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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

日本の税の仕組みの複雑さは不公平の源、もっと簡明にすべきだ

2025-03-05 22:55:40 | 政治時評

今年も私は3日かけて税申告書を書き上げた。

47年前カナダにいたとき、給与生活者を含めてみんなが自分で税申告書を書き上げていた。各自が申告書を書き上げることで、自分がどれだけ国に税を納め、また、どれだけ国の恩恵に受けているか、わかる瞬間であった。

日本に戻り、それから、28年後、会社務めを退職してから、自分で税を申告することを始めた。私は、退職の際にはいった公的年金を通じてなぜか過大に源泉徴収されていることを知った。毎年税の払い戻しを受けている。

自分で税を申告するようになって、もう1つ感じるのは、収入から税が決まる日本の計算式の複雑さである。

収入項目によって控除を受ける計算式がそれぞれあり、それを足し合わせて、控除後の全収入が決まる。そこから、収入項目とは独立ないろいろな名目の控除があり、それを積み上げていく。それを差し引くと、課税対象となる控除後の収入が決まり、計算式に従って税が決まる。これらの計算式にどのような根拠があるのだろうか。

しかし、これでおしまいではない。ここから、いろいろな減税項目や追加税項目がならぶ。これまでは減税項目にお世話になることはなかった。追加税としては、みんなと同じく復興税を納めることになる。これらの追加減税、追加課税は、政治圧力による税の変更の痕であろう。

これらの税制度は、日本固有の世帯主という家族制度のために、さらに複雑になっている。

カナダで税金を申告したとき、このような複雑さがなかった。

去年の衆院選から、国民民主党が103万円の壁と言って、何十年も固定された課税対象となる年収の上限を、物価の上昇に合わせて引き揚げるようを主張した。

私はもっともな主張と思ったが、すんなりと決まらず、けっきょく、政権与党に、はねつけられた。しかし、自民党議員や公明党議員は本当にそれができない理由がわかっていたのだろうか、私は疑う。日本の税が決まる仕組みが複雑すぎる。自民党議員や公明党議員は、103万円の壁を変更するとどうなるのか、わからず、財務官僚に押し切られていただけでなかろうか、と私は考える。彼らは司法書士に自分の税申告書を作ってもらい、自分自身で申告書を書き上げたことがないだろう。

eTaxになると、税の仕組みがコンピュータプログラムに隠蔽され、日本の税の仕組みの複雑怪奇・不公平に人々が気づかなくなる恐れがる。それは大きな問題である。国民は税によって国を支えている。国民はどのように支えているか意識すべきである。

国民民主党の異議申し立て、「103万円の壁」は決してささいなことではない、と私は考える。


公的医療保険の支出を4兆円削減するという3党合意に反対

2025-03-03 18:16:27 | 政治時評

今日の国会中継を聞いていると、来年度の予算では、医療費を4兆円削減を目指すということが3党で合意されたという。ネット上には3党合意文書が上がっていないので詳細はわからない。

予算委委員会での令和新撰組の質問に、医療費4兆円削減の合意を石破茂首相、加藤勝信財務大臣は答弁でそれを認めていた。ここでの医療費は国の医療保険の支出額を言う。したがって、国民の医療費総額が減るのではなく、自己負担が増えるのである。

答弁によれば、2000年以降、医療保険支出1兆円削減できたのは、ただ1回だという。これに対し、令和新撰組はこの年医療現場が診療拒否など混乱したと言う。

石破や加藤の答弁によれば、どうやって、医療保険支出1兆円削減するのか、決まっていないという。額だけを合意したという。財務省と厚労省とのあいだにすでに計画が作成されているのではないか。公明党、維新はどうして4兆円削減に合意したのか。

私立高校の授業料を所得制限なしに無償化するために、維新は安易に4兆円の削減に合意したのではないか、と私は疑う。私立高校の授業料を所得制限なしに無償化すれば、得をするのは、富裕層ではないか。貧困層への公的医療保険支出を削ってまで、私立高校の授業料を所得制限なしに無償化する必要があると思えない。

予算審議はあくまで支出の優先順位を決めることである。

立憲民主党、国民民主党、共産党も、公的医療保険支出4兆円削減の3党合意を追求し、何が計画されているか、明らかにして欲しい。


斎藤元彦の知事選で再選をどう考えたよいのか、ネットが悪いのか

2024-11-19 22:18:13 | 政治時評

百条委員会にパワハラで調査中の、しかも県議会で不信任決議を受け辞職した斎藤元彦が11月17日の知事選で再選を果たした。19日の朝日新聞の見出しは「共感 うねり生んだ有権者」「ネット信頼感 斎藤氏を後押し」であった。私は問題の本質を何か見落としているのではと感じる。

「うねりを生んだ有権者」というが、投票率は55・65%であって、多くの人がそもそも投票場に行っていない。斎藤が得た票は有権者の24.96%にすぎない。

事実としては、自分たちの置かれている状況に不満を潜在的に抱えている人々の一部が、不信や偏見にもとづき、「改革に強い姿勢の斎藤がマスコミにいじめられている」「公務員らは甘えている」との扇動に動いたということである。

この現象に、現代の民主主義国家の問題がある。アメリカのトランプ現象や、イギリスでの反移民暴動に通じるものがある。古くは1931年にナチスが政権を握ったときにも似ている。選挙でナチスは投票の過半数の票を得ずに、政権の座に就いた。ハンナ・アーレントは、これを政治に無関心の人々と、政治家から見捨てられている人々がいるからと述べた。

アメリカの選挙制度は事前登録制で、大統領選では有権者の6割しか登録しない。多くの人が棄権している中で、大統領が決まるのである。バイデンがトランプに勝った2020年の大統領選では、トランプが初めて大統領になった2016年の選挙より多くの票を取ったのに、バイデンの票がそれをうわまったのである。このときは民主党支持のボランティアが事前登録するよう家々を訪問して歩いたからである。今回の結果は、ガザやウクライナに対するバイデンの曖昧な姿勢に不満なボランティアが動かなかったからである。

多くの人びとが政治に関心をもって参加することが大事である。一部の人が動くだけで政治が決まるのは、民主主義からすると危険なのだ。

今年のイギリスの反移民の暴動も、26都市に広がったが、結局は数万人程度の参加者である。これに対し、反移民暴動に抗議するデモが各都市で起きた。労働党政権はこの反移民暴動に対して、ルール違反を起こしたものを裁判所に訴えた。

今回の斎藤の県知事再選での問題も、ネットの功罪を論じるだけでなく、政治への関心の低さやネットでのルール違反の行動を取り上げるべきである。斎藤県知事が内部告発者を自分への中傷として行政処分したこと、こんどの選挙中にネットでコメンテーターや議員を脅迫した者がいたことに対して、民意だなんておかしなことを言わず、裁判所に訴えるべきである。有権者の24.96%の票で、問題行動があったことをチャラにすることではない。


衆院選躍進の国民民主党のキャッチフレーズ「手取りを増やす」への不安

2024-11-03 21:17:45 | 政治時評

今回の衆院選の勝利は国民民主党(国民)の躍進だ。前回の衆院選では立憲民主党(立憲)の獲得票のわりに獲得議席が少なすぎたから、立憲の議席増加は当然のことである。

朝日新聞の出口調査によると、国民と立憲を合わせると、80歳以上を除き、どの年齢層でも自民党の支持率をうわまった。

朝日新聞の出口調査で、もっとも驚くべきは、20代の比例投票先では、国民の支持がどの政党よりも大きくうわまっている。出口調査では、国民は26%で、自民の20%、立憲の15%、維新10%、れいわ10%である。

国民は、「手取りを増やす」以外、選挙で何も言わなかったのに、若者の支持を集めたのである。これは、都知事選で何も政策を述べなかった石丸伸二が若者の票を集めたのと似ている。じっさい、都知事選と同じ選挙参謀が国民の選挙を取り仕切った。

しかし、それだけとは言えない。「手取りを増やす」という国民のキャッチフレーズがお金が欲しいという若者の心をつかんだのである。

立憲の野田佳彦は、「政権交代」と「裏金スキャンダル」の一点張りで自民党を攻め、多くの人びとが経済的に困窮しているという事実を軽く見ていた。この点で国民の玉木雄一郎の選挙戦術をわたしは高く評価する。

一方で、「給料を上げろ」でなく「手取りを増やす」だったことには、わたしは不安を覚える。今回の衆院選の選挙公報では、国民は「減税」「社会保険料の軽減」で「手取りを増やす」と言っているからである。公報の「公費投入増による後期高齢者医療制度に関する現役世代の負担軽減」と「減税」とは矛盾しているのではないか。

一般的な減税でなく、立憲の泉健太が今回の代表選で言っていた、困窮層と富裕層や企業との税負担率の見返しを、国民は主張すべきでなかったのか。

「手取りを増やす」ために、福祉予算を削るのでは、オカシイ。防衛費増額(軍備拡大)に反対すべきではないか。国力に見合った防衛費で充分であると考える。

福祉は、単に生活困窮者を助けるだけでなく、J. ガルブレイスが言うように、不況のとき需要を底支えするのである。不況は需要が供給力を大きく下回ることで起きるので、福祉は不況をやわらげる効果がある。

さらに、3週間前に小熊英二が朝日新聞で言っていたように、福祉は雇用先を増やす。AIを含む大量生産技術の進展は、製造業における雇用を減らしていく。労働力の新しい吸収先として、政府が影響力を比較的持つ医療・福祉・教育に雇用をシフトしていく必要があると、小熊は言う。私自身はそれらに文化活動(芸術・音楽・演劇・研究など)も加えたい。

「手取りを増やす」だけの国民民主党に不安を感じ、これでは国政をまかすわけにはいかないと、わたしは思う。

[11月4日補遺]

きょうのTBS報道19:30を聞いていると、せっかくの国民民主党の提案「手取りを増やす」が、財源がないという理由だけで、税制体系全体の改定や税金の使い道につながらずに、国民民主党叩きになっている。これはフェアでない。

「103万円の壁撤廃」が国の財政不足を起こすなら、富裕層や大企業からもっと税金をとればよいのではないか。福祉にかける予算を削らず、膨張している防衛費を削れば良いのではないか。また、負担が大きいのは国税だけでなく、累進課税になっていない地方税の負担がとても重い。

番組のコメンテーターには、選挙で支持された「手取りを増やす」を良い方向に導くよう議論して欲しい。


自民党の衆院選の公約はあまりにも低レベル、立憲民主党の公約のほうがずっとマシ

2024-10-17 21:01:19 | 政治時評

今回の衆院選の自民党の公約はとてもレベルが低い。単に立憲民主党の公約に比べてだけではなく、岸田政権時の2021年の衆院選の公約にくらべてもレベルが低い。

今回の自民党の公約は

  1.  ルールを守る
  2.  暮らしを守る
  3.  国を守り、国民を守る
  4.  未来を守る
  5.  地方を守る
  6.  あらたな時代を切り開く

と「守る」の韻を踏んだ言葉遊びである。6番目の公約は韻を踏んでいないが、「国民とともに憲法改正を実現します」ということである。

岸田政権のときの衆院選公約は、

  1.  感染症から命と暮らしを守る。
  2. 「新しい資本主義」で分厚い中間層を再構築する。「全世代の安心感」が日本の活力に。
  3.  国の基本「農林水産業」を守り、成長産業に。
  4.  日本列島の隅々まで、活発な経済活動が行き渡る国へ。
  5.  経済安全保障を強化する。
  6. 「毅然とした日本外交の展開」と「国防力」の強化で、日本を守る。
  7. 「教育」は国家の基本。人材力の強化、安全で安心な国、健康で豊かな地域社会を目指す。
  8.  日本国憲法の改正を目指す。

と、何をやりたいかが、はっきり打ち出されている。

この違いは、石破茂は岸田文雄と比べて、日本をどのようにしていくかの目標が設定できていないからと考える。

立憲民主党の衆院選の公約は、今回の自民党の公約と比べ、それが好ましい目標か否かを別にして、目標がはっきりしている。目標がはっきりしていれば、それが良い目標か否かがをみんなが議論できる。何を言っているか、わからないものは、公約と言えない。「口約」である。

立憲民主党の公約は、

  1.  政治の信頼回復
  2.  分厚い中間層の復活、家計・賃上げ支援
  3.  安定した外交・安全保障戦略
  4.  超高齢社会に対応した確かな年金・医療・介護・福祉
  5.  未来を育む子育て・教育
  6.  地方と農林水産業の再興
  7.  多様性を認め合える当たり前の社会

である。それぞれに3、4個のブレークダウンがついているので、個々の公約に賛成か反対かの自分の意見を表明できる。公約を議論の対象にできる。

例えば、2番目の「分厚い中間層の復活、家計・賃上げ支援」は、つぎのブレークダウンを設定している。

  • 最低賃金を1500円以上とし、適切な価格転嫁等により、労働者の賃金の底上げを実現します。
  • リスキリング、リカレント教育など、徹底した「人への投資」で賃上げを支援します。
  • 希望すれば正規雇用で働けるよう 契約社員、派遣労働の抜本改革などを実現します。
  • 成長の柱となるグリーン、ライフ、ローカル、デジタル(GLLD)に重点的に投資します。

私は、政府が経済活動に直接投資するということには反対である。政府は単に成長分野を示唆すれば良くて、投資は企業の仕事である。残りの3つには納得できる。

ただ、このブレークダウンを読むと、これらは「分厚い中間層の復活」とどんな関係があるのか、私には疑問である。

面白いことに、岸田政権も立憲民主党も「分厚い中間層」と言っている。この「中間層」とは何かが問題である。多くの識者は、「中間層」で「経済的」問題を指しているが、私はそんなことではないと考える。

フロムは『自由からの逃走』で1920年代のドイツの「中間層の没落」を論じている。この「中間層」は自営業者のことである。これが、1930年代のナチスの台頭を招いたと論じている。

日本でも、現在、自作農、小売業、町工場が、やっていけなくなっている。町ではシャッター街が生じている。石破茂を含む政治家や評論家は「付加価値」の高い事業を行えば良いというが、そんな問題でないと私は考える。いつの世も「付加価値」の高い産業分野は限られる。資本主義の本当の問題は、雇う、雇われるが、支配する、支配される構造を生むことである。

つぎのブログで「中間層の没落」の問題を論じたい。