲法の第9条を高く掲げ、アメリカの手先になることを断るべきだ。

朝日新聞社の危機感を私は共有する。


憲法とは妥協の産物、デモクラシーを守るから攻めとるに転じよう

2022-05-04 22:43:03 | 憲法

きのうの朝日新聞の石川健治のインタビュー記事が相変わらずよくわからないので、読み返している。たぶん、いろいろな知識を前提にしていて、そんなことあたりまえであるとして省略しているのであろう。

私が高校生のとき、なぜ、法学部に進学する人がいるか、理解できなかった。法というものは、支配者が作ったもので、自分にとっては檻のようなものにしか、思えなかった。こんなもの、大学に入ってまでして研究したいとは思わなかった。私は数学か物理を研究するために大学に入った。

高校の後輩をみていると、真面目な子が、法学部に進学している。それで、法律も弱者のために戦う道具になる側面があるのか、と多少見直す気になった。イギリスの植民地インドで非暴力闘争を唱えたガンジーが、弁護士の資格をとって、弱者のために戦ったと知って、法律の知識も役に立つのだと思いなおした。

石川健治が仮定している「立憲主義」がよくわからない。

日本版ウィキペディアによれば、「立憲主義とは、単に憲法に基づいて統治がなされるべきであるというのみならず、政治権力が憲法によって実質的に制限されなければならないという政治理念である」とある。

「立憲主義」とは、「憲法」というものの現実を見ているのだろうか。

「法」とは、その時代の権力闘争において、妥協の結果でてきた明文化された約束である。妥協であるから、力関係が変われば、法の解釈を変えたり、あるいは、法そのものを破棄したりする。妥協の結果であるから、法を盾に、弱者を守る余地がある。

「憲法改正」の声が上がるのは、力関係が変わったからか、力関係を変えたいからと、私は考える。自民党は、力関係を変えたいから「憲法改正」を唱えるのであろう。維新の会は、力関係が変わったと思うからそれにあった「憲法」に改正したいのであろう。国民民主党は、力関係が変わったのだから、強いものについて行きたいのだろう。

「憲法改正」の声があがるのは、世界情勢が変わったからではない。

法をめぐる争いは、強いものが弱い者を支配する社会にするか、強いものも弱い者も平等な社会にするか、の争いであると私は思う。

宇野重規の定義では、強いものも弱い者も平等な社会が、デモクラシーである。

「政治権力が憲法によって実質的に制限されなければならないという政治理念である」というとき、憲法が政治権力を制限する理念や手段が具体的に明文化されていなければならない。妥協であるから、実際の憲法では、そういう個所は多くない。曖昧に書かれて、解釈で運用がどうにでもなる。

また、妥協の結果できた日本国憲法には、「世襲制の天皇」がある。これは、憲法の論理的整合性を壊している。日本がアメリカに占領されたときに、アメリカの円滑な日本支配のために導入された制度である。日本がアメリカへの従属を断ち切るためにも、天皇制を廃止することが かなめである。

また、立憲主義の「政治権力を憲法で制限する」が実行するには、大衆が正義に関心を持ち、政治に参加するようにならないといけない。強いものをますます強くする保守に対抗するには、守りの第9条ではなく、力関係を変えるという攻めの立場をとらないといけない。

現代社会では、私だけでなく、ほとんどの人は知識人の言うことを信用しない。理屈をどうこねるかではなく、弱い者の立場が守られるために、何が良くないか、どうすれば良いかを、もっと単調直入に議論すべきである。

選挙の投票率が50%をきる現状は異常である。国民の30%の支持しかない政権与党が国会の半分を大きく上回る議席を占めるのは異常である。

ウクライナ軍事侵攻を見て、軍事同盟は何の役にもたたない、核兵器は抑止力にならないということが明らかになっている。にもかかわらず、核の傘とか抑止能力とか、バカげたことを、自民党や維新の会や国民民主党は言っている。

ウクライナはロシアの基地を攻撃していない。軍事侵攻に抵抗しているだけである。そして、ロシア軍の侵攻の不当性を訴えている。抵抗を継続できることには、技術的な側面もあろうが、第1にはウクライナ国民に抵抗の意思があるからである。

日本はなさけない。占領したアメリカ軍の横暴にほとんど抵抗して来なかった。数少ない抵抗する人びとを見捨ててきた。そして、アメリカ軍を素晴らしいもののように語る軍事評論家が恥ずかしげもなく、今も、メディアに出てくる。

戦争はゲームでない。人が死ぬのだ。


石川健治の朝日新聞インタビュー記事『これからの立憲主義』に疑問

2022-05-03 23:35:33 | 憲法

昨日述べた天皇制の廃止以外は、憲法改正の緊急の課題はないと思う。憲法記念日のきょうは、朝日新聞のインタビュー記事、石川健治の『これからの立憲主義』について検討したいと思う。

というのは、彼の言いたいことが、まずむずかしくて、私にはよくわからないのである。君主制のもとの立憲民主主義というものを彼が可能と考えているのか、という疑念すら私は持つ。

彼は言う。

〈憲法は条文のかたまりではなく制度のかたまりです。条文の字面ではなく、それが演出している制度の実態をみなくてはなりません。〉

この意味がよくわからない。法学の徒は「制度」というものをどのように定義しているのか。世の中に「法」があっても、法を決める主体とその法を施行する行政府があり、その施行実態に異議を唱えることができる「議会」があり、施行の1つ1つの事例について当事者が異議を申し立てる先の「司法」がある。「制度」というのは、その枠組みのことを言うのであろうか。

明治憲法は、形式的には君主(天皇)が定めた憲法であり、実質的には徳川幕府を転覆させた維新勢力の幹部たち元老たちによって作られた。当時、憲法制定に先立つ議会がなかったのである。明治憲法が制定される前に、勅令(天皇の命令)の形で、つぎつぎと政治や軍事の枠組みを決めていっている。松澤幸太郎の研究ノート『明治憲法の制定過程と天皇制』とを見る限り、『立憲民主主義』から 明治憲法は ほど遠い。

明治憲法下で天皇が象徴であったかどうかの議論は、昭和天皇の戦争責任を曖昧にする以外に、意味がない。政治は、明治維新と言うクーデータを起こした一部の集団のなかの争いと妥協の中で行われ、憲法は、形式的なもので、集団のなかの強者が天皇の勅令という形で、制定された。形式的には絶対君主制で、実態的には一部集団の支配、寡頭制である。天皇の影で一部集団が強権を振るえる欠陥を明治憲法はもっていたのである。

石川健治は、日本国憲法第2条と第9条はペアであるとインタビューに答えている。アメリカ政府(GHQ)の日本統治をやりやすくするために、第2条で世襲制の天皇制を温存して、そのかわり、植民地主義や軍国主義を封印するために、第9条で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした、と彼は言う。

私が納得できないのは、「民主主義」を重んじるならば、当然、天皇制を廃止すべきであって、第9条の価値は天皇制を廃止してもありつづける、という点である。

今回のロシア軍の侵略にあたって、ウクライナ政府の高官がインタネット上に、ヒトラー、ムッソリーニとならんで昭和天皇の写真を、侵略者として掲げたことを、日本政府が抗議したが、昭和天皇が植民地主義、軍国主義の象徴であったことは間違いない。日米戦争の敗戦後、昭和天皇は、敗戦で広大な領土を失ったことを先祖の天皇たちに申し訳ない、と侍従に語ったとされる。敗戦後も、植民地主義、軍国主義に奉じていたのである。どうして、彼が罰せられなかったか、について私は不満に思う。


天皇制の廃止こそ憲法改正の眼目である、第9条は改正の必要ない

2022-05-02 22:24:39 | 憲法

(五月晴れ)

自民党があいかわらず憲法改正を党のホームぺージで唱えているが、以前より表現が和らかくなっており、法律の改正ですむようなことになっている。結党の党是「自主憲法」もあって、単に意地を張っているだけの気がする。

日本国憲法の本当の欠陥は、天皇制を維持したことである。本当に必要な憲法改正は、天皇制の廃止ではないか、と私は思う。

アメリカが日本を占領し、「共産主義」陣営との冷戦の最前線におくために、民主主義と天皇制と共存させたのである。「自主憲法」であるならば、民主主義と矛盾する「天皇制の廃止」こそ、緊急の課題である。天皇制の廃止を唱えない自民党は、非理性的で非論理的な「弱虫」と思う。

現在の日本国憲法の最大の欠陥は天皇制を「世襲制」としていることである。

日本国憲法第2条 「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」

第2次世界大戦に日本が敗戦し、「君主政」から「民主政」に変わったのであるなら、当然、血縁に基づく君主制を廃止すべきである。さもないと、第14条の「法の下の平等」と矛盾するのである。
日本国憲法第14条 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

憲法の規定における天皇の役割は、第1条の規定により、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴で」ある。第3条から第7条までは、天皇の具体的行為を、国会や内閣の意思に基づく「儀礼」行為に限っている。通常、このような役割は、国会が指名する「元首」の仕事である。「象徴」がほしいなら「世襲制」とは関係ない「元首制」を導入すればよい。

天皇が世襲制の「象徴」であるために、天皇とその家族「皇室」には「人権」がない。

日本国憲法第8条 「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。」

この第8条は、事実上、皇室は私有財産をもてないことを意味する。皇室は、第29条の「財産権」の対象外になっており、第30条の「納税の義務」の対象外である。

平成の天皇がこれ以上「象徴」を続けられないと言ったときも、「私有財産」をもたないから、公務から解放されても、公費で暮らすしかなかった。

秋篠宮家の眞子が日本国民の一人と結婚しようとしたとき、戸籍を作らなければいけなかった。皇室の構成員には戸籍がないのである。したがって、選挙権がないのである。また、親が眞子の結婚式をあげてやろうと思っても、「私有財産」をもたないから公費を使わざるを得なくなる。今回、眞子の結婚式はどうなったのだろう。

もっと大変なのは、天皇と結婚した女性である。跡継ぎを生まないといけないのである。しかも男の子を産まないといけないのである。そのためには、不妊治療が強制される。「個人の尊厳」がないのである。

ヨーロッパにはまだ「君主制」をとっている国もあるが、「世襲制」ではないのだ。子どもがいなければ、他国の王室からもらってくるのである。国民が「王」を選ぶのである。

天皇制を廃止し、皇室は単なる「名家」になって、普通の人間として、自由と民主主義を楽しんでもらいたい。

「天皇制廃止」こそ憲法改正の第1の眼目である。あとは、改正を急ぐ必要がない。