猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「趣味は?」と聞かれても、父と母の場合は

2023-07-05 00:05:57 | 思い出

数日前、朝日新聞の《耕論》に『「趣味は」と聞かれても』というテーマで3人のインタビューが載っていた。オピニオン&フォーラムで取り上げるような話題のように思えないが、無趣味だと体裁が悪いと思う人が増えたのか、それとも、生きていく意味がないと感じる人が増えたのであろうか。どうも、新聞がこのテーマを企画したのは、無趣味でいいのだというメッセージをみんなに伝えたかったのではないだろうか。

私の母は、生活に余裕ができたとき、私の父に趣味を持てとよく言っていた。子どもの私としては母の意図がわからなかった。今でも、母がどうしてそんなことを父に言っていたのか、謎である。

父は兄の作ったラジオで落語や講談を聴いていた。子どもの私は父のそばで一緒にそれを聞いていた。聞こえてくる話はじつに面白かった。落語や講談を聴くことは立派な趣味だと思う。

父は探偵小説を読むのが好きであった。また、芥川龍之介を大作家だと思っていて、出版があると、買ってきて読んでいた。それも立派な趣味ではないか。

父は映画を見に行くのが好きであった。チャンバラでも西部劇でもなんでも良かったようである。それも立派な趣味ではないか。

母が趣味と考えるものは、落語や講談を聴くことでも、小説を読むことでも、映画を見ることでもなかった。母自体の趣味は手仕事である。絵を描いたり縫物をしたりすることである。

母が父に勧めていたのはコレクションである。砂浜で貝殻を集めること、川で石を集めること、切手を買い集めること、古銭を集めることなどである。こんなに珍しいものを集めたと自慢できることが、趣味を持つということらしい。

母の勧める趣味はなんとなく田舎臭い感じがする。旦那衆の趣味である。

父は東京育ちだから、そういう趣味を持ちたいという気持ちがなかったと思う。しかし、父は母に従ってコレクションを始めた。

母はなぜ父にコレクションを勧めたのだろうか。ひとつは父が老人性ウツになるのが怖かったからではないのか。また、東京育ちの父を理解できなかったからではないのか。また、女道楽を始めるのを防ぐためだったのではないか。

母はブスであった。父は美男子だった。母が父を手元において置くために、父をリードして自分の方が優越していると思わせたかったのではとも思う。

私は別に趣味はいらないと思う。私にはやりたいことはいっぱいあるし、齢をとるとのろまになるので、時間がいつも足りない。もちろん、何か成し遂げねばとも思わないので、このまま、いそがしい、いそがしいと言いながら、死ぬのだと思う。死を迎えてだいじなのは、みぢかにいる人をいつも大切にすることぐらいである。


せつなくて なつかしい石牟礼道子の『食べごしらえおままごと』

2022-04-10 23:27:16 | 思い出

石牟礼道子の言葉がおりなす世界は、とても せつなく、なにか なつかしい世界である。

私が若いとき名前だけを知っていたが、彼女の本を読んだことがなかった。年をとってから、NHKテレビで、彼女が、やさしく、人にも物にも語りかけるのを見て、それから、彼女の書いたものを読みだした。

今回、読んだのは、数年前に妻が買った『食べごしらえおままごと』(中央文庫)である。はじめに彼女がつくったお料理のしなじなのカラー写真が16ページつづく。じつに、おいしそうである。

しかし、料理のレシピ集ではない。親や祖母や叔母たちがいる子ども時代の思い出をつづったエッセイ集である。

最初のエッセイ「ぶえんずし」は、つぎで始まる。

〈貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思いこんでいたのは、父をみて育ったからだと、わたしは思っている。〉

彼女の父が「気位が高い」というのは威張っているのではなく、「誇り」あるいは「品位」をだいじにしているのである。彼のつぎの言葉を聞くと、私は、とても愛らしく思ってしまう。

〈「ようござりやすか。わしゃ、天領、天領天草の、ただの水のみ百姓のせがれ、位も肩書もなか、ただの水のみ百姓のせがれで、白井亀太郎という男でござりやす」〉

彼女の父は、盲目の発狂した祖母(母の親なのだが)に、ものやさしく丁寧に接したという。

「ぶえんずし」はその父の作った料理なのである。鯖のちらし寿司である。

私が育った田舎では、祭りに押し寿司をつくる。私の母親は、鰯を開いて塩をまぶし、酢で締めて、冷ました ごはんの上にのせ、押し寿司を作った。私は母のつくった鰯の押し寿司が大好きだった。

エッセイ「七夕ずし」は、大きな笹竹に短冊や飾りをつけ、家の前に立てるという、話しである。笹竹を立てるに、男衆3人がかりだというから、かなり大きい笹竹だ。昔の家並みの一軒一軒にそれが立つのだ。1週間ぐらいお祭りをしたあと、その笹竹は、枝葉をとり、布団を干すための竹竿に変身するのだ。

道路がまだ舗装されていない時代の家並みが思い浮かぶ。

この笹竹に飾りつけするときの、年増の女衆が若い男をからかうときのやりとりが、じつに色っぽい。飾られた笹竹をたてたあと 食べるのが、「七夕ずし」である。

もっとも、私の家は七夕をしなかった。それだけでなく、季節の祝い事は、お正月の おせち と ぞう煮 以外しなかった。


カナダでの40年前のクリスマス

2021-12-24 23:54:00 | 思い出
 
40年前、私たちはカナダに4年間いた。
ファミリーが遠くから集まるのは10月の感謝祭。12月のクリスマスはいっしょに住んでいる家族がイエスの誕生を祝う。
 
24日の夕方には、kindergarden(保育園)の子どもたちが、イエス誕生劇をやる。物語は、星に導かれて羊飼いがいくと、馬小屋でイエスが生まれている、という物語である。見に行ったはずなのに、息子が羊飼いの役をやったのか、ヒツジの役をやったのか、遠いむかしで判然としない。
 
キリスト教徒でなかったので、私たちは教会に行かなかった。
 
25日の朝は家族同士がプレゼントを交換する。25日からクリスマスセールがはじまる。クリスマス・プレゼントの売れ残りを安く売るという理屈のようだ。町は活気につつまれる。私たちは、包装紙とかリボンとかクリスマスカードとか絵本を買った。
 
クリスマスの前まで、モールにサンタクロースがいた。無料で子どもたちと一緒に写真を撮られていた。
 
40年も前のことで、思い出そうとすると、デティールが消えていく。

昔、消費者は王様です、という時代があった

2021-05-23 06:28:34 | 思い出

私が子供だったときに、新聞に「消費者は王様です」というキャッチコピーがのった。これは、当時の人気演歌歌手、三波春夫の口ぐせ「お客様は神様です」のパロディーであるが、日本の高度経済成長期の風潮をよく表現していると思う。

私の母は、この新聞広告をもとに、「時代は変わった、お金は使って何ぼのもの、稼げ、稼げ」と父を責めていた。父は、「上を見たらきりがない」とぼやくだけだった。

私の母が欲しかったものは、電気洗濯機、冷蔵庫、電気釜、電気掃除機である。私の実家には、雪国なのに、湯沸かし器もなかった。もちろん、テレビもなかった。

60年前の日本は、物が欲しいという欲望をあおって、人を働かせ、物を売り、企業は大きくなった。これを高度経済成長期という。

母の言い分もわかるが、物のために母が父を責めたてていたことで、人間の欲望や経済成長を素直に肯定できない私になっている。欲望のために人と争うことを私は肯定できない。

これからは、「平等」「愛」ということも考える時代だ、と思う。

小野善康は、『成熟社会の経済学』(岩波新書)のなかで、物が絶対的にない時代の日本と、現在の成熟社会の日本とは違うという。現在のデフレは、物が余っていることだから、必要な人に物が行き渡るようにすれば、不況が解決すると言っていた。

高度経済成長期には、人間の欲望を活力の源として、社会の生産設備を拡大してきたが、その結果、現在、物が売れないという皮肉なことが起きている。これからは、経済的成果の分配の平等化で、生産したものが無駄に捨てられるのを防ぐ時代である。

消費税をやめて累進課税を強化するのも手である。それだけでなく、賃金を上げろと声をださないといけない。給与所得者の年収は明らかに低いのだ。

この40年間、「働くものが王様だ」とする闘う労働組合がつぶれ、「労使協調路線」のもとに企業に管理された労働組合が増えた。総評から連合に変わった。さらに、いまは、労働組合自体が、あたかも悪であるかのように新聞にたたかれる。貧しいのは本人が悪い、自己責任だ、と叩くばかりの自民党が国会の過半数を握っている。

こんなことではいけない。参院選で、自民党を過半数割れに追い込まないといけない。

[参考図書]小野善康:『成熟社会の経済学 ―― 長期不況をどう克服するか ―― 』岩波新書 1348 ISBN978-4-00-431348-9  2012年

赤い巨星べテルギウスの超新星爆発をすっかり忘れていた

2021-05-15 23:20:27 | 思い出


おとといの朝、足がつって1日中痛みが取れず、どこにも行かなかった。つったのは、右足のふくらはぎである。ふくらはぎを「こむら」とも呼ぶらしい。だから、ふくらはぎがつることを「こむら返り」ともいう。老人によくあることらしい。

NPOでの仕事もはいっていなかったので、本当にだらだらと1日を過ごした。昔の自分の記録をみて、10年前に、赤い巨星、べテルギウスが超新星爆発するかもしれないというNHKの特集を思い出した。あのころ、なぜか、べテルギウスの爆発の期待にワクワクしていた。理由は思い出せない。人間の感情の起伏はそんなもので、たいした根拠もないのかもしれない。

べテルギウスはオリオン座の2番目に明るい赤い星で、子ども時代に屋根の上にあがって、冬によく見ていたのを思い出す。とくに、元日の夜は、町の明かりが消えて夜空の星がよく見えた。大人になっても、たくさんの星が東の空から西の空にゆっくりと動いてゆく夢をみる。

そのべテルギウスが なかなか爆発しなくて、すっかり、そのことを忘れていた。インタネットで検索すると、今年の2月21日、NHKが「ベテルギウスの超新星爆発は10万年以上先だとする結果を東京大学などの研究グループがまとめました」と報道していた。その報道すら気づかなかった。

同じ日、おとといのことだが、手塚治虫の漫画「地球最後の日」のロケットでの地球脱出シーンがネット上にないか、探したが見当たらなかった。しかし、それでいいのだという気もする。子どものとき、リアルで迫力を感じた漫画の絵も、いま実際に見ると、記憶と違ってへたくそで臨場感がない。子どものときは、見たものが、自分の想像力の中でどんどん膨れ上がり、リアルになっていったのであろう。想像力が衰えた今、記憶の中のリアルはリアルとして残しておけばよい、と思っている。