猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

菅義偉が学術会議6名の任命拒否の理由を言えないのは理由がないからだ

2020-10-31 22:44:52 | 日本学術会議任命拒否事件

10月30日現在、菅義偉首相は、いまだに、なぜ、6人の日本学術会議会員の任命を拒否したのか、明らかにしていない。日本学術会議が規則に基づき新会員を選考し、省令に基づき首相に推薦し、その推薦に基づき首相が105人の新会員を任命する、と国会で決めた法にあるのに、そのうちの6名を理由もなく拒否した。

今開かれている臨時国会で、菅は「人事に関しては答えられない」「旧帝国大学に会員がかたよっている」とか言っている。

菅は人事で人を恫喝してきた人だから、そのままに、ほっと置くわけにいかない。日本学術会議にかぎらず、国民は首相がする人事に関してその理由を問う権利がある。

日本学術会議の会員が旧帝国大学に別に片寄っているわけではない。今回の任命拒否された6名のうち、3名は私立大学である。また、東京大学出身であるから、別に悪いというわけではない。だいたい、拒否された6名を選択した副官房長官の杉田和博は東京大学法学部卒である。しかも、警視庁に就職し、公安畑を歩いてきた男である。菅が保守政治家の「叩き上げ」なら、杉田は左翼取り締まりの「叩き上げ」である。

拒否された6名はすべて1部の「人文・社会科学」である。1部の定員は35名であるから、2割弱を拒否したことになる。すなわち、菅・杉田コンビは日本学術会議の多様性を否定したのである。

きょう、テレビで、元総務大臣の片山善博は、日本学術会議が推薦名簿を官邸に提出する前に、会議の会長が挨拶に来なかったので、菅が腹を立て、「任命権」が自分にあることを示そうとしたと言っていた。そのとき、1、2名ではインパクトがないから、任命された者を、100名を割る99名にしたと推定する。あとで文句が出ない、組織の後ろ盾のない研究者を選んで任名拒否した。片山によれば、6名はなぜ拒否されたか わからない、穏健な自由主義者だという。

そうなんだ。菅は、総理大臣になれば独裁者としてふるまえる、と安易に思って任命拒否したから、拒否した本当の理由を言えないのだろう。総理大臣だってただの公務員で、国民の奉仕者と日本国憲法に規定されている。ルールを守って、国民の模範とならないといけない。

菅は、空手部で理不尽な扱いを受け、それが世の中であると勘違いし、国のトップに上り詰めようと思って、政治家となったという。理不尽は理不尽にすぎない。そんなものを日本中に広めてくれては困る。菅は総理大臣になってはいけない男だった。

きょうのETVの『こころの時代』は、ハンセン病患者の国への訴訟など人権問題に取り組んできた弁護士の徳田靖之の話だった。彼も東京大学法学部卒である。彼が、学生時代に貧しい子どもの勉強を助ける活動をしていたとき、親に、「大生だから財閥のご子息でしょう、こういう活動をして偉いね」と言われ、困惑し、何も言えなかったという。

彼の父は戦死し、母がそれで発狂し、彼は祖父と祖母に育てられた。奨学金で高校、大学に進学した。仕送りのなかった苦学生である。しかも、大分県に戻り、地方で、貧しい人、虐げられた人のために、弁護活動をしてきた。

同じ東京大学法学部卒でも、杉田和博もあり、徳田靖之もある。人はそれぞれ異なった思いで異なった道を歩んできた。だから、どこどこの大学を卒業したからという、学歴で人を判断してはいけない。

「自分らしさ」という日本語に戸惑う私、「自分らしさ」とは何か

2020-10-29 21:37:02 | 愛すべき子どもたち


かつて私がNPOで担当した女の子が戻ってきた。いま、彼女はここでエッセイを書いている。

この夏、彼女は眠れなくて頓服薬を飲んだら痙攣が起きた。これを期に、体も心も調子を崩して、不規則な通勤が始まり、特例子会社の所長に、「ここは福祉をやっているのではない」と言われ、休職となった。それで、NPOに戻ってきたのである。会うたびに元気になっている。

彼女は繊細な心と深い考察力に恵まれているので、彼女のエッセイを読むのが楽しい。ところで、昨日のエッセイのタイトルは『自分らしさ』であった。

私は、「自分らしさ」という言葉を使ったことも考えたこともないので、あわてふためいた。「女らしさ」「男らしさ」というときは、周りの期待像をいう。「自分らしさ」ではなく、「自分が自分であること」ということではないかと思った。

いつもは、エッセイを読んだあと、彼女をencourageするのだが、昨日はうまくそれができなかった。傷つけたのではと、心残りである。

ネットで調べると、ブログで「自分らしさ」という言葉を使っているのは、40代50代の女性で、20歳になったばかりの子が使うのは珍しいようだ。

「自分が自分であること」という言葉は、20代、30代の男が使っているようだ。

「自分らしさ」という言葉は、ニュアンスがちょっと異なるが、「自分が自分であること」を控え目に言っているのかもしれない。

ネットで「自分らしさ」の英語訳を調べると、“individuality”、“personality”と出ている。

“individuality”も“personality”も「個性」とふつう訳されている。エーリック・フロムは『自由からの逃走』で、“individuality”を「周りから切り離された存在」の意で使っている。

私は、“being myself”、“being yourself”という言葉のほうが好きである。

『自由からの逃走』(東京創元社)の第2章で、「10歳の子どもが、突如自分の個性(its own individuality)に目覚める」瞬間を、Richard Hughes の『ジャマイカの風(A High Wind in Jamaica)』から、フロムが引用している。

「彼女は自分が自分であることに突然気づいた」(She suddenly realized who she was)。
そして、彼女は狂喜して、帆船の縄はしごをのぼり、マストの先に腰掛け、手足を伸ばしてみて、つぎに、ワンピースの中の自分の素肌を肩こしにやさしく覗いた。

自分が自分であることは、自分の体を自分が思うままに使ってよい、自分のことは自分で判断してよいのだということである。

だから、「自分らしさ」「自分が自分であること」は、自分の長所を発見するという自己肯定ではなく、「自分で物事を判断してよい、決めてよい」ということに気づくことである。

『ジャマイカの嵐』で10歳の女の子が「自分は自分」に気づくことを早いように思う人もいるだろうが、私も、小学校3年生のころ、自分は覚えることが好きではない、覚えないのだと決意した。学校や両親に心ひそかに反旗をひるがえしたのである。

充分に賢いはずの彼女が「自分らしさ」を考えることに、やっぱり、違和感を覚える。
それに、いま、彼女は家を出て、グループホームに入ることを決断したのだから。

2050年度温暖化ガス ゼロは菅新総理の所信表明の華か?メディア批判

2020-10-27 23:01:03 | 叩き上げの菅義偉

東京新聞が、菅義偉の所信表明が終わる数分前に、スピーチの全文をネットに掲載したという。別に東京新聞に限らず、事前に、全社に全文を配信したのだろう。ということは、いままでとおり、総理つきのスピーチライターが原稿を書き、菅が大声でそれを読み上げたということだ。

メディアは、所信表明の「2050年度までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」ばかりを報道していたが、本当の問題は、安倍晋三がごまかしてきた日本経済の停滞と地域社会の崩壊だろう。

菅の所信表明は、成長戦略会議や各省庁の政策提案を自分の好みで網羅的にまとめたものと思われる。そのため、文として段落として、その論理性や整合性を欠いたものが出来上がった。

「各省庁や自治体の縦割りを打破」というが、「縦割り」は「使命(mission)」にもとづいてできたものだから、単純に縦割りを打破すれば、行政に矛盾や無秩序が吹き出るだけである。「縦割り打破」でなく、必要なのは、全体をコーディネートする整合性と鳥の目とのある調整役である。菅のために誰がその役をこなしてくれるのだろうか。そのためには、恫喝して人を支配するのではなく、意気に感ずる質の良い側近をもつことである。

その点で、菅は企業の経営者なら失敗するタイプである。人を恫喝したり、ミクロ管理したりしてはいけない。「叩き上げ」なんて自分のことを言ってはいけない。「叩き上げ」は、2,3人の弟子をもつ親方まで である。私の子ども時代は、親方と家族は、弟子と同じものを毎日喰って、一緒に慰安旅行に出かけたものだ。「叩き上げ」は家族型経営のときに言う言葉である。

一国の経済とは、先端では華々しい活躍しているように見えても、本体は地味な日々の努力である。みんなが必要としているのは、日常生活を支える物で、昔ながらの物で、そんなに儲かるモノでもない。地味な経済活動こそ、国の基本体力である。どこでも買える物こそが、みんなが必要としているモノである。

菅は所信表明でいう。

「オンライン教育を拡大」「デジタル化やロボット技術による自動化、無人化」「環境関連分野のデジタル化」「海外の金融人材を受け入れ、アジア、さらには世界の国際金融センター」「オンライン診療の恒久化」

これって、本当に地域に活性化を導くのだろうか。

地方にシャッター街が広がっている。横浜市の大型商業施設でも、パネルに囲まれた空き領域が増えている。新型コロナのせいではなく。それ以前から閉鎖店舗が増えている。

私は、商店街の出だから、それは生きる自由が奪われていくことを意味する。商人は自由人だといっても、基幹の産業(農業やものつくり)が細ればやっていけない。地域の再生は「ふるさと納税」や「インバウンド(観光客)」だけでは、できない。

輸出先を政府が開発すれば、農業が再生するわけではない。大量に技能実習生を入国させても、農業が再生するわけではない。

菅は「四月に農林水産省に発足した輸出本部の下で、関係省庁が一体となって相手国との交渉を行い、輸出用の加工施設の認定も急速に進みました」というが、これはイスラム国やイスラエル用に宗教的規制(ハラル制度など)を満たす食品の輸出をいうのだと思うが、そんなものは規模が小さく、農業再生の基幹となりえない。

それに、日本の農業を再生できるほどの規模で輸出拡大が進むなら、これは、米国やオーストラリアや中国と新たな摩擦を起こす。

結局、農産物の価格を上げ、それでも、非農業の国民が生きていけるようにすること、また、農業は植え付けや収穫時に一時的に労働力需要が増大するので、兼業農家や一時的労働力を増やすべく、農家の近くに環境に優しい産業の働き場を増やすことである。これは、宮澤賢治の童話の世界、すなわち、戦前の農本主義と結び付く考えだが。

菅は地域の産業を活性化するために、

大企業で経験を積んだ方々を、政府のファンドを通じて、地域の中堅・中小企業の経営人材として紹介する取組を、まずは銀行を対象に年内にスタートします」

というが、そんなものは役立つと思えない。私の友人、三井住友銀行で出世した京大卒の男だが、定年退職後、千葉の銚子市の産業活性化に従事していたが、大企業の経験など、中小企業や商店の活性化に役立たない。

それより、現場で農業やものつくりをしていた人たちを、小中高の非常勤の先生として、子どもたちの教育に当たられるようにした方がよい。先生になるのに、教職課程修了が必要とか教育実習の経験が必要とかいう、現在の規制をぶっ壊す方がよい。自分で農業、製造業を始める喜びを子どもたちに伝えることこそ、地域再生につながる。収入より生きがいを求める人間が増えることの方が、地域再生に大事だ。

国民も、「携帯電話料金の引下げ」だけで騙されるのではなく、日本に「自由」と「平等」とが失われため、現在の経済の停滞を招いているのだ、ということに気づくべきである。

言葉の整合性がない菅義偉の所信表明に あきれ果てる

2020-10-26 22:50:52 | 叩き上げの菅義偉

きょう(10月26日)、菅義偉の第99代内閣総理大臣としての初めての所信表明があった。

その中身は総花的でレベルが低く、びっくりした。誰が原稿を書いたのだろう。菅は、総理大臣なってこの1カ月以上、いろいろな人にあって何を学んだのだろうか。

あいかわらず、トンデモナイことを言っている。

「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』そして『絆』です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指します。
 そのため、行政の縦割り、既得権益、そして、あしき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。『国民のために働く内閣』として改革を実現し、新しい時代を、つくり上げてまいります。」

「まず自助の社会」をつくるために、「行政の縦割り、既得権益、そして、あしき前例主義を打破し、規制改革」とは、オカシイ。規制改革をして自助が必要な社会にしたいというのだろうか。また、「公助(福祉)」のために規制改革するも、何を言いたいのか理解できない。

また、「私は、雪深い秋田の農家に生まれ、地縁、血縁のない横浜で、まさにゼロからのスタートで、政治の世界に飛び込みました」は、まったくお涙頂戴のフレーズで、所信表明に不要である。

私は、人間は平等であるべきと考えるから、「地縁、血縁のないところで、ゼロからのスタート」は あたりまえのことである。私も、北陸出身で地縁、血縁のない横浜に居ついている。「農家」に生まれようが「町」に生まれようが何も関係ない。

先の自己宣伝のあとに、つぎのフレーズが続く。

「『活力ある地方を創る』という一貫した思いで、総務大臣になってつくった『ふるさと納税』は、今では年間約5千億円も利用されています。」

「ふるさと納税」で「活力地方を創る」ことができるはずはない。そんな考えだから、立派な自治体の建造物が地方にでき、土建屋ばかりが潤う。

それに、交通の便が良くなると、住む場所と働く場所とが異なってくる。税は働く場所でもっともあがる。いっぽう、地方自治体は、福祉やインフラ整備などの行政サービスの最前線である。税の収入場所と税の支出場所の違いを地方交付金で解決している。実際には年間約60兆円の交付金を中央政府は支出している。

したがって、「5千億円」とは別に自慢することではない。問題は高額返礼品で「ふるさと納税」がモラル崩壊のもとになっていることである。

所信表明の中で、菅の独自色が出ているのは、「最低賃金の全国的な引き上げ」と「北朝鮮との国交正常化」と「健全な日韓関係に戻すべく」だけである。

「日朝平壌宣言に基づき、拉致・核・ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、北朝鮮との国交正常化を目指します。」
「韓国は、極めて重要な隣国です。健全な日韓関係に戻すべく、わが国の一貫した立場に基づいて、適切な対応を強く求めていきます。」

ぜひ、有言実行してもらいた。ただ、「目指します」「戻すべく」という官僚的な逃げのある言い方をしているのが、気になる。また、日韓関係を不健全にしたのは安倍晋三に責任がある。

あとは、ただただ、あきれ果てる所信表明だ。
外交・安全保障は安倍の「積極外交」を引き継いでいるだけだ。

たとえば、「日米同盟は、インド太平洋地域と国際社会の平和、繁栄、自由の基盤となるもの」とし、「その抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担軽減に取り組みます」という。この結果、「普天間飛行場の危険性を一日も早く除去するため、辺野古移設の工事を着実に進めてまいります」となる。すなわち、沖縄に関しては現状維持を主張しており、なんら、これまでの安倍の対米従属の「安全保障」政策と変わらない。

現在、米国の国力が衰え、米中の経済摩擦が火を噴いているが、菅はつぎのように話した。

「中国との安定した関係は、両国のみならず、地域および国際社会のために極めて重要です。ハイレベルの機会を活用し、主張すべき点はしっかり主張しながら、共通の諸課題について連携してまいります。」

この「主張すべき点はしっかり主張し」は、米国に対しても言わなければならないのに、中国だけに向かっていうのは、安倍の「対米従属」外交が今後も続くことを意味している。

また、「ハイレベルの機会」とは「首脳会議」のことではないかと思うが、習近平と個人的会話をして解決するような問題が、「主張すべき点」なのか。

所信表明が、万事が万事、低能である。

福島第1原発事故に関しても、つぎのように言う。

「たとえ長い年月を要するとしても、将来的に帰還困難区域の全てについて避難指示を解除する決意は揺るぎません。」

長い年月が経てば、帰還できるのはあたりまえである。現在なお避難している人たちに、政府は、現在、何をしてあげるのか、が問われているのである。

よくも、「省エネルギーを徹底し、再生可能エネルギーを最大限導入するとともに、安全最優先で原子力政策を進めることで、安定的なエネルギー供給を確立します」と白々しいことが言えると怒りを覚える。

「教育は国の礎です。……、あらゆる子どもたちに、オンライン教育を拡大し、デジタル社会にふさわしい新しい学びを実現します」も、意味不明である。対面教育こそ、求められるもので、「オンライン教育」なら学校はいらない。他人と共感できない情緒欠陥の人間をつくらないため、対面教育と学校での子ども同士の遊びが絶対必要なのだ。

次のフレーズも何を言いたいのか、理解しがたい。

「政権発足前は極端な円高・株安に悩まされましたが、現在は、この新型コロナウイルスの中にあってもマーケットは安定した動きを見せております。人口が減る中で、新たに働く人を400万人増やすことができました。下落し続けていた地方の公示地価は昨年、27年ぶりに上昇に転じました。」

「政権発足前」は「自民党政権発足」のことのようである。しかし、「下落し続けていた地方の公示地価は昨年、27年ぶりに上昇」は、そんなに良いことだろうか。不動産屋以外にとって、どうでも良いことではないか。

菅義偉の脳は、「叩き上げた」ために、破壊されている。言葉に論理性と整合性がない。所信表明は、誰か頭の良い人に書いてもらえば良かった。せっかく、日本学術会議会員任命で6名の社会科学研究者を拒否したのだから、彼らを首相補佐官として雇用し、所信表明を書いてもらえば良かったのだ。

自分より頭の良い人を自分のために生かせないなんて、菅は謙虚さもないのだ。

[追加]
所信表明の翌日、フジテレビの「特ダネ」で菅義偉の所信表明をヨイショしていた。メインキャスターの小倉智昭だけが疑義を表明していた。所信を読まずにヨイショだけを決める番組プロデューサーは本当になさけない。
政治でも企業経営でも、目標、戦略、戦術を立てて動くものだが、その間に論理的整合性がない所信表明を聞いて、違和感を感じないメディアの番組プロデューサーの感覚はいかなるものか。

聖書から、自由人、自助、叩き上げについての戯言

2020-10-25 21:53:59 | 自由を考える


古代において、王の支配が強くなると、その支配を逃れるのはむずかしい。主なる職業が農夫であるからだ。王に土地を抑えられているから、王に従うことを拒否すれば、居るところがなくなる。聖書や史記を読むと、王に逆らったものは、山に潜み、盗賊になるしかなかった。

前漢の創始者の劉邦は、地方の末端の酒飲みの小役人であったが、秦の始皇帝の咸陽へ賦役の農夫を移送する途中、逃亡者が続出してしまい、咸陽に行けば厳罰を受けるので、残った農夫を引きつれて、山に潜み、盗賊の親分となった。

しかし、聖書の舞台になった中東では、盗賊以外に、商人になる手があった。商人といっても、行商人である。旧約聖書での「自由」は、まず、「移動の自由」「取り引きの自由」である。

新共同訳の『創世記』には「自由」という言葉が3箇所に出てくる。34章10節、34節21節、42章34節にでてくる。新共同訳より古い口語訳では「取り引き」と訳している。ヘブライ語聖書や70人訳ギリシア語聖書にあたってみると、ヘブライ語では סחרが、ギリシア語ではἐμπορεύομαιが使われている。これらの言葉は、「旅のものが商売する」すなわち「行商する」という意味である。

土地に縛られない、逃亡できるというのが、古代の「自由」であった。新約聖書のイエスやパウロは旅をして布教したから「自由人」である。

私の母は、戦後の混乱期、乳母車に私の兄を載せ、農家を周り、たべものを仕入れ、寝ている兄の下に隠して町に戻り、警察の目をかいくぐって、売り歩き、父が戦地から戻るまで、生き抜いた。売り歩く段になると、兄は目をあけ、ニコニコして買い手に愛嬌をふりまき、母を助けたという。

私の母も「自由人」であった。「自由人」とは「家造りらの捨てた石」である。

菅義偉は自助というとき、みんなが政府に逆らって生きる「自由人」になることを奨励しているのだろうか。彼が「叩き上げ」と自負するとき、強い者に逆らって、自力で生き抜いた経験があるのだろうか。

どうみても、結局、菅は強い者に寄り添って、その代行者としての地位を確保しただけである。「自由人」ではない。安倍晋三の自滅を待って、二階俊博とタグを組んで、総理大臣の座を射止めただけである。

彼は酒飲みでないから、劉邦よりマシかもしれない。また、安倍政権下で、最低賃金を上げることに賛成した数少ない安倍の部下である。

しかし、彼は「自由」というものを意識したことはなかったのではないか。官僚が総理大臣に逆らえば罰を与えるでは、独裁者の発想である。政府に逆らうものがいる日本学術会議はつぶしてしまえでは、独裁者の発想である。

自由を追求しなかった「叩き上げ」はヤクザの舎弟にすぎなない。舎弟が組長になったからといって、なんの称賛に値しない。

   ☆   ☆   ☆

『マルコ福音書』12章10節
 あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が 角のかしら石になった。