猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「佐渡島の金山」が世界文化遺産に決まったに喜ぶ人々

2024-07-28 21:50:34 | 社会時評

新聞によると、7月27日、「佐渡島の金山」がユネスコの世界文化遺産に決まったの知らせに、新潟の佐渡市に作られたパブリックビューイング会場は沸きかえったという

私には、「佐渡島の金山」が世界文化遺産に値するという理由がわからない。また、世界産遺産に決まったことに喜ぶのもわからない。金や銀を掘るために世の地獄を味わった人々がいたのに、それを観光のタネにしてお金儲けをしようという人々には怒りさえ感じる。

文化庁はつぎの理由で世界文化遺産に推薦した。

  • 「佐渡島の金山」は、世界の他の地域において採鉱等の機械化が進んだ時代に、高度な手工業による採鉱と製錬技術を継続したアジアにおける他に類を見ない事例である。
  • 徳川幕府が佐渡島に管理体制と街づくりを導入し、労働体制を構築したことにより、17世紀においては、世界的に見ても高品質な金を大量に生産することが可能になった。
  • これらの要素は、今の鉱山地域と集落構造に反映されている。

しかし、「高度な手工業による採鉱と製錬技術」とは何なのか、江戸幕府構築した「労働体制」とは何なのか、文化庁は明らかにしていない。ユネスコもいいかげんなところだ。

7月27日の朝日新聞『多事奏論』に田玉恵美は江戸自体の佐渡島の金山の実態をつぎのように書いている。

坑道は年々深くなり、地下水があふれ出した。その水を人力で汲み出す仕事を水替えという。江戸幕府は、無宿人狩りをして水替えの仕事にあたらせた。「10年たたぬうちに死ぬ人も多かったという」。作家の司馬遼太郎は、江戸幕府の「最大の汚点は無宿人狩りをやっては、かれらを佐渡の水替人夫におくったことである」という。

ウィキペディアには、「水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた」「小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた」とある。 

佐渡島の金山に、「高度な」技術があったわけではない。ただ、奴隷労働があっただけである。

28日の朝日新聞に奇妙な記述がある。

「ユネスコの諮問機関は(中略)江戸時代だけでなく、「全体の歴史」に配慮することも求めた。」

じつは、明治になって、佐渡島の金山に西洋の採掘技術が導入され、産出量が増えたのである。江戸時代の最盛期には年間400 kg以上の金の産出があったが、1940年には年間1,500㎏の金の産出があった。したがって、佐渡島の金山を江戸時代に限定するのは、不自然である。80年前の戦時中には朝鮮人労働者が大量に動員された。募集と言う形をとっているが、鉱山にはいってからは暴力で逃亡を抑え込む体制であった。これは佐渡金山だけでなく、戦時中に日本の鉱山で一般に見られた状況である。

佐渡金山を世界遺産に推薦するのは適切かの2022年の共同通信の世論調査では、適切が73%で、「政党別でみると、自民党支持層の78.5%、日本維新の会支持層の84.6%、国民民主党支持層の75.9%が適切と回答。共産党支持層は28.0%で最も低かった」。(立憲民主党が抜け落ちているが、どうしてか、私は分からない。)

適切だとする人たちは、佐渡金山の歴史に無知なのか、それとも、文化庁の判断を妄信しているのか、いずれにしても嘆かわしい。


移民を受け入れなければ国家消滅とは変でないか、少子化は自殺行為ではないか

2024-05-20 22:28:04 | 社会時評

きょうの朝日新聞の1面は『韓国「移民」受け入れ拡大』で、3面に『移民なければ国家消滅』『「選ばれる国」へ 日本も新制度議論』と、22面に『「育成就労」 外国人への門戸拡大』とつづく。これは、韓国の移民受け入れ政策を紹介することで、少子化・高齢化対策として、日本も移民を受け入れざるを得ないとするのが、要旨のようである。

しかし、移民を受け入れるのは、あくまで若年労働力不足への対策であって、少子化対策ではない。経営者にとって低賃金の労働力が不足することが悩みのタネかもしれないが、東アジアの国々での少子化は、自分たちが幸せでないという思いの表れでないかと思う。先日の朝日新聞に、「超少子化、過度な競争 自分だけで精いっぱい」という春木郁美のインタビュー記事があったが、これこそ問題の根源である、と思う。

物質的には、私の子ども時代より今の日本人は恵まれた生活をしている。大学院に入ったとき、私は研究室ではじめてクーラーと出合った。それが、いまでは、夏にクーラーの電源をいれないで日射病で死ぬ老人は本人が悪いと責められる。食べ物だって、贅沢になっている。私の母は、いつも市場が閉じるころに市場にでかけ、きずものの果物を買って来て、腐ったところを切り抜いて、果物好きの私に与えてくれた。ところが、私の子どもたちは、バナナをおサルの食べるものと思っている。

物質的な問題でないとすると、不幸の原因は、現在の日本社会の価値観や人間関係ではないか、と思われる。人と人とは争うものと思い込んでいるのではないか。学歴社会とは、単に高等教育を受けたかでなく、学校に差をつけ、どの学校に入学し卒業したかが、評価になっている。学校で何を学んだかではなくなっている。

世の中はゼロサムゲームではない。椅子取りゲームの世界でないはずだ。働く喜びとは仲間と一緒に仕事ができることではないか。仕事に優劣や貴賤があるはずはない。

不幸の原因が社会の価値観や人間関係にあるとすれば、日本人全体が思い込みを変えれば良いのだが、現在の価値観や人間関係に得する人たち(既得権益者層)が教育や世論を握っているのだと思う。なんとか、教育や世論を健全な方向に変え、まともな政権が東アジアに出現するようにしたいものである。

移民の受け入れに反対しないが、子どもを産みたい、育てたいという社会に日本を変えたい。


組織への忠誠より個人の良心を重んじる社会に変えよう

2024-05-17 21:34:07 | 社会時評

私は暑い季節になるとポカリスエットを飲んで水分を補給する。かって、尿路結石を起こしたことがあったからである。

5月14日の朝日新聞に、大塚食品のポカリスエット工場内での不適切な衛生管理を内部告発した社員が、不当に配置転換され、うつ病を発症したとして、13日、同社を提訴した、と言う記事があった。

 新聞によると、「同社員は大塚食品滋賀工場の品質管理課に勤務していた2021年11月、スポーツ飲料「ポカリスエット」の原料となる粉を入れていたポリ袋から樹脂片などの異物が検出されたことを知った。さらに、食品用ではないポリ袋に入れられていることも把握した」「(彼は)大塚食品が親会社の大塚ホールディングスや製造委託元の大塚製薬に報告しなかったことに危機感を抱き、22年6月、滋賀県食品安全監視センターに公益通報。同センターは食品衛生法に触れる恐れがあるとして大塚食品を行政指導した。」

品質管理の職にある彼として当然の行為だと思う。ところが彼は「別の部署への異動を命じられた。(中略)ほとんど仕事を与えられず、工場長ら管理職に囲まれた部屋で勤務することに。同8月、うつ病の診断を受け、約4カ月間にわたって休職を余儀なくされた」。

会社が工場長や管理者を罰せず、告発者を罰したことに、経営者の倫理感の欠如を感じる。

小林製薬の紅麹のサプルメント死亡事件にも、似たような品質管理の問題があったのではないか。紅麹の遺伝子検査では、有毒物質を生むような遺伝子変異は見つからなかった、という。工場で、アオカビの発生した原料を使ったか、製造工程で不衛生な事故が遭ったのを隠していたのか、何かあったのではと疑う。内部告発があれば死亡事件までに至らなかったと思う。

日本には、個人の良心より、組織への忠誠を重んじる風土がある。

けさの朝日新聞が、日本維新の会の馬場伸幸代表は足立康史衆院議員の投稿めぐり党紀委員会を招集すると報じた。足立が、4月の衆院東京15区補選で行われた党の機関紙配布が、公職選挙法に抵触するおそれがあるとSNS上で指摘したためである。

これも、組織防衛を優先する風土の例である。個人の良心を優先する風土に変えないといけない。

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地方都市崩壊の要因は 幅広い道路か、東京からの商業施設か、それとも…

2024-04-26 11:58:35 | 社会時評

2日前、人口戦略会議が、2050年までに自治体の4割で、20から39歳の女性が50%以上減少する可能性がある、との推定結果を公表した。会議がこれを「消滅可能性自治体」と名付けたのは、多少大げさの感があると私は思う。これは、あくまで、日本の少子化と大都市への人口移動の傾向を推定したものであある。

同じ2日前、私は、田舎の高校同期会に出席するために、8年ぶりに石川県の金沢に行った。

町を歩き回って思うのは、やたらと広い道路が多数できていて、大量の車が行きかっていることである。けっして、産業用自動車や観光バスではない。なぜ自家用車などが町の中心を走るのか、よくわからない。

幅広い道路を作ると、両側の商店街は滅びる。道路をへだてた住民の接触は減ってしまう。町の中心には駐車場が少ないから、車は通過するだけになる。

また、金沢駅のまわりに、地元のお土産屋ではなく、東京のアパレルや雑貨店や軽食店などの商業施設がずっと広がっていた。

金沢の住民が、町をテーマパークのように変えるのは、住民の勝手である。しかし、東京からの観光客が、東京で買えるものを、わざわざ、金沢に来て買いたいと思うはずがない。いままで地元の店に入っていた地元の客が、東京からの進出の店に吸い込まれる。近辺の市町村の商店街の客も、東京からの進出の店に吸い込まれる。

幅広い道路と同じく、東京から進出した商業施設が、町を崩壊させる。

ヨーロッパの町では、町のなかへの車の侵入を制限する。道路は歩く人のためのものである。歩くのが大変な人は公共交通機関を使う。何車線もあるような道路を町の真ん中に作らない。広い道路を作るのが地方行政の仕事だと考えるのやめるべきである。防災対策のため、消防車が走れる道路も必要だが、町の崩壊を防ぐため、限度を超えた幅広さはいらない。

日本も都市の中心への車の乗り入れを制限し、現在の幅広い道路を広場に変えるべきである。フリーマーケットにして地元の人が手作りのものを売るのも良いだろうし、そばのレストランやカフェーがテラス席(屋外席)を設けるのも良いだろう。季節の花を植えるのも良いだろう。

江戸も昔のロンドンも都市に女性が集中することはなかった。逆に、仕事を求めて、男性が過度に集中して、独身男性があふれた。いま、なぜ、大都市に女性が集中するのかが、わからない。地方は女性蔑視が多いのだろうか。そうなら、そうでないことを地方自治体は示せばよい。インタネットが普及した現在、地方にも女性の魅力的な仕事を創れると思う。


リニア新幹線は本当に造るべきだったのか?

2024-04-11 02:13:05 | 社会時評

きのう、川勝平太が静岡県知事の辞職願いを県議会議長に提出した。職業差別の発言で物議をかもしたことが、辞職の理由らしいが、マスメディアのあら捜しに嫌気がさしたのではないかと私は思う。私には、言葉尻をとらえただけの非常に政治的な策謀にメディアが乗ったように見え、本来は彼が辞職する必要はないものと思う。

この背景の1つに、リニア新幹線の工事問題があると思う。リニア新幹線の開通を妨げている勢力のシンボルの1つに、川勝平太がメディアや保守系の人々から見えるのだろう。

リニア新幹線の抱える問題は、ウィキペディアの中央新幹線の項に簡潔にまとめられている。東海道新幹線が何かあったときのための代替策として中央新幹線がもともと企画されていたが、そこに、2011年にリニア新幹線という怪しげな技術案が採用されたことに問題の発端がある。

2014年に環境庁が石原伸晃大臣を経由して太田昭宏国土交通大臣に提出した意見書は、リニア新幹線建設計画に、つぎの環境問題を指摘した。

JR東海の計画では品川―名古屋区間の86%がトンネルとなり、このトンネルが多くの水系を横切るので、「ひいては河川の生態系に不可逆的な影響を与える可能性が高い」。

また、トンネル工事で発生する大量の土砂をどうするかの検討と施策が、土砂崩れの災害を防ぐために、求められる。

さらに、「本事業の供用時には現時点で約27万 kWと試算される大量のエネルギーを必要としているが、現在我が国が、あらゆる政策手段を講じて地球温暖化対策に取り組んでいる状況下、これほどのエネルギー需要が増加することは看過できない」。この約27万 kWは、中部電力の電力供給能力のほぼ1%にあたる。

私から見ると、リニアの選択はエネルギー効率からみれば、馬鹿げた選択である。一番エネルギー効率の良いのは、地上に車輪がついた鉄道である。リニアは鉄道より早いというが、鉄道のスピードを制限しているのは、現状の線路が曲がりくねったり、坂を上がったり下がったりして、車体のスピードとともに安定性が悪くなるからである。したがって、リニアのように初めから線路をまっすぐにし、線路の勾配を緩やかにすれば、いくらでも鉄道はスピードを出せるのである。

東海道新幹線が何かあったときのための代替策として中央新幹線があるなら、輸送量も問われる。しかし、JR東海のリニアの計画では、その輸送量は東海道新幹線よりはるかに劣る。これは、現状のリニアの技術的問題に由来する。

また、ほとんどトンネルで途中駅も限定されるから、観光列車との価値も少ない。コロナで一段とテレワークが進んだので、ビジネス利用の増加も期待できない。

また、日本の中央構造線(大断層)を横切ることになるので、黒四ダム建設に劣らない難工事が予測される。建設費は大きく膨らむだろう。

したがって、リニア新幹線の経済効果は、その工事を請け負う土建屋だけにとどまり、できたあかつきには、なぜ、こんなお荷物になるものを日本社会は必死で作ろうとしたのか、後悔することになるだろう。

私は、このように、リニア新幹線にいかなる明るい期待をいだけない。だれが、政治家やメディアをだましたのだろうか。リニア研究の予算を確保するために、技術者幹部が軽い気持ちで明るい未来を誇張したためではないか、と想像している。

<世の中には、技術的夢として研究しつづけ、実現してはならぬものがある。>